倉庫12
目次へ戻る メインHPへ

●ドラ息子症候群

●どうすれば、うちの子は、いい子になるの?

 「どうすれば、うちの子どもを、いい子にすることができるのか。それを一口で言ってくれ。私
は、そのとおりにするから」と言ってきた、強引な(?)父親がいた。「あんたの本を、何冊も読
む時間など、ない」と。私はしばらく間をおいて、こう言った。「使うことです。使って使って、使い
まくることです」と。

 そのとおり。子どもは使えば使うほど、よくなる。使うことで、子どもは生活力を身につける。
自立心を養う。それだけではない。忍耐力や、さらに根性も、そこから生まれる。この忍耐力や
根性が、やがて子どもを伸ばす原動力になる。

●一〇〇%スポイルされている日本の子ども?

 ところでこんなことを言ったアメリカ人の友人がいた。「日本の子どもたちは、一〇〇%、スポ
イルされている」と。わかりやすく言えば、「ドラ息子、ドラ娘だ」と言うのだ。

そこで私が、「君は、日本の子どものどんなところを見て、そう言うのか」と聞くと、彼は、こう教
えてくれた。「ときどきホームステイをさせてやるのだが、食事のあと、食器を洗わない。片づけ
ない。シャワーを浴びても、あわを洗い流さない。朝、起きても、ベッドをなおさない」などなど。
つまり、「日本の子どもは何もしない」と。反対に夏休みの間、アメリカでホームステイをしてき
た高校生が、こう言って驚いていた。「向こうでは、明らかにできそこないと思われるような高校
生ですら、家事だけはしっかりと手伝っている」と。ちなみにドラ息子の症状としては、次のよう
なものがある。

●ドラ息子症候群

(1)ものの考え方が自己中心的。自分のことはするが他人のことはしない。他人は自分を喜
ばせるためにいると考える。ゲームなどで負けたりすると、泣いたり怒ったりする。自分の思い
どおりにならないと、不機嫌になる。あるいは自分より先に行くものを許さない。いつも自分が
皆の中心にいないと、気がすまない。

(2)ものの考え方が退行的。約束やルールが守れない。目標を定めることができず、目標を
定めても、それを達成することができない。あれこれ理由をつけては、目標を放棄してしまう。
ほしいものにブレーキをかけることができない。生活習慣そのものがだらしなくなる。その場を
楽しめばそれでよいという考え方が強くなり、享楽的かつ消費的な行動が多くなる。

(3)ものの考え方が無責任。他人に対して無礼、無作法になる。依存心が強い割には、自分
勝手。わがままな割には、幼児性が残るなどのアンバランスさが目立つ。

(4)バランス感覚が消える。ものごとを静かに考えて、正しく判断し、その判断に従って行動す
ることができない、など。

●原因は家庭教育に

 こうした症状は、早い子どもで、年中児の中ごろ(四・五歳)前後で表れてくる。しかし一度こ
の時期にこういう症状が出てくると、それ以後、それをなおすのは容易ではない。ドラ息子、ド
ラ娘というのは、その子どもに問題があるというよりは、家庭のあり方そのものに原因がある
からである。また私のようなものがそれを指摘したりすると、家庭のあり方を反省する前に、叱
って子どもをなおそうとする。あるいは私に向かって、「内政干渉しないでほしい」とか言って、
それをはねのけてしまう。あるいは言い方をまちがえると、家庭騒動の原因をつくってしまう。

●子どもは使えば使うほどよい子に

 日本の親は、子どもを使わない。本当に使わない。「子どもに楽な思いをさせるのが、親の愛
だ」と誤解しているようなところがある。だから子どもにも生活感がない。「水はどこからくるか」
と聞くと、年長児たちは「水道の蛇口」と答える。「ゴミはどうなるか」と聞くと、「どこかのおじさん
が捨ててくれる」と。

あるいは「お母さんが病気になると、どんなことで困りますか」と聞くと、「お父さんがいるから、
いい」と答えたりする。生活への耐性そのものがなくなることもある。友だちの家からタクシー
で、あわてて帰ってきた子ども(小六女児)がいた。話を聞くと、「トイレが汚れていて、そこで用
をたすことができなかったからだ」と。そういう子どもにしないためにも、子どもにはどんどん家
事を分担させる。子どもが二〜四歳のときが勝負で、それ以後になると、このしつけはできなく
なる。

●いやなことをする力、それが忍耐力

 で、その忍耐力。よく「うちの子はサッカーだと、一日中しています。そういう力を勉強に向け
てくれたらいいのですが……」と言う親がいる。しかしそういうのは忍耐力とは言わない。好き
なことをしているだけ。幼児にとって、忍耐力というのは、「いやなことをする力」のことをいう。
たとえば台所の生ゴミを始末できる。寒い日に隣の家へ、回覧板を届けることができる。風呂
場の排水口にたまった毛玉を始末できる。そういうことができる力のことを、忍耐力という。

こんな子ども(年中女児)がいた。その子どもの家には、病気がちのおばあさんがいた。そのお
ばあさんのめんどうをみるのが、その女の子の役目だというのだ。その子どものお母さんは、
こう話してくれた。「おばあさんが口から食べ物を吐き出すと、娘がタオルで、口をぬぐってくれ
るのです」と。こういう子どもは、学習面でも伸びる。なぜか。

●学習面でも伸びる

 もともと勉強にはある種の苦痛がともなう。漢字を覚えるにしても、計算ドリルをするにして
も、大半の子どもにとっては、じっと座っていること自体が苦痛なのだ。その苦痛を乗り越える
力が、ここでいう忍耐力だからである。反対に、その力がないと、(いやだ)→(しない)→(でき
ない)→……の悪循環の中で、子どもは伸び悩む。

 ……こう書くと、決まって、こういう親が出てくる。「何をやらせればいいのですか」と。話を聞く
と、「掃除は、掃除機でものの一〇分もあればすんでしまう。買物といっても、食材は、食材屋
さんが毎日、届けてくれる。洗濯も今では全自動。料理のときも、キッチンの周囲でうろうろさ
れると、かえってじゃま。テレビでも見ていてくれたほうがいい」と。

●家庭の緊張感に巻き込む

 子どもを使うということは、家庭の緊張感に巻き込むことをいう。親が寝そべってテレビを見
ながら、「玄関の掃除をしなさい」は、ない。子どもを使うということは、親がキビキビと動き回
り、子どももそれに合わせて、すべきことをすることをいう。たとえば……。
 あなた(親)が重い買い物袋をさげて、家の近くまでやってきた。そしてそれをあなたの子ども
が見つけたとする。そのときさっと子どもが走ってきて、あなたを助ければ、それでよし。しかし
知らぬ顔で、自分のしたいことをしているようであれば、家庭教育のあり方をかなり反省したほ
うがよい。

やらせることがないのではない。その気になればいくらでもある。食事が終わったら、食器を台
所のシンクのところまで持ってこさせる。そこで洗わせる。フキンで拭かせる。さらに食器を食
器棚へしまわせる、など。

 子どもを使うということは、ここに書いたように、家庭の緊張感に巻き込むことをいう。たとえ
ば親が、何かのことで電話に出られないようなとき、子どものほうからサッと電話に出る。庭の
草むしりをしていたら、やはり子どものほうからサッと手伝いにくる。そういう雰囲気で包むこと
をいう。何をどれだけさせればよいという問題ではない。要はそういう子どもにすること。それ
が、「いい子にする条件」ということになる。

●バランスのある生活を大切に

 ついでに……。子どもをドラ息子、ドラ娘にしないためには、次の点に注意する。(1)生活感
のある生活に心がける。ふつうの寝起きをするだけでも、それにはある程度の苦労がともなう
ことをわからせる。あるいは子どもに「あなたが家事を手伝わなければ、家族のみんなが困る
のだ」という意識をもたせる。(2)質素な生活を旨とし、子ども中心の生活を改める。(3)忍耐
力をつけさせるため、家事の分担をさせる。(4)生活のルールを守らせる。(5)不自由である
ことが、生活の基本であることをわからせる。そしてここが重要だが、(6)バランスのある生活
に心がける。

 ここでいう「バランスのある生活」というのは、きびしさと甘さが、ほどよく調和した生活をいう。
ガミガミと子どもにきびしい反面、結局は子どもの言いなりになってしまうような甘い生活。ある
いは極端にきびしい父親と、極端に甘い母親が、それぞれ子どもの接し方でチグハグになって
いる生活は、子どもにとっては、決して好ましい環境とは言えない。チグハグになればなるほ
ど、子どもはバランス感覚をなくす。ものの考え方がかたよったり、極端になったりする。

子どもがドラ息子やドラ娘になればなったで、将来苦労するのは、結局は子ども自身。それを
忘れてはならない。





目次へ戻る メインHPへ

●ウソ

 ウソを日常的に、つく人がいる。何かにつけて、ウソをつく。しかしおかしなことだが、そういう
人には、ウソをついているという自覚がない。ウソをつくということが、その人の習慣になってし
まっている。

 例として、いくつか、架空の話で考えてみる。

 立ち話をしていると、Aさん(女性)がこう言った。

A「今度、義父を、養護老人ホームへ入れたの。でも見舞いに行くたびに、『帰りたい』と言うの
ね。で、私、こう言ってやったのよ。『おじいちゃんが、ちゃんと自分でトイレへ行けるようになっ
たら、先生に頼んで出してもらってやるから』と」と。

 もちろんAさんには、その気はない。ないばかりか、以前から、義父のことで、不平不満ばか
りを並べていた。義父が老人ホームへ入ったときも、「これで楽になった」と喜んでいた。

 今度は、Bさん(女性)。Bさんが、こう言った。

B「私は、息子(中3)には、SS高校へ入ってほしいと願っていますが、息子は、AA高校へ行き
たいと言っています。私から息子を説得することはできませんので、先生(=私)のほうから、う
まく言っていただけないでしょうか。先生が、反対していることを知れば、息子も納得すると思い
ます」と。

 さらにCさん(女性)も、こう言った。

C「うちの親戚の中にね、突然、やってきて、『今晩、泊めてくれ』と言ってくる人がいるのです
よ。私、いやになっちゃう。先日も、雨がザーザー降る日にやってきて、おかげで家の中は、ビ
ショビショ。でも、この話は、内緒よ。ここだけの話にしておいてね」と。

 日本人は、本当に、ウソが好き。うまい。本音と建て前を、うまく使いわける。「ウソも方便」
と、堂々と教えている宗教団体すら、ある。その代表的な手法を、いくつか紹介しよう。

(1)とぼける
(2)根回しをする
(3)ごまかす
(4)口裏をあわせる
(5)口止めをする

 先日、1人のオーストラリア人ドクターと、こんな議論をした。私が「オーストラリア人はウソを
嫌うが、ときとばあいによっては、ウソをつかなければならないときもあるだろう」と。

 するとそのドクターは、こう言った。「ウソはいけない。ウソにも、白いウソと黒いウソがある。
その人のためになるウソのことを、白いウソという。しかしそんなウソでも、ウソはいけない」と。

 あるいは、こんなことも言った。「オーストラリア人は、聞かれるまで、本当のことを言わない。
自分につごうの悪いことについては、だまっている」と。

 そこでたまたま、その人がドクターだったので、私は、こう聞いた。「では、診察の結果、その
人がガンだったら、どうする? 正直に言うのか?」と。

 するとその人は、こう言った。「ヒロシ、そういうときは、すべてを正直に話さなければならな
い。少しでもウソを言うと、あとで責任を追及される。がんだったら、がんだと、はっきり言う。そ
れがハウス・ドクターの義務でもある」と。彼は、そのハウス・ドクターをしていた。

 ウソをつくのは、その人の勝手だが、そういう人とわかると、信用をなくす。だから相手にウソ
を言うのも悪いことだが、それと同じくらい、ウソをついていることを、他人に話すのも、よくな
い。そういう話を他人の立場で聞くと、何がなんだか、さっぱりわけがわからなくなってしまう。
つまり、その人を、どう判断したらよいのか、わからなくなってしまう。

 「私にも、ウソを言っているかもしれない」と思ってしまう。

 だから、やはり、正直に生きるのがよい。ウソをつくくらいなら、だまっていればよい。Aさんに
ついても、義父が、「帰りたい」と言ったら、だまってやり過ごせばよい。Bさんについても、息子
に何も言えないなら、だまっていればよい。Cさんについては、「突然だと困るから、これからは
前もって連絡をしてください」と、正直に言えばよい。

 それでこわれる人間関係なら、もとからその程度の人間関係。気にすることはない。

 実も、私も、子どものころは、そのウソつきだった。ウソをウソと自覚しないまま、平気でウソ
をついていた。しかしその悪癖は、オーストラリアへ留学中に、ことごとく粉砕(ふんさい)され
た。あの国では、どんなささいなウソでも、それを口にしたら、おしまい。そういう苦い体験を、
いやというほどした。

 こんなことがあった。

 あるとき大学の構内を歩いていると、いつもの友人が、私に声をかけた。「食事をしない
か?」と。

 私はごく日本的に、ふと、「今、食べてきた」と言ってしまった。生まれ故郷のG県の田舎で
は、そういう会話をよくする。誘う相手も、本気で誘っているわけではない。だから誘われたほう
も、軽く、「食べてきましたから」と受け流す。

 が、その少しあと、私がほかの仲間たちとカフェで食事をしているところを、その友人に見つ
かってしまった。その友人が、激怒したことは、言うまでもない。

 で、今でも、その悪癖から完全に脱したわけではない。が、ウソはつかないように、注意して
いる。務めて、注意している。だから反対に、ウソをつく人がよくわかる。そういう人が、好きで
はない。好きではないというより、嫌い。

ウソをつく人を見ると、自分の邪悪な部分を見せつけられているように感じて、ぞっとする。だ
からウソや、ウソをつく人を、ことさら嫌うこともある。こういうのを、心理学でも「反動形成」とい
う。それはわかっているが、しかし嫌いなものは、嫌い。大嫌い。
(はやし浩司 ウソ 嘘 嘘も方便 嘘論 反動形成)

【付記】

 日本人のもつどくとくの(あいまいさ)を、最初に(?)指摘したのは、アメリカの文化人類学者
の、ルース・ベネディクトと言われている。彼女の著書の『菊と刀』は、アメリカ人にとっては、日
本を知るためのテキストになったほどである。

 つまり欧米人は、「善」と「悪」、「白」と「黒」という、相反する2つの対立概念をもとに、ものを
考える傾向が強い。これに対して、日本人は、そうした対立概念を求めるより、その中間あた
りで、ものごとをあいまいにしたまま過ごそうとする。

 よい例が、「和を以(も)って貴(とうと)しと為(な)す」と説いた、聖徳太子である(17条憲
法)。「ものごとは争わず、人と和するのが、何よりも大切」という意味である。

 わかりやすく言えば、ものごとは、ナーナーですますほうがよいということ。つまりそれがその
まま、日本人の生きザマの根幹になっている。だから正々堂々とものを言うよりは、適当なとこ
ろで、妥協しながら生きる。それが美徳とされる。

 しかしこんな生きザマを繰りかえしていたのでは、正義など、生まれない。よく「日本では正義
が育たない」と言われるが、その理由は、こんなところにもある。

++++++++++++++++++++++

ついでに3年ほど前に書いた原稿を添付します。

++++++++++++++++++++++

●とぼける、ほとぼりを冷ます

 日本人独特の「ごまかし法」に、(1)とぼける、(2)ほとぼりを冷ます、がある。

とぼけたり、ほとぼりを冷ますほうは、その人の勝手だが、とぼけられるほうや、ほとぼりを冷
まされるほうは、たまらない。ふつう、それで人間関係は終わる。ただ、自分自身も、日常的に
とぼけたり、ほとぼりを冷ましたりすることが多い人は、自分が他人にそうされても、それほど
気にならないらしい。そういうことはある。

 私の友人に、B氏という人がいる。昔からの仕事仲間である。これは、そのB氏から、私が直
接聞いた話である。

●クズのような山を、甥に売りつけた、叔父

 A氏(55歳)は、甥(おい)のB氏(30歳)に、100万円にもならない山林を、600万円で売り
つけた。それから25年たった今でも、山林価格の低下もあるが、その価値は、180万円程度
だという。B氏はこう言う。「25年前には、600万円で、家が建ちました。今、180万円では、
駐車場くらいしかできません」と。

 そこでB氏は、A氏に手紙を書いた。が、それについては、ナシのつぶて。手紙を無視する形
で、A氏はほとぼりを冷まそうとした。「時間がたてば、問題も解決するだろう」と。しかしA氏は
ともかくも、B氏のほうは、半年、1年とたつうちに、心を整理した。と、同時に、縁を切った。
が、こういう状態になったとき、つぎにA氏がとった方法は、とぼけるだった。A氏はこう言って
いるという。「山林なんてものは、値段があってないようなもの。あと100年もすれば、価値が
出てくる」と。(100年!)

