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●意思

 最近の研究では、「自分の意思」ですらも、実は、脳の中で、作られるものだということがわか
ってきた(澤口俊之氏「したたかな脳」日本文芸社)。

 たとえばテーブルの上に、ミカンがあったとしよう。するとあなたは、そのミカンに手をのばし、
それを取って食べようとする。

 そのとき、あなたは、こう思う。「私は自分の意思で、ミカンを食べることを決めた」と。

 が、実は、そうではなく、「ミカンを食べよう」という意思すらも、脳の中で、先に作られ、あなた
は、その命令に従って、行動しているだけ、という。詳しくは、「したたかな脳」の中に書いてあ
るが、意思を決める前に、すでに脳の中では別の活動が始まっているというのだ。

たとえばある人が、何らかの意思決定をしようとする。すると、その意思決定がされる前に、す
でに脳の別のところから、「そういうふうに決定しないさい」という命令がくだされるという。

 (かなり大ざっぱな要約なので、不正確かもしれないが、簡単に言えば、そういうことにな
る。)

 そういう点でも、最近の脳科学の進歩は、ものすごい! 脳の中を走り回る、かすかな電気
信号や、化学物質の変化すらも、機能MRIや、PETなどによって、外から、計数的にとらえてし
まう。

 ……となると、「意思」とは何かということになってしまう。さらに「私」とは、何かということにな
ってしまう。

 ……で、たった今、ワイフが、階下から、「あなた、食事にする?」と声をかけてくれた。私は、
あいまいな返事で、「いいよ」と答えた。

 やがて私は、おもむろに立ちあがって、階下の食堂へおりていく。そのとき私は、こう思うだろ
う。「これは私の意思だ。私の意思で、食堂へおりていくのだ」と。

 しかし実際には、(澤口氏の意見によれば)、そうではなくて、「下へおりていって、食事をす
る」という命令が、すでに脳の別のところで作られていて、私は、それにただ従っているだけと
いうことになる。

 ……と考えていくと、「私」が、ますますわからなくなる。そこで私は、あえて、その「私」に、さ
からってみることにする。私の意思とは、反対の行動をしてみる。が、その「反対の行動をして
みよう」という意識すら、私の意識ではなくなってしまう(?)。

 「私」とは何か?

 ここで思い当たるのが、「超自我」という言葉である。「自我」には、自我を超えた自我があ
る。わかりやすく言えば、無意識の世界から、自分をコントロールする自分ということか。

 このことは、皮肉なことに、50歳を過ぎてみるとわかる。

 50歳を過ぎると、急速に、性欲の働きが鈍くなる。性欲のコントロールから解放されるといっ
てもよい。すると、若いころの「私」が、性欲にいかに支配されていたかが、よくわかるようにな
る。

 たとえば街を歩く若い女性が、精一杯の化粧をし、ファッショナブルな服装で身を包んでいた
とする。その若い女性は、恐らく、「自分の意思でそうしている」と思っているにちがいない。

 しかし50歳を過ぎてくると、そういう若い女性でも、つまりは男性をひきつけるために、性欲
の支配下でそうしているだけということがわかってくる。女性だけではない。男性だって、そう
だ。女性を抱きたい。セックスしたいという思いが、心のどこかにあって、それがその男性を動
かす原動力になることは多い。もちろん、無意識のうちに、である。

 「私」という人間は、いつも私を越えた私によって、行動のみならず、思考すらもコントロール
されている。

 ……と考えていくと、今の私は何かということになる。少なくとも、私は、自分の意思で、この
原稿を書いていると思っている。だれかに命令されているわけでもない。澤口氏の本は読んだ
が、参考にしただけ。大半の部分は、自分の意思で書いている(?)。

 が、その意思すらも、実は、脳の別の部分が、命令しているだけとしたら……。
 
 考えれば考えるほど、複雑怪奇な世界に入っていくのがわかる。「私の意識」すらも、何かの
命令によって決まっているとしたら、「私」とは、何か。それがわからなくなってしまう。

 あああ! 
(はやし浩司 意思 自由意思) 




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●言語能力

 澤口俊之氏は、「言語能力こそが重要」と説く(「したたかな脳」日本文芸社)。

 私も、そう思う。

 言語能力のあるなしで、その人の知性を決める。「ヒトとサルの違いは、この言語能力のある
なしである」(同書)という。

 私も、そう思う。

 つまりその言語能力を喪失したら、ヒトは、ヒトでなくなってしまう。ただのサルになってしまう。

 が、最近、その言語能力のない人が、ふえてきた。いろいろな原因が考えられているが、要
するに、人間、なかんずく日本人が、それだけ「バカ」(養老孟子)になってきたということか。

 先日も、コンビニで立ってレジがすむのを待っていたら、前に立っていた母親が、自分の子ど
もに向かって、こう叫んでいたという。

 「テメエ、騒ぐと、ぶっ殺されるぞオ!」と。

 これは、ある小学校の校長先生が話してくれたエピソードである。服装や、かっこうはともかく
も、その母親の頭の中は、サル同然ということになる。

 つまりは思考能力ということになるのだろうが、それを決定づけているのが、大脳の中でも前
頭連合野である。最近の研究によれば、この前頭連合野が、「人格、理性と深いかかわりがあ
ることがわかってきました」(同書、P34)という。

 その前頭連合野の発達のカギを握るのが、ここでいう言語能力である。しかもその発達時期
には、「適齢期」というものがある。言語能力は、ある時期に発達し始め、そしてある時期がくる
と、発達を停止してしまう。「停止」という言い方には語弊があるが、ともかくも、ある時期に、適
切にその能力を伸ばさないと、それ以後、伸びるといことは、あまりない。

 それを「適齢期」という。

 私の経験では、子どもの、論理的な思考能力が急速に発達し始めるのは、満4・5歳から5・
5歳と、わかっている。この時期に、適切な指導をすれば、子どもは、論理的に考えることがで
きる子どもになるし、そうでなければ、そうでない。

 この時期を逸して、たとえば小学2年生や3年生になってから、それに気がついても、もう遅
い。遅いというより、その子どものものの考え方として、定着してしまう。一度、定着した思考プ
ロセスを修正、訂正するのは、容易なことではない。

 で、言語能力については、何歳から何歳までということは、私にはわからない。わからない
が、その基礎は、言葉の発達とともに、小学生のころから、大学生のころまでに完成されるの
ではないか。

 この時期までに、ものを考え、言語として、それを表現する。そういう能力を養っておく必要が
ある。

 澤口氏は、「日本人の脳の未熟化が進んでいる」(同書、P130)と、警告しているが、このこ
とは、決して笑いごとではすまされない。
(はやし浩司 言語能力 大脳 前頭連合野 適齢期)




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●子どもどうしのトラブル

【ある母親からの相談】

 兵庫県にお住まいの、KEさん(母親)から、こんな相談がありました。

 その家には、5歳になる男の子と、4歳になる女の子がいます。その2人の子どもが、隣の同
年齢の子どもに、あれこれ意地悪をしているというのです。

 たとえば、「カードをくれなければ、仲間に入れてあげない」とか、「おもちゃをくれなければ、
遊びにつれていってあげない」とか、など。

 隣のその子どもの母親から、「どうしてそんな意地悪をするのか」と抗議を受けたというので
す。

 相談をしてきた母親は、「どうしてこんなレベルの低い問題で、頭を悩まさねばならないのか」
と書いています。

 で、5歳の兄に、それを問いただすと、「ぼくは知らない」と。4歳の妹に問いただすと、「お兄
ちゃんは、そう言っている」と。

 その母親は、隣の家には、2人の子どもをつれて、あやまりに行ってきたそうですが、どうも、
スッキリしないとのこと。「こういうときは、どう対処したらよいでしょうか」と。

+++++++++++++++++++++

 よくある子どもどうしの、トラブルです。4歳前後になると、ものごとに、条件をつけることを覚
えます。

 しかしその条件を、教えているのは、実は、親なんですね。

「昼ごはんを食べたら、おやつをあげる」
「掃除をしてくれたら、アイスクリームをあげる」
「部屋を片づけてくれたら、お小遣いをあげる」など。

 条件が悪いわけではありません。人間の生活は、すべて、この(条件)と(結果)の関係で動
いているといっても、過言ではありません。

 問題は、その(条件)の中身です。以前、子どもの学習について、こんな原稿を書いたことが
あります(中日新聞掲載済み)。参考にしてください。

++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

動機づけの四悪

 子どもから学習意欲を奪うものに、(1)無理、(2)強制、(3)条件、(4)比較の四つがある。
これを、『動機づけの四悪』という。

 まず(1)無理。その子どもの能力を超えた無理をすれば、子どもでなくても、学習意欲をなく
して当然。よくある例が、子どもに難解なワークブックを押しつけ、それで子どもの学習意欲を
そいでしまうケース。

子どもの勉強は、「量」ではなく「密度」。短時間でパッパッとすますようであれば、それでよし。
……そうであるほうが好ましい。また子どもに自分でさせる勉強は、能力より一ランクさげたレ
ベルでさせるのが、コツ。ワークやドリルなど、半分がお絵描きになってもよい。答が合ってい
るかどうかということよりも、「ワークを一冊、やり終えた」という達成感を大切にする。

 (2)強制。ある程度の強制は勉強につきものだが、程度を超えると、子どもは勉強嫌いにな
る。時間の強制、量の強制など。こんなことを相談してきた母親がいた。

「うちの子は、プリントを二枚なら、何とかやるのですが、三枚目になると、どうしてもしません。
どうしたらいいでしょうか」と。私は「二枚でやめることです」と答えたが、その通り。このタイプの
母親は、仮に子どもが三枚するようになればなったで、「今度は四枚しなさい」と言うに違いな
い。子どももそれを知っている。

 (3)条件。「この勉強が終わったら、△△を買ってあげる」「一〇〇点を取ったら、お小づかい
を一〇〇円あげる」というのが条件。親は励ましのつもりでそうするが、こういう条件は、子ども
から「勉強は自分のためにするもの」という意識を奪う。そればかりではない。

子どもが小さいうちは、一〇〇円、二〇〇円ですむが、やがてエスカレートして、手に負えなく
なる。「(学費の安い)公立高校へ入ってやったから、バイクを買ってくれ」と、親に請求した子ど
も(高一男子)がいた。そうなる。

 最後に(4)比較。「近所のA君は、もうカタカナが書けるのよ」「お兄ちゃんは、算数が得意な
のに、あなたはダメね」など。こういう比較は、一度クセになると、日常的にするようになるか
ら、注意する。子どもは、いつも他人の目を気にするようになり、それが子どもから、「私は私。
人は人」というものの考え方を奪う。

 イギリスでは、『馬を水場へ連れて行くことはできても、水を飲ませることはできない』と言う。
子どもを馬にたとえるのも失礼なことかもしれないが、親のできることにも限界があるというこ
と。ではどうするか。

もう一つイギリスには、『楽しく学ぶ子どもは、よく学ぶ』という格言もある。つまり子どもに勉強
をさせたかったら、勉強は楽しいということだけを教えて、あとは子どもに任す。たとえば文字。
いきなり文字を教えるのではなく、いつも子どもをひざに抱いて、本を読んであげるなど。そう
いう経験が、子どもをして、「本は楽しい」「文字はおもしろい」というふうに思わせるようになる。
そしてそういう「思い」が、文字学習の原動力となっていく。子どもの勉強をみるときは、「何をど
の程度できるようになったか」ではなく、「何をどの程度楽しんだか」をみるようにする。

++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

もう一つの原稿は、『負けるが勝ち』です。
これは、近所の親たちとのトラブルで、とても重要な
ことですので、ぜひ、参考にしてください。

++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●負けるが勝ち

 この世界、子どもをはさんだ親同士のトラブルは、日常茶飯事。言った、言わないがこじれ
て、転校ざた、さらには裁判ざたになるケースも珍しくない。ほかのことならともかくも、間に子
どもが入るため、親も妥協しない。が、いくつかの鉄則がある。

 まず親同士のつきあいは、「如水淡交」。水のように淡く交際するのがよい。この世界、「教
育」「教育」と言いながら、その底辺ではドス黒い親の欲望が渦巻いている。それに皆が皆、ま
ともな人とは限らない。情緒的に不安定な人もいれば、精神的に問題のある人もいる。

さらには、アルツハイマーの初期のそのまた初期症状の人も、四〇歳前後で、二〇人に一人
はいる。このタイプの人は、自己中心性が強く、がんこで、それにズケズケとものをいう。そうい
うまともでない人(失礼!)に巻き込まれると、それこそたいへんなことになる。

 つぎに「負けるが勝ち」。子どもをはさんで何かトラブルが起きたら、まず頭をさげる。相手が
先生ならなおさら、親でも頭をさげる。「すみません、うちの子のできが悪くて……」とか何とか
言えばよい。あなたに言い分もあるだろう。相手が悪いと思うときもあるだろう。しかしそれでも
頭をさげる。あなたががんばればがんばるほど、結局はそのシワよせは、子どものところに集
まる。

しかしあなたが最初に頭をさげてしまえば、相手も「いいんですよ、うちも悪いですから……」と
なる。そうなればあとはスムーズにことが流れ始める。要するに、負けるが勝ち。

 ……と書くと、「それでは子どもがかわいそう」と言う人がいる。しかしわかっているようでわか
らないのが、自分の子ども。あなたが見ている姿が、子どものすべてではない。すべてではな
いことは、実はあなた自身が一番よく知っている。

あなたは子どものころ、あなたの親は、あなたのすべてを知っていただろうか。それに相手が
先生であるにせよ、親であるにせよ、そういった苦情が耳に届くということは、よほどのことと考
えてよい。そういう意味でも、「負けるが勝ち」。これは親同士のつきあいの大鉄則と考えてよ
い。

++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

 この程度のトラブルは、まさに日常茶飯事。これからも、繰りかえし、起きてきます。モグラた
たきのモグラのように、です。

 ですから、ある一定の、(解決パターン)を、頭の中に、あらかじめ、用意しておくとよいでしょ
う。

(1)まず、頭をさげる。相手の話をよく聞いて、「すみませんでした」とあやまる。
(2)子どもに向かっては、言うべきことを言いながらも、あとは許して忘れる。
(3)どちらが正しいとか、まちがっているか、そういう詮索はしない。判断もしない。
(4)つぎにその相手の人に会ったら、「子どもにはよく言って聞かせておきました。これからも
何かお気づきになったら、教えてください」と、また頭をさげる。
(5)『負けるが勝ち』と、心の中で念ずる。

 負けることのすがすがしさを感ずることができるようになったら、あなたも、親として、一人前。
最初は、プライドがじゃまして、なかなかたいへんですが、一度、思い切って、負けてみてくださ
い。あなたにも、そのすがすがしさの意味がわかるはずです。

 そのかわり、私のマガジンでも読んで、子育ての視野を高くします。KEさん自身が、「レベル
が低い」と言っておられること自体、すでにKEさんのレベルは、高いのです。有料マガジンを購
読してくださっているとか、ありがとうございます。

 一部、いただいたメールを、引用しましたが、お許しください。これからもよろしくお願いしま
す。(この原稿は、マガジン7月29日号に掲載予定です。ご了解ください。)
(はやし浩司 子供同士のトラブル 子ども どうし トラブル 負けるが勝ち 親とのトラブル 
育児相談 子育て相談)





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【教育者が美談を口にするとき】

●どこかおかしい美談

 美しい話だが、よく考えてみるとおかしいというような話は、教育の世界には多い。こんな話
がある。

 あるテレビタレントがアフリカへ行ったときのこと。物乞いの子どもがその人のところにやって
きて、「あなたの持っているペンをくれ」と頼んだという。

理由を聞くと、「ぼくはそのペンで勉強をして、この国を救う立派な人間になりたい」(※)と。そ
のタレントは、感きわまった様子で、ほとんど涙ながらにこの話をしていた(2000年夏、M市で
の教育講演)。

しかしこの話はどこかおかしい。だいたい「国を救う」という高邁な精神を持っている子どもが、
「ペンをくれ」などと物乞いなどするだろうか。仮にペンを手に入れたとしても、インクの補充は
どうするのか。「だから日本の子どもたちよ、豊かであることに感謝せよ」ということを、そのタレ
ントは言いたかったのだろうが、この話はどこか不自然である。こんな事実もある。

●日本の学用品は使えない?

 20年ほど前のこと。S国からの留学生が帰国に先立って、「母国の子どもたちに学用品を持
って帰りたい」と言いだした。最初は一部の教師たちの間の小さな運動だったが、この話はテ
レビや新聞に取りあげられ、ついで県をあげての支援運動となった。そしてその結果だが、何
とトラック一杯分のカバンやノート、筆記用具や本が集まったという。

 で、その1年後、その学用品がどう使われているか、2人の教師が現地まで見に行った。が、
大半の学用品はその留学生が持ち逃げ。残った文房具もほとんどが手つかずのまま、学校の
倉庫に眠っていたという。

理由を聞くと、その学校の先生はこう言った。「父親の1日の給料よりも高価なノートや鉛筆
を、どうして子どもに渡せますか」と。「石版にチョークのほうが、使いやすいです」とも。そういう
話なら私にもわかるが、「国を救う立派な人間になりたい」とは?

 そうそう似たような話だが、昔、『いっぱいのかけそば』という話もあった。しかしこの話もおか
しい。貧しい親子が、1杯のかけそばを分けあって食べたという、あの話である。国会でも取り
あげられ、その後、映画にもなった。

しかし私がその場にいた親なら、そばには箸をつけない。「私はいいから、お前たちだけで食
べろ」と言って、週刊誌でも読んでいる。私には私の生きる誇りというものがある。その誇りを
捨てたら、私はおしまい。親としての私もおしまい。またこんな話も……。

●「ぼくのために負けてくれ」

 運動会でのこと。これから50メートル走というときのこと。横に並んだB君(小2)が、A君にこ
う言った。「お願いだから、ぼくのために負けてくれ。でないと、ぼくはママに叱られる」と。そこ
でA君は最初はB君のうしろを走ったが、わざと負ければ、かえってB君のためにならないと思
い、とちゅうから本気で走ってB君を追い抜き、B君に勝った、と。

ある著名な大学教授が、ある雑誌の巻頭で披露していた話だが、この話は、視点そのものが
おかしい。その教育者は、2人の会話をどうやって知ったというのだろうか。それに教えたこと
のある人ならすぐわかるが、こういう高度な判断能力は、まだ小学2年生には、ない。仮にあっ
たとしても、あの騒々しい運動会で、どうやってそれができたというのだろうか。さらに、こんな
話も……。

●子どもたちは何をしていたか?

 ある小学校教師が一時間目の授業に顔を出したときのこと。小学1年生の生徒たちが、「先
生の顔はおかしい」と言った。そこでその教師が鏡を見ると、確かにへんな顔をしていた。原因
は、その前の職員会議だった。

その会議で不愉快な思いをしたのが、そのまま顔に出ていた。そこでその教師は、30分間ほ
ど、近くのたんぼのあぜ道を歩いて気分を取りなおし、そして再び授業に臨んだという。

その教師は、「そういうことまでして、私は子どもたちの前に立つときは心を整えた」とテレビで
話していたが、この話もおかしい。その30分間だが、子どもたちはどこで何をしていたというの
だろうか。その教師の話だと、その教師は子どもたちを教室に残したまま散歩に行ったという
ことになるのだが……?