 他人ならともかくも、親子や兄弟では、とぼける、ほとぼりを冷ますは、タブー。こんな例もあ
る。

●子どもが犠牲になって当然

 Cさん(60歳・女性)は、息子(27歳)から、そのつど、「かわりに貯金しておいてやる」と言っ
ては、お金を取りあげていた。2万円とか3万円とかいうような、少額ではない。盆や暮れに
は、20万円単位。ふだんでも、毎月のように、10万円単位で取りあげていた。

で、ある日、息子が、Cさんに、「貯金はいくらになった?」と聞くと、Cさんは、「そんなものはな
い」と。さらに「貯金通帳はあるのか?」と聞くと、「それもない」と。そこでさらに、「お金を渡した
はずだ」と息子が詰め寄ると、「私も年をとったからね」「そんなもの、もらった覚えはないなあ」
と。Cさんは、今、78歳。ボケたふりをながら、息子の追及をうまくかわしている。

 とぼける、ほとぼりを冷ますは、日本人独特の、つまりはものごとを、何でもあいまいにしてす
ますという、日本人独特の、問題解決の技法のひとつと言ってもよい。もちろん外国では通用
しない。「あいまい」というと、まだ聞こえはよい。しかしその中身は、「ごまかし」「だまし」「あざ
むき」。

とぼける、ほとぼりを冷ますを、日本人の美徳と考える人もいる。つまり、「これこそ、和をもっ
て貴(とうと)しとなすの真髄」と説く人もいる。が、これは美徳でも何でもない。

それでも……と、反論する人もいるかもしれないが、しかしここにも書いたように、親子の間で
は、タブー。ごまかさないから親子という。だまさないから親子という。あざむかないから親子と
いう。だから、親子の間では、とぼけたり、ほとぼりを冷ますようなことはしてはならない。

 親子は、たがいに、どこまでも正直に! それはよい親子関係を築くための、大鉄則と考え
てよい。





目次へ戻る メインHPへ

●幼稚園

掲示板のほうへ、こんな相談がありました。
みなさんにも共通する問題ではないかと思いますので、
ここで考えてみたいと思います。

相談の方は、最初、入園に際して、園のほうから、
「1クラスを2人の教員で指導する」という説明を
受けていたようです。

しかし実際、園へ入園してみると、2クラスを
3人で教えていたというのです。

それで「幼稚園に不信感をもってしまいました」
「どうしたらよいか」と。

(東京都、MHより)

+++++++++++++++++++++++++

【MHさんへ】

 長男、長女のときは、だれしも、子育てに不安になるものです。それはよく理解できます。

 で、こうした問題が起きたときの鉄則は、ただ一つ。『問題が起きたら、直接ぶつかる』です。
この相談の方のばあいは、直接、園に出向き、「話がちがうようだが……」と相談してみること
です。

 私のほうに相談をもらいましたが、私のような者に相談しても、問題は、何も解決しません。
ただし、最初からけんか腰ではいけません。園には園の方針や、経営状況もあります。「幼稚
園」というと、公的な機関と思われがちですが、実際には、個人経営による個人企業と考えた
ほうがよいです。

 しかも最近は少子化で、どこも園は、きびしい経営状況に置かれています。実際には、園児
が200人を切ると、幼稚園経営は、たいへんむずかしくなります。

 この相談の方のお子さんが通っている幼稚園については、事情はよくわかりませんが、ひょ
っとしたら、そうした内部事情があるかもしれません。さらに最近では、若い先生のばあい、職
業意識がないというか、何かあると、すぐやめてしまう先生が多いのも事実です。どこの幼稚園
でも、こうした先生の指導で、四苦八苦しています。

 で、話をもどしますが、教育は、教師と親の、相互の信頼関係で成りたちます。それがない
と、教育そのものが、崩壊します。決して、大げさなことを言っているのではありません。

 ですから、ここは、勇気を出して、幼稚園へ出向き、ご自身で、直接、園長と話をして、解決し
たらよいでしょう。率直に、「1クラス2人制で教えてもらえるという話でしたが、そうではないよう
です。何か、事情があるのでしょうか?」と。

 多少の衝突はあるかもしれませんが、こうした衝突を繰りかえしながら、互いの信頼関係が
築かれています。決して、恐れてはいけません。

 まずいのは、母親のほうが、内にこもってしまい、あれこれ気をもむことです。それが結局
は、不信感になり、さらには、子どもの教育に影響をもたらすようになります。一度、不信感が
芽生えると、園のすることに、ことごとく疑問をもつようになってしまうからです。

 親自身も幼稚園児、つまり子育てについては、「はじめの一歩」と心得て、すなおに、園に相
談してみればよいのです。以前、「心を開きなさい」と書いたのは、そういう意味です。

 で、まず、園や先生を信頼する。率直に言えば、この問題は、「裏切る」とか、「裏切られる」と
かいうような、大げさな問題ではありません。最初の子どもだと、どうしても親のほうが、神経質
になり、大げさに考える傾向が強くなります。

 しかしもしそれでも気になるようでしたら、同じ幼稚園に通っている、1,2歳、年上の子どもを
もつ親に相談してみることです。たいていその場で、問題は解決するはずです。

 これから先、この種の問題は、つぎからつぎへと起きてきます。ですから自分で、自分の鉄則
を決めておきます。

 その鉄則の一つが、『問題が起きたら、直接ぶつかる』ですよ。このばあいは、今日でもよい
ですから、園に電話をかけ、園長に直接会って、「こういう疑問をもっていますが……」と相談し
てみることです。きっと納得がいく回答をしてもらえると思います。

がんばってください。

(追伸)

私の印象では、今、あなたが感じている不安は、
恐らく、もっと根が深いと思われます。妊娠したとき、
あるいは結婚前後からつづいているのではありませんか?

さらにあるいは、あなた自身が、幼児期に何らかの
トラウマを負った可能性もあります。

子育てにまつわる問題は、そのあたりまで自分を
知らないと、解決できません。

一度、自分をしっかりと見つめなおしてみてはどうでしょうか。

HPから、「子育て相談フォーム」を経てメールをくだされば
直接返事を書きましょう。

不安なのは、あなただけではない。みんな、そうですよ。
だから元気を出して、まあ幼稚園に任せるところは任せて
あなたが主導権をもって、育児をすればよいのです。

あまり幼稚園を絶対視しないこと。

はやし浩司 

【MHより、はやし浩司へ】

そうなのです。結婚前、妊娠前、不安で不安でしょうが無かったです。
先生は人の心がよく分かるのですね。
先生を知ったのは、「こそだてのきくくけこ」の本を園長にすすめられて読んだのがきっかけで
す。 お子さんが海でおぼれそうになった話は、10年くらい前に読みましたが
時々、思い出しては生きてきました。
先生、お忙しいのに大変申し訳ありません。

++++++++++++++++++++++++はやし浩司

【MHより、はやし浩司へ】

林先生、掲示板で、ていねいに回答くださり、ありがとうございました。

私はどうしてこんなに、結婚、出産、子供の幼稚園など、怖いのかよく分かりません。なぜそう
なのか、自分で知りたいです。

先生、私は親には大切に育てられませんでした。現在は親と離れて暮らしています。だいぶ親
には、嫌なことは嫌!、と言えるようになり、あまり私の心の中では、ウエイトを占めなくなりまし
た。兄は精神病ですが、埼玉県のU市のほうで働いています。私は、兄にもかなり暴力をうけ
ました。

私の学力が低いです。理解力もありません。今でも簡単な足し算、お金の計算ができません。
また、道を説明してもらっても理解できません。集団でじゃんけんすると、順番が分からなくなる
こともあります。自分でも、軽度の遅れがあることがわかっています。

小学校一年の時、担任も、「養護学校へ行ったほうがいい・・」と話していたそうです。それなの
に、近所のスパルタ塾に入れられ、先生に叩かれたりして、怖かったです。母親の怪奇な行動
に怯えて、我慢の連続の人生だったと思います。

成績が悪く、いつも「馬鹿だ! ぐず!」とののしられ、育ちました。私の親は、いじめを受けて
いるのを知っていても、無関心な親でした。結婚してからも、「長男はだめだ! 次男と結婚し
て近くに住むように」と、若い時から言われてきました。

なかなか子供が授からなくて、母親が夫婦関係に口をはさんだのがきっかけで、距離をとるよ
うにしました。妊娠、出産、育児は夫婦二人だけで乗り越えてきました。手伝いは全くなしで、こ
こまでやってきました。 

引越しして最近やっと実父母と話せるようになりました。そんな感じです。仲のよい友達は、高
校の時の友人達です。一番心から話せます。大切な人たちです。

先生、 もしよかったらアドバイスして下さいよろしくお願いします。生意気にしゃりしゃりと生い
立ちを書いてすいません。H市から引越しして、もう3年になります。現在は高級住宅街が並ぶ
町で、アパート暮らしです。若い人が多く、おしゃれで金持ちが多く、適応できなくて、びびって
います。

こちらでは、なかのいいお母さん友達はいません
私はもっと田舎で、のんびり暮らしたかったです。

++++++++++++++++++++++++はやし浩司

【MHさんへ】

 発達心理学の世界では、あなたが感じているような不安感を、「基底不安」といいます。精神
医学のほうでは、「不安神経症」というかもしれません。乳幼児期に受けた、不適切な育児が、
あなたの心の中に、一つの大きな巣、つまり不安という巣をつくってしまったわけです。

 そのため、あなたは、いつも得体の知れない不安感を、覚えている。何をしても、どこにいて
も、です。おそらく、夜、見る夢も、悪夢の連続かもしれません。列車に乗り遅れる夢、迷子に
なる夢、危険なめにあう夢などなど。

 休みになっても、翌週からの仕事が心配になったり、夫といっしょにいても、「いつか捨てられ
るのではないか」と不安に思うこともあるかもしれません。とてもかわいそうな人だと思います。

 つまりあなたは、だれも信じられず、仮にあなたを信ずる人がいても、それを疑ってみてしま
う。孤独で、さみしがりやさんかもしれませんね。が、そのくせ、他人とのかかわりが苦手で、つ
きあっても、すぐ疲れを覚えてしまう……。

 しかし、あなたは、すでにそれに気がついている。実は、ここが重要です。あなたの過去に問
題があるのではなく、そういう過去があることに気がつかず、その過去に引きずりまわされるの
が問題です。自分に気がつかない人は、その過去に引きずりまわされてしまいます。が、あな
たは、それに気がついている!

 はっきり言いましょう。あなたは、「馬鹿」でも、「ぐず」でもありません。むしろ自分をしっかりと
見つめることができる賢明な女性です。馬鹿というのは、馬鹿なことをする人をいいます。あな
たのように、ここまで冷静に自分を見つめることができる人は、決して「馬鹿」ではありません。

 ですから、この際、こうした言葉(トラウマ)とは、はっきり決別しなさい。

 ただとても残念なことですが、こうした不安感は、薄められることはあっても、生涯にわたっ
て、つづくかもしれないということです。私がアドバイスしたくらいでは、なおらないということで
す。また精神安定剤などを服用したからといって、それでなおるというものでもないようです。

 そこで大切なことは、自分の中の、そういう自分と、じょうずにつきあうことです。逃げてもいけ
ないし、嫌ってもいけない。「私は、こういう人間なのだ」と居なおることです。というのも、あなた
がもっているような心のキズ(トラウマ)は、多かれ少なかれ、みな、もっているからです。

 いろいろ言われていますが、こと(子育て)に関しては、日本は、まだ発展途上国です。あな
たが経験した、「近所のスパルタ塾」も、その一例です。あらゆる段階で、メチャメチャな子育て
をしながら、それにすら、気がついていない。あなたも、その犠牲者の一人ということになるでし
ょうか。

 幸いなことに、あなたには、いくつかの救いの道があります。(1)すばらしい友人がいること。
(2)家族がいること。夫や子どもが、いること。とくに友人の方には、心を開くことができるとい
うことなので、場所と機会をもうけて、心の内を、ありったけ、語りあってみることです。

 つぎに夫や子どもということになります。「心を開く」ということは、ありのままの自分を、すなお
にさらけ出すということです。言いたいことを言い、したいことをする。そういう生き様をいいま
す。とくに重要なのは、あなたの両親への反発です。あなたは、「いやなことは、いやと言えるよ
うになった」と書いておられますが、それでいいと思います。親がもつ、家族としての重圧感に
よる苦しみ(これを「幻惑」といいますが)、これから、一日も早く、解放されることを望んでいま
す。

 無理をして、無理な親子関係をつづける必要はないということです。「クソッタレの、バカヤロ
ー」と、叫んでやることです。いい子ぶることはないですよ!

 で、私の30年来の友人も、あなたに似たような症状をもっています。その友人は男性です
が、一応、人前では、陽気です。しかしそれは、仮面のようなもの。自分の心を隠すために、そ
ういうふうに振舞っているのですね。

 で、その彼のばあい、心療内科で処方される精神安定剤は欠かせないと言って、笑っていま
す。知りあって30年もたった今でも、そうです。つまり彼は、そういう自分と、彼なりにうまくつき
あっているということです。

 心のキズとはいいますが、それは顔についたキズのようなもの。簡単には消えません。(そう
でない人は、「心など、もちよう」と、安易に考える傾向がありますが……。そんな簡単な問題で
はありません。それについては、もうおわかりかと思います。)

 では、どうするか?

 この問題は、真正面からぶつかっていきます。あなたの過去の暗い部分を、「悪魔」にみたて
て、それと戦っていきます。

 しかし悪魔というのは、たいへん気が小さい。あなたがその姿を見ただけで、悪魔のほうか
ら、あなたから退散していきます。だから何が悪魔なのかを、知ります。その正体を知ります…
…といっても、あなたは、すでにそのほとんどに気がつき始めている。

 実は、この点が、あなたのすばらしいところです。あなたの若さで、ここまで自分を冷静に見
ている人は、少ないですよ。先にも書いたように、ほとんどの人は、それが何であるかわからな
いまま、それに引きずりまわされているだけ。欲望の虜(とりこ)になっている人も、少なくありま
せん。

 言いかえると、あなたのような人ほど、他人には見えない真実が、そこに見えるということで
す。何が大切で、何が大切でないか、その真実が見えるということです。でね、その真実を見て
しまうと、反対に、あなたのまわりの人が、「馬鹿」に見えてきますから、これは楽しみにしてお
いてください。ついでに、まわりの人たちの生活も、気にならなくなりますよ。

 もう少しすると、たとえばお子さんが小学1、2年生くらいになると、あなたにも大きな自由が
やってきます。そのとき、もしできるなら、あなたが今までしたかったことを、思う存分、してみた
らどうでしょうか。あなたをとりまいているクサリを、とりはずして、思いっきり、はばたいてみる
のです。

 みんな、一つや二つは、十字架を背負って生きている。十字架を背負っていない人など、い
ない。あなたが背負っている十字架は、少し重いかもしれませんが、しかし、決して背負えない
十字架でもないですよ。すでに、あなたは堂々と、そうして生きているわけですから……。夫が
いて、子どもがいて、家庭がある。それに健康! すばらしいことです。ないものを嘆くより、あ
るものに喜びを感じましょう。そうそう、もうすぐクリスマスですから、「クリスマス・キャロル」とい
うビデオを見てみたら、どうでしょうか。

 子ども向けのビデオですが、私も、あれを見て、かなり考えさせられました。(もともと脳ミソの
構造が、単純なものですから……。おとなよりも、幼児とのほうが、波長が合うという、おかしな
人間です。)あなたも、きっと、何か得るものがあると思いますよ。

 これから秋です。すばらしい季節です。郊外へ出ると、美しい紅葉を目にします。でね、私も
そうですが、そういうのを見ると、心底、「生きていてよかった」と思います。

 あなたもそういう美しさに感動して、生きる喜びを、じゅうぶん、味わってみてください。どうせ
一度しかない人生でしょう。不安で、クヨクヨしているヒマがあったら、楽しまなければ損でしょ
う。だから楽しむのです。前向きに、ね。

 あとは、できれば、どうかマガジンを読んでみてください。折につけ、あなたの問題についても
書いていきたいと思っています。

 それから、あなたのメールの転載を許可してくださったことに感謝しています。たくさんの方か
ら相談をいただきますが、同時に、マガジン用の原稿も書かねばなりません。ですからあなた
のメールを、そのままマガジン用の原稿として、利用させていただくことになります。

 どうか、ご了解の上、お許しください。あなたが言われるように、あなたと絶対わからないよう
に、部分的に改変しておきました。何か、不都合な点があれば、お知らせください。改めます。








目次へ戻る メインHPへ

【好き論、嫌い論】

++++++++++++++++++

好き嫌いは、どうして決まるのでしょうか。
その好き嫌いについて、考えてみます。

が、それだけではありません。

しかしこの問題には、もう一つ、別の問題
が隠されています。それについても!

++++++++++++++++++

●自分の心を代弁してくれる本が好き

だれかの本を読んだとする。そのとき、自分のフィーリングに合った内容であれば、その本が
好きになる。ついで、その作家を好きになる。そうでなければ、そうでない。

 では、そのフィーリングとは何かといえば、自分の中に潜む、もう一人の自分、つまり影(シャ
ドウ)をいう。つまり意識的であるにせよ、無意識的であるにせよ、(無意識のばあいのほうが、
多いが)、自分が、思っていることを代弁してくれる内容の本であれば、好きになる。そうでなけ
れば、そうでない。

 それを決めるのが、影(シャドウ)ということになる。

●まず相手を、気持ちよくさせろ

 若いころ、G社の編集長をしていた、ST氏という人が、こんなことを私に教えてくれたことがあ
る。

 「ものを書くときは、まず、相手を気持ちよくする内容を書く。それが8割。自分の意見は、残
りの2割の半分、つまり1割。1割だけでも自分の意見が書ければ、喜べ」と。

 そこで私が、「残った1割には、何を書くのですか」と聞くと、こう教えてくれた。「こういう反対
意見もあると、逃げ道をつくっておけ」と。

 本を書くときも、そうだ。「お前は、バカだ、アホだ」というような内容の本は、売れない。読者
の立場でそれを考えてみればわかる。が、「あなたはすばらしい人だ。しかしこうすれば、もっと
すばらしい人になれる」という本なら、売れる。自分の意見を書くとしても、ほんの一部。10%
から20%。「まあ、私は、こう思いますが……」と。それでも、感謝しなければならない。何とい
っても、読んでくれる人がいるからこそ、「文章」は「文章」として生きる。

●自分の中のイヤな部分を嫌う

話がそれたが、これは文章の世界だけの話ではない。

 たとえば、あなたがだれかに会ったとする。そのとき、その人が好きになるかどうかは、あな
た自身の意識によるものというよりは、あなた自身がもっている、影(シャドウ)によって、決ま
る。

 たとえばあなたがAさんなら、Aさんに会ったとする。そのとき、あなたがAさんに、不快な印象
をもったとする。それはAさんに対して不快というより、あなた自身の中に潜む、不快な部分と
そのAさんが共鳴するからにほかならない。

 もっとわかりやすく言えば、自分の中にある、(いやな面)を、そのAさんを通して、見せつけら
る。だからAさんに対して、不快な印象をもつ。そしてそれが、往々にして、「嫌い」という感情に
発展する。

●表面からは想像もつかない絵を描いていたB君

 ほかにたとえば、こんな例もある。

 B君という子どもがいた。そのとき、小学3年生くらいではなかったか。B君は、おとなしく、従
順な子どもだった。しかし子どもらしいハツラツさがなかった。いつもその表情は、暗く、沈んで
いた。

 が、ある日、私は、そのB君のノートを見て、びっくりした。B君のノートには、血をタラタラと流
してもがき苦しむ人間の姿が、超リアルに描いてあったからである。ほかに首のない死体は、
がい骨など。

 こうした絵は、表面的なB君からは、想像もつかない絵だった。が、B君のシャドウが、そうし
た絵を描かせていると解釈すると、納得できる。抑圧された行き場のない、欲求不満が、その
シャドウに蓄積されていた。B君にとっては、そういう絵が、楽しいのだ。だからB君は、好んで
そういう絵ばかりを描いていた。

●ここからが、こわい

 こうして人間がもつ、「好き」「嫌い」のメカニズムは説明できるが、しかしここで話が終わるわ
けではない。

 自分の好きな人とつきあっていると、たがいに、(よい面)が相乗効果的に、伸びていく。たが
いに(よい面)を評価しあったり、励ましあったりするからである。

 しかし反対に、自分の嫌いな人とつきあっていると、その人を批判しながらも、やがてその人
の(邪悪な部分)と、自分の中の(邪悪な部分)が、これまた同じように相乗効果的に増幅され
てしまうことがある。これが、こわい。

 で、人は、意識的であるにせよ、無意識的であるにせよ、(無意識のばあいのほうが、多い
が)、その嫌いな人を、避けようとする。が、それが避けられないときがある。自分の肉親とか、
兄弟、親戚など。あるいは職場の人であることも多い。

 その相手に同調してしまえば、話は簡単なのだが、それができないとき、その人は、はげしく
葛藤することになる。が、この種の葛藤は、その人を、とことん、疲れさせる。そこでその人は、
やがてつぎの二つの道のうちのどれかを選択することになる。

 決別するか、受け入れるか。

●義母そっくりになった、嫁のある女性

 こんな例がある。

 ある女性(50歳くらい、当時)は、やや認知症になりかけた義母の世話をしていた。その義母
は、なくなった夫から、かなりの財産を相続していた。が、ここでいう邪悪な人だった。ウソを平
気でつく。その上、ケチで、自分勝手。その女性は、こう言っていた。

 「あの義母と暮らしていると、何がなんだか、さっぱりわけがわからなくなります。私の友人が
遊びにくると、『今日は忙しそうだから、私は、店屋物(てんやもの)を自分で注文して食べます
から、気にしないでね』と言う。そこでそのとおりにしていると、友人が帰って、夕食時になった
ころ、私にこう言って、イヤミを言うのです。『あ〜あ、今日は、まずい昼飯を食わされたわ』とで
す。義母とつきあっていると、もう、何を信じていいのか、わからなくなります」と。

 で、その女性は、そういう義母の世話をしながら、一方で他人にグチばかりこぼしていた。そ
してそういう生活を、義母がなくなるまで、10年近くもつづけた。

 で、今、その女性は、70歳を超え、介護までは必要ないが、立場が、その義母と同じになっ
た。しかし、である。近所の人たちは、その女性について、みな、こう言っている。

 「あの人は、ウソつきで、その上、ケチ。自分勝手な人だ」と。

 こういう例は多い。邪悪な人とつきあっているうちに、その邪悪な人の邪悪な部分を、そっくり
そのまま受けついでしまう。まるで乗り移ったかのように、である。こうした現象を、あのユング
は、シャドウ論を使って説明したが、そのシャドウが、こわい。

 実は、このシャドウが、親から子へと、世代伝播(でんぱ)することがある。「私は、あんな親と
はちがう」と思っている人ほど、あぶない。その親と同じ立場になったとき、同じようなことをす
るようになる。同じような親になる。

●では、どうするか?