 教育を語る者は、いつも美しい話をしたがる。しかしその美しい話には、じゅうぶん注意した
らよい。こうした美しい話のほとんどは、ウソか作り話。中身のない教育者ほど、こうした美しい
話で自分の説話を飾りたがる。

※……「立派な社会人思想」は日本のお家芸だが、隣の中国では、今「立派な国民思想」がも
てはやされている。親も教師も、子どもに向ってさかんに「立派な国民になれ」と教えている(北
京第33中学校教師談)。

それはさておき、そのタレントは、「その子どもは立派な人間になりたいと言った」と話したが、
その発想そのものがまさに日本的である。英語には「立派な」にあたる単語すらない。

あえて言えば「splendid, fine, noble」(三省堂JRコンサイス和英辞典)だが、ふつうそういう単語
は、こういう会話では使わない。別の意味になってしまう。一体その物乞いの子どもは、そのタ
レントに何と言ったのか。この点からも、そのタレントの話は、ウソと断言してよい。

++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

 クソはする。私も、する。あなたも、する。みんな、する。だからといって、そのクソを人に見せ
ろということではない。大切なことは、「する」という前提で、自分を考え、他人を考えるというこ
と。

 自分を飾ることはない。ありのままの自分をさらけ出して生きる。仮面をかぶることもあるだ
ろうが、その必要がなくなったら、すぐ脱げばよい。脱ぎ忘れると、ここに書いたような、虚構の
世界に住むようになる。そしてとんでもない美談を口にするようになる。
(はやし浩司 一杯のかけそば 美談 教師の落とし穴 仮面 虚構の世界 クソ論)


【補記】

 「一杯のかけそば」について、私は、最初から、(自慢ではないが……)、あの話は、ウソだと
見抜いていた。ずっとあとになって、その物語の作者は、「フィクションだった」と告白したが、そ
んなフィクションにだまされて、日本中が、泣いた(?)。

 しかもその作家という人が、あちこちで詐欺まがいの事件を起こしていることまでわかった。

 私はその話を新聞で読んだとき、「私なら、子どもたちだけ食べさせ、『パパは、おなかがいっ
ぱいだ』とウソを言うだろうな」と思った。仮に貧しくても、親は親として、気高く生きる。私はそ
の物語の中に、親として当然もつべき、その気高さを感じなかった。

 どうしてそんな物語に、日本中が、感動したのだろう。古い原稿だが、その当時、つぎのよう
な原稿を書いた。私自身も、生活が苦しかったときに書いた原稿である。

 すこし文章が荒いが、許してほしい。

++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●不況時代の、子育て論

 本格的な大不況が、近づいてきた。昨夜(02年7月4日)、書店で3冊の週刊誌を買ってき
た。アメリカにいる二男に送るためである。週刊新潮、週刊文春、週刊朝日の3誌である。そ
の3誌が、まるで呼吸を合わせたかのように、日本経済の破綻(はたん)を予告している。あの
堺屋氏(経済企画庁元長官)まで、悲観的なことを書いている(文春)。大不況がやってくるの
は、もう確実で、しかも秒読み段階に入ったとみてよい。

 が、経済がどうなるかを考えるのは、このコラムの目的ではない。問題は、そういう大不況に
なったら、子育てをどう考えたらよいか、だ。

と、言っても、私たちの世代は、すでに暗くて、貧しい時代をすでに経験している。私は昭和22
年生まれ。堺屋氏がいうところの、まさに「団塊の世代」。子どものころ記憶にあるのは、毎
日、空腹だったこと。みながみな、そうだった。だから私や私の家族が貧乏だったという思い
は、どこにもない。そういう自分を思い出しながら、大不況下の子育てはどうあるべきかを考え
てみる。

(1)子どもは親が気にするほど、貧乏を気にしない…貧乏を気にするのは、親であって、子ど
もではない。子どもはそういう意味で、環境をあるがまま受け入れ、適応する能力をもってい
る。貧乏であることを、子どもに恥じることはない。恥じてはいけない。

(2)親は卑屈にならない……いくら貧乏になっても、親は卑屈になってはいけない。親が卑屈
になると、子どもの心は「貧しく」※なる。一杯のかけそばを、分けあって食べるような、そういう
卑屈なことをしてはいけない。親は親で、前向きに、気高く生きる。

(3)貧乏を楽しむ……貧乏なら貧乏で過ごし方がある。見え、体裁、メンツを捨てる。世間体な
ど、気にしてはいけない。「私は私」という生きザマを大切にする。日本がこの不況から抜け出
る日はやってくる。そのとき同じスタートラインに立ったとき、あなたの生きザマは、子どもを伸
ばす大きな原動力となる。

(4)金銭的価値観とは決別する……「プレゼントは買ったものはダメ」「買う前にリサイクル」
「不便であるのが当たり前」などを、ハウス・ルールにする。今までの金銭的価値観からものの
考え方を転換する。家の中はスッキリ、ムダなくをモットーとする。

(5)家族の意義をたてなおす……家族は励ましあい、助けあい、教えあい、いたわりあい、支
えあう。そういう家族をものの考え方の中心におく。「家族がいちばん大切」ということを、日常
的に子どもに言う。貧乏だからといって、このきずなは壊れない。むしろ貧乏であればあるほ
ど、そしてその貧乏を楽しめば楽しむほど、家族のきずはな深まる。

(6)質素であることを誇りにする……質素であることを恥じることはない。むしろ誇るべきことで
ある。自動車には乗らず、自転車に乗る。バリバリのブランド品で身を包むのではなく、着心地
がよく、気軽な衣服を着る。それこそが人間の気高さの象徴である。

貧乏と、心の貧しさは別なのである。






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●父親の影響vs母親の影響

 当然のことながら、現在の(あなた)は、あなたの親の影響を、モロに受けている。あなた自
身が、親の産物といってもよい。

 最近聞いた話で興味深いと思ったのは、あのアザラシは、親に教えられてはじめて、泳ぎ方
を覚えるということ。たとえば人工飼育されたようなアザラシは、水の中にさえ、入らないそう
だ。アザラシだから、放っておいても、水の中にもぐり、魚をとるようになると考えるのは、どう
やらまちがいということになる。

 「なるほどな」と思ってみたり、「そういうものだろうな」と思ってみたりする。

 そこで(あなた)を知る、もっとも手っ取り早い方法は、まず、あなたの親が、どうであったかを
知ること。あなた自身の思い出をたどりながら、あなたの親がどのようであったか。さらには、
そのとき、あなたは、あなたの親にどのような印象をもっていたか。それを知る。

 こうしてあなたの親を知ることによって、(あなた)を知ることができる。が、その中で、とくに重
要なのが、あなたと、あなたの親との交流度(関係)である。

(交流度)

(1)父親との交流度

 父親がやさしかったとか、厳格であったとか、そういうことは関係ない。あなたは日々の生活
の中で、どの程度、親密に、父親と接していただろうか。その親密度が高かければ、高いほ
ど、あなたは、当然のことながら、あなたの父親の影響を、大きく受けていることになる。

(2)母親との交流度

 同じように、母親がやさしかったとか、厳格であったとか、そういうことは関係ない。あなたは
日々の生活の中で、どの程度、親密に、母親と接していただろうか。その親密度が高かけれ
ば、高いほど、あなたは、当然のことながら、あなたの母親の影響を、大きく受けていることに
なる。

(3)父親と母親(夫婦)の交流度

 三つ目に、あなたの父親と、母親の交流度は、どうであったか。つまり夫婦としての交流度
を、さぐってみる。あなたの両親は、たがいに、よく相談しあい、話しあい、協力しあっていただ
ろうか。とくに(あなた)という子どもを育てるときに、どうであっただろうか。

 ただし、よく誤解されるが、父子関係と、母子関係は、決して、平等ではない。同じでもない。
子どもは、母親の胎内から生まれる。そして乳をもらい、命をもらう。一方、父子関係は、あくま
でも、(精液一しずく)の関係でしかない。

 だからといって、父親の子どもに対する愛情を否定しているのではない。妻に対する夫の愛
情が、そのまま生まれてきた子どもに転移するということは、よくある。またそれゆえに、ときに
は、母親以上に、子どもへの愛情が濃密になることも、よくある。

 これら3つの交流度を、10点満点で評価してみる。程度に応じて、0〜10点の範囲で、自己
採点してみてほしい。

(1)あなたと父親との交流度

ほとんど毎日、父親との会話もあり、親密であった……10点
    ほとんど毎日、父親との会話もなく、疎遠であった…… 0点
 
(2)あなたと母親との交流度

ほとんど毎日、母親との会話もあり、親密であった……10点
    ほとんど毎日、母親との会話もなく、疎遠であった…… 0点

(3)両親のたがいの交流度(あなたを育てる過程において……)

ほとんど毎日、両親の会話があり、たがいに親密であった……10点
    ほとんど毎日、両親の会話はなく、たがいに疎遠であった…… 0点

 もちろん年齢的な問題もある。あなたが幼児期のとき、あなたが少年少女期のとき、さらに思
春期のとき、それぞれの点数は、ちがう。幼児期は、仲がよかったが、小学生になるころから
急に、親との会話が少なくなったというような例は、珍しくない。

 しかし重要なのは、今の(あなた)ができあがるまでの、幼児期から、少年少女期である。

 この時期、たとえば(1)〜(3)の交流度が、ほぼ平均化していれば、あなたは、今、落ちつい
た状態で、子育てができているはず。あなたの子どもとの関係も、良好なはず。しかし(1)〜
(3)のどこかに、大きなかたよりがあれば、あなたは、今、どこかぎこちない子育てをしている
はず。いろいろな例で考えてみよう。

(1)父親不在家庭

 父親が不在化すると、子どもは、総じて、マザコン化する。母子関係を調整するのが父親の
役目。その調整役がいないということになる。濃密な母子関係だけが残り、その弊害が、さまざ
まな分野に現れる。

 母親への依存性が強いあまり、自立した行動ができない、など。またよく誤解されるが、マザ
コンというと、男性ばかりを想像しやすいが、女性でも、マザコンの人はいくらでもいる。むしろ
女性のマザコンのほうが、男性のマザコンより、症状が深刻になりやすい。母親を絶対化(偶
像化)し、母親に尽くすのが、娘の義務というような考え方をする。

(2)母親不在家庭

 母子関係は、子どもの心の基盤をつくる。基本的信頼関係も、そこから生まれる。この信頼
関係が基本となって、子どもは、それを友人との関係、先生との関係、異性との関係へと発展
させることができる。

 が、それがないと、子どもは、いわゆる(心の開けない子ども)になる。自分をさらけ出すこと
ができず、いい子ぶったり、反対に、社会と同化できなくなったりする。

(3)父母対立家庭

 父母の対立を見て育った子どもは、心のよりどころを失い、つねに心の状態は、不安定にな
る。そしてそれが心のキズとなったようなばあいには、そのキズは、生涯にわたってつづく。「い
つ、どこで、何をしていても、不安」と。こうした心の不安定状態を、「基底不安」という。

 さらに父母の対立は、子どもをはさんで、いわゆる(三角関係)をつくりやすい。こうなると、子
どもは、糸の切れた凧のような状態になり、家庭教育は、崩壊する。親の軽視、おとなの世界
の軽視、反抗、反発、さらには、非行という形で、症状が外に現れやすくなる。

 おおまかに言えば、こうした図式にそって、子どもはさまざまな問題をかかえることになる。言
いかえると、今、(あなた)が、何らかの心の問題をかかえている可能性は、たいへん高い。

 しかしここで重要なことは、ほとんどの人が、こうした問題をかかえているということ。問題の
ない人はいない。したがって、こうした問題があることが問題ではなく、こうした問題があること
に気づかないまま、その問題に振り回されることが問題。

 もしあなたが今、いつも同じようなパターンで、同じような失敗を繰りかえしているようであるな
なら、一度、あなたの心の中をさぐってみるとよい。

 こうした問題は、それに気づくだけでよい。それに気づけば、あとは、時間が解決してくれる。
一度、あなた自身の幼児期、少年少女期の家庭環境はどうであったか、それを静かに思い出
してみるとよい。そこに、あなたは、おぼろげながら、あなた自身の現在の輪郭(りんかく)を、
見いだすはずである。

 たしかにあなたは、(あなた)だが、その(あなた)の大部分は、あなた自身によってつくったも
のというより、環境の中でつくられたものであるということ。とくにあなたの両親からの影響は大
きい。それを知ることは、あなたが(あなた)を知る第一歩にもなる。
(はやし浩司 父親の影響 母親の影響 母子関係 父子関係 心への影響)

【付記】

 親子であるがゆえの関係から生まれる、いわゆる(家族自我群=束縛力)には、ものすごい
ものがある。そのパワーは、いわば本能に近い状態で、子どもの脳に、強烈に、刻まれる。

 そういう意味で、親子関係は、ほかの人間関係とはまったく異質の、特殊な関係と考えてよ
い。

 で、その親子関係。たがいに良好な状態であれば、すばらしい人間関係を築く基礎となる。
が、その親子関係に、ひとたびヒビが入ると、とたんに、今度は、猛烈な苦悩となって、その人
を襲う。

 それを心理学の世界でも、「幻惑」と呼ぶ。親子であるという幻惑に支配され、その人は、こ
れまたほかの人間関係では経験することのない苦しみを、味わう。

 たとえばA氏(40歳)がいる。地方出身だが、その地方では、昔からの名家。その名家の二
男である。

 そのA氏の兄が、3年ほど前、近くの神社に放火して、逮捕、投獄された。つい最近、刑も確
定した。

 本来なら、この事件は、A氏には関係のない事件。また遠くはなれて住んでいるA氏と、その
事件を結びつける人は、だれもいない。しかしA氏は、その事件以来、郷里の両親とは会って
いない。

 A氏は、こう言う。「兄を、放火事件まで追いこんだのは、実は、父なんです。人前では善人ぶ
っていますが、家の中では、兄を虐待していました。『お前はバカだ』とか、『お前のおかげで、
わしのA家は落ちぶれてしまった』とか、など。

 親戚もたくさん住んでいますが、その事件以来、私の家をのけものにしています。が、それだ
けではありません。父は、『恥をかかされた』と、兄のところへ、一度も、面会に行っていませ
ん。そして息子の私や、結婚して嫁いでいった妹のところへ電話してきて、金を出すように迫っ
ています。

 「ご先祖様を守るのは、お前たちの義務だ」とか、何とか言うのです。

 こうして私の実家は、めちゃめちゃになってしまいました。私は兄をうらんでいません。父をう
らんでいます。以来、毎日、一日とて、心の晴れる日がありません」と。
(はやし浩司 良好な親子関係 家族自我群 幻惑)

【参考】

 交流分析理論(エゴグラム)というのがある。J・M・デュセイという人が考えた理論だが、それ
が最近、あちこちの心療内科をはじめ、職業適性検査などでも、利用されるようになってきてい
る。

 日本でよく知られているのは、東大式エゴグラム(TEG)である。

 興味のある方は、(↓)をクリックして、自己分析をしてみるとよい。東大式エゴグラムとは、
ややちがうが、内容は、ほぼ、同じ。無料である。

http://www.egogram-f.jp/seikaku/index.htm

 私も自己採点してみたが、タイプは、xxxxxx。今の仕事は自分に向いていないのではないか
と、少し不安になった。気の小さい人は、やめたほうがよいかも……。
(はやし浩司 自己分析理論 エゴグラム  デュセイ 交流分析理論)


+++++++++++++++++++++++はやし浩司

●交流分析理論

 とくに対人関係において、どのような心理状態を形成するか。それを分析する理論のことを、
「交流分析理論」という。「エゴグラム」を訳して、「交流分析理論」という。

 この交流分析理論では、まずその人のパーソナリティを、つぎの5つに分ける(繁田千恵氏
「臨床心理学」より)。

(1)支配的で厳格な「親」
(2)養育的で、子どもを包み育てる保護的な「親」
(3)客観的な立場から情報を収集し、論理的、知性的に状況を判断する「成人」
(4)わがままで自由奔放な、快楽追求型の「自由な子ども」
(5)おとなの言うことをよく聞く、従順な「適応した子ども」

 そしてこれら5つの要素を、どの程度、もっているかで、その人の、対人的なパーソナリティを
客観的に判断する。

 この理論は、「エゴグラム」として、パーソナリティ診断法として、現在、さまざまな分野におい
て、応用されている。

 そこで私も、「親像」を、この方法によって、分析することを考えてみた。

(1)あなたは、子どもに対して、権威主義的かつ支配的な親であるか。
(2)あなたは、子どもに対して、やさしく、保護的な親であるか。
(3)あなたはいつも子どもの成長を、客観的に、かつ冷静に見守る親であるか。
(4)あなたの人格は未成熟で、おとなになりきれない、どこか幼稚ぽい親であるか。
(5)あなたは子育てに消極的で、いつも他人随行型かつ無難を重んじる親であるか。

 日本では、育児姿勢をみながら、過保護、過干渉、でき愛、過関心などという言葉を使って、
その親を判断することが多い。

 ここに例としてあげた5つの「親像」も、そうした親の見方の一つと考えてよい。そしてこうした
育児姿勢は、当然のことながら、子どもの成育に、さまざまな影響を与える。

 要するに、「ほどよい親」がもっとも、ふさわしいということになるが、教育ママよりは、放任マ
マ。権威主義ママよりは、友だちママ。頼りがいのあるママよりは、どこかあぶなげなママのほ
うが、子どもを伸ばす。

 親も、子どもがある年齢にきたら、「こんな親などアテにならないぞ」と思わせながら、子ども
の自立をうながす。いつまでも親風を吹かせ、「親に向かって、何てことを言う!」と叱るような
親は、親として、決して好ましい親とはいえない。

 ここに書いた(1)〜(5)を参考に、あなた自身は、子どもに対してどのような親であるかを、
一度判断してみると、おもしろいのではないかと思う。
(はやし浩司 エゴグラム 交流分析理論 親像 親の分析 ほどよい親論)





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●自己愛

++++++++++++++++++++++++

他人に批判されると、極端に、不機嫌になったり、
怒ったりする。あるいは他人の批判を許さない。
あるいは批判した人を、生涯にわたって、嫌ったり、
避けたりする。
自己愛者の、最大の特徴は、極端な自己中心性に
加えて、他人の批判を許さないこと。
若い女性、そして若い母親に、このタイプの人は
たいへん多い。

++++++++++++++++++++++++

 自分の子どもが、何かのことで、批評されたり、批判されたりすると、カッとなる母親は多い。
それだけ母子の分離が、うまくできていない母親とみるが、それだけではない。

 自己愛者の特徴は、三つある。

(1)自己中心性
(2)他人の批判を許さない
(3)完ぺき主義

 幼児期からの自己中心性が残り、それが年齢とともに肥大化すると、自己愛者になる。自分
が世界の中心にいるかのような、錯覚にとららわれることも多い。「自分のすることは、すべて
正しく、他人のすることは、すべてまちがっている」というような考え方をする。

 その自己愛性が、そっくりそのまま、自分の子どもに転移することがある。母子間の一体性
が強い母親ほど、そうなる。

 「自分の子どもさえよければいい」
 「自分の子どもが世界で最高」(そうでなければ、自分の子どもに、それを求める。)
 「自分の子どもの悪口を言う人を許さない」
 「自分の子どもは、完ぺきでなければならない」など。

 しかしこういう母親をもつと、子どもは、不幸である。母親自身が、子どもの心に耳を傾けな
い。独善的で、ものごとを、すべて母親が決めてしまう。完ぺき主義も、子どもを苦しめる原因
となる。子どもの側からすると、気が休まらない。

 一般論として、自己中心性が強いということは、それだけその人の人格の完成度は低いとみ
る。つまり自己愛者は、それだけ人格が未熟。未完成。

 そこであなたという母親はどうであろうか。

 あなたは、他人から批判されたとき、「そうです」と、いつも、それをすなおに聞いているだろう
か。反省しているだろうか。

 そうではなく、すぐ、カッとなって反論したり、あるいは無言になったりするようであれば、それ
だけ、人格の完成度は低いということになる。自己愛者であることで、ほめられることは、何も
ない。

 そこで、子育てに関して言えば、『聞きじょうずな母親ほど、子育てがうまい』ということにな
る。子どものことになると、すぐカリカリする親というのは、話す側としても、話しにくい。

私「あのう、このところ、元気がありませんが……」
母「うちでは、いつもと変わりません」
私「どこかで、無理をしていませんか?」
母「ふつうです」

私「何かあると思いますが……」
母「何もありません」
私「過負担になっているように思うのですが……」
母「塾では、ふつうです」と。

 若い母親は、そのほとんどが、多かれ少なかれ、自己愛的であるとみてよい。それが年齢と
ともに、つまりは子育てで苦労を重ねるうちに、角が取れ、その人間性に丸みができてくる。