 そこで一番よいのは、その人を邪悪と感じたら、その人と距離をおくこと。そしてその人をでき
るだけ客観的に見るようにする。中へ入りこんでしまうと、まずい。親子について言えば、でき
るだけ別居する。

 さらにその人を批判するだけでは、足りない。つまり批判しながらも、その批判を、自分の中
で、消化していかねばならない。

 たとえばその人が、ウソつきだと思ったら、自分は、ウソをつかないように心がける。

 たとえばその人が、ケチだと思ったら、自分は、他人に対して、寛大であるようにする。

 たとえばその人が、自分勝手だと思ったら、自分はいつも相手の立場でものを考えるように
する。

 こうして相手の邪悪な部分を、自分の中で消化していく。それをしないで、ただ批判するだけ
で終わってしまうと、やがてその人の邪悪な部分を、引きついでしまうことになる。
(はやし浩司 好き嫌いのメカニズム シャドウ シャドウ論 シャドウの伝播)







目次へ戻る メインHPへ

●子育ての3本柱

+++++++++++++

子育てで、ふと行きづまりを
感じたら、この3本柱を思い
だしてみてほしい。

+++++++++++++

 子育てには、3本の柱がある。(1)暖かい無視、(2)ほどよい親、(3)求めてきたときが、与
えどき。

(1)暖かい無視……暖かい無視の反対側にあるのが、過保護、過干渉、でき愛、過関心。こ
れらも一定の範囲内であれば、それほど大きな影響は、子どもに与えない。(しかし今度は、
受け取り側の問題もあるので、どの程度が、過保護であり、過干渉であるかを判断するのは、
むずかしい。)子どもの自立心を育てるためには、暖かい愛情で包みながら、無視すべきとこ
ろは、無視する。

(2)ほどよい親……要するに「やりすぎない」ということ。子育てをしていて避けなければならな
い主義に、3つある。スパルタ主義、放任主義、それに極端主義。「極端主義」というのは、い
わゆる偏(かたよ)った子育てをいう。朝から夜遅くまで、バットの素振り練習をさせるなど。「将
来、野球の選手にしたい」という気持ちはわからないでもないが、こうした極端主義は、子ども
の心のどこかに、ひずみを作る原因となりやすい。

(3)求めてきたときが、与えどき……愛情にせよ、助けにせよ、「求めてきたときが、与えどき」
と覚えておく。とくに愛情については、そのつど、ていねいに応じてやる。ぐいと抱くのが一般的
だが、抱っこ、手つなぎなども、これに含まれる。しばらく抱いてやると、子どものほうから離れ
ていく。大切なことは、子どもに、「いつも愛されている」という安心感を与えること。

 子どもに何か問題が起きると、たいていの親は、そのときを、最悪の状態と考えて対処しよう
とする。そして「そんなはずはない……」「まだ何とかなる……」「うちの子にかぎって……」と無
理をする。この無理が、子どもを、2番底から、さらには3番底へと、落してしまう。不登校にし
ても、引きこもりにしても、あるいは子どもの非行にしても、そうである。

 問題が起きたときこそ、「ここが子育て」と、腹に力を入れる。ジタバタすればするほど、「まだ
以前のほうが症状が軽かった」ということを繰りかえしながら、さらに症状は悪化し、そのまま
悪循環によって、底なしのドロ沼状態に陥る。

 「どうしたらいいの?」とパニック状態になったら、この3本柱を思い出してみてほしい。この3
本柱は、そういうときこそ、役にたつ。

+++++++++++++++++++


●暖かい無視

 子どもの心が病んだら、
 そっとしておいてやろう。
 なおそうと、思わないこと。
 何とかしようと、思わないこと。
 ひとり、静かにしておいてあげよう。
 ぼんやりとできる時間をふやしてやろう。

 そして、ここが大切だが、
 許して、忘れ、子どもの心を、
 やさしく包んであげよう。
 鉄則は、ただ一つ。
 今の状態を、
 より悪くしないことだけを考えながら、
 あとは、時間を待つ。
 一年でも、二年でも、三年でも……。
 励ましては、いけない。
 脅しても、いけない。
 ただただ、ひたすら待つ。
 暖かい無視をつづけながら……。

 あなたの子どもは、それで
 必ず、立ちなおる。
 今の状況は、
 必ず、笑い話になる。
 それを信じて、前だけを見て、
 あなたは、今、すべきことを、
 しっかりとする。

※「暖かい無視」……野生動物の保護団体の人たちが使い始めた言葉。JWCSワイルドライ
フ・カレッジ、〇二年度セミナーの中で、小原という人が、「野生動物と接するときは、暖かい無
視こそ、大切」「野生動物に対しては正しい知識と心構えを持った、暖かい気持ちでアプローチ
をしつつも無視して接することが大切」(HP)と説いている。
(はやし浩司 暖かい無視 子どもの心が病んだとき 子供の心が病んだ時)




目次へ戻る メインHPへ

【子どもの引きこもり】

+++++++++++++++++++

青年期に達した子どもの引きこもりに
ついて、相談があった。

それについて、考えてみたい。

+++++++++++++++++++

●引きこもりの平均年齢が、26・7歳

 「壮年化進み、35歳以上14%」と題して、中日新聞に、こんなショッキングな記事が載った。

 「自宅に長期間閉じこもり、社会参加しない(引きこもり)状態の人の平均年齢は26.7歳
で、約14%が35歳以上と、"壮年化"が進んでいることが28日、厚生労働省の実態調査で分
かった。4分の3が男性で、全体の5人に1人が家族に暴力を振るっていた。

 行政が援助を始めても中断したり音信不通になったりする人が目立つなど、立ち直りの困難
さを示しており、厚労省は対応に苦慮する相談機関向けに、本人と家族への具体的な支援の
在り方をまとめた指針をつくった。

 調査は3月、全国の精神保健福祉センターと保健所を対象に実施。全センターとほとんどの
保健所から回答があった。

 昨年1年間の電話相談の延べ件数と来所相談件数は合計約1万4000件で、集計方法は
違うものの、2000年11月に直前1年間を対象に実施した1回目の調査時の計約6100件よ
り大幅に増加した。

 来所相談のうち3293件を分析した結果、本人の性別は男性が76・4%と圧倒的に多かっ
た。年齢が上がるほど就労・就学が困難になるとされるが、相談時の平均年齢は26.7歳で3
5歳以上が14・2%。前回調査は「36歳以上8・6%」だった」(中日新聞・03年7月28日)と。

●心の緊張感

 心の緊張状態がうまく処理できないため、人とのかかわりを避ける子どもがふえている。この
タイプの子どもは、人前で、自分を安心して、さらけ出すことができない。そのためどこかで無
理をする。どこかで自分をつくる。だから人前に出たりすると、それだけで、神経疲労を起こし
やすい。

 親は、「なれていないだけです」と言うが、そんな簡単な問題ではない。また無理をすればす
るほど、症状はこじれる。それをチャート化したのが、つぎである。

(人に対して、心を開けない。心を許せない)

(人前で自分をさらけ出すことができない。人前に出ると、不安)

(いい子ぶる。仮面をかぶる。無理をする)

(神経疲労を起こしやすい。疲れやすい)

(人とのかかわりを避けようとする。あるいはその分だけ、心が荒れる)

(引きこもる)

 しかし本当の問題は、子どもが引きこもることではなく、この段階で、親のほうが狂乱し、症状
を悪化させてしまうこと。その前に、子どもをそういう状態に追いこんだのは親を中心とする家
庭環境なのだが、親には、そういう自覚すら、ない。そこに本当の問題がある。

●青年期の引きこもり

 精神科医のドクターにかかると、ほとんど、「うつ病」と診断される。たいていは、抗うつ薬が
処方される。症状に応じて、キメこまかい薬が処方されるが、しばらく服用していると、副作用
が現れることが多い。吐き気や異常な精神的感覚など。

 親は「早くなおそう」と考えるが、この病気は、数年単位の時間的経過を経て、症状が推移す
る。(半年や一年で、症状が軽減するなどということは、ありえない。)

 私が経験した何例(数年おきに一例前後)かの、青年期の引きこもりについて、共通した症
状には、つぎのようなものがある。(サンプルが少ないので、不正確。)

(1)害……人との接触を、避ける。人と接すると、極度の緊張状態になる。そのため引きこも
るが、きわめて特定の数人とは、交際できる。ふつう、親とは会話をしない。してもあいさつ程
度。

(2)の再現(退行)……引きこもりながら、子どものころ読んだマンガ本を読んだり、おもちゃで
遊んだりする。(これはやや回復期によく見られる。)回復期に向うと、幼児期に遊んだおもち
ゃから、少年期に遊んだおもちゃへと、少しずつ変化することがある。


(3)夜昼の逆転現象……夜中の間は、ずっと起きていて、明け方になると寝る。そして日中は
ひたすら、寝る。これは初期の段階によく見られる。睡眠サイクルが、毎日、三〇分〜一時間
程度、ずれていくのがわかる。

(4)行為障害……たいていは何らかの行為障害をともなう。異常な蒐集(しゅうしゅう)癖とか、
ものにこだわる、など。(これは前兆現象として現れること多く、そのまま引きこもり時期にもつ
づくことが多い。)万引き、盗みグセなど。非行に似た症状を示すこともある。


(5)キーワード……何かのキーワードにとくにするどく反応する。あるいは家族の中にキーパー
ソンがいて、その人との会話を嫌う。(これが原因で、はげしい暴力につながることが多い。)子
ども自身も自分の将来を悲観していることが多いので、「これからどうするの?」式の質問は、
しないほうがよい。

(6)生活習慣が乱れ、だらしなくなる……何日もフロに入らなかったりする。ときどき外出したと
きなど、あわてて掃除をする親がいるが、そういうことも避ける。徹底して「あ暖かい無視」を、
励行する。


(7)はげしい家庭内暴力をともなうことがある……これは家族が、説教したり、あるいは説得し
ようとしたときに起こることが多い。(ふつうの暴力ではない。それまで無気力でぼんやりしてい
た子どもが、豹変して、錯乱状態になって暴れたりする。)

こうした症状が、ここにも書いたように、数年単位で推移する。その間に、家族が無理をしたり
すれば、さらに症状は長引く。実のところ、本来なら、数年ですむ引きこもりが、五年、一〇年
とつづくのは、家族、とくに両親の不適切な対処の仕方が原因であることが多い。

●対処方法
 
 何よりも、「心の病気」という理解が重要。「気はもちよう」などと、安易に考えてはいけない。
そしてつぎの鉄則を守る。

(1)視……とにかく、徹底して、無視する。子どものやりたいように、させる。フロに入らなくて
も、部屋中がゴミだらけになっても、無視する。

(2)しない……回復期に向い始めると、その前に症状が一進一退を繰りかえすようになる。し
かしそのとき、決して、そういう表面的な症状にまどわされてはいけない。「去年はどうだった
か?」「二年前はどうだったか?」という視点で、症状をみる。比較する。


(3)説得、説教はまったくムダ……自己意識でどうにかなる問題ではない。だから子どもを説
教したり、説得してもムダ。かえって子どもを追いこむことになる。

(4)今の状態を守る……今の状態をより悪くしないことだけを考える。この病気には、二番底、
三番底がある。こじらせると、長引くだけではなく、さらにその下の底に落ちていく。

(5)この病気は、必ず、なおる。五年とか、ばあいによっては、一〇年とか、かかるが、必ずな
おる。それを信じて、子どもの自己回復力に任せる。ただし親が無理をして、症状をこじらせた
ときは、別。この病気は、子どもの病気といいながら、実は、なおすべきは、親のほうである。
そうした心構えをもって対処する。

以上が、私の経験からのアドバイスということになる。私は精神科ドクターとちがい、扱った症
例こそ少ないが、反対に濃密な、きわめて濃密な指導をしてきた。そういう経験からつぎのよう
なことが言える。

 全員、五〜一〇年後には、仕事を始めるようになったが、その子どもたちは、こう言ってい
る。「一番、よかったのは、家族が、自分を無視してくれることだった」と。親があれこれ気をつ
かのは、逆効果であるばかりでなく、こうした子どもたちには、心の負担となる。だから無視す
る。無視しながら、子どもの病気と同居するつもりで、それに早く、なれる。

●前兆症状
 
 しかしそれよりも大切なのは、前兆が現れた段階で、親がそれに気づき、手を引くべきところ
は、引くということ。

 が、ほとんどの親は、その前兆が現れても、それに気づかないばかりか、「わがまま」「子ども
の勝手」「まさか……」と、それを見逃してしまう。

 最近、経験したY君(二一歳)のケースでは、最初に、親の貯金から勝手にお金を引き出し、
意味のないガラクタを買い集めるという行為障害が現れた。Y君が、高校一年生のときのこと
だった。そのとき、親は、Y君をはげしく叱ったり、説教したりした。

 つまり何らかの行為障害、あるいは情緒不安症状が積み重なって、ここでいう引きこもりを起
こすと考えるとわかりやすい。もちろんそのまま症状が消えていくケースもあるが、たいていは
あっちへゴロゴロ、こっちへゴロゴロと、ころがっているうちに、症状は悪化する。

 さらに小学生や、中学生のころ、神経症による症状、情緒不安症状(心の緊張感がとれない
状態)があれば、あきらめるべきことは、さっとあきらめて、手を引く。進学問題で、子どもを追
いこむなどということは、してはならない。はっきり言えば、進学は、あきらめる。

 しかし現実には、これがむずかしい。だいたいにおいて、私のアドバイスなど、親は聞かな
い。結局は、行き着くところまで行く。そしてあとはお決まりの悪循環。この病気だけは、「まだ
以前のほうが、症状が軽かった」ということを繰りかえしながら、さらに症状が悪化する。

 とても残念なことだが、子どもの引きこもりの原因と責任は、すべて親と家庭環境にある。(そ
う言いきるのは危険なことだが、それくらい強く言ってもかまわないと思う。)それに気づくか気
づかないかは、親の問題意識の深さの問題ということになる。(だからといって、親を責めてい
るのではない。親とて、懸命に子育てをしてきた。それはわかる。)だから謙虚に反省すべきこ
とは反省する。またそういう姿勢があってはじめて、ここでいう「暖かい無視」が生まれる。

 さて、今、あなたの子どもは、あなたの前で、いい子ぶってはいないか? あなたの前で、言
いたいことを言い、したいことをしていれば、よし。態度もふてぶてしく、横柄ならよし。あなたの
いる前で、平気で心と体を休めているなら、よし。そうでないなら、家庭のあり方を、もう一度、
よく反省してみるとよい。
(はやし浩司 子供の引きこもり 青年期 引きこもり 引きこもる子供)




目次へ戻る メインHPへ

●武士の世界

++++++++++++++++++

武士道は、本当に、日本人の心の
柱なのでしょうか?

また、一方的に、武士道を、礼さん
してよいものなのでしょうか?

++++++++++++++++++

 このところ、「武士道」という言葉が、よく聞かれる。それはそれとして、私は構わないが、しか
しその武士道こそ、教育の柱とすべきという考え方が、ますます声高に叫ばれるようになってき
ている。しかし、武士道なるものを、それほどまでに美化してよいものか。

 武士というのは、今でいう、軍人のことをいう。わかりやすく言えば、「武士道」というのは、
「軍人魂」ということになる。戦(いくさ)あっての、武士。戦がなければ、ただのヒマ人。事実、江
戸時代には、武士ほど、ヒマな商売はなかったという。

 「日本史・おもしろBOOK」(主婦と生活社)の中に、こんなエピソードが紹介されている。

 女郎と、武士が、こんなやりとりをしている。(私が、口語に変換した。)

女郎「私や、いっそ、侍になりたいわあ」
侍 「そんなお世辞を言わなくてもいいよ」
女郎「おや、バカらしい。本当に侍になりたくてなりません」
侍 「なぜ」
女郎「ほら、侍はね、ありもしない戦(いくさ)を請けあって、給料とやらをもらっているのですか
ら」と。

 そしてこんな事実があったことを、紹介している。

 江戸時代の侍には、「三番勤め」という決まりのようなものがあった。よほどの要職にでも就
いていないかぎり、並の武士は、3日に1度勤務につけば、それでよかった。理由は、武士の
組織が、もともと軍役を前提としていたからである(以上、同書より)。

 「戦時は兵力が多いのにこしたことはないが、それをそのまま泰平の世になっても、抱え込ん
だため、ぼう大な余剰人員が生じてしまった。だから幕府には、一生涯無役のまま過ごし、『禄
のある浪人』と陰口をたたかれた、『小普請(こぶしん)』という無為徒食の集団も存在した」とあ
る。

 だったら、職業を変えればよいということになるが、江戸時代には、それができなかった。首
切り役人は、代々、首切り役人、年貢の取り立て役人は、代々、取り立て役人。

 別のところには、武士の収入についても書いてある。

●武士の収入

 武士の収入には、(1)家禄と、(2)役職手当の2つがあったが、ふつう武士の収入というとき
は、家禄をいった。

 その家禄は、代々の世襲制。代が変わっても、家禄は、何かの失敗でもしないかぎり、変わ
らなかった。(もちろん、家名をあげれば、家禄もあがった。)

 その家禄は、「石高(こくだか)」で、示された。

 たとえば、「3000石取りの武士」とか、など。

 「日本史、おもしろBOOK」は、つぎのように説明している。

「(何千石取りの武士といっても)、全部が本人の収入になったわけではない。四公六民とか、
五公五民とかいって、4割が侍の取り分、6割が農民の取り分となった」と。

 で、たとえば、現在へのお金に換算してみると、

 たとえば500石取りの武士のばあい、四公六民で計算してみると、武士の取り分は、500俵
(2万升)。現在、1升=570円(同書)だから、2万升というと、1140万円(年収)ということに
なる。

 500石取りといっても、結構な高給取りだったということになる。

 ちなみに、

「柳生一族の陰謀」の、柳生但馬(たじま)守宗矩(むねのり)……2億8500万円
「忠臣蔵」の大石内蔵助(おおいしくらのすけ)……3420万円
「遠山の金さん」の遠山左衛門尉(さえもんのじょう)景元……7100万円
「勝海舟」の勝海舟(軍艦奉行)……2280万円
「必殺仕置人」の中村主水(なかむらもんど)……68万円、だそうだ(以上、同書より)。

 この中で、中村主水は、架空の人物。

 「まあ、こんなものだったのかなあ」というのが、私の印象。 

 大切なことは、私たちの祖先の大半は、農民もしくは、町民であったということ。そういう事実
を忘れて、今のこの時代に武士道なるものを、一方的に礼さんするのも、どうかと思う。






目次へ戻る メインHPへ

●平和論(もしも……)

++++++++++++++++++++++

もしも、K国が、核武装して、日本を攻撃してきたら、
そのとき、日本は、どうすべきか?