 そこで重要なことは、自己愛者であることが問題ではなく、自分自身の中の自己愛性に気づ
くこと。気づかないまま、自己中心性に振りまわされてはいけない。ただし、この自己愛は、そ
れに気づくだけでも、あとは、時間が解決してくれる。

 しかも、その時期は、若ければ若いほどよい。若いうちに、自分の中の自己愛性に気づいた
人ほど、はやく、その自己愛から自分を解放させることができる。
(はやし浩司 自己愛 母親の自己愛 自己中心性 完璧主義 完ぺき主義)

(追記)

 ところで最近、こんなことに気がついた、「教育アレルギー」の人が、結構、多いということ。
「教育」という言葉を耳にしただけで、異常なまでに、拒否反応を示す。
 
 とくに「教育評論家」への風当たりは、強い。

 かわいそうな人たちだ。子ども時代、そほど、その「教育」で苦しめられたのだろう。教師への
反発もある。よき教師にも恵まれなかった。そういう思いが積もりつもって、「教育アレルギー」
となる。

 こういう人たちは、生涯にわたって、「師」をもつことができなくなる。しかし「師」をもたない人
も、これまたあわれである。すべてがゼロからの出発。懸命に行きながらも、袋小路に入って、
同じところを、堂々巡りしているだけ。

 それはそれでかまわないが、人生も、そろそろ短くなったとき、その「愚かさ」を、改めて、思
い知らされる。(今の私がそうかもしれないが……。)

 人は、生涯、前に向って進んでいく。その灯台となってくれるのが、師である。決して「教育」
を、自ら、否定してはいけない。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●自己愛者

 先日、こんなことがあった。

 私は、HPに、「子ども診断」を公開している。多分、その女性(アドレスから、兵庫県の方と判
明)は、「子ども診断」を、自分でテストし、採点したのだろう。その結果が、その母親には、た
いへん不満だったらしい。

 しかしその「子ども診断」で私が数字として出しているのは、あくまでも平均値でしかない。平
均値より高いから、たとえば問題のある子どもということには、ならない。平均値より低いから、
問題がないともいえない。

 あとの判断は、それぞれの母親がすればよい。

 が、多分、そこでその母親は、自分の妄想をふくらませてしまったらしい。つまり、自分のこと
を批判されたように思ってしまった。

 そのあと、猛烈な、罵声とも言えるような電話が、教室のほうへかかってきた。「あんなテスト
を、HPに公開するのは、やめろ!」「他人の子どもを、ドラ息子とは何だ!」と。

 私は、その電話の内容よりも、その母親の自己中心性に驚いた。自己愛的な人は、男性よ
り、女性のほうに多い。が、そこまで強烈な人は、少ない。自己愛者の特徴は、(1)極端なまで
の自己中心性と、(2)他人の批判を許さない、それに(3)完ぺき主義。

 その第1。

 HPを公開するのは、私の勝手。それを読むのは、読者の勝手。自分に気に入らないことが
書いてあるからといって、いちいち腹を立てる必要はない。読みたくなかったら、そのHPは、読
まなければよい。

 簡単なことではないか。

 しかし自己中心性の強い人には、それがわからない。すべてのHPが、自分のために書かれ
ていると錯覚する。地球全体が、自分を中心にして回っていると思いこんでいる。

 こうした自己中心性を、自分で気づくことは、まず、ない。脳のCPUの問題だからである。自
分がその自己中心性から脱け出たとき、それまでの自分が、自己中心的であったことに気づ
く。あるいは、自分より、より自己中心的な人に出会ってはじめて、それがどういうものである
かがわかる。

 自己中心的な人に向かって、「あなたは自己中心的ですね」と話しても、意味がない。かえっ
て猛烈な反発をくらう。「あなたこそ、何よ!」と。

 電話での会話は、こうだった。

私「私が示したのは、平均値です。その平均値より高いからといって、あなたの子どもがたとえ
ば、ドラ息子ということには、なりません。あくまでも、数値は、参考にしていただくのがよいかと
思います」
女「だいたい、あなたのような他人に、なぜ私の息子ことを判断されなければならないのよ!」
私「だから、あなたを判断してわけではありません。そうした調査をしてみたということだけの話
です。不愉快だったら、そういうテストを、受けなければよいのです」
女「だったら、こんなHPを、公開するな! 子ども診断テストを公開するな!」と。

 その女性の言っていることは、メチャメチャ。

 しかし私のHPの読者の中には、そういう女性が、何%かはいる。たいはんは、よき理解者
で、暖かく励ましてくれる。そういう善意の読者を、100人とするなら、最初から悪意をもって読
む人は、1人くらいはいる。

 最初のころは、いろいろ気になったがら、そういう人がいることもわかり、今は、何とやりすご
すことができるようになった。電話を切ったとたん、忘れる。

【反論・異論のある方へ】

●反論、異論は、ご自由にどうぞ。ただし私の原稿をほとんど読まないまま、つまり私の原稿
の一部だけ、それも表面的な部分だけを読んで、あれこれ批判的なことを言われても、私とし
ては、たいへん困ります。

●もうひとつは、知人や親類の方、近所の方へのお願いです。ときには、(その人)を、思わせ
るような原稿を書くこともあります。で、そういう原稿を読んで、「これは君のことではないか?」
「あなたのことではないか?」と、そのつど、その相手の人に告げ口をする人がいます。どう
か、そういうことは、やめてください。そんなことをすれば、その人を不愉快にするのは、当然で
す。できれば、そういう形での、マガジンの利用は、やめていただきたいと思っています。

●私は自分の書いていることに責任をもつという意味でも、本名と、メールアドレス、それに電
話番号を公開しています。特定の個人に的(まと)をしぼって、その方を文章を使って攻撃した
りするということは、私の本意に反することです。たまたま部分的に、どなたかに当てはまるか
らといって、その人のことを書いたわけではありません。どうか、よろしくご理解ください。



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●フリップ・フロップ理論

 箱がある。どちらか一方に倒れているときは、安定している。しかし中途ハンパな姿勢になる
と、フラフラとして、たいへん不安定になる。これを心理学の世界では、『フリップ・フロップ理
論』という。

もともとは、有神論の人が無神論に、反対に無神論の人が有神論になるときの様子を説明し
たもの。有神論の人であるにせよ、無神論の人であるにせよ、どちらか一方に倒れているとき
は、そういう人は、たいへん静かに落ちついている。が、有神論の人が無神論になるとき、ある
いはその反対のときは、心理状態がたいへん不安定になる。ワーワー泣き叫んで、それ抵抗
したり、猛烈にどちらか一方を攻撃したりする。

 学歴信仰も、それに似たところがある。学歴信仰にこりかたまっている人や、反対に、まった
くそれがない人というのは、静かに落ちついている。しかしそれが移行期に入ると、たいへん不
安定になる。人間の心理というのは、そうい不安定状態には弱い。自らどちらか一方に倒れ
て、自分の心理を安定させようとする。

言いかえると、不安定になったときというのは、どちらか一方に倒れるその前兆と考えるとよ
い。しかもそれが短期間で、コロリと倒れる。そのため私は、このフリップ・フロップ理論を、勝
手に「コロリ理論」と呼んでいる。

 この理論は、子育ての場でも、広く応用できる。もしあなたの子どもが何かのことで、大声で
それに抵抗したり、あるいは反対にぐずぐずしているようであれば、どちらか一方に倒れる前
兆と考えてよい。そういう子どもほど、コロリと倒れると、突然、ものわかりがよくなる。昔から
「今鳴いたカラスが、もう笑った」というが、そういう現象が起きる。

が、反対に、よい意味につけ、悪い意味につけ、どっしりと静かに落ちついている子どもは、そ
れだけ自分をもっていることになる。何かを説得しようとしても、なかなかうまくいかない。とくに
がんこで、自分のカラにこもってしまったような子どもは、指導がむずかしい。





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【善人論vs悪人論】

●(思い)と(行動)

 (思い)と(行動)の間には、距離がある。

 たとえば「銀行強盗をしてみたい」と思う人がいる。しかしそう(思う)のと、実際の(行動)に出
るのとは、大きく、ちがう。その間には、距離がある。

 その距離を遠くするのが、倫理であり、道徳であり、さらには哲学である。知性や理性も、そ
れにからんでくる。

 が、何らかの原因で、心がゆがんでくると、そうした倫理や道徳などが、破壊されることがあ
る。そうなると、その(距離)は、一気に、縮まる。(思い)と(行動)が、隣りあわせになる。

 私たちは悪人を見ると、そういう人たちを、「悪人」と片づけて、自分たちとは関係のない世界
に置いてしまう。しかし、この世の中に、「私は悪人ではない」と言い切れる人など、いったい、
どれほどいるだろうか。

 それについて書いた原稿が、つぎの原稿である。少し視点が違うが、参考にしてほしい。

++++++++++++++++++++++++++

●よい子論

 善人も悪人も、大きな違いがあるようで、それほどない。ほんの少しだけ入り口が違っただ
け。ほんの少しだけ生きザマが違っただけ。

同じように、よい子もそうでない子も、大きな違いがあるようで、それほどない。ほんの少しだけ
育て方が違っただけ。そこでよい子論。

 この問題ほど、主観的な問題はない。それを判断する人の人生観、価値観、子育て観など、
すべての個人的な思いが、そこに混入する。さらに親から見た「よい子」、教師から見た「よい
子」、社会から見た「よい子」がすべて違う。

またどのレベルで判断するかによっても、変わってくる。たとえば息子が同性愛者になったこと
を悩んでいる親からすれば、女友だとち夜遊びをする女の子はうらやましく思えるもの。

(だからといって、同性愛が悪いというのではない。誤解がないように。)それだけではない。ど
んな子どもにもいろいろな顔があって、よい面もあれば悪い面もある。こんなことがあった。

K君(小5)というどうしようもないワルがいた。そのため母親は毎月のように学校へ呼び出され
ていた。小さいころから空手をやっていたこともあり、腕力もあった。

で、相談があったので、私は月に1,2回程度、彼の勉強をみることにした。で、そうして一年ぐ
らいがたったある夜のこと、私はK君と母親の3人でたまたま話しあうことになった。が、私はK
君が悪い子だとはどうしても思えなかった。正義感は強いし、あふれんばかりの生命力をもっ
ていた。おとなの冗談がじゅうぶん理解できるほど、頭もよかった。

それで私は母親に、「今はたいへんだろうが、K君はやがてすばらしい子どもになるだろうか
ら、がまんしなさい」と話した。で、それから1週間後のこと。私が1人で教室にいると、いつもよ
り30分も早くK君がやってきた。「どうしたんだ?」と聞くと、K君はこう言った。「先生、肩をもん
でやるよ」と。

 よい子かそうでない子かというのは、結局はその子どもの生きザマをいう。もっと言えば、子
ども自身の問題であって、ひょっとしたそれは親の問題ではないし、いわんや教師の問題では
ない。

まずいのは、親や教師が「よい子像」を設計し、それにあてはめようとすることだ。そしてその
像に従って、子どもを判断することだ。そんな権利は、親にも教師にもない。要は子ども自身が
どう生きるかで決まる。つまりその「生きザマ」が前向きな方向性をもっていればよい子であり、
そうでなければそうでないということになる。

たいへんわかりにくい言い方になってしまったが、よい子、悪い子というのも、それと同じくらい
わかりにくいということ。もっと言えば、この世の中によい人も悪い人も存在しないように、よい
子も悪い子も存在しないということになる。

 ……これが私の今の結論であり、しばらくは「よい子」論を考えるのをやめる。それを考えて
も、意味はない。まったくない。

+++++++++++++++++++++

もう一作、似たような原稿です。

+++++++++++++++++++++

●善人と悪人

 人間もどん底に叩き落とされると、そこで二種類に分かれる。善人と悪人だ。

そういう意味で善人も悪人も紙一重。大きく違うようで、それほど違わない。私のばあいも、幼
稚園で講師になったとき、すべてをなくした。母にさえ、「あんたは道を誤ったア〜」と泣きつか
れるしまつ。

私は毎晩、自分のアパートへ帰るとき、「浩司、死んではダメだ」と自分に言ってきかせねばな
らなかった。ただ私のばあいは、そのときから、自分でもおかしいと思うほど、クソまじめな生き
方をするようになった。酒もタバコもやめた。女遊びもやめた。

 もし運命というものがあるなら、私はあると思う。しかしその運命は、いかに自分と正直に立
ち向かうかで決まる。さらに最後の最後で、その運命と立ち向かうのは、運命ではない。自分
自身だ。それを決めるのは自分の意思だ。

だから今、そういった自分を振り返ってみると、自分にはたしかに運命はあった。しかしその運
命というのは、あらかじめ決められたものではなく、そのつど運命は、私自身で決めてきた。自
分で決めながら、自分の運命をつくってきた。が、しかし本当にそう言いきってよいものか。

 もしあのとき、私がもうひとつ別の、つまり悪人の道を歩んでいたとしたら……。今もその運
命の中に自分はいることになる。多分私のことだから、かなりの悪人になっていたことだろう。
自分ではコントロールできないもっと大きな流れの中で、今ごろの私は悪事に悪事を重ねてい
るに違いない。

が、そのときですら、やはり今と同じことを言うかもしれない。「そのつど私は私の運命を、自分
で決めてきた」と。……となると、またわからなくなる。果たして今の私は、本当に私なのか、
と。

 今も、世間をにぎわすような偉人もいれば、悪人もいる。しかしそういう人とて、自分で偉人に
なったとか、悪人になったとかいうことではなく、もっと別の大きな力に動かされるまま、偉人は
偉人になり、悪人は悪人になったのではないか。

たとえば私は今、こうして懸命に考え、懸命にものを書いている。しかしそれとて考えてみれ
ば、結局は自分の中にあるもうひとつの運命と戦うためではないのか。ふと油断すれば、その
ままスーッと、悪人の道に入ってしまいそうな、そんな自分がそこにいる。つまりそういう運命に
吸い込まれていくのがいやだからこそ、こうしてものを書きながら、自分と戦う。……戦ってい
る。

 私はときどき、善人も悪人もわからなくなる。どこかどう違うのかさえわからなくなる。みな、ち
ょっとした運命のいたずらで、善人は善人になり、悪人は悪人になる。

今、善人ぶっているあなただって、悪人でないとは言い切れないし、また明日になると、あなた
もその悪人になっているかもしれない。そういうのを運命というのなら、たしかに運命というのは
ある。何ともわかりにくい話をしたが、「?」と思う人は、どうかこのエッセイは無視してほしい。
このつづきは、別のところで考えてみることにする。




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【かんしゃく発作】(キレる子ども)

++++++++++++++++++++++++++

私のHPの掲示板の相談コーナーに、つぎのような相談がありました。
かんしゃく発作が、あまりにもはげしいので、どうしたらよいかというご質問です。
今回は、これについて、考えてみたいと思います。

++++++++++++++++++++++++++

生後2週間の頃から、15時間連続で起きていたこともあるほど、まとめて寝ない子(寝る環境
作りはいろいろと工夫しましたが無理でした)で、起きている時間は抱っこして歩きまわらない
と、グズってばかりの娘でした。

寝る子は育つと言うのに、こんなに寝なくて大丈夫なものかと病院に行ったほどでしたが、至っ
て健康で、人なつっこく男の子顔負けのやんちゃ娘に成長していきました。

好奇心旺盛で、喜怒哀楽がとてもハッキリしていて(嬉しいと興奮しすぎるほど喜ぶし、怒ると
手がつけられないほど泣き暴れます)、活発なので、やんちゃすぎて手はかかりますが、幼い
頃おとなしかった私にしてみたら、すごく張り合いがあって自慢の娘です。

でもやっぱり神経質というか、頑固すぎるところがあり、2歳になってどう扱ったらいいか分から
なくなることが増えました。魔の2歳児というほど、2歳は周りの子もみんな反抗期+何でも自
分で!、という時期なので、ある程度は仕方ないと腹をくくって毎日気長に接していました。

赤ちゃんの頃から手がかかる子だったので、今でも私にベッタリなこともあり、スキンシップは
たっぷり取れているつもりでいるのですが・・・。はやしさんのエッセイで、「わがまま」と「頑固」
の違いなどについて書かれていたを読んで、うちの娘は頑固すぎるのかなぁと思い、相談させ
ていただこうと思いました。

2歳になってから、とにかく何でも自分でしないと気が済みません。着替えも、ちょっと手を出す
と気が狂ったように泣き叫んで、怒って服が破れそうなほど引っ張って全部脱いでしまいます。

もともと好奇心旺盛な子なので、1歳のころから自分でできることなら、何分でもつき合ってあ
げて、危険なことでない限り何にでも挑戦させてあげてきました。でもまだ2歳だからどうがん
ばっても無理なこともいっぱいあります・・・。

三輪車も、何としても自分で運転する!っていう気迫で、購入して1週間で自分でこげるように
なり、私が後ろの押し手を押すと、「イヤ!」と言って横断歩道の真ん中でも足を踏ん張って動
かなくなってしまいます。

また、夫に似て、正義感が強く変に真面目なところがあり、公園などでは順番や物の貸し借り
のルールをすごく理解しています。なので順番を守れない子がいたり、自分はおもちゃを「どう
ぞ」と貸してあげられたのに、相手が貸してくれないようなことが何度も重なると、手がつけられ
ないほど暴れて30分以上泣き止んでくれなくなります。

以上に書いたようなことは、2歳児ならみんなあることだとは思うのですが、かんしゃくを起こし
たときの激しさが、ほんとにすごいんです。

今日はおもちゃの貸し借りがうまくできないことが続いて(相手の子が何が何でも自分のおもち
ゃは貸さない!と言ってすぐ泣く子でした)、お友だちも娘もお昼寝の時間になり眠たそうで機
嫌が悪かったので、お片づけして今日は「バイバイ」しようと言った後、気が狂ったように泣き出
しました。

「バイバイ嫌!!」と言って、すごい勢いで走り出して、道路に何度も飛びだそうとするから、阻
止して、落ち着かせようと抱きしめてあげたら余計に泣き叫びました。すごく激しく暴れるので
何度も道路や壁に頭を打って大変でした。

パニックになると「ぎゃーー!!」と泣き叫びながら私から離れて、走って行ってしまいます。室
内など、少々走り回っても大丈夫な場所なら、ある程度落ち着くまで暴れさせてあげて、落ち着
き始めた頃にギューっと抱きしめてあげると少しずつ私に寄り添ってくれて、笑顔を見せてくれ
るます。

が、走り回れない野外だと、私が触れるたびにさらに火がついたように泣き叫んで、いつまで
たっても落ち着いてくれず、親子ともどもどろんこになりながら、1時間近く格闘しなきゃいけな
いことになります。あまりに激しいので、街行く人たちも白い目で見るというのを通り越して、ど
こか病気?にでもなったのかというぐらい怖い物を見るように心配されたりします。

1歳代の頃から、気に入らないことがあるとしょっちゅう道路に寝転がってダダをこねる子だっ
たので、それぐらいのことで人目が気になったりはしないのですが、ここまで激しいと私まで泣
きたくなります。

「どうぞ」ができたことをいくら誉めてあげても、相手が泣いていたりすると自分が悪いと思って
しまい、何度も何度もそういうことが重なると爆発するみたいです。気は強いので、自分が今遊
びたいものを我慢して貸してあげたりすることはなく、今遊んでないものをきっちり選んで貸して
あげます。なので我慢が爆発するという感じでもないです。

こんなに激しく泣き続けても、泣き止んだら何事もなかったように、いつもの太陽みたいな笑顔
を見せてくれます。私にギューっと抱きついて、「お母さん、大好き〜」と言ってくれます。「イヤ
イヤ!」は思いっきり発散させた子の方が後々いい子になるって聞くので、反抗期が激しいの
はいいことなのかもしれませんが、こんな娘の性格を伸び伸びと伸ばしてあげるにはどう接し
ていけばいいのでしょうか?

うまく文章に表せたか分かりませんが、アドバイスいただけたらとても嬉しいです。よろしくお願
いします。

++++++++++++++++++++++++++++++

【YK様へ】

 かんしゃく発作にしては、かなりはげしいようですね。2歳前後であれば、ダダをこねる、がん
こになる、泣き叫ぶ程度で、しばらくすると、静かになるはずですが……。

 私の印象では、脳内で、何らかの仰天現象が起きているように思います。突発的な興奮性
と、その持続性が気になります。こういうケースで最近、よく話題になるのが、セロトニン悪玉説
です。

 脳内伝達物質にセロトニンがあり、それが過剰に分泌されると、子どもは、興奮状態になり、
過剰行動に出ることが知られれています(アメリカのミラー博士ほか)。

 その過剰分泌を引き起こすのが、たとえば、インシュリンの過剰分泌と言われています。つま
りたとえば一時的に、甘味の強い食品(精製された白砂糖の多い食品)を多量に接種すると、
インシュリンが、ドッと、分泌されます。

 血糖値はそれでさがるのですが、そのあともインシュリンが血中に残り、さらに血糖をさげま
す。こうしていわば、子どもが、低血糖の状態になるわけです。少し話がそれるかもしれません
が、少し前に書いた原稿を、参考までに、添付します。

++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●キレる子どもの原因?

 キレる子ども……、つまり突発的に過剰行動に出る子どもの原因として、最近にわかにクロ
ーズアップされてきたのが、「セロトニン悪玉説」である。

つまり脳間伝達物質であるセロトニンが異常に分泌され、それが毒性をもって、脳の抑制命令
を狂わすという(生化学者、ミラー博士ほか)。

アメリカでは、もう二〇年以上も前から指摘されていることだが、もう少し具体的に言うとこう
だ。たとえば白砂糖を多く含む甘い食品を、一時的に過剰に摂取すると、インスリンが多量に
分泌され、それがセロトニンの過剰分泌を促す。そしてそれがキレる原因となるという(岩手大
学の大澤名誉教授ほか)。

 このタイプの子どもは、独特の動き方をするのがわかっている。ちょうどカミソリの刃でスパス
パとものを切るように、動きが鋭くなる。なめらかな動作が消える。そしていったん怒りだすと、
カッとなり、見境なく暴れたり、ものを投げつけたりする。ギャーッと金切り声を出すことも珍しく
ない。幼児でいうと、突発的にキーキー声を出して、泣いたり、暴れたりする。興奮したとき、体
を小刻みに震わせることもある。

 そこでもしこういう症状が見られたら、まず食生活を改善してみる。甘い食品を控え、カルシ
ウム分やマグネシウム分の多い食生活に心がける。リン酸食品も控える。リン酸は日もちをよ
くしたり、鮮度を保つために多くの食品に使われている。

リン酸をとると、せっかく摂取したカルシウムをリン酸カルシウムとして、体外へ排出してしま
う。一方、昔からイギリスでは、『カルシウムは紳士をつくる』という。日本でも戦前までは、カル
シウムは精神安定剤として使われていた。それはともかくも、子どもから静かな落ち着きが消
えたら、まずこのカルシウム不足を疑ってみる。ふつう子どものばあい、カルシウムが不足して
くると、筋肉の緊張感が持続できず、座っていても体をクニャクニャとくねらせたり、ダラダラさ
せたりする。

 ここに書いたのはあくまでも一つの説だが、もしあなたの子どもに以上のような症状が見られ
たら、一度試してみる価値はある。効果がなくても、ダメもと。そうでなくても子どもに缶ジュース
を一本与えておいて、「少食で悩んでいます」は、ない。

体重一五キロの子どもに缶ジュースを一本与えるということは、体重六〇キロのおとなが、同じ
缶ジュースを四本飲むのに等しい。おとなでも四本は飲めないし、飲めば飲んだで、腹の中が
ガボガボになってしまう。もしどうしても「甘い食べもの」ということであれば、精製されていない
黒砂糖を勧める。黒砂糖には天然のミネラル分がバランスよく配合されているため、ここでいう
ような弊害は起きない。ついでに一言。

 子どもはキャーキャーと声を張りあげるもの、うるさいものだと思っている人は多い。しかしそ
ういう考えは、南オーストラリア州の幼稚園を訪れてみると変わる。そこでは子どもたちがウソ
のように静かだ。サワサワとした風の音すら聞こえてくる。理由はすぐわかった。その地方では
どこの幼稚園にも、玄関先に大きなミルクタンクが置いてあり、子どもたちは水代わりに牛乳を
飲んでいた。
(はやし浩司 切れる子供 キレる子供 突発的過剰行動 過剰な行動)

++++++++++++++++++++

もう1作、似たような原稿ですが
参考までに……

++++++++++++++++++++

●小食で困ったら、冷蔵庫をカラに

 体重一五キロの子どもが、缶ジュースを一本飲むということは、体重六〇キロのおとなが、四
本飲む量に等しい。いくらおとなでも、缶ジュースを四本は飲めない。飲めば飲んだで、腹の中
がガボガボになってしまう。アイスやソフトクリームもそうだ。子どもの顔よりも大きなソフトクリ
ームを一個子どもに食べさせておきながら、「うちの子は小食で困っています」は、ない。

 突発的にキーキー声をはりあげて、興奮状態になる子どもは少なくない。このタイプの子ども
でまず疑ってみるべきは、低血糖。

一度に甘い食品(精製された白砂糖の多い食品)を大量に与えると、その血糖値をさげようと
インスリンが大量に分泌される。が、血糖値がさがっても、さらに血中に残ったインスリンが、
必要以上に血糖値をさげてしまう。

つまりこれが甘い食品を大量にとることによる低血糖のメカニズムだが、一度こういう状態にな
ると、脳の抑制命令が変調をきたす。そしてここに書いたように、突発的に興奮状態になって
大声をあげたり、暴れたりする。

このタイプの子どもは、興奮してくるとなめらかな動きがなくなり、カミソリでものを切るように、
スパスパした動きになることが知られている。アメリカで「過剰行動児」として、二〇年ほど前に
話題になったことがある。日本でもこの分野の研究者は多い(岩手大学名誉教授の大澤氏ほ
か)。そこでもしあなたの子どもにそういう症状が見られたら、一度砂糖断ちをしてみるとよい。
効果がなくて、ダメもと。一周間も続けると、子どものによってはウソのように静かに落ち着く。

  話がそれたが、子どもの小食で悩んでいる親は多い。「食が細い」「好き嫌いがはげしい」
「食事がのろい」など。幼稚園児についていうなら、全体の約五〇%が、この問題で悩んでい
る。で、もしそうなら、一度冷蔵庫をカラにしてみる。お菓子やスナック菓子類は、思いきって捨
てる。「もったいない」という思いが、つぎからのムダ買いを止める力になる。そして子どもが食
事の間に口にできるものを一掃する。子どもの小食で悩んでいる親というのは、たいてい無意
識のうちにも、間食を黙認しているケースが多い。もしそうなら、間食はいっさい、やめる。

(小食児へのアドバイス)

(1)ここに書いたように、冷蔵庫をカラにし、菓子類はすべて避ける。
(2)甘い食品(精製された白砂糖の多い食品)を断つ。
(3)カルシウム、マグネシウム分の多い食生活にこころがける。
(4)日中、汗をかかせるようにする。

 ただ小食といっても、家庭によって基準がちがうので、その基準も考えること。ふつうの家庭
よりも多い食物を与えながら、「少ない」と悩んでいるケースもある。子どもが健康なら、小食
(?)でも問題はないとみる。

++++++++++++++++++++++++

以前、同じような相談を受けたことがあります。
もっと年齢の大きなお子さんについてのものでしたが……。
それについて、書いた原稿を添付します。
あくまでも参考資料の一つとして、考えてください。

++++++++++++++++++++++++

●島根県のUYさんより

はじめまして。
HPをよく拝見させて頂いています。
 
娘の事を相談させていただきたく、メールをしています。
娘は五歳半になる年中児で、下に三歳半の妹がいます。
小さい頃から動作の一つ一つが乱暴で、よくグズリ、キーキー興奮しては些細な事で泣く子でし
た。
それは今でも続いており、集中が長く続かず、こだわりも他の子供よりも深い気がします。
話も目を見て心を落ち着けてゆっくり会話をする事が出来ません。
真剣な話をしながら足の先を神経質に動かしたり、手を振ったりして、とても聞いている態度に
は見えません。
走りまわるほどの多動ではありませんが、落ち着いて、じっとしていることが出来ないようです。
そのせいか、話し言葉も五歳にしては表現力がないと思われます。
物の説明はとても難解で、結局何を言っているのか分からない事も多々あります。
 
私自身、過関心であったと思います。
気をつけているつもりですが、やはり完全には治っていません。
今、言葉の方は『おかあさん、牛乳!』や、『あの冷たいやつ!』というような言い方について
は、それでは分からないという事を伝える様にしています。
できるだけ言葉で説明をさせるようにしています。これは少しは効果があるようです。
また食生活ではカルシウムとマグネシウム、そして甘いものには気をつけています。
食べ物の好き嫌いは全くありません。
 
そこで私の相談ですが、もっとしっかり人の話を聞けるようになってほしいと思っています。
心を落ち着かせることが出来るようになるのは、やはり親の過干渉や過関心と関係があるの
でしょうか。
また些細な事(お茶を飲むときのグラスの柄が妹の方がかわいい柄っだった、公園から帰りた
くない等)で、泣き叫んだりするのは情緒不安定ということで、過干渉の結果なのでしょうか。
泣き叫ぶときは、『そーかー、嫌だったのね。』と、私は一応話を聞くようにはしていますが、私
が折れる事はありません。
その事でかえって、泣き叫ぶ機会を増やして、また長引かせている気もするのですが。。。

そしてテーブルの上でオセロなどのゲーム中に、意味も無く飛び上がったりしてテーブルをゆら
してゲームを台無しにしたりする(無意識にやってしまうようです)ような乱雑な動作はどのよう
にすれば良いのか、深く悩んでいます。『静かに落ち着いて、意識を集中させて動く』ことが出
来ないのはやはり干渉のしすぎだったのでしょうか。
自分自信がんばっているつもりですが、時々更に悪化させているのではないかと不安に成りま
す。

できましたら,アドバイスをいただけますでしょうか。宜しくお願い致します。

【UYさんへ、はやし浩司より】

 メール、ありがとうございました。原因と対処法をいろいろ考える前に、大前提として、「今す
ぐ、なおそう」と思っても、なおらないということです。またなおそうと思う必要もありません。こう
書くと、「エエッ!」と思われるかもしれませんが、この問題だけは、子どもにその自覚がない以
上、なおるはずもないのです。

 UYさんのお子さんが、ここに書いた子どもと同じというわけではありませんが、つぎの原稿
は、少し前に私が書いたものです。まず、その原稿を先に、読んでいただけたらと思います。

Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

汝(なんじ)自身を知れ

「汝自身を知れ」と言ったのはキロン(スパルタ・七賢人の一人)だが、自分を知ることは難し
い。こんなことがあった。

 小学生のころ、かなり問題児だった子ども(中二男児)がいた。どこがどう問題児だったか
は、ここに書けない。書けないが、その子どもにある日、それとなくこう聞いてみた。「君は、学
校の先生たちにかなりめんどうをかけたようだが、それを覚えているか」と。するとその子ども
は、こう言った。「ぼくは何も悪くなかった。先生は何でもぼくを目のかたきにして、ぼくを怒っ
た」と。私はその子どもを前にして、しばらく考えこんでしまった。いや、その子どものことではな
い。自分のことというか、自分を知ることの難しさを思い知らされたからだ。

ある日一人の母親が私のところにきて、こう言った。「学校の先生が、席決めのとき、『好きな
子どうし、並んですわってよい』と言った。しかしうちの子(小一男児)のように、友だちのいない
子はどうしたらいいのか。配慮に欠ける発言だ。これから学校へ抗議に行くから、一緒に行っ
てほしい」と。もちろん私は断ったが、問題は席決めことではない。その子どもにはチックもあっ
たし、軽いが吃音(どもり)もあった。神経質な家庭環境が原因だが、「なぜ友だちがいないか」
ということのほうこそ、問題ではないのか。その親がすべきことは、抗議ではなく、その相談だ。

話はそれたが、自分であって自分である部分はともかくも、問題は自分であって自分でない部
分だ。ほとんどの人は、その自分であって自分でない部分に気がつくことがないまま、それに
振り回される。よい例が育児拒否であり、虐待だ。

このタイプの親たちは、なぜそういうことをするかということに迷いを抱きながらも、もっと大きな
「裏の力」に操られてしまう。あるいは心のどこかで「してはいけない」と思いつつ、それにブレ
ーキをかけることができない。「自分であって自分でない部分」のことを、「心のゆがみ」という
が、そのゆがみに動かされてしまう。ひがむ、いじける、ひねくれる、すねる、すさむ、つっぱ
る、ふてくされる、こもる、ぐずるなど。自分の中にこうしたゆがみを感じたら、それは自分であ
って自分でない部分とみてよい。

それに気づくことが、自分を知る第一歩である。まずいのは、そういう自分に気づくことなく、い
つまでも自分でない自分に振り回されることである。そしていつも同じ失敗を繰り返すことであ
る。

++++++++++++++++++

 おとなですら、自分のことを知るのはむずかしい。いわんや、子どもをやということになりま
す。ですからUYさんが、お子さんに向かって、「静かにしなさい」「落ち着きなさい」と言っても、
子どもにその自覚がない以上、子どもの立場からしたら、どうしようもないのです。

 意識には、大きく分けて(1)潜在意識と、(2)自意識(自己意識)があります※。潜在意識と
いうのは、意識できない世界のことです。自意識というのは、自分で自覚できる意識のことで
す。いろいろな説がありますが、教育的には、小学三、四年生を境に、急速にこの自意識が育
ってきます。つまり自分を客観的に見ることができるようになると同時に、その自分を、自分で
コントロールすることができるようになるわけです。

 幼児期にいろいろな問題ある子どもでも、この自意識をうまく利用すると、それを子ども自ら
の意識で、なおすことができます。言いかえると、それ以前の子どもには、その自意識を期待
しても、無理です。たとえば「静かにしなさい」と親がいくら言っても、子ども自身は、自分ではそ
れがわからないのだから、どうしようもありません。UYさんのケースを順に考えてみましょう。

●小さい頃から動作の一つ一つが乱暴で、よくグズリ、キーキー興奮しては些細な事で泣く子
でした。
●それは今でも続いており、集中が長く続かず、こだわりも他の子供よりも深い気がします。
●話も目を見て心を落ち着けてゆっくり会話をする事が出来ません。
●真剣な話をしながら足の先を神経質に動かしたり、手を振ったりして、とても聞いている態度
には見えません。
●走りまわるほどの多動ではありませんが、落ち着いて、じっとしていることが出来ないようで
す。
●そのせいか、話し言葉も五歳にしては表現力がないと思われます。

 これらの問題点を指摘しても、当然のことですが、満五歳の子どもに、理解できるはずもあり
ません。こういうケースで。「キーキー興奮してはだめ」「こだわっては、だめ」「落ち着いて会話
しなさい」「じっとしていなさい」「しっかりと言葉を話しなさい」と言ったところで、ムダというもので
す。

たとえば細かい多動性について、最近では、脳の微細障害説、機能障害説、右脳乱舞説、ホ
ルモン変調説、脳の仰天説、セロトニン過剰分泌説など、ざっと思い浮かんだものだけでも、
いろいろあります。されにさらに環境的な要因、たとえば下の子が生まれたことによる、赤ちゃ
んがえり、欲求不満、かんしゃく発作などもからんでいるかもしれません。またUYさんのメール
によると、かなり神経質な子育てが日常化していたようで、それによる過干渉、過関心、心配
先行型の子育てなども影響しているかもしれません。こうして考え出したら、それこそ数かぎり
なく、話が出てきてしまいます。

 では、どうするか? 原因はどうであれ、今の症状がどうであれ、今の段階では、「なおそう」
とか、「あれが問題」「これが問題」と考えるのではなく、あくまでも幼児期によく見られる一過性
の問題ととらえ、あまり深刻にならないようにしたらよいと思います。むしろ問題は、そのことで
はなく、この時期、親が子どものある部分の問題を、拡大視することによって、子どものほかの
よい面をつぶしてしまうことです。とくに「あれがダメ」「これがダメ」という指導が日常化します
と、子どもは、自信をなくしてしまいます。生きザマそのものが、マイナス型になることもありま
す。

 私も幼児を35年もみてきました。若いころは、こうした問題のある子どもを、何とかなおして
やろうと、四苦八苦したものです。しかしそうして苦労したところで、意味はないのですね。子ど
もというのは、時期がくれば、何ごともなかったかのように、自然になおっていく。UYさんのお子
さんについても、お子さんの自意識が育ってくる、小学三、四年生を境に、症状は急速に収ま
ってくるものと思われます。自分で判断して、自分の言動をコントロールするようになるからで
す。「こういうことをすれば、みんなに嫌われる」「みんなに迷惑をかける」、あるいは「もっとかっ
こよくしたい」「みんなに認められたい」と。

 ですから、ここはあせらず、言うべきことは言いながらも、今の状態を今以上悪くしないことだ
けを考えながら、その時期を待たれたらどうでしょうか。すでにUYさんは、UYさんができること
を、すべてなさっておられます。母親としては、満点です。どうか自信をもってください。私のHP
を読んでくださったということだけでも、UYさんは、すばらしい母親です。(保証します!)