反撃すべきか。それとも、防衛に徹し、領海内や領土
内での戦争に徹すべきか。

通常兵器ではなく、東京が、その核兵器で、攻撃され
たら、どうすべきか?

もしも……。

++++++++++++++++++++++

 今、「平和」の意味が、改めて、問われている。

 2年前に書いたエッセーを、もう一度ここに掲載して、
考えなおしてみる。この原稿は、アメリカ軍がイラク
に進攻する前に書いたものである。

当時、アメリカやイギリスなどの情報によれば、
イラクは、核開発を進め、核兵器を保有する、
その直前まできているとされていた。
(結果的には、そういうことは、なかったが……。)

そういう前提で、つぎの原稿を書いた。

++++++++++++++++++++++

●人間の盾(たて)

 (03年)2月4日のTBSニュースによれば、日本から行った、10人前後の人たちが、戦争を
防ぐため、イラクで、「人間の盾」になっているという。しかもイラクの受け入れ団体からの要請
を受けて、石油精製所や発電所、食糧倉庫などに居場所を移したという。これらの施設は、ア
メリカ軍の攻撃目標とされているところだという。

 これに対して、メンバーの一人は、日本にこんなメールを送ってきている。

 「きのうは人間の楯として、バグダッド市内のアル・ダラという発電所に泊まりにいきました。
湾岸戦争以降もこの発電所は度々、空爆を受けては建てなおしていると耳にしました。電気、
ガス、ベッド、水、食料など不自由なものは特にないです」(TBS報道)と。

 私はこのニュースを聞いて、「?」と思ってしまった。どういう思想的背景があるのかは知らな
い。またその思想が、どのように昇華されて、このような行動にでたのかは知らない。しかし
「勇気ある、すばらしい行動」とは、私にはとても思えない。またそういう方法をとったところで、
戦争が阻止できるとも、思わない。仮に、その盾となった人たちが死傷したとしても、戦争を防
いだ英雄になるとも、思わない。

 どんな行動にせよ、「行動」そのもにには、敬意を払う。またそれだけの行動をするには、そ
れなりの「思い」や「決意」があってのことだろう。私のような門外漢が、安易にあれこれ批判す
ること自体、許されない。人間の盾になっている人についての情報がないので、これ以上、コメ
ントのしようがない。しかし「?」な行動であることは、確か、だ。

 ……もちろん、だからといって、戦争を肯定しているわけではない。アメリカがイラクを攻撃し
てよいとも思っていない。ただ今回、K国の問題とからめてみると、アメリカを除いて、だれが、
ああいった独裁政権の暴走を防いでくれるかという問題がある。

 過去はさておき、またその経緯(いきさつ)がどうであれ、今まさに、日朝関係は、一触即発
の状態にある。こういった状況のとき、だれが、あのK国をおさえてくれるのか。だれが、この
日本を守ってくれるのか。

もしイラクがこのまま暴走すれば、その脅威は、K国の比ではない。何といっても、イラクには、
石油という「マネー」がある。そのマネーを使って、好き勝手なことができる。そんなことをされ
れば、中近東は、一挙に不安定になる。もしそれがわからなければ、K国がいくつかの核ミサ
イルをもったときのことを想像してみればよい。そのとき日本は、「平和を守ります」などと、の
んきなことを言っていることができるだろうか。

 よいことをするから善人というわけではない。悪いことをしないから、善人というわけでもな
い。人は、悪と戦ってはじめて、善人になる。

 同じように、平和な生活をしているから、善人というわけではない。戦争をしないから、善人と
いうわけではない。人は、戦争そのものと戦って、はじめて、善人になる。そこで改めて、人間
の盾になっている人たちのことを考えてみる。

 彼らは一見、その戦争と戦っているように見えるが、どこか、ピントがハズレているように見え
る(失礼!)。どこか、やるべきことが違っているように見える(失礼!)。それだけのエネルギ
ーと行動力があるなら、もっと別の方法でそれができないものかとさえ、思う。

仮に彼らが正しいとしても、彼らの家族は、今ごろ、どう思っているだろうか。もしそれが私の息
子なら、私は、きっと毎晩、眠られぬ夜をすごすに違いない。あるいは、「帰ってきてほしい」と
懇願するかもしれない。もっとはっきり言えば、「イラクの受け入れ団体からの要請を受けて…
…」という部分からもわかるように、彼らもまた、フセインという独裁者に利用されているだけと
いうことになる。もしそうなら、それは「盾」というよりは、「人質」ということになるのでは? その
可能性がないとは、だれにも言えない。

 そんなわけで、私は、人間の盾となっている日本人に、理解は示すが、彼らを支持はしない。
彼らには彼らの思想や背景があってのことだろうが、それがわからない。わからないから、こ
れ以上のことは、書けない。今は、「?」ということにしておく。
(030305)

●やむをえず戦う戦争は、正しい。希望を断たれるときは、武器もまた、神聖なものにならん。
(ホメロス「イリアス」)

●戦争を防止するもっとも、たしかな方法は、戦争を恐れないことである。(ランドルフ「演説」)

●戦争は、人類を悩ます、最大の病気である。(ルター「卓談」)

●平和というのは、人間の世界には、存在しない。しいて平和と呼ばれているものがあるとす
れば、戦争の終わった直後、あるいは、まだ戦争の始まらないときをいう。(魯迅「墳」)

【付記】「反戦」とか「平和」とかいう言葉を口にする人は、自ら、戦場に出向くだけの勇気と覚
悟のある人にかぎられる。そうした勇気や覚悟のない人が、平和を口にすることは許されな
い。「戦争はいやだから」という理由だけで、平和を口にすることくらいなら、だれにだってでき
る。

 このことは、学生時代、ベトナムから帰ってきた、Cという兵士(オーストラリア人)と話してい
て知った。彼はこう言った。「ぼくたちは、君たちアジア人のために戦っている。そのアジア人の
君が、どうして、何もしないのか?」と。私は、Cに返す言葉がなかった。いわんや、そのCに向
かって、「戦争反対!」とは、とても言えなかった。

 今、私にはアメリカ人の孫がいる。もしその孫が、はるばる日本までやってきて、K国と戦うと
言ったら、私はこう言うだろう。「よしなさい。アジアのことは、私のほうで何とかするから」と。

 つまり「平和」というのは、それほどまでに、重いということ。決して、軽々しく口にしてはいけな
い。……と思う。

【雑感】

こんどのK国問題では、本当にいろいろ考えさせられた。今も、考えている。そして最終的に
は、平和とは何か。そこまで考えている。

 日本は戦後、60年近くも、平和を保つことができた。しかし誤解してはいけないのは、日本
がこれほどまで長く、平和を保つことができたのは、日本人が平和を愛したからではない。平
和を守ったからでもない。いきさつはともあれ、日本にアメリカ軍が駐留していたからにほかな
らない。

 もし日本にアメリカ軍がいなければ、戦後直後には、ソ連に。60年代には、中国に。そして7
0年代には、韓国、K国、あるいはその連合軍に、日本は、侵略をされていただろうということ。
私は60年代の終わりに韓国に渡ったが、彼らがもつ日本への憎悪感は、ふつうではなかっ
た。

 仮にあのとき、つまり70年代のはじめに、韓国とK国が統一し、その勢いで日本へ彼らが攻
め入ったとしても、だれもそれを止めなかっただろう。中国はもちろん、東南アジアの各国だっ
て、それを支持したかもしれない。つまりそうされてもしかたないようなことを、日本は、先の戦
争で、してしまった。

 たまたまアメリカだったから、よかったのか。今も、アメリカの植民地のようなものだから、偉
そうなことは言えないが、もしソ連や、中国だったら、そのあとの日本はどうなっていたことや
ら。K国だったら、どうなっていたことやら。想像するだけでも、ゾーッとする。

 日本の平和はかくも、薄い氷の上に成りたっていたのか。私は今回の一連のK国問題を考
えながら、私はそれを思い知らされた。平和を口にするのは簡単なこと。しかしその平和を守
るために、私たちはいったい、何をしてきたというのか。

今の今でも、「K国は、アメリカが何とかしてくれますよ」と言う人がいる。しかしアメリカ人だっ
て、日本人と同じ人間ではないか。どうして彼らが、好きこのんで、日本人のために命など、落
とすだろうか。

 日本の平和は、日本人自らが、守るしかない。いきさつはともあれ、今の今、頭のおかしい独
裁者が、日本に向けて、せっこらせっこらと、核兵器とミサイルを作っている。先の米朝協議(0
2年10月)でも、K国の姜第一外務次官)高官は、アメリカのケリー国務次官補に、はっきりと
こう言明している。「核は日本だけを対象としたものだ」と。つまり「日本を攻撃するために、核
兵器をもっている」と。

 平和主義者には、二種類ある。「いざとなったら戦争も辞さない」という平和主義者。もう一つ
は、「殺されても文句は言いません」という平和主義者。このほかに、「戦争はいやだから」とい
う平和主義者もいるが、これはエセ。どちらにせよ、つまりどの平和主義を信奉するかは、そ
の人の自由だが、私は「座して死を待つ」(川口外務大臣)ような平和主義には反対である。私
自身はともかくも、私の家族や子どもたちが、目の前で殺されるようなことは許さない。絶対に
許さない。

+++++++++++++++++++++

 こうした平和論に対して、大江K三郎氏(ノーベル文学賞受賞者)は、こう書いている。

『もしK国による核兵器が現実化した時、日本は安保条約を廃止し、米の核兵器によるK国へ
の第一撃のみならず、第二撃の報復も要求しないと声明せよ』(「鎖国してはならない」)と。

 つまり大江氏は、K国が核兵器をもったら、(1)日本は安保条約を廃止し、(2)アメリカに対
して、日本が核攻撃をされても、反撃してはならないと声明を出せと言っている。

 事実、現在の韓国のN政権は、この線にそった対K国外交を展開しているかのように見える。
米韓軍事同盟は、今や、風前のともし火。仮に米朝戦争になっても、韓国は、中立を保つだろ
うと言われている。

 韓国の立場としては、そうかもしれない。しかしそれは日本の立場ではない。もしも、日本が、
K国に核攻撃されたら、私たち日本人は、徹底的に報復すべきであると、私は思う。つまりそう
いう強い意思こそが、相手の核攻撃を思いとどまらせる原動力になる。

 が、現実に、東京のど真ん中に、核兵器が落とされたら、どうであろうか。日本としては、その
後始末だけで、何もできないのではないか。報復どころでは、なくなってしまう。東京だけではな
い。日本中が大混乱する。もちろんその日から、日本の経済は、マヒする。日本の「円」は、紙
くず同然になる。

 報復しようにも、報復のしようが、ない。中には、憲法の条文を無視して、K国へ攻撃に行く、
自衛隊の部隊もあるかもしれない。が、しかし組織的な報復は無理である。

 となると、第一撃はともかくも、第二撃を防ぐためには、どうしたらよいのか。第三撃や、第四
撃を防ぐためには、どうしたらよいのか。東京のつぎは、大阪、名古屋、そして……。そんなと
き、日本に残されたゆいいつの選択肢は、アメリカに頼るしかないということ。

 大江氏は、しかし、「米の核兵器によるK国への第一撃のみならず、第二撃の報復も要求し
ないと声明せよ」と書いている。核兵器による報復には、私も反対するが、しかしK国の状況
(核兵器やミサイル基地を、山岳地方の山奥、その深いところに隠しているという事実)を考え
るなら、通常兵器に、どれほどの効果があるか、疑問である。

 K国は、そういうことも念頭に置いた上で、核兵器やミサイルを、山の奥に隠している。……と
いうことを考えていくと、大江氏のような人物の意見に、「異」を唱えるのも勇気のいることだ
が、大江氏の意見は、どうかと思う。

 大江氏は、日本が核攻撃を受けても、日本はもちろん、アメリカにさえ、何も報復してはなら
ないと言っているようにも読める。大江氏の反核、反戦思想はよく知られているが、どこか現実
離れしすぎている(?)。

 平和論にもいろいろある。しかし「もしも……」という視点で考えてみると、また別の考え方が
できるのではないか。私自身は、「座して死を待つ」ような平和論には、どうしても、ついていけ
ない。


Hiroshi Hayashi++++++++++++++はやし浩司

●自己中心的民族主義

 私のような世界観をもつ人間を、「自虐的日本人」というらしい。あるいは、最近の言葉を借り
るなら、「反日的日本人」というらしい。

 私は何も、日本人がつまらない民族だとか、日本がこの先、どうなってもよいと言っているの
ではない。私はただ、つまらない民族主義にとらわれて、日本が進むべき道を、誤ってはなら
ないと言っているだけである。

 さらに言えば、極端な民族主義、誇張された民族主義こそが、平和主義の敵であるとさえ、
思っている。

 あのインドのネール首相は、こう述べている。

『ある国が平和であるためには、他国の平和もまた保障されねばならない。この狭い、相互に
結合した世界にあっては、戦争も、自由も、平和も、すべてたがいに連動している』(ネール「一
つの世界をめざして」)と。

 つまり、相手の立場に立って、平和を考えてやることこそが、自分の国の平和を守るための
カギになる、と。

 「日本がすばらしい国だ」と思うのは、その人の勝手だが、だからといって、その返す刀で、
「ほかの国々は、つまらない」と考えるのは、民族主義でも何でもない。それがわからなけれ
ば、逆の立場で考えてみることだ。

 あの中国が、(実際に、そう思っている中国人は、多いが……。「中華思想」というのも、それ
から生まれた)、「中国こそ、すばらしい国だ。ほかの国は、みな、つまらない」と言い出したら、
そのとき、日本は、どう反論すればよいのか。

さらにアメリカのバーナードショーでさえ、『人類から愛国主義者をなくすまで、平和な世界はこ
ないだろう』(バーナードショー「語録」)と書き残している。ここでいう「愛国主義者」というのは、
狭小な民族主義に根ざした愛国主義者をいう。つまり、「日本が……」「日本が……」と言って
いる人たちは、一見、日本を愛しているように見えるが、その実、日本という国を、断崖絶壁の
端に、追いやっていることになる。

 もし彼らが私を、「自虐的日本人」と呼ぶのなら、(そういう書き込みは、ときどきもらうが…
…)、私は彼らを、「自己中心的民族主義者」と呼ぶ。

 今週号のある週刊誌にも、「中国をダメにしたのは、日本ではない。中国共産党である」とい
うような記事が載っていた。「だから、日本が戦前にした戦争行為などというのは、とるに足りな
いものだ」と。

 こうした論法は、あちこちで見かける。「中国共産党は、自国民を、何百万人も餓死させ、何
十万人も殺しているではないか」「どうしてその中国が、日本を非難することができるのか」と。

 しかし、その逆のことを言っているのが、あのK国である。拉致問題が、国際社会の場で問
題になるたびに、K国は、こう主張する。「日本が戦時中、強制連行した、何百万人もの朝鮮人
は、どうなのか」と。

 「だからといって、それがどうなのか」と、常識のある人なら、そう答えるにちがいない。「だか
らといって、K国は、日本人を拉致してよいのか」と。

 同じように、中国の国内問題は、国内問題。その国内問題にかこつけて、日本がしたことを
正当化することは、許されない。つまり日本の戦前の行動を、正当化しようとすればするほど、
日本は、自己矛盾に陥(おちい)ってしまう。へたをすれば、K国に、拉致について、正当性を
認めてしまうことになりかねない。

 日本は、どこまでも事務的にことを進めるのがよい。言うべきことは言い、そこに正当性があ
るなら、ただ淡々と、それを繰りかえし、主張すればよい。あとの判断は、国際社会に任せる。
もし人間が善なる存在であれば、(善なる存在だからこそ、ここまで生き延びてこられたのだが
……)、これから先も、善だけが、生き残る。

 そういう人間が本来的にもつ「善」を信ずればよい。その善を信じて、人間社会全体に向っ
て、正当性を訴えていけばよい。

 K国や韓国、それに中国など、相手にしてはいけない。本気で相手にしてはいけない。いわ
んや、感情的になって、怒りを爆発させてはいけない。もちろん卑屈になることはない。ない
が、しかし、反省すべきことは、反省する。

 それをしっかりしておかないと、いつか、つぎの世代ならつぎの世代でもよいが、逆に中国
や、韓国に、反対のことをされても、日本は文句を言えないことになる。日本語を話すのを禁
止され、金xxの神社に強制的に参拝させられる。そんなことになっても、日本は、文句を言え
ないことになる。

 最後に、中国の魯迅(ろじん)は、こう書いている。『平和というのは、人間の世界には、存在
しない。しいて言えば、平和というのは、戦争が終わった直後か、まだ戦争の始まらないときを
いう』と。

 今の日本の平和だけを見て、日本の未来を考えてはいけない。今の日本の繁栄だけを見
て、日本の未来を考えてはいけない。いつか日本とK国の立場が逆転することだってありえ
る。そういう視点で、日本が今、どうあるべきかを考える。それが日本の真の愛国主義ではな
いかと、私は思う。

 ついでながら、愛国的民族主義者と呼ばれる人たちがどう考えているか、それを知るため
に、東京都知事I氏の意見を、ここに転載しておく。I氏のような人の意見を一方で知ると、私が
いう、「自己中心的民族主義」というものが、どういうものか、理解してもらえると思う。

【補記】

訪米中の東京都知事のI氏は、11月3日、ワシントンの戦略国際問題研究所(CSIS)で講演し
た。中国の軍事的脅威の増大に警戒感を表明した上で、「アメリカが中国と戦争して勝てるわ
けがない。講じるべき手段は経済による封じ込めだ」と強調した。

 I知事は、中国が6月に新型の潜水艦発射弾道ミサイル(SLBM)の発射実験に成功したと
の情報について、「極めて大事な歴史的事実だ」と指摘。「東アジアは米ソ冷戦の時よりも危険
度が高い緊張の中に置かれた」とし、沖ノ鳥島周辺での中国艦船による海洋調査も、「潜水艦
の航路のテストだ」との見方を示した。

 一方、中国指導部について、文化大革命などを引用して「生命に対する価値観がまったくな
い」との見方を示し、米中開戦の場合には、「生命を尊重する価値にこだわらざるを得ないアメ
リカは勝てない。間違いなく負ける」と言明。

軍事的対立を避けるためには、「経済的に中国を封じ込めていく方法しかない」として、シベリ
ア開発による経済的な「封じ込め」が有効と強調した。(以上、ヤフーニュースから、転載。)

 「勝つ」とか、「負ける」とか、どうしてこうまで、戦争を前提とした話しか、できないのだろうか。
私はI氏の意見の中に、ここでいう「自己中心的民族主義」の典型をみるのだが……。





目次へ戻る メインHPへ

●子どもの肥満

++++++++++++++++++++

四国にお住まいの、UEさん(母親)より
こんなメールが、届いています。

この分野については、私は、まったくの
門外漢で、知識がありません。

どなたか、UEさんにアドバイスできる方
がいらっしゃれば、私のHPの掲示板の
ほうに、どうか、ご意見を書きこんでく
ださい。

よろしく、お願いします。

+++++++++++++++++++++

【UEより、はやし浩司へ】

こんにちは。職場のパソコンで、仕事中にこんなことしてます。アドレスは自宅のパソコンのも
のです。

以前、掲示板の方で、長女のこと主人のことでアドバイスをいただいた事があります。ありがと
うございました。
今度は次女のことを聞いてください。

次女は肥満です。今4歳で体重が2kgあります。身長はどちらかといえば小さいほうなんです。

ご飯もおやつも良く食べます。

3歳児検診のときに、小児科の先生から「おやつは抜きにしてもいいね」と言われましたが、ハ
ッキリ言ってそれは不可能です。

長女が食べていれば次女も欲しがりますし、おやつのことを忘れるくらい相手をすることも、私
には出来そうにありません。

「妊娠中に母親の栄養が足りないと、(子どもは)、肥満になる傾向がある」と聞いたことがあり
ます。

確かに、妊娠中は切迫早産で丸2か月間、病院のベッドで寝たきりの状態で、薬の副作用の
せいか、食欲も無く栄養失調状態でした。

保育所の友達から「デブ」言われることもあり、(しかも主人もデブとかブタとか言います)このま
までは可哀想にも思います。

いろいろ工夫したくても、なかなか手をかけた食事を作れないのも現状です。

++++++++++++++++++++

 このUEさんからのメールとは、別に、たまたま掲示板のほうに、こんな書き込みがありました
ので、紹介させてもらいます。TKさんという方からのものです。

++++++++++++++++++++

(1)
2歳になる男児ですが、最近お友達にとても興味がありスーパーなどで会う子には挨拶したり
手を振ったりしますが、その反面公園で遊んだりおもちゃ売り場で遊んだりしているとき、小さ
い子やお友達を突然叩くのです。しかも必ずといっていい程、顔面なのです。無抵抗な子に対
して特にやっちゃうのです。どうやって対処したらよいのかわからず、何となくみんなのいるとこ
ろに行くことが、億劫になりつつあります。

(2)
有難うございます。確かに毎日のように甘いものを食べています。駄目といっても欲しがるとき
は与えていました。早速、試みます。

(3)
家族構成は主人(34)と、私(33)と、子どもです。まだ下にはいませんがそろそろと思ってい
ます。今の状況ではまだ計画を立てないほうがよろしいのでしょうか? もうひとつ質問です。
よく食べる子で10時と3時の間食は必要だと思って与えていました。どちらか一回のほうがよ
いのでしょうか? 与えるとしたら果物などがいいのでしょうか?ご指導よろしくお願いいたしま
す。

(4)
先日、先生にご指導頂いた通り海産物や魚などを中心の食生活に切り替えたところ、随分と
息子の行動が穏やかになったような気がします。ひいき目かも・・・と思いましたがお友達を叩く
ところか、最近はやけに親切なのです。『どおじょ〜〜〜』の連発です。甘いものはすきなので
すが家に置かないようにしています。また何か心配なことがあったと時は、ご指導ください。よ
ろしくお願いいたします。本当にありがとうございました。 

【はやし浩司より、UE様へ】

 4歳で22kgというのは、かなりの肥満ということになります。

子どもの肥満度は、つぎの計算式で、知ることができます。

 おとなの肥満度は、つぎの計算式で、求められる(資料……社会保険健康事業財団)。

●標準体重の求め方 

 標準体重(kg)=身長(m)×身長(m)×22

(肥満度)=〔(実測体重・kg)−(標準体重)〕÷(標準体重)x100

        20以上が肥満

●肥満度の求め方 

 肥満の判定は体格指数 (BMI:Body Mass Index)によって行う。

BMI=体重(kg)÷[身長(m)×身長(m)]

 この計算で    18・5未満……やせ
         18・5〜25……標準体重
           25〜3未満……肥満度1度
         30〜35未満……肥満度2度
         35〜40未満……肥満度3度
            40以上……肥満度4度

●子どもの肥満度

子どもの肥満度を測定する方法として、乳幼児はカプス指数、児童期(小学生)はローレル指
数などがある。心配なら、以下の計算式で、子どもの肥満度を調べてみるとよい。

【乳幼児期のカプス指数】

 (実測体重・g)÷〔(実測身長・cm)x(実測身長)〕x10

       この計算式で、20以上は、肥満と判定する。

【児童期のローレル指数】

 (実測体重・kg)÷〔(実測身長・cm)x(実測身長)〕x100000

       この計算式で、160以上は、肥満と判定する。

【例、身長120cm、体重25kgの小学生のばあい】

       25÷〔120x120〕x100000=173
          (173だから、肥満とみる。)

●簡単な肥満の見分け方

 子どもの肥満は、手の指を前にぐんと伸ばし、指をできるだけ上にそらした状態で、手の甲を
みて判断する。そのとき、指のつけ根のところに、指から伸びる腱が、現れる。(腱は、手の甲
のつけ根から指先に向って、放射線状にのびる。)このとき、腱が見えればよし。そうではなく、
腱が見えなくなったり、あるいは指のつけ根あたりにえくぼが現れたりするようであれば、肥満
のはじまりと見て、警戒する。肥満が進めば進むほど、えくぼは深くなる。ただしこの肥満度検
査は、年長児以前の子どもには、応用できない。この方式は、私(はやし浩司)が、考えた。 
(030723)

++++++++++++++++++

 UEさんのお子さんを、前述、カプス指数で計算してみると、つぎのようになります。

 身長を、100センチとします。

 22000÷(100x100)x10=22、となります。身長がこれより小さければ、カプス指数は、
もっと大きくなります。

 で、原因の第一は、過食と偏食ということになりますが、同時に、心の問題もあるかもシレマ
セン。メールだけでは、よくわかりませんが……。

 UEさんは、「(改善は)不可能」という言葉を使っておられますが、本当にそうでしょうか。一つ
の方法として、「冷蔵庫を空にする」というのが、ありますから、一度、実行してみてください。

 以前書いた、原稿を添付します。参考にしていただければ、うれしいです。

++++++++++++++++++


●買い物グセ

 夏場になると、がぜん多くなるのが、体をクネクネ、ダラダラさせる子ども。原因は、いろいろ
ある。

 クーラーなどによる、冷房のかけすぎ。睡眠不足。それに、甘いものの食べすぎ。

 この時期、どうしても、アイスやかき氷が多くなる。ジュースや、清涼飲料水などなど。糖分の
とりすぎが遠因となって、カルシウム、マグネシウム、カリウムなどの不足を引き起こす。

 だいたいにおいて、世の母親たちよ、ものごとは、常識で考えてみようではないか。

 体重12キロの子どもに、缶ジュース一本を与えるということは、体重60キロのおとなが、5
本飲む量に等しい。それだけ多量のジュースを一方で、与えておきながら、「どうしてうちの子
は、小食なのでしょうか」は、ない!

 ……というような話をすると、ほとんどの親は、自分の愚行(失礼!)に気づく。そして、こう言
う。「では、今日から、改めます」と。

 しかし、問題は、この先。

 しばらくの間は、母親も注意する。しかし数週間から1か月、2か月もすると、また、もとにもど
ってしまう。もとの食生活にもどって、また子どもに、甘い食べ物を与えてしまう。

 思考回路がそうできているからである。つまり、この思考回路、それにもとづく行動パターン
を変えるのは、容易なことではない。

 買いものに行くと、また同じ、ジュースだのアイスを買い始めてしまう……。

 では、どうするか。

 こうした思考回路を変えるためには、ショックを与えなければならない。「ショック」である。

 話は、かなり脱線するが、昔は、チンドン屋というのがいた。新しい店ができると、そこの経営
者がチンドン屋を雇い、そのチンドン屋が、そのあたりをぐるぐると回った。

 私たち子どもは、それがおもしろくて、いつまでも、そのチンドン屋について歩いた。

 つまりそうすることで、もちろんその店の宣伝にもなるが、そのあたりに住む人たちの、行動
パターンを変えることができる。たとえば人というのは、一度、ある店に行き始めると、その行
動パターンを変えるのは、容易なことではない。

 「お酒……」といえば、「A酒屋」と。
 「お米……」といえば、「B米屋」と。

 そこで新しくできた店は、そのあたりの人たちがもつ、そういう意識、つまり行動パターンを変
えなければならない。それがチンドン屋というわけである。

 たしかにあのチンドン屋は、ショックを与えるという意味では、効果がある。派手な服装に、派
手な鳴り物。それに踊り。チンチン、ドンドンと音に合わせて、踊りながら回る。そのあたりの人
たちは、それを見て、自分の行動パターンを変える……。

 では、どうするか?

 あなたには、あなたの買い物グセがある。その買い物グセをなおすには、どうするか。

 もうおわかりかと思うが、その行動パターンを変えるためには、自らにショックを与えればよ
いということになる。ショックを与えて、自分の行動パターンを変える。

【一つの方法】

 今すぐ、冷蔵庫の中にある、甘い食品(アイス、ジュース、プリンなど)を、すべて袋につめて、
捨てる。「もったいない」と思ったら、なおさら、心を鬼にして、捨てる。

 この「もったいない」という思いが、ショックとなって、あなたの意識、行動パターンが変わる。

 こういうとき、「つぎから、買うのをひかえればいい」とか、「もったいないから、食べてしまお
う」と考えてはいけない。そういうケチな根性をもつと、またすぐ、もとの買い物グセにもどってし
まう。
(はやし浩司 子供の肥満 子どもの肥満 肥満度 標準体重 カプス指数 ローレル指数)





目次へ戻る メインHPへ

●万引き

 子どもたち(小4〜6)と、万引きの話になった。そこで私が、「江戸時代に、万引きしたら、盗
んだものにもよるけど、死罪(死刑)になることもあったよ」と話すと、みな、驚いた。

 江戸時代の刑法に、『公事方御定書(くじかたおさだめかき)』というのがある。その下巻によ
れば、10両以上の盗みは、死罪とある。10両という金額が、どの程度のものであったかとい
うのは、時代にもよるが、現在の貨幣価値に換算して、約50〜100万円程度と考えてよい。

 ……と書いたところで、「そうかな?」と、私は、思った。

 そこで1両で、米がどれだけ買えたかを、確かめてみた。(インターネットのおかげで、こうし
た調べものが、本当に楽になった。ありがたいことだ。)

 江戸初期 1両で2石5斗買えたから……約150000円の価値
 江戸中期 1両で1石  買えたから……約60000円の価値
 江戸末期 1両で3斗  買えたから……約18000円の価値、だそうだ。
(出典は、「東京知ったかぶり」サイト)

 江戸中期でみても、10両というと、60万円程度ということになる。しかしそれで死刑、とは!

 で、10両以下だと、タタキの刑を受けたあと、入れ墨をされた。が、再犯を重ね、たとえば入
れ墨も3回になると、「江戸払い」の刑。4回目になると、「盗賊」となり、やはり死刑になったと
いう(「日本史おもしろBOOK」PHP)。

 言うまでもなく、刑には、二つの意味がある。一つは、その犯罪者に対する懲罰としての意味
の刑。もう一つは、社会に対する、見せしめとしての意味の刑。「悪いことをすると、こういうひ
どい目にあうぞ」と、民衆に見せることによって、犯罪を未然に防止する。

 「10両で死刑」というのは、「見せしめ刑」としての意味あいが強い。当然、江戸時代には、現
代のような、きめのこまかい捜査方法もなければ、刑事訴訟法もなかった。

 で、そのことを朝食を食べながら、ワイフに話すと、ワイフは、即座に、昨日、会った男のこと
を思い出して、こう言った。「あの男の人も、イレズミ(刺青)をいていたわ」と。

 その男は、透けて見えるような薄いシャツを着ていた。私たちの横で、100円寿司を食べて
いた。お決まりの若い、きれいな女性を、横にはべらせていた。そのシャツの下に、腕から背
中にかけて、大きなイレズミが見えた。見るからに、「オレは、ヤクザだ」という風体(ふうてい)
をしていた。

私「江戸時代には、入れ墨をわかりにくくするために、その上に、別のイレズミを彫りこんだりし
たようだ。それで日本人は、イレズミに対して、悪いイメージをもつようになった」
ワ「でもね、あの男の人ね、最後に、ブルーベリーケーキと、ヨーグルトを注文していたわよ」
私「そうだったけ? 映画の中のヤクザとは、だいぶイメージがちがうね」
ワ「そうよ。だから私、思わず、笑っちゃった」
私「きっと、根は気の小さい、やさしい人だったかもしれないね」と。

 で、万引きの話にもどる。死刑の話をすると、子どもたちは、ワイワイと騒ぎだした。

私「死刑といっても、いろいろあったんだよ」
子「どんな?」
私「軽いほうから、下手人(げしゅにん)、死罪、獄門(ごくもん)、火罪、磔(はりつけ)の5つが
あった」
子「軽いというのは、おかしい。どうせ殺されるんだから……」

私「そうだよな。たしかに、そうだ。軽いというのは、ただ殺されるだけの死刑(下手人)をいう
よ。重いというのは、クビを切られ、刑場の門にかけられる死刑(獄門)のことをいうよ」
子「磔(はりつけ)が、一番重いのかア?」

私「そうだよ。みんなが見ている前で、磔(はりつけ)にされ、ヤリで刺されて殺された。それが
磔(はりつけ)だよ。その刺し方にもいろいろあってね。たいていは苦しんで死ぬように、刺した
そうだ。しかし相手が、子どもを抱いた母親とかのばあいは、苦しまないように、子どもと母親
を、一気に刺したそうだ」
子「子どもまでエ〜?」
私「そうだよね。江戸時代には、家族の中のだれかが罪を犯すと、家族もろとも、死刑になるこ
とが多かった」と。

 私が子どものころには、まだ。「磔(はりつけ)ごっこ」という遊びが残っていた。これは何かの
ことで、その子どもをいじめるとき、その子どもを壁に向って立たせ、うしろから、ボールを投げ
ていじめるという遊びである。

 戦後のあの時代のことである。今、そんな遊びをすれば、それ自体が、(いじめ)ということ
で、大問題になるだろう。が、そのことは、子どもたちには、言わなかった。

私「ともかくも、人のものを盗むということは、悪いことだ。一時は得をしたと思うかもしれない
が、実は、もっと大切なものを、同時になくすんだよ。しかし盗んだときには、それに気がつか
ない。それに気がつくのは、ずっと、あとになってからだよね」と。

 子どもたちは、「わかった」というような顔をしていたが、本当にわかったか、どうか? 中に
神妙な顔をして、私の話を聞いているものもいたが、万引きの話は、そこまで。私の頭の中
に、つぎからつぎへと、いろいろな考えが浮かんでは消えた。いつもの、モヤモヤである。

(モヤモヤ、その1)どういう子どもが、万引きをし、どういう子どもが、万引きをしないかという
問題。私は、正直に、本当に正直に言うが、万引きをしている子どもを見つけて、それを店の
人に伝えたことは、何度かある。が、万引きだけは、したことがない。 

(モヤモヤ、その2)子どもの小ズルさは、親譲りと考えてよい。親の何気ない日常的な行動を
見ながら、子どもは、その小ズルさを身につけてしまう。わかりやすく言えば、小ズルい親の子
どもは、小ズルい。親を反面教師として、生真面目(まじめ)な子どもになることもあるが、それ
は例外。

(モヤモヤ、その3)万引きは、犯罪としては、わかりやすい。しかし半ば合法的に、人のものを
盗むのは、どうか。たとえば官僚が、天下りを繰りかえしながら、そのつど、ばく大な退職金を
手にするのは、どうか。よく「税金ドロボー(泥棒)」という言葉が使われるが、それこそ、まさに
税金ドロボーではないのか。

(モヤモヤ、その4)「10両以上は、死罪」というのは、江戸時代の刑法。しかし農民から、「五
公五民」とか何とか言って、農民から、5割もの年貢を納めさせることは、ドロボー以上のドロ
ボー。そうした体制の矛盾をさておいて、庶民だけ、微罪で死刑にするというのは、どう考えて
もおかしい。

(モヤモヤ、その5)損とか、得とかいうが、何をもって、損というのか。何をもって、得というの
か。これも私のことになるが、私は生涯において、みなから一方的に、お金を取られることはあ
ったが、しかし、お金を取ったことは、一度もない。いや、一度だけ、ワイフの父親が死んだと
き、遺産として、義兄から10万円をもらったことがある。(もらったのは、ワイフだが……。)そ
の10万円以外、もらったことがない。ただの一度も、ない。通俗的な言い方をすれば、私は、
いつも損ばかりしていた!

(モヤモヤ、その6)小ズルいことをすれば、そのときは、得をしたと思う。しかし実は、もっと大
切なものを、なくす。なくすだけではない。もとの自分にもどるだけでも、たいへんな努力と、長
い時間を必要とする。それからさらに、自分を善なる方向にもっていこうとすると、さらにたいへ
んな努力と、長い時間を必要とする。人生は、長いように見えるが、そういう意味では、短い。
小ズルい人は、人生が何であるかもわからないまま、死んでいく。つまり、結局は、大損をする
のは、その人自身ということになる。

 いろいろ考えているうちに、時間がきてしまった。それで子どもたちとは別れた。
(はやし浩司 江戸時代の刑法 万引き)2007/09/25

【補記】

 この中で、一番気になったのは、6番目の(モヤモヤ、その6)。

 私は、この数年、努めて、他人に対してはもちろんのこと、自分に対しても、誠実であろうと心
がけている。ウソは、もちろん、厳禁!