ただもう一つ注意してみたらよいと思うのは、たとえばテレビやテレビゲームに夢中になってい
るようなら、少し遠ざけたほうがよいと思います。このメールの終わりに、私が最近書いた原稿
(中日新聞発表済み)を、張りつけておきます。どうか参考にしてください。

 で、今度はUYさん自身へのアドバイスですが、どうか自分を責めないでください。「過関心で
はないか?」「過干渉ではないか?」と。

 そういうふうに悩むこと自体、すでにUYさんは、過関心ママでも、過干渉ママでもありませ
ん。この問題だけは、それに気づくだけで、すでにほとんど解決したとみます。ほとんどの人
は、それに気づかないまま、むしろ「私はふつうだ」と思い込んで、一方で、過関心や過干渉を
繰りかえします。UYさんにあえていうなら、子育てに疲れて、やや育児ノイローゼ気味なのかも
しれません。ご主人の協力は得られませんか? 少し子育てを分担してもらったほうがよいか
もしれません。

 最後に「そしてテーブルの上でオセロなどのゲーム中に、意味も無く飛び上がったりしてテー
ブルをゆらしてゲームを台無しにしたりする(無意識にやってしまうようです)ような乱雑な動作
はどのようにすれば良いのか、深く悩んでいます。『静かに落ち着いて、意識を集中させて動
く』ことが出来ないのはやはり干渉のしすぎだったのでしょうか」という部分についてですが、こ
う考えてみてください。

 私の経験では、症状的には、小学一年生ぐらいをピークにして、そのあと急速に収まってい
きます。そういう点では、これから先、体力がつき、行動半径も広くなってきますから、見た目に
は、症状ははげしくなるかもしれません。UYさんが悩まれるお気持ちはよくわかりますが、一
方で、UYさんの力ではどうにもならない部分の問題であることも事実です。

ですから、愛情の糸だけは切らないようにして、言うべきことは言い、あとはあきらめます。コツ
は、完ぺきな子どもを求めないこと。満点の子どもを求めないこと。ここで愛情の糸を切らない
というのは、子どもの側から見て、「切られた」と思わせいないことです。それを感じると、今度
は、子どもの心そのものが、ゆがんでしまいます。が、それでも暴れたら……。私のばあいは、
教室の生徒がそういう症状を見せたら、抱き込んでしまいます。叱ったり、威圧感を与えたり、
あるいは恐怖心を与えてはいけません。あくまでも愛情を基本に指導します。それだけを忘れ
なければ、あとは何をしてもよいのです。あまり神経質にならず、気楽に構えてください。

 約束します。UYさんの問題は、お子さんが小学三、四年生になるころには、消えています。
ウソだと思うなら、このメールをコピーして、アルバムか何かにはさんでおいてください。そし
て、四、五年後に読み返してみてください。「林の言うとおりだった」と、そのときわかってくださ
ると確信しています。もっとも、それまでの間に、いろいろあるでしょうが、そこは、クレヨンしん
ちゃんの母親(みさえさん)の心意気でがんばってください。コミックにVOL1〜10くらいを一
度、読まれるといいですよ。テレビのアニメは、コミックにくらべると、作為的です。

 また何かあればメールをください。なおこのメールは、小生のマガジンの2−25号に掲載し
ますが、どうかお許しください。転載の許可など、お願いします。ご都合の悪い点があれば、至
急、お知らせください。
(030217)

※……これに対して、「自己意識」「感覚運動的意識」「生物的意識」の三つに分けて考える考
え方もある。「感覚的運動意識」というのは、見たり聞いたりする意識のこと。「生物的意識」と
いうのは、生物としての意識をいう。いわゆる「気を失う」というのは、生物的意識がなくなった
状態をいう。このうち自己意識があるのは、人間だけと言われている。この自己意識は、四歳
くらいから芽生え始め、三〇歳くらいで完成するといわれている(静岡大学・郷式徹助教授「フ
ァミリス」03・3月号)。

++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

【YK様へ(2)】

 食生活がどうなっているのか、私にはわかりませんが、まず試してみるべきことは、(1)食生
活の改善、です。

 ここにも書いたように、MG、CA、Kの多い食生活(自然海産物中心の献立)に切りかえてみ
てください。

 精製された白砂糖を多く含む食品は、避けます。(与えると意識しなくても、今では、ありとあ
らゆる食品に含まれています。幼児のばあい、2歳児でしたら、1日、10グラム前後でじゅうぶ
んです。)

 感情の起伏がはげしく、手にあまるようなら、一度、小児科を訪れてみられてはいかがでしょ
うか。以前とちがい、最近では、すぐれた薬も開発されています。(薬を使うときは、慎重にしま
すが、そのあたりのことは、よくドクターと相談して決めてください。)

 食生活の改善……徹底してするのが、コツです。アイス、ソフト、乳酸飲料などは、避けま
す。徹底してすれば、1、2週間ほどで、効果が現われてきます。

 同じようなケースを、もう一つ、思い出しました。その原稿を添付します。少し古い原稿なの
で、先に書いたことと、内容が少し異なるかもしれませんが、異なっている部分については、先
に書いたほうを、優先してください。

++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

【栄養学の分野からの考察】

●過剰行動性のある子ども

 もう二〇年以上も前だが、アメリカで「過剰行動性のある子ども」(ヒュー・パワーズ・小児栄養
学)が、話題になったことがある。ささいなことがきっかけで、突発的に過剰な行動に出るタイプ
の子どもである。

日本では、このタイプの子どもはほとんど話題にならなかったが、中学生によるナイフの殺傷
事件が続いたとき、その原因の一つとして、マスコミでこの過剰行動性が取りあげられたこと
がある(九八年)。日本でも岩手大学の大沢博名誉教授や大分大学の飯野節夫教授らが、こ
の分野の研究者として知られている。

●砂糖づけのH君(年中児)

 私の印象に残っている男児にH君(年中児)という子どもがいた。最初、Hさん(母親)は私に
こう相談してきた。「(息子の)部屋の中がクモの巣のようです。どうしたらいいでしょうか」と。

話を聞くと、息子のH君の部屋がごちゃごちゃというより、足の踏み場もないほど散乱してい
て、その様子がふつうではないというのだ。が、それだけならまだしも、それを母親が注意する
と、H君は突発的に暴れたり、泣き叫んだりするという。始終、こきざみに動き回るという多動
性も気になると母親は言った。私の教室でも突発的に、耳をつんざくような金切り声をあげ、興
奮状態になることも珍しくなかった。そして一度そういう状態になると、手がつけられなくなっ
た。私はその異常な興奮性から、H君は過剰行動児と判断した。

 ただ申し添えるなら、教育の現場では、それが学校であろうが塾であろうが、子どもを診断し
たり、診断名をくだすことはありえない。第一に診断基準が確立していないし、治療や治療方
法を用意しないまま診断したり、診断名をくだしたりすることは許されない。仮にその子どもが
過剰行動児をわかったところで、それは教える側の内心の問題であり、親から質問されてもそ
れを口にすることは許されない。

診断については、診断基準や治療方法、あるいは指導施設が確立しているケース(たとえば
自閉症児やかん黙児)では、専門のドクターを紹介することはあっても、その段階で止める。こ
の過剰行動児についてもそうで、内心では過剰行動児を疑っても、親に向かって、「あなたの
子どもは過剰行動児です」と告げることは、実際にはありえない。教師としてすべきことは、知
っていても知らぬフリをしながら、その次の段階の「指導」を開始することである。
 
●原因は食生活?

ヒュー・パワーズは、「脳内の血糖値の変動がはげしいと、神経機能が乱れ、情緒不安にな
り、ホルモン機能にも影響し、ひいては子どもの健康、学習、行動に障害があらわれる」とい
う。メカニズムは、こうだ。ゆっくりと血糖値があがる場合には、それに応じてインスリンが徐々
に分泌される。しかし一時的に多量の砂糖(特に精製された白砂糖)をとると、多量の、つまり
必要とされる量以上の量のインスリンが分泌され、結果として、子どもを低血糖児の状態にし
てしまうという(大沢)。

そして(1)イライラする。機嫌がいいかと思うと、突然怒りだす、(2)無気力、(3)疲れやすい、
(4)(体が)震える、D頭痛など低血糖児特有の症状が出てくるという(朝日新聞九八年2・1
2)。これらの症状は、たとえば小児糖尿病で砂糖断ちをしている子どもにも共通してみられる
症状でもある。私も一度、ある子ども(小児糖尿病患者)を病院に見舞ったとき、看護婦からそ
ういう報告を受けたことがある。

 こうした突発的な行動については、次のように説明されている。つまり脳からは常に相反する
二つの命令が出ている。行動命令と抑制命令である。たとえば手でものをつかむとき、「つか
め」という行動命令と、「つかむな」という抑制命令が同時に出る。

この二つの命令がバランスよく調和して、人間はスムーズな動きをすることができる。しかし低
血糖になると、このうちの抑制命令のほうが阻害され、動きがカミソリでスパスパとものを切る
ような動きになる。先のH君の場合は、こまかい作業をさせると、震えるというよりは、手が勝
手に小刻みに動いてしまい、それができなかった。また抑制命令が阻害されると、感情のコン
トロールもできなくなり、一度激怒すると、際限なく怒りが増幅される。そして結果として、それ
がキレる状態になる。

●恐ろしいカルシウム不足

 砂糖のとり過ぎは、子どもの心と体に深刻な影響を与えるが、それだけではない。砂糖をとり
過ぎると、カルシウム不足を引き起こす。

糖分の摂取が、体内のカルシウムを奪い、虫歯の原因になることはよく知られている。体内の
ブドウ糖は炭酸ガスと水に分解され、その炭酸ガスが、血液に酸性にする。その酸性化した血
液を中和しようと、骨の中のカルシウムが、溶け出るためと考えるとわかりやすい。体内のカ
ルシウムの98%は、骨に蓄積されている。そのカルシウムが不足すると、「(1)脳の発育が不
良になったり、(2)脳神経細胞の興奮性を亢進したり、(3)精神疲労をしやすくまた回復が遅く
なるなどの症状が現われる」(片瀬淡氏「カルシウムの医学」)という。わかりやすく言えば、カ
ルシウムが不足すると、知恵の発達が遅れ、興奮しやすく、また精神疲労を起こしやすいとい
うのだ。甘い食品を大量に摂取していると、このカルシウム不足を引き起こす。

++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●生化学者ミラー博士らの実験

 精製されてない白砂糖を、日常的に多量に摂取すると、インスリンの分泌が、脳間伝達物質
であるセロトニンの分泌をうながし、それが子どもの異常行動を引き起こすという。アメリカの
生化学者のミラーは、次のように説召している。

 「脳内のセロトニンという(脳間伝達)ニューロンから脳細胞に情報を伝達するという、神経中
枢に重要な役割をはたしているが、セロトニンが多すぎると、逆に毒性をもつ」(「マザーリン
グ」八一年(7)号)と。日本でも、自閉症や子どもの暴力、無気力などさまざまな子どもによる
問題行動が、食物と関係しているという研究がなされている。ちなみに、食品に含まれている
白砂糖の量は、次のようになっている。

製品名             一個分の量    糖分の量         
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー        
 ヨーグルト    【森永乳業】     90ml  9・6g         
 伊達巻き       【紀文】     39g  11・8g         
 ミートボール   【石井食品】 1パック120g  9・0g         
 いちごジャム   【雪印食品】  大さじ30g  19・7g         
 オレンジエード【キリンビール】    250ml  9・2g         
 コカコーラ              250ml 24・1g         
 ショートケーキ    【市販】  一個100g  28・6g         
 アイス      【雪印乳業】  一個170ml  7・2g         
 オレンジムース  【カルピス】     38g   8・7g         
 プリン      【協同乳業】  一個100g  14・2g         
 グリコキャラメル【江崎グリコ】   4粒20g   8・1g         
 どら焼き       【市販】   一個70g  25g          
 クリームソーダ    【外食】  一杯      26g           
 ホットケーキ     【外食】  一個      27g          
 フルーツヨーグルト【協同乳業】    100g  10・9g         
 みかんの缶詰   【雪印食品】    118g  15・3g         
 お好み焼き   【永谷園食品】  一箱240g  15・0g         
 セルシーチョコ 【江崎グリコ】   3粒14g   5・5g         
 練りようかん     【市販】  一切れ56g  30・8g         
 チョコパフェ     【市販】  一杯      24・0g       

●砂糖は白い麻薬

 H君の母親はこう言った。「祖母(父親の実母)の趣味が、ジャムづくりで、毎週ビンに入った
ジャムを届けてくれます。うちでは、それを食べなければもったいないということで、パンや紅茶
など、あらゆるものにつけて食べています」と。

私はH君の食生活が、かなりゆがんだものと知り、とりあえず「砂糖断ち」をするよう進言した。
が、異変はその直後から起きた。幼稚園から帰ったH君が、冷蔵庫を足げりにしながら、「ビス
ケットがほしい、ビスケットがほしい」と泣き叫んだというのだ。母親は「麻薬患者の禁断症状の
ようで、恐ろしかった」と話してくれた。が、それから数日後。今度はH君が一転、無気力状態
になってしまったという。私がH君に会ったのは、ちょうど一週間後のことだったが、H君はまる
で別人のようになっていた。ボーッとして、反応がまるでなかった。母親はそういうH君を横目で
見ながら、「もう一度、ジャムを食べさせましょうか」と言ったが、私はそれに反対した。

●カルシウムは紳士をつくる

 戦前までは、カルシウムは、精神安定剤として使われていた。こういう事実もあって、イギリス
では、「カルシウムは紳士をつくる」と言われている。子どもの落ち着きなさをどこかで感じた
ら、砂糖断ちをする一方、カルシウムやマグネシウムなど、ミネラル分の多い食生活にこころ
がける。私の経験では、幼児の場合、それだけで、しかも一週間という短期間で、ほとんどの
子どもが見違えるほど落ち着くのがわかっている。

川島四郎氏(桜美林大学元教授)も、「ヒステリーやノイローゼ患者の場合、カルシウムを投与
するだけでなおる」(「マザーリング」八一年(7)号)と述べている。効果がなくても、ダメもと。そ
うでなくても、缶ジュース一本を子どもに買い与えて、「うちの子は小食で困ります」は、ない。体
重15キロ前後の子どもに、缶ジュースを一本与えるということは、体重60キロの人が、4本飲
む量に等しい。おとなでも缶ジュースを四本は飲めないし、飲めば飲んだで、腹の中がガボガ
ボになってしまう。

 なお問題となるのは、精製された白砂糖をいう。どうしても甘味料ということであれば、精製さ
れていない黒砂糖をすすめる。黒砂糖には、天然のミネラル分がほどよく配合されていて、こ
こでいう弊害はない。

++++++++++++++++++++++++++はやし浩司
 
●多動児(ADHD児)との違い

 この過剰行動性のある子どもと症状が似ている子どもに。多動児と呼ばれる子どもがいる。
前もって注意しなければならないのは、多動児(集中力欠如型多動性児、ADHD児)の診断基
準は、二〇〇一年の春、厚生労働省の研究班が国立精神神経センター上林靖子氏ら委託し
て、そのひな型が作成されたばかりで、いまだこの日本では、多動児の診断基準はないという
のが正しい。

つまり正確には、この日本には多動児という子どもは存在しないということになる。一般に多動
児というときは、落ち着きなく動き回るという多動性のある子どもをいうことになる。そういう意
味では、活発型の自閉症児なども多動児ということになるが、ここでは区別して考える。

 ちなみに厚生労働省がまとめた診断基準(親と教師向けの「子どもの行動チェックリスト」)
は、次のようになっている。

(チェック項目)
1行動が幼い
2注意が続かない
3落ち着きがない
4混乱する
5考えにふける
6衝動的
7神経質
8体がひきつる
9成績が悪い
10不器用
11一点をみつめる

たいへんまたはよくあてはまる……2点、
ややまたは時々あてはまる……1点、
当てはまらない……0点として、
男子で4〜15歳児のばあい、
12点以上は障害があることを意味する「臨床域」、
9〜11点が「境界域」、
8点以下なら「正常」

 この診断基準で一番気になるところは、「抑え」について触れられていない点である。多動児
が多動児なのは、抑え、つまり指導による制止がきかない点である。

教師による抑えがきけば、多動児は多動児でないということになる。一方、過剰行動児は行動
が突発的に過剰になるというだけで、抑えがきく。その抑えがきくという点で、多動児と区別さ
れる。また活発型の自閉症児について言えば、多動性はあくまでも随伴的な症状であって、主
症状ではないという点で、この多動児とは区別される。

またチェック項目の中の(1)行動が幼い(退行性)は、過保護児、溺愛児にも共通して見られ
る症状であり、(7)神経質は、敏感児、過敏児にも共通して見られる症状である。さらに(9)成
績が悪い、および(10)不器用については、多動児の症状というよりは、それから派生する随
伴症状であって、多動児の症状とするには、常識的に考えてもおかしい。

ついでに私は私の経験から、次のような診断基準をつくってみた。

(チェック項目)
1抑えがきかない
2言動に秩序感がない
3他人に無遠慮、無頓着
4雑然とした騒々しさがある
5注意力が散漫
6行動が突発的で衝動的
7視線が定まらない
8情報の吸収性がない
9鋭いひらめきと愚鈍性の同居
10論理的な思考ができない 
11思考力が弱い

 このADHD児については、脳の機能障害説が有力で、そのために指導にも限界がある……
という前提で、それぞれの市町村レベルの教育委員会が対処している。たとえば静岡県のK
市では、指導補助員を配置して、ADHD児の指導に当っている。ただしこの場合でも、あくまで
も「現場教師を補助する」(K市)という名目で配置されている。

++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●環境ホルモンの分野からの考察

●シシリー宣言

 一九九五年一一月、イタリアのシシリー島のエリゼに集まった一八名の学者が、緊急宣言を
行った。これがシシリー宣言である。その内容は「衝撃的なもの」(グリーンピース・JAPAN)な
ものであった。

いわく、「これら(環境の中に日常的に存在する)化学物質による影響は、生殖系だけではな
く、行動的、および身体的異常、さらには精神にも及ぶ。これは、知的能力および社会的適応
性の低下、環境の要求に対する反応性の障害となってあらわれる可能性がある」と。つまり環
境ホルモンが、人間の行動にまで影響を与えるというのだ。

が、これで驚いていてはいけない。シシリー宣言は、さらにこう続ける。「環境ホルモンは、脳の
発達を阻害する。神経行動に異常を起こす。衝動的な暴力・自殺を引き起こす。奇妙な行動を
引き起こす。

多動症を引き起こす。IQが低下する。人類は50年間の間に5ポイントIQが低下した。人類の
生殖能力と脳が侵されたら滅ぶしかない」と。ここでいう「社会性適応性の低下」というのは、具
体的には、「不登校やいじめ、校内暴力、非行、犯罪のことをさす」(「シシリー宣言」・グリーン
ピース・JAPAN)のだそうだ。
 
この事実を裏づけるかのように、マウスによる実験だが、ビスワエノールAのように、環境ホル
モンの中には、母親の胎盤、さらに胎児の脳関門という二重の防御を突破して、胎児の脳に
侵入するものもあるという。つまりこれらの環境ホルモンが、「脳そのものの発達を損傷する」
(船瀬俊介氏「環境ドラッグ」より)という。

●教育の分野からの考察

 前後が逆になったが、当然、教育の分野からも「キルる子ども」の考察がなされている。しか
しながら教育の分野では、キレる子どもの定義すらなされていない。なされないままキレる子ど
もの議論だけが先行している。ただその原因としては、

(1)親の過剰期待、そしてそれに呼応する子どもの過負担。(2)学歴社会、そしてそれに呼応
する受験競争から生まれる子ども側の過負担などが、考えられる。こうした過負担がストレッ
サーとなって、子どもの心を圧迫する。ただこの段階で問題になるのが、子ども側の耐性であ
る。最近の子どもは、飽食とぜいたくの中で、この耐性を急速に喪失しつつあると言える。わず
かな負担だけで、それを過負担と感じ、そしてそれに耐えることがないまま、怒りを爆発させて
しまう。親の期待にせよ、学歴社会にせよ、それは子どもを取り巻く環境の中では、ある程度
は容認されるべきものであり、こうした環境を子どもの世界から完全に取り除くことはできな
い。

++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

 長い返事になってしまいましたが、あくまでも「参考」として、ご利用ください。私自身は、お子
さんを見ていませんし、また立場上、診断をくだすことはできません。あとの判断は、YK様のほ
うでしてください。

 メールありがとうございました。また相談内容の転載許可、ありがとうございました。




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●「恥」の文化

+++++++++++++++++++

電車の前の座席に座った、二人の男女が、
あたりかまわず、抱きあい、たがいに
チューチューしあい始めた。音がすごい。
これには、私も、参った。
目のやり場がなかった。

この日本では、「恥ずかしい」というとき、
「恥」という言葉をつかう。

笑いながら、男のほうのひざをたたいて、
私は、それをたしなめてやった。

顔つきからして、インド人かと思ったが、
ブラジル人だった。英語で話しかけたら、
「日本語で、わかる」と。

「日本では、あまり、人前では、そういうこ
とはしない」と話してやった。

2人とも、すなおに、それに従ってくれた。

で、改めて、考えた。「恥」とは何か、と。

++++++++++++++++++++++

 極東のアジアの小国には、世界の人が見ても、理解しがたい民族性がある。そのひとつが、
「恥」。たいていの日本人は、奈良時代の昔から、日本は文明国だと思っている。しかし日本程
度の歴史なら、アフリカの各部族ならみんな、もっている。(だからといって、日本の歴史を否定
しているのではない。ごう慢になってはいけないと言っている。)

 この「恥」には、二種類ある。他人に向かう恥と、自分に向かう恥である。他人に向かう恥とい
うのは、世間を気にした生き方そのものということなる。他人の目の中で生きる人ほど、この恥
を気にする。

 もうひとつは自分に向かう恥。自分の生きザマにきびしい人。あるいは自分にきびしく生きて
いる人ほど、この恥を気にする。人が見ているとか見ていないとか、あるいは人が知っていると
か知らないとか、そういうことは関係ない。あくまでもその恥は自分に向かう。

 この二種類の恥は、たがいに対立関係にある。他人に向かう恥を意識する人ほど、自分へ
の恥に甘い。「人にバレなければよい」とか、「自分さえよければよい」とか考える。あるいは自
分をごまかしてでも、体裁をとりつくろう。

 一方、自分に向かう恥を意識する人ほど、他人を気にしない。「他人がどう思おうが、知った
ことではない。私は私だ」というような考え方をする。これらをまとめると、他人に向かう恥と、自
分に向かう恥は、いわば反比例の関係にあるということもできるのでは? 同時に両方の恥を
もっている人は、まずいない。(両方ともない人というのは、いるかもしれないが……。)

 ある母親はこう言った。「私の家は、昔からの養鰻業の本家です。息子にはそれなりの大学
へ入ってもらわねば、恥ずかしいです」と。幼稚園を選ぶときにも、それがある。「B幼稚園では
恥ずかしい。S幼稚園でなければ」と。

 こうした傾向は都会より、当然のことながら、農村地域のほうが強い。今でも身なりや、成
績、進学校などなど。家柄や格式、評判や財産にこだわる人は、少なくない。子どもでもいる。

ある中学生(二年男子)は、ことあるごとに自分の家をいうのに、「D家は……」と、「家(け)」を
つけていた。そこで私が「そんな言い方、よせ」と言うと、こう言った。「うちの先祖は、昔は○○
藩の家老だった」と。(私はこういうところが、「理解しがたい民族性」と言っているのだ。)

 さらにこんなことを言った高校生もいた。ある夏の日に私の家に遊びにきて、「先生、D大学
と、M大学は、どちらがかっこういいですかね。結婚式の披露宴でのこともありますから」と。ま
だ恋人もいないような高校生が、披露宴での見てくれを気にしていた!