 が、ここで「務めて」とわざわざ書かねばならないほど、私の「性(しょう)」は、よくない。はっき
り言えば、悪い。私は、子どものころ、その小ズルさのかたまりのような子どもだった。

 が、それに気づいたのは、今のワイフと結婚してから。さらに、私がなぜ、そういう子どもにな
ったかを知ったのは、45歳も過ぎてからのことではなかったか。自分の生まれ育った環境を、
浜松市という、遠いところからながめることによって、それを知った。

 私が、子どものころ、「おもしろい人だ」「楽しい人だ」と思った人たちは、みな、例外なく、小ズ
ルい人だった。それが20年とか、30年とかたってみて、はじめて客観的にわかるようになっ
た。

 そういう人たちは、今、かなりの年齢になっている。が、どの人も、いまだに、ウソを平気でつ
く。ウソのかたまりで、何が本当で、何がそうでないかわからない人さえいる。

 私をだまして、お金を奪った人もいる。現在の今ですら、私のお金をごまかして使っている人
もいる。

 そういう人たちを見ると、怒れてくるよりも先に、過去の、つまり子ども時代の私自身を見せ
つけられるようで、ぞっとする。そして私は、こう思う。

 「もし私が、今、あの古里にそのまま住んでいたら、私も、まちがいなく、あのままの人間だっ
ただろうな」と。

 だから、私にとっては、「務めて」となる。それは私にとっては、とても悲しいことでもある。つま
り私は、ほかの人たちよりも、何倍も、何倍も、回り道をしなければならなかった。多くの友人
も、それで失ったし、多くの人を、キズつけてしまった。

 その結果だが、今では、友人といっても、数えるほどしかいない。本当に信頼できる人と言え
ば、私のワイフしかいない。孤独と言えば、孤独。恐らくこの孤独からは、死ぬまで逃れること
はできないだろう。

 だから人は、子どものときから、そして幼児のときから、誠実に生きるのがよい。しかしその
カギを握るのは、実は、親である。とくに母親である。

 今、あなたが子育てをしているなら、子どもが見ているとか、見ていないとか、そういうことと
は関係なく、あなた自身が、誠実に生きる。信号はきちんと守る。駐車場では、きちんと駐車場
へ車を入れる。1円でも、ごまかさない。そうした生きザマが、やがて子どもの心を作る。そう、
それはあなた自身のためでもあるが、子どものためでもある。

 約束は守る。ウソはつかない。そして自分にも、他人にも、誠実である。それが子育ての基
本の一つということになる。

 それはとても気持ちのよい世界だから、あなたも、今日から私の言ったことを信じて、実践し
てみてほしい。あなたも、そのすがすがしさに驚くはずである。

 そうそう、一つ重要なことを言い忘れた。

 自分の誠実さを守るためには、そうでない人とは、勇気をもって、一線を画すのがよい。それ
が、たとえ幼(おさな)なじみであれ、近隣の人であり、親類のひとであれ、そして肉親であれ、
だれであったもだ。つきあいを避けられないばあいもあるかもしれないが、その距離だけは、し
っかりと保つようにする。それを忘れると、いつの間にか、もとの自分にもどってしまう。邪悪な
人間にもどってしまう。





目次へ戻る メインHPへ

●幸福の実感

 金(マネー)、名誉、権力。この3つを同時に手に入れることは、むずかしい。それこそ。「二
兎(と)を追うもの、一兎も得られず」ということになる。三兎となると、さらにむずかしい。

 だから、人は、いつの間にか、その中の1つに焦点を当てるようになる。「金か、名誉か、そ
れとも権力か」と。しかし意識的にそうするというよりは、結果としてみると、そうなっていたとい
うケースが、多い。

 が、歳をとり、その先に(限界)を感ずるようになると、ものの考え方が、少しずつ変わってく
る。これら3つの上に、「だから、どうなの?」という部分が、重なってくる。
 
 お金がある……、だからどうなの?
 名誉がある……、だからどうなの?
 権力がある……、だからどうなの?、と。

 この「だから、どうなの?」という部分がないまま、金、名誉、権力を追い求めたところで、むな
しいだけ。それが少しずつ、わかってくるようになる。

 そこで登場するのが、「幸福の実感」。

 心を一つの箱にたとえるなら、金にしても、名誉にしても、そして権力にしても、そういうもの
で、この箱を、満たすことはできない。一時の「夢」に酔いしれることはあっても、それはあくまで
も一時。人間の欲望には、際限がない。一つの欲望を満足させると、さらにその先には、別の
欲望が待っている。

 つまりいくら、金、名誉、権力を手にしても、箱に入れたとたん、それらは煙のようになって、
どこかへ散ってしまう(?)。私自身は、これら3つのものとは、無縁の世界に生きてきた。しか
し想像はつく。

 では、どうすれば、この箱を、充足感で満たすことができるのか。その一つのヒントとして、以
前、「オズの魔法使い」について、書いた。たわいもない物語だが、しかしあの物語には、考え
させられる。

 もうこの原稿を書いてから、4年になる。それを再掲載する(中日新聞掲載済み)。

+++++++++++++++++++++++

【家族の心を守る法】

家族の心が犠牲になるとき 

●子どもの心を忘れる親

 アメリカでは、学校の先生が、親に「お宅の子どもを1年、落第させましょう」と言うと、親はそ
れに喜んで従う。「喜んで」だ。ウソでも誇張でもない。あるいは自分の子どもの学力が落ちて
いるとわかると、親のほうから学校へ落第を頼みに行くというケースも多い。

アメリカの親たちは、「そのほうが子どものためになる」と考える。が、この日本ではそうはいか
ない。子どもが軽い不登校を起こしただけで、たいていの親は半狂乱になる。先日もある母親
から電話でこんな相談があった。何でも学校の先生から、その母親の娘(小2)が、養護学級
をすすめられているというのだ。その母親は電話口の向こうで、オイオイと泣き崩れていたが、
なぜか? なぜ日本ではそうなのか? 

●明治以来の出世主義

 日本では「立派な社会人」「社会で役立つ人」が、教育の柱になっている。1方、アメリカで
は、「よき家庭人」あるいは「よき市民」が、教育の柱になっている。オーストラリアでもそうだ。
カナダやフランスでもそうだ。

が、日本では明治以来、出世主義がもてはやされ、その1方で、家族がないがしろにされてき
た。今でも男たちは「仕事がある」と言えば、すべてが免除される。子どもでも「勉強する」「宿
題がある」と言えば、すべてが免除される。

●家事をしない夫たち

 2000年に内閣府が調査したところによると、炊事、洗濯、掃除などの家事は、9割近くを妻
が担当していることがわかった。家族全体で担当しているのは10%程度。夫が担当している
ケースは、わずか1%でしかなかったという。子どものしつけや親の世話でも、6割が妻の仕事
で、夫が担当しているケースは、3%(たったの3%!)前後にとどまった。

その1方で7割以上の人が、「男性の家庭、地域3加をもっと求める必要がある」と考えている
こともわかったという。内閣総理府の担当官は、次のようにコメントを述べている。「今の20代
の男性は比較的家事に3加しているようだが、40代、50代には、リンゴの皮すらむいたことが
ない人がいる。男性の意識改革をしないと、社会は変わらない。男性が老後に困らないために
も、積極的に(意識改革の)運動を進めていきたい」(毎日新聞)と(※1)。

 仕事第1主義が悪いわけではないが、その背景には、日本独特の出世主義社会があり、そ
れを支える身分意識がある。そのため日本人はコースからはずれることを、何よりも恐れる。
それが冒頭にあげた、アメリカと日本の違いというわけである。言いかえると、この日本では、
家族を中心にものを考えるという姿勢が、ほとんど育っていない。たいていの日本人は家族を
平気で犠牲にしながら、それにすら気づかないでいる……。

●家族主義

 かたい話になってしまったが、ボームという人が書いた童話に、『オズの魔法使い』というの
がある。カンザスの田舎に住むドロシーという女の子が、犬のトトとともに、虹の向こうにあると
いう「幸福」を求めて冒険するという物話である。あの物語を通して、ドロシーは、幸福というの
は、結局は自分の家庭の中にあることを知る。アメリカを代表する物語だが、しかしそれがそ
のまま欧米人の幸福観の基本になっている。

たとえば少し前、メル・ギブソンが主演する『パトリオット』という映画があった。あの映画では家
族のために戦う1人の父親がテーマになっていた。(日本では「パトリオット」を「愛国者」と訳す
が、もともと「パトリオット」というのは、ラテン語の「パトリオータ」つまり、「父なる大地を愛する」
という意味の単語に由来する。)「家族のためなら、命がけで戦う」というのが、欧米人の共通
の理念にもなっている。家族を大切にするということには、そういう意味も含まれる。そしてそれ
が回りまわって、彼らのいう愛国心(※2)になっている。

●変わる日本人の価値観

 それはさておき、そろそろ私たち日本人も、旧態の価値観を変えるべき時期にきているので
はないのか。今のままだと、いつまでたっても「日本異質論」は消えない。が、悲観すべきこと
ばかりではない。

99年の春、文部省がした調査では、「もっとも大切にすべきもの」として、40%の日本人が、
「家族」をあげた。同じ年の終わり、中日新聞社がした調査では、それが45%になった。たっ
た1年足らずの間に、5ポイントもふえたことになる。これはまさに、日本人にとっては革命とも
言えるべき大変化である。

そこであなたもどうだろう、今日から子どもにはこう言ってみたら。「家族を大切にしよう」「家族
は助けあい、理解しあい、励ましあい、教えあい、守りあおう」と。この1言が、あなたの子育て
を変え、日本を変え、日本の教育を変える。

※1……これを受けて、文部科学省が中心になって、全国6か所程度で、都道府県県教育委
員会を通して、男性の意識改革のモデル事業を委託。成果を全国的に普及させる予定だとい
う(2001年11月)。

※2……英語で愛国心は、「patriotism」という。しかしこの単語は、もともと「愛郷心」という意味
である。しかし日本では、「国(体制)」を愛することを愛国心という。つまり日本人が考える愛国
心と、欧米人が考える愛国心は、その基本において、まったく異質なものであることに注意して
ほしい。

++++++++++++++++++++++

 私があげる「家族主義」の原点は、この原稿にある。しかしその後、この家族主義は、急速に
勢力を伸ばし、今では、どんな調査結果をみても、約80%前後の人が、もっとも大切にすべき
ものとして、「家族」をあげるようになっている。

 この5、6年の間に、日本人の意識が、大きく変わってきたことを意味する。

 が、さらに最近、私は、「しかし、それだけでも足りない」と考えるようになった。つまり家族主
義も、それが利己的になったとき、かえって弊害を生むのでは、と。つまり家族主義にも、善玉
と悪玉がある。

 善玉というのは、利他的な家族主義をいう。悪玉というのは、利己的な家族主義をいう。

 同じ家族主義でも、いつも家族のほかのメンバーの立場で考えるか、考えないかのちがいと
言ってもよい。「家族を大切にする」と言いながら、結局は、かほかのメンバーを利用している
だけという人も、少なくない。そのよい例が、家父長意識である。

 家父長意識が強ければ強いほど、家父長、つまり「ご主人様」にとっては、たいへん居心地
のよい家庭かもしれない。が、ほかのメンバーにとっては、そうでない。つまりは、善玉、悪玉
のちがいは、「人」を大切にするか、「家」を大切にするかということになる。このタイプの人は、
当然のことながら、「家」を大切に考える。しかしこれは、家族主義でも、何でもない。ただの権
威主義という。

 つまり家族主義が、日本の本流となった今、その日本は、さらにその先へと進もうとしてい
る。それについては、これから先、もっと考えていきたい。そのヒントの一つとして、善玉家族主
義と、悪玉家族主義について書いてみた。
(はやし浩司 家族主義 善玉 悪玉 オズの魔法使い 愛国心)2007/09/25






目次へ戻る メインHPへ

●ピーターパンシンドローム

●VIDEO、「ネバーランド」を見る

++++++++++++++++++++

子どもぽいということは、何ら恥ずべきこと
ではない。

純真な心、美しい心を失ったら、人間は、お
しまい。

それを、「ネバーランド」は、教えてくれた。

++++++++++++++++++++

 ワイフが、近くのビデオショップで、「ネバーランド」を借りてくる。あの「ピータ・パン」の生い立
ちを、ビデオ化したものだという。

 マーク・フォースター監督、ジョニー・デップ、ケイト・ウィンスレット、ダスティン・ホフマン出演、
である。ケイト・ウィンスレットは、「タイタニック」のローズを演じた女優。それで、見た。

 最初は、どこかかったるいテンポ。途中で、数回、「もう見るのをやめようか」と思ったほど。
ただ色彩が美しく、ついつい見とれてしまう。まるで夢のような世界。が、途中から、引きこまれ
る。そしてケイト・ウィスレットが演ずる母親が、ネバーランドの世界へ入っていくときには、涙が
ホロホロ。

 「なるほど、こうしてあのピーター・パンが生まれたのか」と、思った。私はピーター・パンという
のは、ウォルト・ディズニーの作品だとばかり思っていた。★は、最初のかったるさが減点で、
星が★★★。

 ピーター・パンというと、おとなになれない少年をいう。心理学の世界にも、「ピーター・パン・シ
ンドローム」という言葉がある(後述、原稿添付)。しかしあえて反論しておこう。

 「子どもぽい」ということは、悪いことではない。人格の核形成が遅れて、幼稚ぽいというのと
は、別。子どもぽいというのは、子どもらしい、純真な心を残していることをいう。だから私は、
昔から、この「ピーター・パン・シンドローム」という言葉が嫌いだった。どこか、ピーター・パン
を、不完全な人間としてとらえているからである。

 この言葉を最初に思いついた、ダン・カイリーという人は、何か大切なものを、誤解していると
思う。幼児をもっとよく知っていたら、別の言葉を考えたかもしれない。

 で、ビデオを見て、一つ、重要なことに気づいた。とても、重要なことだ。

 あのフック船長は、ワニをたいへんこわがっている。ワニに、自分の片腕を食べられてしまう
という、苦い経験をもっているからだ。そのワニだが、目覚まし時計を飲みこんでしまったた
め、どこにいても、チックタック……と音をたてる。

 フック船長は、そのチックタックという、時計の音を聞くたびに、逃げる。が、ワニは、どこまで
も、フック船長を追いかける。チックタック、チックタック……、と。

 実は、そのフック船長は、時間に追いかけられて仕事をする、現代人を象徴しているものだ、
と。ビデオの中にも、それを暗示するような会話があったような気がする。

 「なるほど、そうだったのか」と、驚くやら、感心するやら。今まで、何度かピーター・パンの物
語を、映画やビデオで見てきた。が、そこまで深くは、考えなかった。気づかなかった。一見何
でもない、子ども向けの物語のようだが、昔の作家たちは、その奥に、さまざまな自分の思い
を織りこんでいた!

 で、私などは、毎日、毎時間、そのワニに追いかけられて仕事をしているようなもの。そのうし
ろでは、いつも、チックタック、チックタック……と、音が聞こえる。が、ネバーランドは、時計な
ど、もともと無縁な世界。そこではありとあらゆるものが、そのままの状態で、永遠の時を楽し
むことができる。

 それにもう一つ。妖精がこう言う。「妖精なんかいないと、子どもたちが言うたびに、1人ず
つ、この世から妖精が消えていく」と。「大切なことは、信ずることだ」と。わかりやすく言えば、
「美しい心なんか、もうない」と吐き捨てることではなく、「美しい心があると、信ずることである」
と。

 勝手な解釈だが、私は、そう思った。

 最後に一言。ピーター役を演じた、10歳くらいの少年の演技は、すばらしかった。よかった。
自然で、ぎこちなさが、まるでなかった。


Hiroshi Hayashi++++++++++Nov. 05+++++++++++++はやし浩司

●ピーターパン・シンドローム

ピーターパン症候群という言葉がある。日本では、「ピーターパン・シンドローム」とも
いう。いわゆる(おとなになりきれない、おとな子ども)のことをいう。

この言葉は、シカゴの心理学・精神科学者であるダン・カイリーが書いた「ピーターパ
ン・シンドローム」から生まれた。もともとこの本は、おとなになりきれない恋人や息子、
それに夫のことで悩む女性たちのための、指導書として書かれた。

 症状としては、無責任、自信喪失、感情を外に出さない、無関心、自己中心的、無頓着
などがあげられる。体はおとなになっているが、社会的責任感が欠落し、自分勝手で、わ
がまま。就職して働いていても、給料のほとんどは、自分のために使ってしまう。

 これに似た症状をもつ若者に、「モラトリアム人間」と呼ばれるタイプの若者がいる。さ
らに親への依存性がとくに強い若者を、「パラサイト人間」と呼ぶこともある。「パラサイ
ト」というのは、「寄生」という意味。

 さらに最近の傾向としては、おもしろいことに、どのタイプであれ、居なおり型人間が
ふえているということ。ピーターパンてきであろうが、モラトリアム型であろうが、はた
またパラサイト型であろうが、「それでいい」と、居なおって生きる若者たちである。

 つまりそれだけこのタイプの若者がふえたということ。そしてむしろ、そういう若者が、
(ふつうのおとな?)になりつつあることが、その背景にある。

 概して言えば、日本の社会そのものが、ピーターパン・シンドロームの中にあるのかも
しれない。

 国際的に見れば、日本(=日本人)は、世界に対して、無責任、自信喪失、意見を言わ
ない(=感情を外に出さない)、無関心、自己中心的、無頓着。

 それはともかく、ピーターパン人間は、親のスネをかじって生きる。親に対して、無意
識であるにせよ、おおきなわだかまり(固着)をもっていることが多い。このわだかまり
が、親への経済的復讐となって表現される。

 親の財産を食いつぶす。親の家計を圧迫する。親の生活をかき乱す。そしてそれが結果
として、たとえば(給料をもらっても、一円も、家計には入れない)という症状になって
現れる。

 このタイプの子どもは、乳幼児期における基本的信頼関係の構築に失敗した子どもとみ
る。親子、とくに母子の関係において、たがいに(さらけ出し)と(受け入れ)が、うま
くできなかったことが原因で、そうなったと考えてよい。そのため子どもは、親の前では、
いつも仮面をかぶるようになる。ある父親は、こう言った。「あいつは、子どものときから、
何を考えているか、よくわかりませんでした」と。

 そのため親は、子どもに対して、過干渉、過関心になりやすい。こうした一方的な育児
姿勢が、子どもの症状をさらに悪化させる。

 子どもの側にすれば、「オレを、こんな人間にしたのは、テメエだろう!」ということに
なる。もっとも、それを声に出して言うようであれば、まだ症状も軽い。このタイプの子
どもは、そうした感情表現が、うまくできない。そのため内へ内へと、こもってしまう。
親から見れば、いわゆる(何を考えているかわからない子ども)といった、感じになる。
ダン・カイリーも、「感情を外に表に出さない」ことを、大きな特徴の一つとして、あげて
いる。

 こうした傾向は、中学生、高校生くらいのときから、少しずつ現れてくる。生活態度が
だらしなくなったり、未来への展望をもたなくなったりする。一見、親に対して従順なの
だが、その多くは仮面。自分勝手で、わがまま。それに自己中心的。友人との関係も希薄
で、友情も長つづきしない。

 しかしこの段階では、すでに手遅れとなっているケースが、多い。親自身にその自覚が
ないばかりか、かりにあっても、それほど深刻に考えない。が、それ以上に、この問題は、
家庭という子どもを包む環境に起因している。親子関係もそれに含まれるが、その家庭の
あり方を変えるのは、さらにむずかしい。

 現在、このタイプの若者が、本当に多い。全体としてみても、うち何割かがそうではな
いかと思えるほど、多い。そしてこのタイプの若者が、それなりにおとなになり、そして
結婚し、親になっている。

 問題は、そういう若者(圧倒的に男性が多い)と結婚した、女性たちである。ダン・カ
イリーも、そういう女性たちのために、その本を書いた。

 そこでクエスチョン。

 もしあなたの息子や、恋人や、あるいは夫が、そのピーターパン型人間だったら、どう
するか?

 親のスネをかじるだけ。かじっても、かじっているという意識さえない。それを当然の
ように考えている。そしてここにも書いたように、無責任、自信喪失、感情を外に出さな
い、無関心、自己中心的、無頓着。

 答は一つ。あきらめるしかない。

 この問題は、本当に「根」が深い。あなたが少しくらいがんばったところで、どうにも
ならない。そこであなたがとるべき方法は、一つ。

 相手に合わせて、つまり、そういう(性質)とあきらめて、対処するしかない。その上
で、あなたなりの生活を、つくりあげるしかない。しかしかろうじてだが、一つだけ、方
法がないわけではない。

 その若者自身が、自分が、そういう人間であることに気づくことである。しかしこのば
あいでも、たいていの若者は、それを指摘しても、「自分はちがう」と否定してしまう。脳
のCPU(中央演算装置)の問題だから、それに気づかせるのは、容易ではない。

 が、もしそれに気づけば、あとは時間が解決してくれる。静かに時間を待てばよい。
(040201)
(はやし浩司 ピーターパン シンドローム ピーター・パン ピーターパン・シンドローム)



目次へ戻る メインHPへ

●幻惑

●幻惑に苦しむAさん

++++++++++++++++++++++++

Aさん(45歳)から、メールをもらうようになって、
もう2年になります。

家族といっても、いろいろな問題がありますね。最初
は、「林先生は、家族を大切に言いますが、私のような
家族もいることを知ってほしい」というようなメール
だったと思います。

+++++++++++++++++++++++++

 Aさんは、孤立している。実の母、兄がいるが、不誠実であることが、当たり前のような人た
ち。ウソをウソで塗りかためたような人たちだという。

 そこで最初は、親類の、オジ、オバに、相談していたが、そのオジ、オバも、これまた不誠実
な人たちばかり。Aさんの話したことは、すべて、みなに、筒抜け。しかもAさんが何かの問題を
かかえるたびに、あれこれ詮索(せんさく)してくるという。

 「私のことを心配して、そうするのではなく、酒の肴(さかな)にするためです。それに気づいて
からは、相談するのをやめました」と。

 Aさんの夫は、実業家。その地域でも、1、2を争う、中古車の販売ディーラーとして知られて
いる。

 「扱う金額が大きいため、私の夫は、リッチな人と思われていますが、本当は、毎月、ギリギ
リの生活をしています。とくにバブル経済がはじけてからは、そうです。しかし母や兄は、何か
につけて、私からお金を取りあげることしか考えていません」と。

 具体的には、実家の改築費、法事の費用など、すべて、Aさんが負担してきた。が、Aさんの
母親や兄は、自分たちが支払っているかのように、とりつくろうのだという。もちろん、オジ、オ
バたちは、それを知らない。「だから、いつも、私だけが悪者にされてしまうのです」と。

 そのAさんは、今では、こうした問題は、夫だけに相談して、それですませるという。「もう、母
も兄も、親戚の人は、だれも、信用していません」と。

 Aさんの実家は、日本海側の、ある県の、ある町にある。そのあたりでは、人の出入りも、ほ
とんど、ないという。そのため、家族、親類どうしが集まって、一つの大きな(輪)をつくるという。
が、Aさんは、その輪から飛び出して、人口20万人弱の、今住んでいるX市に、嫁いでやって
きた。実家からは、電車で、6〜7時間ほど、離れている。親元を離れて暮らすというだけでも、
親不孝者と呼ばれるという。とくに、女性(娘)は、そうだという。

 Aさんは、こう言う。「私と両親の関係が切れたのは、私が高校生のときではないかと思いま
す。私も、精神的にかなり荒れた時期があって、それで、とくに母親は、私のことを嫌い始めた
ようです」と。

 で、ここ数年は、何かと請求があっても、それには、応じないようにしているという。「2人の息
子が、大学に言っていますから」と。しかしAさんの兄は、「表では、いいよ、いいよと言いなが
ら、まるで真綿で首を締めるような言い方で、お金を出すように言ってきます」とのこと。

 具体的には、「母にじゅうぶんな治療をほどこしてあげたい」「オレの息子たちは、学費を工
面(くめん)できなかったら、大学進学をあきらめた」「うちは、本家(ほんや)だから、恥ずかし
い法事など、したくない」とかなど。

 私は、いつだったか、イギリスに、『2人の人に、よい顔はできない』という格言があることを教
えてやった。どちらか一方にしないと、疲れるのは、その人、ということになる。「だから、実家
意識など、もう捨てなさい」と。

 日本人独特の「家」意識が、実家意識になった。本家(ほんや)、新家(あらや)意識も、そこ
から生まれた。しかし今どき……??

 が、Aさんの苦悩が、それで終わったわけではない。1年ほど前、兄が何かの事業に手を出
した。そのとき、Aさんは、兄の連帯保証人になってしまった。(みなさん、たとえ兄弟、姉妹で
も、連帯保証人にだけは、絶対になってはいけませんよ!)

 兄は、最初、500万円足らずの借金で、事業を閉鎖。しかし1年後には、それがどういうわけ
か、1億円にまで、ふくれあがっていた! 幸い(?)、Aさんは、夫の会社から給料制で給料を
もらっているということになっていた。Aさん名義の財産は、なかった。そのため、Aさん個人
が、破産宣告をすることで、被害を、軽くすますことができた。

 「もし夫が名前を連ねていたら、会社ごと、もっていかれたと思います」と。

 が、それでも、Aさんの母親や兄は、Aさんに、お金をせびりつづけているという。Aさんは、最
近のメールでも、こう書いている。

 「いつになったら、私は、家族から解放されるのでしょうか?」と。そして「同窓会などで、郷里
へ帰っても、実家に寄らないでもどっていく人の話を聞くと、うらやましくてなりません」とも。

 Aさんは、郷里へ帰るたびに、実家はもちろん、オジ、オバの家にまで、あいさつ回りをしなく
てはいけないという。一度、1人のオジだけの家に寄らなかったことがある。そのときは、オジ
からわざわざ電話がかかってきたという。叱られたというか、怒鳴られたという。

 「こっそりと同窓会に出たくても、あとでそれがバレたら、大問題になります」と。

 そういう家族もある。家族自我群という、束縛に、がんじがらめになって、もがき苦しんでいる
人もいる。しかもふつうの苦しみではない。心理学でも、「幻惑」という言葉を使う。つまりその
苦しみは、ほかの世界にはない苦しみといってもよい。それに苦しむ。

 Aさんの話を聞くたびに、私は「家族って、何だろう」と考える。で、最近は、持論の家族主義
を説くときも、どこか遠慮がちになっている。







目次へ戻る メインHPへ

●チック

●子どものチック

++++++++++++++++++++

原因も理由もわかっている。
しかし、自分をコントロールすることができない。
そんな悩みをかかえているお母さんから、
掲示板のほうに、相談がありました。

++++++++++++++++++++

【Yさんからの相談】

息子(6歳8か月)のチックについてご相談させてください。家族構成は主人(35)、私(35)、本
人、妹(S)の4人家族です。

息子は、幼稚園の年長から2度ほど、1月ぐらいの間、首振りのチックの症状が出始めまし
た。始めは、前髪が伸びてくると、それが気になっていたのがくせになったのか、髪を短くする
と、すぐその症状は止まりました。しかし、この9月から、首振りがとてもひどくなり、目にあまる
ものになっています。

原因は、たぶん私にあると思います。小学校に入り、いきなり先生から、生活態度(忘れ物、整
理など)を、度々注意され、電話がかかったりで、息子をひどく怒ってしまうようになりました。そ
れ以前も、怒りはしなくても、過干渉になっていたところが多分にあると思います。

彼は、私に怒られないようにしたい気持ちと、でも反抗期もあるのか、口答えもたくさんします。
それもあって、私もますます怒ったり、悪循環を繰りかえす毎日です。

主人はとても優しくて、子どもにもかかわってくれていますが、あまりにもだらしない姿に、私の
怒りが移ってか、怒ってしまうようなこともありました。

いろいろなサイトや本を読んだりして、私との関係ということがよく分かります。

でも、宿題も忘れ物も、私が言わなかったらどうなるんだろう??、という不安な気持ちもあっ
て、ついついということがあります。

一番怒りすぎてはいけないなと思ったことは、友達の消しゴムを持ってきてしまったことが何回
もあって、それを見つけた私が怒るので、隠したり、うそをつくようになってしまったことです。そ
れについては、私も落ち着いて彼と話すことで、最近は、そのようなこともなくなりましたが・・・。

先生にご相談といっても、彼のチックの原因は私にあるのだなということが分かっているので、
とりとめのないお話になってしまいますが、今後の彼への接し方、私の心の持ち方など、もしア
ドバイスもらえればと思い、ご相談させていただきました。よろしくお願いします。

【はやしから、Yさんへ】

 ふつうでない(忘れ物)、ふつうでない(こだわり)、ふつうでない(ウソ)、ふつうでない(だらし
なさ)、そしてふつうでない(チック症状)が、出るようであれば、それぞれの問題に、個別に対
処しても、あまり意味はないと思います。

 こうした一連の症状は、あくまでも、表面的な症状と考えたほうがよいでしょう。年齢的にみ
て、下のお子さん(妹)が生まれてから、恒常的に欲求不満がたまり、それが、お子さん(6歳8
か月)の心を、その底流でゆがめていることも考えられます。

 それがときに攻撃的になったり、同情的になったりして、現在の親子関係をギクシャクさせて
いるのではないでしょうか。そしてそれがまた悪循環となり、Yさんは、過干渉、過関心となり、
子どもの行為をすべて、悪いほうへ、悪いほうへと解釈してしまう。一方、お子さんは、ますま
す、親の望む方向とは別の方へ進んでしまう。

 このままでは子どもへの不信感は、つのる一方かもしれませんね。わかりやすく言えば、親
子のリズムが、合っていない。そんな感じがします。

 そこで最初の問題は、お子さんにとって、家庭が、「心と体を休める場所」として機能している
かどうかということです。恐らく今の状態では、お子さんは、家の中で、心と体を休めることがで
きないのではないかと思います。

 たとえばYさんの姿を見たりすると、さっと、どこかへ逃げて行ってしまう、など。もしそうなら、
お子さんに問題を求めるのではなく、Yさん自身に、問題を求めたほうがよいかもしれません。

 しかしその「根」は、深いですよ。

 こうしたリズムの乱れは、結婚当初、妊娠当初、出産当初から、何らかの形で、あったはず
です。さらに言えば、Yさん自身が、男の子をもてあましている。その可能性もあります。Yさん
自身に、何か、Yさんの父親、あるいはYさんの男の兄弟に対して、わだかまりがあるのかもし
れません。(もし、男の兄弟がいるなら、という話ですが……。)

 さらに望まない結婚であったとか、望まない出産であったとか、そういうことも、ここでいう(わ
だかまり)の原因になることもあります。

 忘れ物くらいなら、だれでもしますよ。そういうとき先生によっては、軽い気持で、平気で、親
に電話をしてくることもあります。もしその時点で、Yさんが、お子さんを信じていれば、「あら、
すみません。よく言っておきます」程度で、すむはずです。

 それをいちいち大げさに考えてしまう。そしてお子さんに対してカリカリしてしまう。それはお子
さんの問題というよりは、あなた自身の問題ということになります。

 で、チックにも軽重があります。私の実感では、目や口の周辺だけに症状が限定されていれ
ば、それほど、心配しなくてもよいと思いますが、お子さんのように、ガクン、ガクンと首を振る
ようなチックは、かなり重いほうと考えてよいでしょう。さらにひどくなると、痙攣(けいれん)が全
身におよび、呼吸困難に陥ることもあります(ジル・デ・ラ・ツーレット症候群など)。そうなると、
教育の問題ではなく、医療の問題ということになります。

 Yさんのメールだけを読んでいると、お子さんは、何があっても、叱られてばかりいるような感
じがします。(本当は、そうではないのでしょうが……。)この年齢になると、叱ればなおるという
発想は、通用しません。おっしゃるとおり、悪循環に陥るだけです。

 が、それだけでは、すみません。

 すでに親子の間に、大きなミゾができつつあります。もうあと2、3年もすると、キレツから断絶
へと進んでいくかもしれません。Yさんが、「何とか修復しよう」とあせれば、あせるほど、そうな
るでしょう。

 で、アドバイスということになりますが、

(1)お子さんを友として、受け入れなさい!

 おかしな親意識は捨てて、また「親だから」「子だから」という上下意識は捨てて、お子さんの
横に立ちなさい。あなたが高校時代、友人に話しかけたように、お子さんに話しかけるのです。
頭ごなしに、ガミガミ言うのは、禁物ですよ。

(2)あなたの過去を冷静にみなさい!

 とくにあなたと、あなたの親(父親)との関係です。良好な親子関係を築いていましたか。兄か
弟がいれば、その兄か弟の関係は、どうでしたか。この問題は、冷静に過去を見ることから始
めます。あるいは、あなた自身の中に、学校神話や、学歴信仰があるのかもしれません。そう
いうものに、あなたは振り回されている可能性があります。

(3)家庭を、心と体を休める場所とすること!

 あなたのお子さんは、家庭で、じゅうぶん、心と体を休めることができていますか。幼児期ま
では、家庭はしつけの場所として機能しますが、子どもが学校へ入ることからは、その機能が
変わってきます。学校で、疲れて帰ってきた子どもを、さらに家庭で、叱ったりしたのでは、子ど
もは、行き場所がなくなってしまいます。

(4)チック症状は、簡単には消えない!

 環境が改善されたからといって、チック症状は、簡単には、消えません。クセとして定着する
こともあります。年中児に出ると、1、2年つづくことも、珍しくありません。日本でも有名なタレン
トや、どこかの知事も、テレビの前で、首を不自然に回転させたり、目をまばたきさせたりしま
す。クセとして定着してしまったからです。

 本人も意識しているときは、自分の意識でチック症状を抑えることができますが、ふとその意
識が薄れたようなときに、また出てきます。

(5)ふつうでない様子がひどいばあいには、一度、小児科へ!

 最初に書いた、ふつうでない症状が、あまりひどいようであれば、何らかの心の病気が疑わ
れます。一度、小児科、もしくは心療内科を訪問してみることを、お勧めします。ほかに気うつ
症的な症状、さらには神経症による症状などがみられるようであれば、なおさらです。

 Yさんにかぎらず、たいていの親は、子どもに何か問題が起きると、まず子どもをなおそうと
考えます。しかし自分をなおそうと考える親は、少ないです。つまり自分を知るということは、そ
れくらい、むずかしいことです。ですからYさん自身も、お子さんがそうであるからといって、自分
を責める必要はありません。

 こうした問題をきっかけに、親は親で、いろいろと勉強をし始めるわけです。幸いにも、Yさん
は、すでにかなりの部分まで、自分のことがわかっている。だからあと一歩です。

 そこで、こうしてみてください。

(6)許して忘れ、ほどよい親に心がける!

 言うべきことは言いながら、それですます。あとは許して忘れ、子どもの立場になって、忘れ
物をしないように、手助けしてあげます。先生から苦情があれば、すなおにそれを聞き、「すみ
ません」で、すませばよいのです。

 「うちの子は、やっぱりダメ」式のラベルを、絶対に張ってはいけません。

 この問題は、時間がかかります。今日から改めても、2、3年はかかります。もっとかかるかも
しれません。1回や2回、強く叱ったくらいで、なおるはずもないのです。(もしそんな簡単なこと
でなおるなら、教育など、必要ないということになりますね。)

 で、このタイプのお子さんほど、学校という集団の場で、神経をすり減らして、家に帰ってきま
す。そのため、家の中では、態度が反抗的になったり、生活習慣も、だらしなくなったりします。
そういうときは、「ああ、うちの子は、外の世界でがんばっているのだ。だから家の中では、こう
なのだ」と思いなおすようにしてみてください。

 とくのこのタイプのお子さんには、「暖かい無視」が必要かと思われます。愛情で包みながら、
無視するところは、無視します。その度量の広さこそが、あなたの愛情の深さということになり
ます。

 コマゴマしたことで、ガミガミは、禁物。それはつまり、あなた自身との戦いということになりま
す。あなたはお子さんに、コマゴマしたことで、ガミガミ言うのをやめることができますか。もしで
きるなら、よし。しかしできないようなら、あなたのお子さんの問題は、いつまでたっても、解決し
ないでしょう。

 きびしいことを書きましたが、今の年齢が、ちょうど、子育ての分かれ道になります。つまり重
要な時期ということです。あと1、2年で、お子さんは、親離れを始めます。そういうこともどこか
で考えながら、ここは、腹をすえて、子育てに、真正面から、取り組んでみてください。応援しま
す。

 チックは、そのあと、自然な形で、消えていきます。ほかの(ふつうでない症状)も、です。そし
てそのあと、あなたとお子さんは、すばらしい親子関係を築くことができます。
(はやし浩司 子育て 育児 子供の心 チック ツーレット ツーレット症候群)






目次へ戻る メインHPへ

【下の子の問題】

+++++++++++++++++++

友だちをキズつける二女。
それを心配して、あるお母さんから、
こんなメールが、届いています。

(北海道・M子より)

+++++++++++++++++++

【 お子さんの年齢(現在の満年齢) 】:11歳と9歳
【 お子さんの性別(男・女) 】:ふたりとも女の子
【 家族構成・具体的に…… 】:
父(45歳)母(41歳)長女(小学5年)次女(小学3年)

【相談内容】

上の子は、小さい時から好奇心旺盛で、男の子と対等に遊んでいました。いつも努力して何の
運動でもできるまでがんばります。

今現在も、人に負けるものがほとんどなく、勉強も家では宿題以外したのを見たことがありま
せんが、とてもできます。

言葉使いは男の子と対等に話し、お笑い大好きでものまねも上手です。女の子の友達もいま
すが、みんな、一歩、ひいてる感じだそうです。「言い方がきついため女の子が近寄りがたいだ
けで、一切意地悪なことはしていませんよ」との担任の言葉でした。

家では、そういう姉に勝つものがない次女は反発しても勝てないのもあって、私に助けを求め
にきます。家では妹とよく遊ぶし意地悪なことはしませんが、言い方がきついというのが私も気
になるところです。

その次女は、長女と違って、周りの友達ができることでもあせることなく、やる気がでたら挑戦
してみようかなっというタイプです。私たち両親も「あんたはできんでもいい、いい」と思ってしま
っているところがあります。勉強も漢字など覚える分野は得意ですが、算数がとても苦手です。

先日次女の担任から、最近クラスである友達と組んで、友達を無視したり、仲間はずれをした
り、ひどい口調で友達を傷つけたりしているようだと言われ、ショックでした。

そのことがあって、家では姉と言い合いさせるようにしています。ピアノが大好きで二人とも習
っていますが、それも姉には今はかないません。姉は自分の意思で小2のときから紅一点で柔
道をしていますが、次女はしたくないようです。

何か、姉に勝てるものをみつけようと、今考え中です。算数ができないのも気になりますが、友
達を傷つけることが一番気になることで、どの方向から考えていくべきか悩んでいます。先生
はどうお考えですか?