 他人に向かう恥を気にし始めると、生きザマそのものが卑屈になる。へんな小細工をしたり、
見栄をはったり。さらには体裁だけを整えたりする。しかしそういう生き方をすればするほど、
結局は自分の人生をムダにすることになる。

もちろん「恥」がすべて悪いわけではない。自分に向かう恥は、むしろ大切にしたい。しかしこ
れには大きな前提がある。それを恥じるだけの、哲学なり生きザマ、さらには確固たる信念が
必要だということ。それがないと、恥じるべき対象そのものがないということになる。

言いかえると、哲学や生きザマ、確固たる信念のない人は、自分に恥じることはない。さらに言
いかえると、自分に恥じる人は、哲学や生きザマ、確固たる信念がある人ということになる。
「自分に恥じる」と言っても、そうは簡単なことではない。





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●バランス感覚

 調和のとれた思想、ものの考え方、倫理、道徳は、まともな人生を歩むための大原則と考え
てよい。興味をもつ対象にしても、一つや二つのことに限定されるよりは、広く、浅く、全般に…
…というほうが、好ましい。とくに、子どもの世界では、そうである。

 こうした調和のとれた生きザマは、愛情があふれ、心豊かな世界で、はぐくまれる。で、最近
の研究によっても、こうした生きザマは、脳全体の活動と深く関係していることが、わかってき
た。子どもについていうなら、あるべき環境の中で、あるべき方法で育てれば、自然と、調和の
とれた生きザマを身につけるようになる。

 その調和が乱れてくると……。その症状は顔に現われてくると説く学者がいる。詳しく書きす
ぎると、偏見と誤解を生みやすいので、ここではこの程度のことしか書けない。要するに、調和
のとれた生きザマをもっている人は、顔の表情もまた、調和がとれているという。

 もっとわかりやすく言えば、顔の表情の調和の崩れた人は、ものの考え方も、崩れていると
いうこと。……らしい。

 そのことは、たとえば笑ったときの表情を見ればわかるそうだ。笑ったとき、顔つきが、左右
のどちらか一方に大きくゆがんだり、左右どちらかの唇が、極端に上下したりする人は、もの
の考え方も、崩れていると考えてよい。……ということらしい。

 脳ミソの状態は、自然な形で、顔の表情にも現れるということか。

 そこである学者が調べたら、(顔の問題は、たいへんデリケートな問題なので、詳しくは書け
ないが)、顔の正中線を対象にして、左右、きちんとバランスのとれた男女ほど、異性にもてる
そうである。

 実は。東洋医学でも、同じようなことを教える。

 黄帝内経(こうていだいけい)霊枢(れいすう)「五色篇」には、こうある。「顔全体のバランスが
崩れ、顔面に現われた発色部位が、異常な人は、五臓の働きが悪いとみる」と。東洋医学で
は、健康な人は、その「形」も端正であると考える。

 言うまでもなく、東洋医学では、肉体の病気と、精神の病気を、総合一体して考える。

 さらに子ども時代に、こうした調和が崩れると、年齢とともに、さらにそれがはっきりしてくる。
顔の表情だけではなく、体つき、歩き方、様子まで。学校などで暴力ザタ事件を起こす子どもな
どが、よく独特の歩き方をするのも、こうした方面からも、説明がつくのかもしれない。

 言いかえると、前をしっかりと向いて、スタスタと軽快に歩く子どもは、それだけでも、心がまっ
すぐ伸びているという証拠になる。もしあなたの子どもが、頭をさげたり、どちらか一方に体を
傾けて歩いたり、あるいは歩き方全体が、どこか不自然であれば、心のどこかに、何か問題が
ないかを疑ってみたらよい。

 たとえばものの考え方が暗い子どもは、実に、それらしい様子をして歩く。心の中にたまった
憂うつ感が、無意識のうちにも、子どもをして、そういう歩き方をさせるとも考えられる。

 で、私たちは、異性を選ぶとき、無意識のうちにも、心身ともに健康な人を選ぶ。それは人間
が何十万年もかけて見につけた、種族保存の本能によるものである。より優秀な種族を、後世
に残したいという本能が、無意識のうちにも、そうさせる。

 が、中には、そうでないケースも、ある。

 もう40年ほども前のことだが、1人、若者たちの間で、絶大な人気を得た女性タレントがい
た。簡単な歌も歌った。いつも口を半開きにして、うつろな目つきをしていた。

 しかしその女性は、しばらくしてから、脳ミソの働きがほとんどない女性だとわかった。当時
は、『ハxx美人』(当時の言葉)と呼ばれた。つまり、見るからに脳ミソがからっぽそうで、ボーッ
とした顔つきが、世の若者たちの心をとらえたというわけである。

 つまり、そういう女性に魅力を感ずるのは、その女性に責任があるというよりは、そういう美
的意識をつくった、社会世相のほうに問題があったことになる。当時の日本は、60年安保闘
争を経験したあと、社会的にも、たいへん不安定な時代を迎えつつあった。

 で、私もこのことを知ってから、改めて、カガミをみた。顔だけではない。大きなカガミに自分
の姿や歩き方を映してみた。

 結果、わかったこと……。

 私の顔は、左右がかなり崩れている。歩き方も、どちらか一方にかたより、どこかヨタヨタして
いる。表情も、決して明るくない。

 ハハハ。実は、これが私が、女性にもてなかった理由だったということになる。……ということ
で、この話は、おしまい。おとなにせよ、子どもにせよ、その容姿について書くのは、教育の世
界では、タブーということになっている。
(はやし浩司 容姿 顔つき 表情 バランスのとれた考え方 調和のとれた思想)





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●恋愛の寿命

+++++++++++++++++

心ときめかす、恋心。しかしその恋心
にも、寿命がある。

+++++++++++++++++

 その人のことを思うと、心がときめく。すべてが華やいで見える。体まで宙に浮いたようになる
……。恋をすると、人は、そうなる。

 こうした現象は、脳内で分泌される、フェニルエチルアミンという物質の作用によるものだとい
うことが、最近の研究で、わかってきた。恋をしたときに感ずる、あの身を焦がすような甘い陶
酔感は、そのフェニルエチルアミンの作用によるもの、というのだ。

その陶酔感は、麻薬を得たときの陶酔感に似ているという人もいる。(私自身は、もちろん、麻
薬の作用がどういうものか、知らない。)しかしこのフェニルエチルアミン効果の寿命は、それ
ほど長くない。短い。

 ふつう脳内で何らかの物質が分泌されると、フィードバックといって、しばらくすると今度は、
それを打ち消す物質によって、その効果は、打ち消される。この打ち消す物質が分泌されるか
らこそ、脳の中は、しばらくすると、再び、カラの状態になる。体が、その物質に慣れてしまった
ら、つぎから、その物質が分泌されても、その効果が、なくなってしまう。

しかしフェニルエチルアミンは、それが分泌されても、それを打ち消す物質は、分泌されない。
脳内に残ったままの状態になる。こうしてフェニルエチルアミン効果は、比較的長くつづくことに
なる。が、いつまでも、つづくというわけではない。やがて脳のほうが、それに慣れてしまう。

 つまりフェニルエチルアミン効果は、「比較的長くつづく」といっても、限度がある。もって、3年
とか4年。あるいはそれ以下。当初の恋愛の度合にもよる。「死んでも悔いはない」というよう
な、猛烈な恋愛であれば、4年くらい(?)。適当に、好きになったというような恋愛であれば、半
年くらい(?)。

 その3年から4年が、恋愛の寿命ということにもなる。言いかえると、どんな熱烈な恋愛をして
も、3年から4年もすると、心のときめきも消え、あれほど華やいで見えた世界も、やがて色あ
せて見えるようになる。もちろん、ウキウキした気分も消える。

 ……と考えると、では、結婚生活も、4年程度が限度かというと、それは正しくない。恋愛と、
結婚生活は、別。その4年の間に、その2人は、熱烈な恋愛を繰りかえし、つぎのステップへ進
むための、心の準備を始める。

 それが出産であり、育児ということになる。一連のこうした変化をとおして、今度は、別の新し
い人間関係をつくりあげていく。それが結婚生活へとつながっていく。

 が、中には、そのフェニルエチルアミン効果による、甘い陶酔感が忘れられず、繰りかえし、
恋愛関係を結ぶ人もいる。たとえばそれが原因かどうかは別にして、よく4〜5年ごとに、離
婚、再婚を繰りかえす人がいる。

 そういう人は、相手をかえることによって、そのつど甘い陶酔感を楽しんでいるのかもしれな
い。

 ただここで注意しなければならないのは、このフェニルエチルアミンには、先にも書いたよう
に麻薬性があるということ。繰りかえせば繰りかえすほど、その効果は鈍麻し、ますますはげし
い刺激を求めるようになる。

 男と女の関係について言うなら、ますますはげしい恋愛をもとめて、さ迷い歩くということにも
なりかねない。あるいは、体がそれに慣れるまでの期間が、より短くなる。はじめての恋のとき
は、フェニルエチルアミン効果が、4年間、つづいたとしても、2度目の恋のときは、1年間。3
度目の恋のときは、数か月……というようになる。

 まあ、そんなわけで、恋愛は、ふつうは、若いときの一時期だけで、じゅうぶん。しかも、はげ
しければはげしいほど、よい。二度も、三度も、恋愛を経験する必要はない。回を重ねれ重ね
るほど、恋も色あせてくる。

が、中には、「死ぬまで恋を繰りかえしたい」と言う人もいるが、そういう人は、このフェニルエチ
ルアミン中毒にかかっている人とも考えられる。あるいはフェニルエチルアミンという麻薬様の
物質の虜(とりこ)になっているだけ。

 このことを私のワイフに説明すると、ワイフは、こう言った。

 「私なんか、半年くらいで、フェニルエチルアミン効果は消えたわ」と。私はそれを横で聞きな
がら、「フ〜ン、そんなものか」と思った。さて、みなさんは、どうか?
(はやし浩司 恋愛 恋愛の寿命 フェニルエチルアミン ドーパミン効果 麻薬性)


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

(追記)

●恋愛の寿命(2)

 少し前、「恋愛の寿命」について、書きました。

 おもしろいですね。あのウキウキした気分さえも、実は、脳ミソの中で、ある物質によって作ら
れた感情だったとは!

 その物質が、フェニルエチルアミン。脳ミソの中のどこかで、スイッチ・オンになると、このフェ
ニルエチルアミンが、どっと分泌されて、脳ミソ全体が、甘〜イ陶酔感に満たされるというので
す。

 ふつうだと、そういう物質が分泌されると、同時に、それを打ち消す物質も分泌されるのだそ
うですが、このフェニルエチルアミンに関しては、それがないそうです。

 ですから、陶酔感は、しばらくはつづきます。が、いつまでもつつくわけではない。脳ミソのほ
うが、やがてそれに慣れてしまうというわけです。その期間は、3年から4年。

 つまりですね、どんな熱烈な恋愛でも、長くても、4年くらいで、冷めてしまうということです。ガ
ッカリ!

 だから若い人たちにあえてアドバイスするなら、恋愛したら、甘い陶酔感が残っているうち
に、はやめに結婚しなさいということ。3年も、4年も、ほっておいたら、熱も冷めてしまうという
こと。

 (そう言えば、長い恋愛期間をおきすぎたため、結婚しないで終わってしまったというカップル
は、多いようですね。)

 しかもですね、ここが重要ですが、最初の1回目が、とくに重要だということです。フェニルエ
チルアミンの効果は、最初のときが絶大だということです。2回目、3回目となると、今度は、免
疫性ができてしまい、効果も薄くなってしまうということ。それに長つづきしない。

 日本を代表する歌手の中にも、そういう女性がいましたね。数年おきに結婚、離婚を繰りか
えしながら、その周期がだんだんと早くなっていった人です。

 きっとフェニルエチルアミンによる陶酔感が忘れられず、それに溺れてしまったのではないで
しょうか。つまりは、フェニルエチルアミンという麻薬の中毒患者!……というわけです。

 いえ、私も、ときどき、電車の中などで、すてきな女性を見かけたりすると、このフェニルエチ
ルアミン効果を感ずることがあります。

 しかし免疫性のほうも、しっかりとできているため、長つづきしない。瞬間だけ、ほんの瞬間だ
け、恋のときめきを感じて、そのまま忘れてしまう。人間も、歳をとると、だんだんと、そうなるも
のなのでしょうか。

 ここ数日は、とくに、この問題について、考えています。おもしろい問題だと思います。





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●谷底の下の谷底

 子どもの成績がさがったりすると、たいていの親は、「さがった」ことだけをみて、そこを問題
にする。その谷底が、最後の谷底と思う。しかし実際には、その谷底の下には、さらに別の谷
底がある。そしてその下には、さらに別の谷底がある。

こわいのは、子育ての悪循環。一度その悪循環の輪の中に入ると、「まだ以前のほうがよかっ
た」ということを繰り返しながら、つぎつぎと谷底へ落ち、最後はそれこそ奈落の底へと落ちて
いく。

 ひとつの典型的なケースを考えてみる。

 わりとできのよい子どもがいる。学校でも先生の評価は高い。家でも、よい子といったふう。
問題はない。成績も悪くないし、宿題もきちんとしている。が、受験が近づいてきた。そこで親
は進学塾へ入れ、あれこれ指導を始めた。

 最初のころは、子どももその期待にこたえ、そこそこの成果を示す。親はそれに気をよくし
て、ますます子どもに勉強を強いるようになる。「うちの子はやればできるはず」という、信仰に
近い期待が、親を狂わす。が、あるところまでくると、限界へくる。

このころになると、親のほうが自分でブレーキをかけることができない。何とかB中学へ入れそ
うだとわかると、「せめてA中学へ。あわよくばS中学へ」と思う。しかしこうした無理が、子ども
のリズムを狂わす。

 そのリズムが崩れると、子どもにしても勉強が手につかなくなる。いわゆる「空回り」が始ま
る。フリ勉(いかにも勉強していますというフリだけがうまくなる)、ダラ勉(ダラダラと時間ばかり
つぶす)、ムダ勉(やらなくてもよいような勉強ばかりする)、時間ツブシ(たった数問を、一時間
かけてする。マンガを隠れて読む)などがうまくなる。

一度、こういう症状を示したら、親は子どもの指導から手を引いたほうがよいが、親にはそれ
がわからない。子どもを叱ったり、説教したりする。が、それが子どもをつぎの谷底へつき落と
す。

 子どもは慢性的な抑うつ感から、神経症によるいろいろな症状を示す。腹痛、頭痛、脚痛、
朝寝坊などなど。神経症には定型がない※。が、親はそれを「気のせい」「わがまま」と決めつ
けてしまう。あるいは「この時期だけの一過性のもの」と誤解する。「受験さえ終われば、すべて
解決する」と。

 子どもはときには涙をこぼしながら、親に従う。選別されるという恐怖もある。将来に対する
不安もある。そうした思いが、子どもの心をますますふさぐ。そしてその抑うつ感が頂点に達し
たとき、それはある日突然やってくるが、それが爆発する。不登校だけではない。バーントアウ
ト、家庭内暴力、非行などなど。

親は「このままでは進学競争に遅れてしまう」と嘆くが、その程度ですめばまだよいほうだ。そ
の下にある谷底、さらにその下にある谷底を知らない。

 今、成人になってから、精神を病む子どもは、たいへん多い。一説によると、二〇人に一人と
も、あるいはそれ以上とも言われている。回避性障害(人に会うのを避ける)や摂食障害(過食
症や拒食症)などになる子どもも含めると、もっと多い。子どもがそうなる原因の第一は、家庭
にある。

が、親というのは身勝手なもの。この段階になっても、自分に原因があると認める親はまず、
いない。「中学時代のいじめが原因だ」「先生の指導が悪かった」などと、自分以外に原因を求
め、その責任を追及する。もちろんそういうケースもないわけではないが、しかし仮にそうでは
あっても、もし家庭が「心を休め、心をいやし、たがいに慰めあう」という機能を果たしているな
ら、ほとんどの問題は、深刻な結果を招く前に、その家庭の中で解決するはずである。

 大切なことは、谷底という崖っぷちで、必死で身を支えている子どもを、つぎの谷底へ落とさ
ないこと。子育てをしていて、こうした悪循環を心のどこかで感じたら、「今の状態をより悪くしな
いことだけ」を考えて、一年単位で様子をみる。あせって何かをすればするほど、逆効果。(だ
から悪循環というが……。)『親のあせり、百害あって一利なし』と覚えておくとよい。つぎの谷
底へ落とさないことだけを考えて、対処する。
(はやし浩司 子供の成績 学力 やる気のない子ども 悪循環)


(補記)

●メリル・ストリープの「誤診」

 メリル・ストリープ主演の、「誤診」(原題「First Do No Harm」)を見る。1997年の作品
である。

 内容は、つぎのようなもの。

 メリル・ストリープが演ずる母親の子ども(幼児)が、ある日、突然、幼稚園で倒れる。診断名
は、「てんかん」。

 以後、その子どもに対して、さまざまな薬物治療が試みられる。まだ承認されていない実験
薬も使われる。しかし症状は、はげしい副作用も加わり、日ましに悪化するばかり。

 そこでその母親は、毎日図書館へ通い、独学で勉強。そこで食事療法があることを知る。そ
して母親は、入院先の病院の反対を押し切って、ケトン食療法を実施しているジョンズ・ホプキ
ンス大学の小児神経医大学へ。

 ケトン食事療法では、最初の2日間、その症状のある子どもは、断食をする。その2日間だ
けで、子どもの症状は、改善のきざしを見せる。

 やがて3か月、3年とすぎて、子どもは、何ごともなかったかのように、「てんかん」から、解放
される。ただし映画の中でも説明されているように、ケトン食事療法は、万能ではないらしい。

てんかんのケトン食療法は約3分の1の症例で著効するといわれているが、「しっかりとしたコ
ントロールド・スタディによる医学的エビデンス(証拠)がない」(医学書院HP)ということで、てん
かん治療の主流とはなっていない。

 私は、この映画を見ながら、ふとこう思った。

 アメリカへ行ったことがある人なら、みな、知っていると思うが、アメリカ人の食べる食べ物
は、超の上に超がつくほど、甘い。彼らがつくるケーキにしても、私たち日本人にしてみれば、
一切れを食べるのが、やっと。その一切れでも、たいへん。それくらい、甘い。

 そういう甘い食品を、彼らは、パクパクと平気で食べる。日本流に考えるなら、そんなものを
日常的に食べていて、脳ミソによい影響を与えるはずがない。インスリンの過剰分泌は、低血
糖を招き、同時にセロトニンの過剰分泌をうながす。

 アメリカ国内においてでさえ、甘味食品の過剰摂取による、子どもの過剰行動性が問題にな
っている。その過剰行動性が、ときに、てんかんに似た症状を示すこともあるのではないか
(?)。

 映画の中でも、脳波やCTスキャンで、子どもの脳を調べるシーンが、ある。しかしどこにも異
常がない。(異常が見つからない。)私が知るかぎり、てんかんは、脳の機質障害によるものだ
から、脳波検査で、それがわかるはず。本当に、てんかんなら……。

 日本語名のタイトルが、「誤診」になっている。つまり、てんかんという診断名は、誤診だった
ということになるのか?

 映画を見終わったあと、私は、ワイフにこう言った。「あの子は、もともと、てんかんではなか
ったのかもしれないよ。極端な過剰行動性から、てんかんに似た症状を引き起こしただけかも
しれないよ」と。

 もちろんこれは私の、きわめて個人的な意見にすぎない。憶測である。ただその映画を見な
がら、同時に、私は、あの超甘い、アメリカ人たちが好んで食べる食品を、頭の中に思い浮か
べていた。

 映画としては、★3個。よい映画だった。
(はやし浩司 メリル・ストリープ 誤診 てんかん 過剰行動性 過剰行動児)






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●乱暴な子ども

【Cより、はやし浩司へ……】

初めてメールさせていただきます。

小学3年生と、1年生の娘がいます。

3年生の息子が学校で暴力をふるっていると、先生から呼び出しを受けました。連絡帳に1ペ
ージびっしりと先生からの言葉が書いてありました。私の心に響き、どうしたら良いかわからな
くなってしまいました。

女の子にパンチをしたりキックをしたりしたようです。それで女の子が泣くようなことはなかった
と連絡帳には書いてありましたが、女の子のお父様が、とにかく激怒されていたようです。私た
ち両親に土下座をしろとおっしゃったようです。

その怒りの話を担任の先生から聞き、私はショックを受けました。相手の方の強い要望で「今
後絶対に手を出させない、とにかく暴力やめさせる。」書かれていました。

子供に今日いって直ぐに直せるくらいなら、もうとっくに直っています。学校の中は私の目が届
かない場所なので相手の方に絶対に・・といわれた事で、私は子供を学校に行かせることが怖
くなり、3日間お休みをさせてしまいました。

息子は私たちに怒られることを怖がって、正直に本当の話ができないとも言われました。
子供に対して手を挙げたりすることもありましたが、でもそれが学校側には虐待をしているよう
にとられたようです。

私自身、そんなに子供が恐怖を覚える叱り方した覚えがないのですが、先生に注意を受け、
今は反省しています。

私の育て方に問題があったといわれ、恥ずかしい話ですが、ショックを受けながらも、自分の
感情を抑えきれずに、息子にあたってしまいました。すごく傷つく言葉を息子に言ってしまいま
した。まさか私の育てた子供がこんなことをするなんてと、信じられない気持ちと、信じたくない
気持ちとで、私は混乱しました。

直ぐに腕力に訴えてしまう子供にはその背景があるので・・・と言われました。

3日間子供とよく話し合い、学校に送り出しました。
毎朝、不安の中で子供を見送ります。

小学校受験をしてやっと入った学校ですが、一学年一クラスしかないため、一度「悪い」という
レッテルを貼られてしまうと6年間そのままです。

私はこの学校に子供が入学してからというもの、ずっと、とにかく母親たちの目を気にして生活
してきたように思います。

少しのことで噂になり、子供同士で喧嘩をしても、学校ですでに仲直りをしていることでも、親が
出てきては噂話をする。

運の悪いことに、その女の子の弟君が私の下の娘と同級です。

学級懇談会やレクリエーションにも参加し、辛くなってしまいました。

先生の手紙を読み返し、自分の子供に非があることは認めるのですが、全部が手紙のとおり
ではなく、息子がカッとなって手を出すまでにはいろいろな状況があったのだと私は思いたいで
す。

子供のことを信じたくても信じる事ができなくなっている私がいます。

「先生に言ったら殺す」というような脅しをかけていため、ずっと我慢してきたと相手の女の子は
ご両親にも話せずにいたということも書かれていました。でも息子に聞いても、「殺すなんて事
はいっていない」と言い切ります。

息子を信じたい。反論したい。でも。

もう2週間が過ぎようとしています。心が晴れないまま、時間だけが過ぎていきます。
子供を叱るときに手を上げたりしたから、それが原因でこんなことになってしまったのでしょう
か?

だとしたら、私の責任です。甘やかしすぎたことも原因かも・・・未だに一緒に寝てほしいと、甘
えた声で話してくることもあります。「抱っこして」と私のひざに乗ってくることもあります。

「おっぱい頂戴」といってシャツの中に顔を入れてきたりもします。学校や少年野球の時に見せ
る顔とは別人のようです。ぎゅっと抱き締めて「どうか、この子の好いところがみんなにわかっ
てもらえますように。うまくお友達と関わっていけますように。付き合い方が、自己表現が下手
なのだ」と私は祈ります。

でも言われたくないあだ名で呼ばれると、学校でも押さえが利かずカッとなってしまう、と本人は
言います。

家でも自分の思い通りにいかないと、イライラしてカッとなることはあります。
長々と書いてすみません。

++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

【はやし浩司から、Cさんへ……】

 こうした問題では、一番、重要なポイントは、「逃げないこと」です。

 キーパーソンは、言うまでもなく、学校の先生と、相手の女の子の両親です。あなたのお子さ
んのことで、心配になったり、不安になったら、すぐ、学校へ、行きなさい。そして5分でもよいで
すから、時間をつくってもらい、お子さんの様子を聞きなさい。

 家の中で悶々としていると、妄想がふくらんでしまいます。そして一度、その妄想にとりつかれ
ると、自分が何をどうすべきかが、わからなくなってしまいます。

 つぎに、勇気を出して、相手の女の子の家に行きなさい。『負けるが勝ち』と心得て、頭をさげ
て、ていねいに、会うのです。「うちの子は、できが悪くてすみません……(本当は、そうでない
と思っていても、です)」と。

 つまり苦情を、直接、あなた自身に言ってもらえるような、雰囲気をつくっておきます。決し
て、ひとりで、悩まないこと。そしてあなたのお子さんに対してだけ、攻撃の矛先を向けないこと
です。

 勇気を出して、こう電話をしてみてください。

 「ご迷惑をおかけしているようで、反省しています。息子には、いろいろ話して聞かせています
が、不安です。ですから、一度、お話をよくおうかがいして、できることがあれば、しますので、
どうか、教えてください」と。

 コツは、あなたのお子さんのことで、弁解したり、かばったり、反論したりしないこと。よき聞き
役として、相手の両親の話に耳を傾け、「そのようにいたします」と、安心感を覚えてもらうこと
です。

 今のあなたにとっては、たいへんつらいことかもしれませんが、実は、そういう姿勢が、あなた
の人間味を、ぐん深くします。そしていつかこの時期を振りかえってみたとき、あなたという人
が、この時点から大きくなったことを知るでしょう。

 こうした山や谷は、子育てにはつきものです。今は、その渦中にいるからわからないかもしれ
ませんが、まさに日常茶飯事。学校の先生も、それほど、深刻には考えていないはずです。た
だ相手の女の子の両親は、ひょっとしたら、あなた以上に、何かと心配しているかもしれませ
ん。

 しかし小学3年生という時期は、少年少女期から、思春期へ向けて、たいへん心が動揺する
時期でもあります。ときに、幼児ぽくなってみせたり、反対に、おとなびてみせたり……と、で
す、

 コツは、「暖かい無視」と、「求めてきたときが与え時」。それに「ほどよい親」です。

 幼児のようにおっぱいを求めてきたら、静かに抱いてあげればよいでしょうし、手つなぎ、い
っしょの入浴、添い寝なども、してあげればよいでしょう。お子さんが求めてきたら、すかさず、
そうします。

 下の子が生まれてから、ずっと、心のどこかでさみしい思いをしてきたのかもしれません。そ
ういう欲求不満、嫉妬が、お子さんの心を、ややゆがめた可能性は、あります。ですから、妹へ
の何らかの憎しみ、嫉妬が、相手の女の子に向けられている可能性もあります。

 対処のし方としては、Cさんの対処のし方で、じゅうぶんです。満点をあげますよ。あなたはお
子さんを愛しながら、その中で懸命に、もがき、戦っています。その心は、すでに、お子さんにじ
ゅうぶんすぎるほど、伝わっているはずです。

 「自分の子どもが信じられない」という部分については、たとえそうであっても、あなたのお子
さんの前では、決して、そういう様子を見せてはいけません。「あなたはすばらしい子です」と、
自信たっぷりに、そう話しかけてあげてください。

 暴力的行為については、いろいろな欲求不満、ストレスなどが背景にあると考えてよいので
はないでしょうか。家の中では、思いっきり、羽を伸ばせるよう、家庭でのあり方を、ゆるめて
みてください。これからは、家庭は、心を休める場所と、心得てください。

 ぞんざいな態度や、言動があっても、「ああ、うちの子は、学校(=外の世界)でがんばってい
るから、家の中ではこうなのだ……」とです。教育心理学の世界では、この時期(小3前後)を、
問題にしないようですが、私は、一つの盲点ではないかと思います。

 子どもがちょうど、親離れを始める時期がこのころです。同時に、子どもたちの心理状態が、
たいへん不安定になるのも、事実です。しかしそれを問題にしている教育者は、私だけかな
(?)。

 お子さんのイライラ、カッとなることについては、まずしてみるべきことは、海産物中心の食生
活です。Ca、Mg、Kの豊富な食生活に改め、精製砂糖の含まれた甘い食品、リン酸食品を、
避けます。冷蔵庫や、食庫から、一掃します。アイス、ジュース類は、買わないように!

 骨身のある煮干などがよいのですが、錠剤で与えても構わないでしょう。それで、お子さんの
精神状態は、かなり落ちつくはずです。Caは、精神安定剤にもなります。(戦前までは、精神安
定剤として与えられていたようです。)

 あなたのお子さんは、すばらしいお子さんですよ。一番、近くにいるあなたがそう思っている
のですから、まちがいありません。こうしたトラブルは、先にも書いたように、よくあることです。
あとは、時間が解決してくれます。

 重要なことは、本当に重要なことは、親子の「糸」を切らないこと。子供の側からみて、「お母
さんは、いつも、ぼくを守ってくれる」という安心感だけは、決して、なくさないということです。

 家の中で悶々とするような状態になったら、すぐ、学校へ行きなさい。職員室へ行きなさい。
そして担任の先生にこう言いなさい。

 「心配でしたから、様子を見に来ました。いかがですか?」と。あなたがそう心を開く。開いて、
前に向って進む。心を開けば、行動は、あとからついてきます。

 それであなたの心は、軽くなるはずです。決して、ひとりで、悩まないこと。

 今は、たいへんかもしれませんが、私のように子育てが終わってしまった人間からみると、C
さんが、うらやましいです。そういう時期というのは、自分を忘れて、子供のために行動できま
す。

 私も3人の息子がいますが、うち1人は、よく、どこかの親に、怒鳴られました。不謹慎かもし
れませんが、Cさんの話を読んでいて、それを思い出しました。なつかしい思い出の一つです。
(はやし浩司 乱暴な子供 乱暴な子ども 学校でのトラブル 暴力事件)


【Cさんからの返事】

返信をありがとうございました。
読みながら涙がこぼれてきました。
おっしゃっていることが本当に良くわかります。
馬鹿になることが本当に難しく感じます。
でも一回馬鹿になってしまえばこんなに簡単なことと思えるのかもしれませんね。
子供よりも私が成長しなくてはいけないのかもしれません。
3日後に学級懇談会があるのですが欠席するつもりでしたが、
「逃げないで」私なりにがんばって行ってみます。
子供は十分がんばって学校へ行っているのだか、
私だってがんばらばきゃ。逃げちゃいけない!!そうですよね。
心がこんなに軽くなれたのは久しぶりです。
本心を言えたから先生の言葉がスッーと入ってきました。
自分で考えすぎて物事を重くしないように生活してみます。
またお便りさせていただきます。
ありがとうございました。







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●子どもの欲求不満

●上の子(娘)のあつかいについて

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上の娘に、手を焼いているお母さんから、相談のメール
が届いています。この問題について、少し、考えてみま
す。

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【福井県S市、NAより】

3歳10ヶ月(幼稚園年少)の娘と、7か月の息子がおります。

ここ数ヶ月、娘の反抗的、甘え、わがままな態度に困っています。下の子へのヤキモチか、幼
稚園のストレスか年齢的なものかと、あれこれ考えて悩んでます。

例えば食事の時、「食べさせて」と言うので、ご飯を食べさせようとしたら、「ご飯はイヤ、おかず
がいいの!」と怒る。着替えも「お母さんが選んで」と言うから、「どれでもいいのかと聞いた上
で選んでも、「それはイヤ、他のがいい」と、怒ったり泣いたりします。

先生のマガジンでよく言われているように、上の子を優先して、スキンシップを大切に思ってい
ますが、あまりの態度に、こちらのほうが辛抱できず、つい言葉を返したりしてしまいます。

親に相談したら「甘やかしすぎ、なんでも親の決めたことを聞かせるように育てないとダメ」と
か、「人間の子も犬の子も同じ、犬の子のしつけの本を読みなさい」と言われ、悲しくなりまし
た。

娘は親には反抗的なので、下の子の世話をしていたら、自分の事を先にやってほしい、と言い
ますが、下の子には乱暴なことをすることもなく、かわいがってくれています。

娘のいいなりのような生活に、むなしくなったり、腹が立ったりの毎日ですが、この先もこのまま
接していけばいいのか、厳しく接するべきなのかわかりません。自分でも情けない親だと思い
ます。

【デリケートな、心の問題】

 上のお子さん(姉)の底流にあるのは、嫉妬(しっと)です。下のお子さん(弟)が産まれてか
ら、そうなったと考えます。たとえて言うなら、ある日突然、あなたの夫が、愛人を連れてきて、
「今日から、いっしょに住むからな」と言って、その愛人と住み始めたようなものです。もしそうい
う状況になったら、あなたはどうするでしょうか。どう行動に出るでしょうか。

 こういうケースは、子どもの欲求不満に準じて、考えます。

●親の心を試す子ども

 子どもは、さまざまな方法を使って、親の自分への愛情を試します。つまり親の忍耐力を試
すわけです。その忍耐力をみながら、自分への愛情の深さをさぐります。

 ですから、このタイプの子どもは、ギリギリのところまではしますが、その一線を超えることは
ありません。(その点では、家庭内暴力に似ています。それ以上のことをしたら、家庭そのもの
が崩壊してしまうかもしれない。それを子ども自身が本能的な部分で察知して、その寸前のと
ころでやめます。)

 上の子どものわがままも、その範囲にあります。わがままを言いながら、どこに、その限界が
あるかを知ろうとしているわけです。

 対処の基本は、子どもの欲求不満に準じて考えます。

 それについて書いた記事を、添付しておきます。

+++++++++++++++++++++++

【子どもの欲求不満】

子どもが欲求不満になるとき

●欲求不満の三タイプ

 子どもは自分の欲求が満たされないと、欲求不満を起こす。この欲求不満に対する反応は、
ふつう、次の三つに分けて考える。

(1)攻撃・暴力タイプ

 欲求不満やストレスが、日常的にたまると、子どもは攻撃的になる。心はいつも緊張状態に
あり、ささいなことでカッとなって、暴れたり叫んだりする。

私が「このグラフは正確でないから、かきなおしてほしい」と話しかけただけで、ギャーと叫んで
私に飛びかかってきた小学生(小四男児)がいた。あるいは私が、「今日は元気?」と声をかけ
て肩をたたいた瞬間、「このヘンタイ野郎!」と私を足げりにした女の子(小五)もいた。

こうした攻撃性は、表に出るタイプ(喧嘩する、暴力を振るう、暴言を吐く)と、裏に隠れてするタ
イプ(弱い者をいじめる、動物を虐待する)に分けて考える。

(2)退行・依存タイプ
 
ぐずったり、赤ちゃんぽくなったり(退行性)、あるいは誰かに依存しようとする(依存性)。この
タイプの子どもは、理由もなくグズグズしたり、甘えたりする。母親がそれを叱れば叱るほど、
症状が悪化するのが特徴で、そのため親が子どもをもてあますケースが多い。
(3)固着・執着タイプ

 ある特定の「物」にこだわったり(固着性)、あるいはささいなことを気にして、悶々と悩んだり
する(執着性)。ある男の子(年長児)は、毛布の切れ端をいつも大切に持ち歩いていた。

最近多く見られるのが、おとなになりたがらない子どもたち。赤ちゃんがえりならぬ、幼児がえ
りを起こす。ある男の子(小五)は、幼児期に読んでいたマンガの本をボロボロになっても、ま
だ大切そうにカバンの中に入れていた。そこで私が、「これは何?」と声をかけると、その子ど
もはこう言った。「どうチェ、読んでは、ダメだというんでチョ。読んでは、ダメだというんでチョ」
と。

子どもの未来を日常的におどしたり、上の兄や姉のはげしい受験勉強を見て育ったりすると、
子どもは幼児がえりを起こしやすくなる。

 またある特定のものに依存するのは、心にたまった欲求不満をまぎらわすためにする行為と
考えるとわかりやすい。これを代償行為というが、よく知られている代償行為に、指しゃぶり、
爪かみ、髪いじりなどがある。別のところで何らかの快感を覚えることで、自分の欲求不満を
解消しようとする。

●欲求不満は愛情不足

 子どもがこうした欲求不満症状を示したら、まず親子の愛情問題を疑ってみる。子どもという
のは、親や家族の絶対的な愛情の中で、心をはぐくむ。ここでいう「絶対的」というのは、「疑い
をいだかない」という意味。

その愛情に「ゆらぎ」を感じたとき、子どもの心は不安定になる。ある子ども(小一男児)はそれ
までは両親の間で、川の字になって寝ていた。が、小学校に入ったということで、別の部屋で寝
るようになった。とたん、ここでいう欲求不満症状を示した。

その子どものケースでは、目つきが鋭くなるなどの、いわゆるツッパリ症状が出てきた。子ども
なりに、親の愛がどこかでゆらいだのを感じたのかもしれない。母親は「そんなことで……」と
言ったが、再び川の字になって寝るようになったら、症状はウソのように消えた。

●濃厚なスキンシップが有効

 一般的には、子どもの欲求不満には、スキンシップが、たいへん効果的である。ぐずったり、
わけのわからないことをネチネチと言いだしたら、思いきって子どもを抱いてみる。最初は抵抗
するような様子を見せるかもしれないが、やがて静かに落ちつく。あとはカルシウム分、マグネ
シウム分の多い食生活に心がける。

 なおスキンシップについてだが、日本人は、国際的な基準からしても、そのスキンシップその
ものの量が、たいへん少ない。欧米人のばあいは、親子でも日常的にベタベタしている。よく
「子どもを抱くと、子どもに抱きグセがつかないか?」と心配する人がいるが、日本人のばあ
い、その心配はまずない。

そのスキンシップには、不思議な力がある。魔法の力といってもよい。子どもの欲求不満症状
が見られたら、スキンシップを濃厚にしてみる。それでたいていの問題は解決する。
(はやし浩司 子どもの欲求不満 子供の欲求不満 スキンシップ カッとなる子供)

++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

【NAさんへ……】

 赤ちゃんがえりの一つと思われます。下の子どもが生まれたことにより、自分への愛情が半
減されたかのように感ずることが原因で、そうなります。

 タイプとしては、同情型、依存型、服従型などがありますが、下の子や親に対して、攻撃的に
出ることもあります。しかし親の前では、いい兄、いい姉を演ずることも少なくありません。

 こういうケースのばあい、表面的には、ものわかりのよい兄、姉に見えますので、つい油断し
ていると、NAさんのお子さんのような症状となって現れることがあります。

 「娘のいいなりになることが心配」ということですが、スキンシップを求めてきたときなどは、す
かさず、ぐいと抱いてあげるだけでも、お子さんの心は落ちつくはずですから、いとわないで、し
てあげてください。

 そのほかの、親の愛情を試すような行為については、(1)根気よく、こんこんと言って聞かせ
ながら、(2)あとは、暖かい無視を繰りかえします。決して短気になったり、その場の雰囲気だ
けで、それがすべてと判断してはいけません。そのつどお子さんの様子に振りまわされている
と、かえってお子さんのほうが、動揺してしまいます。

 子育てには、いつも、「一貫性」が大切です。その一貫性を、守ってください。

 ほかに赤ちゃんがえりの症状がひどいようであれば、一度、生活の基本をすべて、上の子ど
もにもどします。少しずつ、半年単位で、手を抜くようにして、今度は、下の子どものほうへ、分
け与えるようにしていきます。(下のお子さんには、少し、つらいことかもしれませんが……。)

 が、いただいたメールの範囲程度であれば、ここに書いた方法程度で、じゅうぶんではない
かと思います。症状は、5歳過ぎまでつづきますが、そのあとは、何ごともなかったかのように、
終わります。ご安心ください。
(はやし浩司 赤ちゃん返り 赤ちゃんがえり 子供の欲求不満 欲求不満 子どもの欲求不
満 上の子供の問題 上の子の問題 はやし浩司)





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●でき愛

 でき愛は、「愛」ではない。代償的愛という。自分の心のすき間を埋めるために、子どもを利
用する。それができ愛。つまりは、愛もどきの、愛。親が、いくたの山や野を越えて、その結果
として感ずる、(真の親の愛)とは、まったく異質のものである。

 しかし子どもをでき愛する親は、そのでき愛でもって、深い親の愛と誤解する。が、繰りかえ
すが、でき愛は、やはり、愛ではない。こんな話がある。

 以前、ある女性のことを、書いた。当時、その女性は、60歳くらい。その女性は、会う人ごと
に、いつも、こう言っていた。

 「息子は、横浜の女性に取られてしまいました」「親なんて、さみしいもんですわ」「子どもなん
て、育てるもんじゃ、ないですわ」と。

その息子が結婚して、横浜に住むようになったことを、その母親は、「取られた」という。私は、
当時、その感覚が理解できなくて、迷った。

 が、それからほぼ、20年あまり。その女性は、80歳くらいになっている。再び、私は、その女
性のうわさを聞いた。が、そのうわさが、すごい!

 その女性は、ことあるごとに、息子に向かって、「あんな女とは離婚しろ」と、つまりは、息子を
取りあって、この20年近く、ものすごい嫁・姑戦争を繰りかえしてきたというのだ。

 それだけではない。「息子を大学へやるのに、総額で、1500万円の学費がかかった。それ
を返せ」「それができなければ、今、住んでいるマンションを売り払って、金をつくれ」と、自分の
息子に迫っているというのである。

 その女性、つまりその母親の言い分はこうだ。

 「目に入れても痛くないほど、かわいがってやったのに、親の私を裏切って、ほかの女性と結
婚してしまった。この恩知らず」と。

 ほかに、その母親は、ことあるごとに、息子に請求書を送っているという。「父親の法事の費
用」「親類の香典」「家の改修費」などなど。息子がそれをしぶったりすると、「先祖を守るのは、
息子の義務! このバチ当り。地獄へ落ちるぞ」と、息子を罵倒しているという。

 たしかにその女性は、息子をでき愛したらしい。そういった話は、その周辺の人たちからも、
よく聞く。「あの母親は、あの子(息子)に、ベタベタでしたから」と。

 もうおわかりかと思う。その女性は、自分の息子をでき愛した。しかしそれは本来の、つまり
は、親としての深い愛に根ざした愛ではない。だからひとたびたがいの関係にヒビが入ると、こ
んどは、それが「嫉妬」、さらには、「恨み」に変る。その一例が、この母親ということになる。

 しかし、悲劇は、ここで終わらない。

 その80歳近くなった母親が、どこかのビルの玄関先で、転倒し、腰の骨を折ってしまった。
女性はたまたま通りかかった人たちによって、近くの病院へ運ばれた。で、そのまま入院。が、
しばらくすると、その母親の兄、つまり叔父から、息子のところに電話がかかってきた。

 ものすごい、怒鳴り声だったという。

 「貴様は、母親が入院したというのに、どうして病院へすぐかけつけないのだ! あれほどか
わいがってもらったのに、親の恩を忘れたのか!」と。

 その叔父も、その女性のでき愛ぶりを、かたわらで見ていたのだろう。しかしでき愛と、「愛」
の区別ができるほど、賢い人ではなかったようだ。息子は、その電話を受けて、あわてて病院
へかけつけたが、その女性(母親)は、ピンピンしていたという。

 息子は、私にこう言った。「母は、他人の前では、いつも弱々しい女性を演じています。多分、
叔父に、あれこれと泣き言を入れたのでしょう。それで叔父から、ああいう電話がかかってきた
のです」と。

 ……こういう例は、多い。本当に、多い。マガジンの読者の方たちからも、似たような話がよく
届く。おとなになりきれないおとなたち。老人になりきれない老人たち。「なりきれない」のではな
く、ある時点で、自分の進歩を止めてしまう。

 自分のカラにこもり、その中だけで、自分の世界を熟成させてしまう。もちろん他人の話など
には、耳を傾けない。本も、読まない。自分にとって、耳ざわりのよい話だけを聞き、それ以外
の話を、排斥する。そしてあとは、お決まりの悪循環。ますますがんこになっていく。

 そういう点では、思想も健康も、よく似ている。「維持する」という程度では、維持できない。常
に、新しい思想に触れ、それをどんどんと、自分の中に補充していかねばならない。

 それはたとえて言うなら、穴のあいたバケツのようなもの。上から水を入れなければ、バケツ
の中の水(つまり思想)は、どんどんと減っていく。だからその減っていく分以上の水を、上から
補充しなければならない。補充しなければ、やがてカラになる。

 しかも年をとればとるほど、バケツの穴は大きくなる。だから、よけい、がんばって、新しい水
(思想)を、注入していかねばならない。

 もし、それを怠ると、あなたも、私も、あのオジチャン、オバチャンたちのようになる。家の中
で、ただゴロゴロしているだけのオジチャン。見るのは、プロ野球中継だけ。電車の中で、ペチ
ャペチャと意味のないおしゃべりを、いつまでもつづけるオバチャン。するのは、たわいもない
世間話だけ、などなど。そういう見本は、あなたの周囲にも、いくらでもいる。(ちょっと失礼か
な?)

 ただよく、誤解されるが、人は、老人になって、がんこになるのではない。自分勝手でわがま
まになるのではない。

 もともと、その人は、がんこで、自分勝手で、わがままなのだ。が、若いころは、そういう自分
を、気力で、ごまかして生きることができる。しかし年をとると、その気力が薄れる。だから、そ
の中身が、外に、そのまま出てきてしまう。だから結果として、その老人が、がんこで、自分勝
手で、わがままになったように見える。

 言いかえると、その人の人格の完成度は、かなり早い時期に決まるということ。30歳より前。
しかし15歳より前ということはない。私の印象では、18〜20歳くらいまでに、ほぼその「形」
は、できあがるということ。この数字に、何かの裏づけがあるわけではない。私の経験から、そ
う思う。

 では、どうするか?

 重要なことは、自分の愚かさに、まず気がつくこと。すべては、ここから始まるが、それについ
ては、また別の機会に考えてみたい。
(はやし浩司 溺愛ママ 子どもを溺愛する親 でき愛 親のでき愛 嫁・姑戦争 嫁姑戦争 
確執 はやし浩司)







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●子どもの盗み(子供の盗み)

++++++++++++++++++++++

埼玉県S市のKGさんから、子どもの盗みについ
ての相談が入っています。

それについて、考えてみます。

++++++++++++++++++++++

はやし先生

ご無沙汰しております。
いつも情報たっぷり、ボリュームたっぷりなマガジンありがたく読ませていただいております。

先日の読者の方の「小3息子さんの同級生への暴力で」相談を読んでいて、そのままではない
ですが、「わかるナー、私にもあてはまるな。皆、子育てでは悩んでいるんだ」などと見知らぬ
方ですが、自分に置き換えていました。

私の中では、答えはもう出ているのですが、小2の長女のことで、昨日ショックなことがありまし
た。

最近、軽く嘘を言ったりするのが気になっていたので、そのつど細かく注意をしていました。

2週間前に、学校の売店で買う分のお金を持たせたところ、おつりが合わなくて詰めると、とう
とう最後には、

「欲しい鉛筆と消しゴムを買った」と、言って白状しました。

 昨日は、父親が不在の時に、主人の小銭入れから小銭をくすねていました。

私が、家に帰ると、主人に絞られている最中でした。そのときには、しおらしい様子を見せてい
ましたが、すぐに普段に戻って、変に私にこびるような態度をし、それが気になりました。

盗みをした後、こんこんと絞られたら、私だったらとても夕食も喉を通らないくらい、落ち込んで
しまうと思うのですが、"全然"ふつうなのです。

 はやし先生は、「悩んだら、自分の子供の頃を思い浮かべて下さい」とおっしゃいますが、場
合によっては、どうしても私とは違う性格の一面が浮かんでくるのです。

 私の、亡くなった兄は、私が保育園の年中か、年長のころ、兄は小学1、2年だったのです
が、同居の祖母の財布から小銭を取っていました。私がそのことを言うと、「けちなババアから
お金を盗っても、イケナイことではない」と言う様なことを言っていました。

幼いながらも、ショックでした。嘘もいやにあっさりと言ってのけていました。そういうことは、楽
しい思い出よりも、いやにはっきりとした記憶に残るものです。

 長女には兄のことは伏せて、ほんの小さい子供の頃に受けたショックの話をしました。そし
て、何十年たっても忘れないし、多分一生忘れないだろうということも話しました。

 人は、その人の良い所よりも、1度でも悪事をしたら、悪事の方が、いつまでも心に残るもの
だと思います。

小学2年生には、かなり重い話かとは思いましたが、何が何でも嘘と盗みは止めて欲しい一念
で話しました。

 はやし先生の経験豊かな、アドバイスを取り入れ、できるだけ肩の力を抜いた、楽しい子育
てを目指していました。 

学校の面談でも、不登校の友達に手紙を書いたり、勉強でおちこぼれのクラスメートを、助け
てあげたり、「精神面もだんだん、成長してきた」と、担任の先生に褒めてもらった直後だった
ので、私は、すごくがっくり・・・というところです。

盗みを癖にしてはいけないと思うのですが、今後どう接したらよいのか、何かアドバイスをいた
だければすごく嬉しいです。

まとまりの無い文章ですみません、お忙しいと思いますが、宜しくお願い致します。

++++++++++++++++++++

【KGさんへ……】

 お久しぶりですね。お元気ですか。ときどきR天の日記のほうを、お読みくださっていること
は、わかっていました。電話のナンバーディスプレイのように、プロバイダー名だけは、私のほ
うでも、わかるようになっています。

 「xxxx@kxxx.ne.jp」というアドレスを見るたびに、KGさんだと、思いながら、喜んでいま
す。ありがとうございます。

 で、アドバイスですが、子どもは、それぞれの世界で、それぞれちがった顔を見せます。大き
く分けて、三つの世界があります。(家庭)(学校)(友人)の三つの世界です。

 まずKGさんが、評価しなければならない面は、学校での、それです。

 「学校の面談でも、不登校の友達に手紙を書いたり、勉強でおちこぼれのクラスメートを、助
けてあげたり、『精神面もだんだん、成長してきた』と、担任の先生に褒めてもらった」ということ
ですね。

 すばらしいお子さんですよ! すばらしい! わかりますか? すばらしい、お子さんですよ!

 そのすばらしさとくらべたら、「盗み」など、何でもない。子どもの盗みは、いわば熱病のような
もの。経験していない子どもなど、いません。経験していない子どものほうが、はるかに少ない
ということです。(だからといって、盗みを、甘くみろとか、許せとか、いうことではありません。悪
いことは、悪いと、ていねいに説明してやります。)

 ただ、子どもの耳は、長いです。耳から入って、脳ミソに届くまでには、5年とか、10年はか
かります。理由があります。

 物欲を満たすと本能は、それほどまでに、大きく、執拗(しつよう)だということです。しかもお
金によって、一度、それを満たすという喜びを覚えてしまうと、それから抜け出るのは、容易な
ことではなりません。

 (そういう喜びを教えてしまったのは、実は、親なのですから、あまり子どもを、責めないこ
と! それとも、あなたは、子どもに小遣いを渡すとき、いつも、何らかの労役を条件にして渡
していましたか?)

 年の功というか、この種類の相談を、今まで、無数に受けてきました。

 印象に残っている子どもの話をします。

 X子さん(高校生)は、父親の預金通帳と印鑑を持ちだし、ときどき、10万円単位の小遣いを
使っていました。

 Y君(中学生)は、家の金庫を自分であけて、あとでわかるまで、数百万円も使っていました。

 とんでもない(できそこない)を想像するかもしれませんが、X子さんも、Y君も、学校では、想
像もつかないほどの優等生でした。X子さんは、今、女医をしていますし、Y君は、大手の建築
会社で、設計図を引いています。

 だから、一応、子どもを叱りながらも、盗みについては、おおげさに考えないこと。私も子ども
のころ、よく店の現金箱から、10円、20円と、盗んで使っていた覚えがあります。「悪いことを
している」という意識は、はっきりとありました。だからおとなになったとき、その罪の意識をぬぐ
うため、その何十倍、何百倍ものお金で、それを返しました。その「返す」という原動力となった
のは、あのとき感じた、「罪の意識」です。

 同じようなことが、私の息子の一人にも、ありました。本人の人権の問題もありますから、詳
しくは書けませんが、やはり、心のどこかに罪の意識があるのでしょう。今は、極貧中の極貧
の学生生活を、自ら、送りながら、それでいて、不平、不満ひとつこぼさないでがんばっていま
す。

 見るにみかねて、「もう少し、送金しようか」と言っても、いつも、答は、「NO」です。

 そんなわけで、重要なことは、あなたの子どもを信ずることです。最後の最後まで、信ずるこ
とです。繰りかえしますが、「盗み」など、子どもの熱病のようなもの。深刻に考える必要はあり
ません。妄想をふくらませて、先を心配する必要もありません。

 それがわかったとき、しつこく、しつこく、ただひたすら冷静に、説教をしてすませます。あと
は、お金の管理だけは、しっかりとします。

 いいですか、あなたのお子さんは、すばらしいお子さんですよ。たかが鉛筆と消しゴムでしょ
う。しかも勉強道具でしょう。おおげさに考えないこと!
 
 お金にルーズになれということでもないですが、子どもは、(いいかげんな部分)で、羽をのば
し、自分をのばします。もし、そういうことで怒りを感ずるようなら、子どもに大してではなく、政
治や社会に向けてください。

 今の今でも、談合を繰りかえして、国の税金をかすめとっているワルが、ゴマンといますよ。
そういう社会を一方で放置しておいて、子どもに向かって、「お金を盗んではいけません」と、ど
うして、私たちが言えるでしょうか。

 地球温暖化で、人類どころか、あらゆる生物が危機的な状況にあるのに、子どもに向かっ
て、「お金を盗んではいけません」と、どうして、私たちがいえるでしょうか。

 さらに、6か国協議の結果がどうなるかわかりませんが、へたをすれば、そのまま戦争です。
そんな状況をつくってしまった私たちが、子どもに向かって、「お金を盗んではいけません」と、
どうして、私たちがいえるでしょうか。

 ……つまりですね、私たちがおとなとして、戦う相手が違うということです。子どもの視点で見
れば、それがわかるはずです。

 矛盾だらけの世界をつくりながら、「何が、正義だ!」となるわけです。言いかえると、本当に
子どもに、正義を教えたいと思うなら、あなた自身が、もっと巨大な敵に向って、それと戦う姿
勢を示すことです。

 「談合、許せない! お母さんは、許せないから、これから、抗議の手紙を書く」と言って、手
紙を書けばよいのです。そういう姿を見て、子どもは、もっと大きな正義を学びます。と、同時
に、自分のした「盗み」のみじめさに、恥じるはずです。

 話が、大きくなってしまいましたが、あなたがお子さんにした指導で、じゅうぶんです。それ以
上、何もすることはないでしょう。またあなたのお嬢さんも、それでよくわかったはずです。

 あとは、あなたの子どもを信じなさい。だまされているとわかっていても、だまされたフリをして
いればよいのです。バカなフリをしていればよいのです。そうして一方で、子どもの自立を促し
ていきます。

 むしろ息も抜けないほどのギスギスの家庭のほうが、問題です。どこか、いいかげん。どこ
か、無責任。それでいて、どこか、ぬくもりのある家庭。それが子どもにとって、あるべき家庭と
いうことになります。

 随筆家のソローは、こう書きました。『ビロードのクッションより、カボチャの頭』と。それについ
て書いた原稿を、このあとに添付しておきます。参考にしてください。

 最後に、もう一言。あなたのお子さんは、すばらしいお子さんですよ!





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●帰宅拒否

●帰宅拒否をする子ども

 不登校ばかりが問題になり、また目立つが、ほぼそれと同じ割合で、帰宅拒否の子どもがふ
えている。S君(年中児)の母親がこんな相談をしてきた。「幼稚園で帰る時刻になると、うちの
子は、どこかへ行ってしまうのです。それで先生から電話がかかってきて、これからは迎えにき
てほしいと。どうしたらいいでしょうか」と。

 そこで先生に会って話を聞くと、「バスで帰ることになっているが、その時刻になると、園舎の
裏や炊事室の中など、そのつど、どこかへ隠れてしまうのです。そこで皆でさがすのですが、お
かげでバスの発車時刻が、毎日のように遅れてしまうのです」と。私はその話を聞いて、「帰宅
拒否」と判断した。原因はいろいろあるが、わかりやすく言えば、家庭が、家庭としての機能を
果たしていない……。まずそれを疑ってみる。

 子どもには三つの世界がある。「家庭」と「園や学校」。それに「友人との交遊世界」。幼児の
ばあいは、この三つ目の世界はまだ小さいが、「園や学校」の比重が大きくなるにつれて、当
然、家庭の役割も変わってくる。また変わらねばならない。子どもは外の世界で疲れた心や、
キズついた心を、家庭の中でいやすようになる。

つまり家庭が、「やすらぎの場」でなければならない。が、母親にはそれがわからない。S君の
母親も、いつもこう言っていた。「子どもが外の世界で恥をかかないように、私は家庭でのしつ
けを大切にしています」と。

 アメリカの諺に、『ビロードのクッションより、カボチャの頭』(随筆家・ソロー)というのがある。
つまり人というのは、ビロードのクッションの上にいるよりも、カボチャの頭の上に座ったほう
が、気が休まるということを言ったものだが、本来、家庭というのは、そのカボチャの頭のよう
でなくてはいけない。あなたがピリピリしていて、どうして子どもは気を休めることができるだろう
か。そこでこんな簡単なテスト法がある。

 あなたの子どもが、園や学校から帰ってきたら、どこでどう気を休めるかを観察してみてほし
い。もしあなたのいる前で、気を休めるようであれば、あなたと子どもは、きわめてよい人間関
係にある。しかし好んで、あなたのいないところで気を休めたり、あなたの姿を見ると、どこか
へ逃げていくようであれば、あなたと子どもは、かなり危険な状態にあると判断してよい。もう少
しひどくなると、ここでいう帰宅拒否、さらには家出、ということになるかもしれない。

 少し話が脱線したが、小学生にも、また中高校生にも、帰宅拒否はある。帰宅時間が不自然
に遅い。毎日のように寄り道や回り道をしてくる。あるいは外出や外泊が多いということであれ
ば、この帰宅拒否を疑ってみる。家が狭くていつも外に遊びに行くというケースもあるが、子ど
もは無意識のうちにも、いやなことを避けるための行動をする。帰宅拒否もその一つだが、「家
がいやだ」「おもしろくない」という思いが、回りまわって、帰宅拒否につながる。裏を返して言う
と、毎日、園や学校から、子どもが明るい声で、「ただいま!」と帰ってくるだけでも、あなたの
家庭はすばらしい家庭ということになる。
(はやし浩司 子供の帰宅拒否 帰宅拒否)
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