++++++++++++++++

【はやし浩司より、Mさんへ】

 めちゃめちゃ、できのよい兄、あるいは姉。しかしその反動からか(?)、目だたない弟か妹。

 よくあるケースです。

 ほかにたとえば、社会的に大活躍している親と、その陰で小さくなっている息子や娘の例など
もあります。こういうケースでは、なぜ下の子や、子どもがそうなるかについて、2つの理由が
考えられます。

 1つは、上の子どもの優位性を見せつけられるうちに、下の子が、劣等感を植えつけられ、
それがもとで、自信喪失に陥(おちい)ってしまうこと。もう1つは、上下意識の強い家庭環境の
中で、下の子が、卑屈になってしまうこと。まわりの人たちが、上の子や、父親に対して、「お兄
ちゃんはすごい。あなたもお兄ちゃんのようになりなさい」「お父さんはすばらしい。お父さんに
は、かなわないわね」と言えば言うほど、下の子や子どもは、「あなたはダメな子」と言われたよ
うに感じてしまうわけです。

こうした環境が慢性的につづくと、下の子は、ひどいばあいには、自己否定から、自暴自棄に
陥ってしまうこともあります。長い時間をかけて、そうなります。

 で、実は、こうした弊害は、学校教育の場でも、よく問題になります。よく優秀な子どもを、ほ
めたり、たたえたりします。それはそれとして、教育の1つの目的でもあるわけですが、しかしそ
の一方で、こうした行為は、そうでない子どもたちを、「ぼくは、何をしてもダメなのだ」と、スミに
追いやってしまうという危険性もあります。

 昔は、(勉強)だけで、その子どもを判断しましたから、こうした弊害が、強く現われました。お
かしなことですが、(勉強ができる子ども)イコール、(人格的にもすぐれた子ども)と考える風潮
すら、ありました。

そこで、学校教育という場では、子どもたちの世界をできるだけ多様化することによって、この
問題を解決しようとしています。「勉強だけが、すべてではないのだ」と、です。

つまりそれぞれの子どもには、それぞれの特徴があり、得意な面もあれば、苦手な面もあると
いう前提で、子どもをとらえるようにします。運動やスポーツ、美術や音楽などなど。そしてそれ
ぞれの分野で、子どもをほめたり、たたえたりします。

 が、それでも、そのワクからはずれてしまう子どももいます。とくに、一度、強い劣等感を覚
え、自信を喪失してしまった子どもは、何かにつけて、逃げ腰になってしまいます。自らに、「ダ
メ人間」のレッテルを張ってしまうからです。

 このタイプの子どもは、いくつかのパターンに分けて考えることができます。

(1)静かに、ことなかれ主義に徹する、沈黙型
(2)ひょうきんで、笑わせじょうずになる、道化型
(3)攻撃的に出て、乱暴者になる、攻撃型
(4)弱々しい自分を演ずることにより、人の注意をひきつける、同情型
(5)ベタベタとだれかに甘えようとする、依存型
(6)徹底してだれかに服従することによって、自分の立場を守る、服従型

 要するに、(顔のない自分)に徹するか、何らかの形で、(顔のある自分)を演ずるかのちが
いということになります。しかしそれ以上に注意しなければならないことは、このタイプの子ども
は、そうした自分を演じながら、そのウラで、心をゆがめやすいということです。

 卑屈になるのもその1つですが、ほかに、いじけやすくなる、ひがみやすくなる、ねたみやすく
なる、つっぱりやすくなるなどの症状が出てくることもあります。こんな例があります。

 A君という中学2年生の子どもがいました。今から思うと、LD児(学習障害児)ではなかった
かと思います。私は、当時、月謝をもらわないで、週3回、教えていました。

 そのA君を、さらに、ときどき、小学生のクラスへ入れて、教えていたこともあります。そんな
ある日のことです。

 何と、そのA君が、数歳年下の、小学生をいじめているのです。「お前、こんなのできねえの
か」「バカだなあ」「お前のようなバカは、生きている価値はねえよ」と。

 これには、驚きました。A君は、日ごろ友だちから言われていることを、そのまま、自分より弱
い立場の子どもに言っていたのです。そこで私がA君に、「そんなことを言ってはダメだ。この
子たちは、まだ、その勉強をしていないのだから」と。

 ここで私は「驚きました」と書きましたが、本当は、ショックを受けました。学校でいつもつらい
思いをしているだろうと思って、私は私なりに、少しでもそのつらさを軽くしてあげようと努力して
いました。が、その私の心にA君が答えるのではなく、むしろ私の心を、ひっくり返すようなこと
を、目の前でしたからです。と、同時に、私は、A君に何を教えてきたのだろうと、自分で自分に
疑問をもつようになりました。

 もっと具体的には、A君を教える気力が、半減してしまいました。一時は、ゼロになりました。

 しかしA君を責めてもいけません。A君は、学校で、いつも、友だちからそう言われているにち
がいないからです。それが反対の立場になったとき、A君の口から出てきたということです。

 以上は、学校や塾という世界で、よく経験する話です。そこでMさんの二女のケースについて
考えてみたいと思います。

 一般論から先に言うと、いじめられる子どもが、それだけ、精神的にきたえられ、すばらしい
子どもになるかというと、そうではないということです。そのため、心をゆがめる子どもも、約半
分は、います。そして今度は反対に、だれかをいじめる立場に回ることも、珍しくありません。い
じめられる前に、いじめるという行為に走ることもあります。

 おとなの世界でも、苦労を重ねた人が、それだけ精神的に高邁(こうまい)な人になるとはか
ぎりません。中には、かえって邪悪になり、小ズルい人になっていく人もいます。どうしてそうい
うふうに分かれていくかについては、また別の機会に説明するとして、同じようなことが、子ども
の世界でも、起こるということです。

 めちゃめちゃ、できのよい兄か姉をもったため、いつの間にか、スミへ追いやられた下の子
どもというのは、ここでいう(顔のない子ども)になりやすいということです。しかし本人は、決し
て、それをよしとはしません。

 そこでこのタイプの子どもは、そのはけ口を、別の世界で求めようとします。もう15年ほど前
になりますが、私は自分の本の中で、『子どもの心は風船玉』という格言を考えました。

 子どもの心というのは、風船玉のようなものです。どこかで圧力を加えると、その圧力は別の
ところで、別の形となって現れます。つまりそういう形で、子どもは、自分の心のバランスをとろ
うとするわけです。意識的な行為というよりは、これは無意識的な行為と考えたほうがよいで
す。子ども自身が、自分の中の別の自分に操られて、そうします。

 Mさんの二女のケースも、この図式に当てはめて考えると、かなり正確に理解できるのでは
ないでしょうか。

 では、どうするか?

 本来なら、姉とは別のことをさせるのがよいのですが、同じピアノ教室へ通わせたりしている
ところが、気になります。勉強面でも、どこか比較ばかりしているようなところも、気になります。
これでは、ますます二女のほうが、卑屈になるだけです。どうせ勝てないのですから……。つま
り同じように育てようと考えるのではなく、別々のことをさせるようにして、育てます。……といっ
ても、今から軌道修正するのも、たいへんですね。

 私なら……という言い方は少し変ですが、私なら、もう上の子には構わないで、下の二女の
ほうに、すべての神経をそそぐようにします。何か、得意な面、姉とはちがった面があるはずで
す。そちらのほうに、注意をそそぎます。そしてそれを励まし、伸ばすようにします。

 コツは、いくつかあります。

(1)不得意面には、目を閉じて、得意面だけを伸ばす。
(2)一芸をみつけたら、時間と、お金を惜しみなく、そそぐ。
(3)Mさんのケースでは、姉と二女を、できるだけ、切り離す、です。

 外の世界で、友だちをキズつけるようなことを言うという面については、家庭の中で居場所が
見つかれば、自然と消えていくと思われます。年齢的に考えても、まだ間にあいます。

 (3)番目の姉と切り離すということについては、もう1つの意味があります。

 姉自身が、ひょっとしたら、妹(二女)を押しつぶすための、何らかの働きかけをしている可能
性があるからです。もちろん無意識的に、そうしています。こういうケースでは、妹のほうの嫉
妬心が、そうした働きかけの原動力になっていることも考えられます。(親からみれば、50%、
50%ということになりますが、姉には、それが不満なのです。)

 ですから親の目の届かないところで、姉のほうが、二女を自信喪失にもっていっているので
はないかということも、疑ってみてください。『年の近い姉妹は、憎しみ相手』と、昔からよく言わ
れます。嫉妬がからむと、上の子は、いわゆる(きつい子)になります。そしてその反動として、
下の子は、Mさんの二女のようになります。そういうケースは、たいへん多いです。

 しかし全体としてみると、よくあるケースであり、またそれほど深刻な問題とはならないまま、
ことは推移していきます。ですから、ここではいろいろと書きましたが、あまり大げさには考えな
いこと。学校の先生から注意があったら、そのつど、その時点で、お子さんと話しあって、すま
せます。

 ここで大げさに二女を追いつめてしまえば、それこそ、二女は、行き場をなくしてしまいます。
こうした問題には、まだ、二番底、三番底がありますから、どうか注意してください。

 なお上の姉が、(きつい子)になったのは、下の子が生まれたことが原因による、赤ちゃんが
えりのバリエーションの1つです。赤ちゃんがえりが、攻撃型になり、それが定着したタイプと考
えるとわかりやすいでしょう。今回は、上の姉については、返事はいらないということなので、こ
の問題は、また別の機会に考えてみることにします。(そういう点では、上の子も、かなりさみし
い思いをしてきたのかもしれませんね。)

 以上、Mさんの子育てで、何かの参考になれば、うれしいです。あくまでも参考意見の1つとし
て、ご利用ください。今日は、これで失礼します。
(はやし浩司 下の子の問題 自信喪失 上の子の問題 子供の心理)

+++++++++++++++++++++++++++

【Mさんからの、追伸】

お返事読ませていただきました。
思いあたるところがたくさんあり、ショックもうけました。

夏休み前に、簡単な算数の時計の問題が理解できない次女に対し、だんだん腹がたってき
て、「あんたみたいな小学生はいない。幼稚園生にも負けてる」とか、お金の問題がわからない
ときには、「あんたは、大人になってお金にだまされてことになる」などと、ひどい言葉をあびせ
かけていました。

言ったあと、しまったと思うのですが・・・
その様子を見ていた長女が、「お母さんひどいこというねえ。自分が教えるからあっちに行って
て!」と言われ、長女にまかせたことがありました。長女は怒ることなく、教えてくれていました
が、次女にとってはそれもイヤだったかもしれません。

下の子はいつまでも赤ちゃんに思えて、私の無意識な行動が次女を傷つけていたと思いま
す。

はやし先生の言葉の中で、「ダメ人間のレッテルをはっている」ということ、その通りかもしれま
せん。

ピアノを一緒に習っているといいましたが、姉の方は正確に覚えてひけるので、先生もみんな
の見本のようなことを言うのをいつも下の子は見ています。(学年が違うから、クラスは違いま
す)

下の子は音感で音を覚えるようなので、楽譜を無視して、よく注意されています。ただ、親から
みると下の子の引き方のほうが、楽しそうでのびのびしているように感じます。
本当にピアノをひくことが大好きのようなので、これはずっと続けさせようと思います。

今、空手がやってみたいというので、道場をさがしています。
姉と同じ柔道ではなく、でも、近いものを選んでいるのが、不思議です。

先生のおっしゃるように、次女のほうに気持ちを傾けようと思います。

それから、算数と仲良くなるためにはどういうところから入ったらいいですか? 本人も算数と
仲良くなれば、自信がわくと思いますから。

ありがとうございました。






目次へ戻る メインHPへ

【世俗的現実主義】

+++++++++++++++++++

現実主義に陥(おちい)るあまり、
逆に、その現実の中で、自分を
見失うということは、よくあります。

それについて、書いてみます。

+++++++++++++++++++

●自分をだます

 私たちは(現実)を、あまりにも過大評価しすぎている。現実が、決して、すべてではない。現
実主義が悪いわけではないが、その現実を過大評価しすぎるあまり、時として、もっと大切なも
のを、見失ってしまうことがある。こういうのを、世俗的現実主義という。

 たとえば今、そこに見えるものが、決して、すべてではない。すべてと、思いこんでいるだけ。

 よい例が、テレビタレントの世界。先日も、駅前を通り過ぎたら、若い女の子たちが、キャー
キャーと騒いでいた。見ると、どこかで見たことがあるような顔の、テレビタレントだった。

 女の子たちは、あたかもそうでなければならないといった風に、興奮したまま、そのタレントの
名前を連呼していた。

●現実は、ただのバカ面(づら)

 しかし現実をみたらよい。もっと、よく見たらよい。私から見れば、ただのバカ面(づら)。いつ
か、恩師のT教授が、「昆虫の脳ミソと同じ構造の脳ミソをもった人間」と表現したが、私も、そ
う思う。

同じ人間というよりも、平均的な日本人よりも、レベルが低い。しかし女の子たちは、テレビに
出ているというだけで、その現実を見失ってしまう。何かに操られるように、キャーキャーと歓声
をあげる。

 あるいは、私も学生時代、何も迷わず、就職といえば、商社マンの道を選んだ。日本がちょう
ど、高度成長期に入ったころである。が、その意識とて、結局は、時代の流れの中で作られた
ものだった。私は目の前の現実に引きまわされるあまり、自分、つまり本当の自分を見失って
いた。

 そこで、こうした(現実)から、自分を切り離すためには、どうしたらよいのか。1つの方法とし
て、自分をだましてみるという方法がある。

 「私は、高貴な生まれの人間だ」、本当は、自転車屋の息子だが……。
 「私の車は、ベンツだ」、本当は、TOYOTA・ビッツだが……。
 「私は、世界一の教育者だ」、本当は、しがない幼児教室の講師だが……。
 「私の家は、大御殿だ」、本当は、築29年のボロ家だが……。

 ……と、自分をどんどんとだましてみる。他人をだますのは、悪いことだが、自分をだますこと
は、悪いことでも何でもない。つまりこうして私は、自分を世俗的な現実と切り離すことができ
る。

 なぜ、こんなことを書くか? それには、理由がある。

●襲いくる世俗的現実

 先日、大学の同窓会に出てみた。そのとき、もっぱらの話題は、やはり年齢。たしかに私は、
58歳になったところだが、しかしその実感が、ほとんど、ない。30年前だったら、みな、55歳
で定年退職をして、そのあと、年金生活に入ったものだ。

 しかし「58歳」という事実は、本当に、現実なのだろうか? 現実として、認める必要がある
のだろうか?

 だから私は、こう叫んだ。「私は、48歳だア!」と。「58歳だ」と思うと、そこにもろもろの現実
が、おおいかぶさってくる。私はともかくも、世間は、そういう目で私を見る。いくら世間など気に
しないといっても、その世間が容赦なく、私に制限を加えてくる。そしていつの間にか、私は、私
を離れて、その世間に迎合してしまう。

 車にしても、私はTOYOTAのビッツに乗っている。車には興味はないし、車というのは、走れ
ばよい。しかし世間は、乗っている車で、その人の価値を決めるようなところがある。それはそ
れで構わないが、だからといって、乗っている私が、卑屈になることはない。

 だから自分をだます。「私の車は、ベンツだ」と。静かに目を閉じて、そう思えばよい。つまり
そうすることで、世俗的現実主義を払拭(ふっしょく)することができる。と、同時に、ものの価値
を、もっと、真正面からとらえることができるようになる。

●私の失敗

 たとえばここに一枚の絵がある。絵画がある。

 私は30代のころ、その絵画を、投資という目的でしか、見なかった。あまったお金ができる
と、それで絵を買いこんだ。しかしこれは大失敗だった。(損もしたが……。)

 そのおかげで、いまだに絵を見ても、「有名人の描いた絵か?」「値段はいくらくらいだろ
う?」とか、そんな目でしか見ることができない。そしてもっと悲しいことに、せっかくすばらしい
絵を見ても、無名の人の絵だったりすると、心のどこかで、「つまらない」と、先に思ってしまう。

 こうした例は、多い。本当に、多い。駅前で、キャーキャーと歓声をあげていた若い女性たち
にしても、そうだ。そういう女性たちは、まさに世俗的現実の中で、自分を見失ってしまってい
る。

 だから私は今、自分を懸命にだまそうとしている。

 「私は、48歳だア!」と。おかげで、健康だし、これといって、大きな病気もない。仕事も順調
だし、家庭も、円満。その私がどうして世俗的現実などによって、左右されなければならないの
か。

 「私が書いている育児論は、日本でも最高のものだぞ!」と、ついでに今、そう自分をだまし
てみた。

 そうそう、そういう生きザマを書き表したのが、セルバンテス。『ドン・キホーテ』が、それであ
る。

++++++++++++++++++++

以前、『ドン・キホーテ』について書いた
原稿を、ここに添付します。

3年前の原稿なので、荒っぽいところが
あるかもしれません。お許しください。

++++++++++++++++++++

●私はドン・キホーテ

 セルバンテス(ミゲル・デーサーアベドラ・セルバンテス・1547〜1616・スペインの小説家)
の書いた本に、『ドン・キホーテ』がある。『ラマンチャの男』とも呼ばれている。夢想家という
か、妄想家というか、ドン・キホーテという男が、自らを騎士と思いこみ、数々の冒険をするとい
う物語である。

 この物語のおもしろいところは、ひとえにドン・キホーテのおめでたさにある。自らを騎士と思
いこみ、自分ひとりだけが正義の使者であり、それこそ世界をしょって立っていると思いこんで
しまう。そして少し頭のにぶい、農夫のサンチョを従者にし、老いぼれたロバのロシナンテに乗
って、旅に出る……。

 こうした「おめでたさ」は、ひょっとしたら、だれにでもある。実のところ、この私にもある。よく
ワイフは私にこう言う。「あんたは、日本の教育を、すべてひとりで背負っているみたいなことを
言うね」と。最近では、「あなたは日本の外務大臣みたい」とも。私があれこれ国際情勢を心配
するからだ。

 が、考えてみれば、私一人くらいが、教育論を説いたところで、また国際問題を心配したとこ
ろで、日本や世界は、ビクともしない。もともと、だれも私など、相手にしていない。それはいや
というほどわかっているが、しかし、私はそうではない。「そうではない」というのは、相手にされ
ていると誤解しているというのではない。私は、だれにも相手にされなくても、自分の心にブレ
ーキをかけることができないということ。そういう意味で、ドン・キホーテと私は、どこも違わな
い。あるいはどこが違うのか。

 よく、私塾を経営している人たちと、教育論を戦わすことがある。私塾の経営者といっても、
経営だけを考えている経営者もいるが、中には、高邁(こうまい)な思想をもっている経営者
も、少ないが、いる。私が議論を交わすのは、後者のタイプの経営者だが、ときどき、そういう
経営者と議論しながら、ふと、こう思う。「こんな議論をしたところで、何になるのか?」と。

 私たちはよく、「日本の教育は……」と話し始める。しかし、いくら議論しても、まったく無意
味。それはちょうど、街中の店のオヤジが、「日本の経済は……」と論じるのに、よく似ている。
あるいはそれ以下かもしれない。論じたところで、マスターベーションにもならない。しかしそれ
でも、私たちは議論をつづける。まあ、そうなると、趣味のようなものかもしれない。あるいは頭
の体操? 自己満足? いや、やはりマスターベーションだ。だれにも相手にされず、ただひた
すら、自分で自分をなぐさめる……。

 その姿が、いつか、私は、ドン・キホーテに似ていることを知った。ジプシーたちの芝居を、現
実の世界と思い込んで大暴れするドン・キホーテ。風車を怪物と思い込み、ヤリで突っ込んで
いくドン・キホーテ。それはまさに、「小さな教室」を、「教育」と思い込んでいる私たちの姿、そ
のものと言ってもよい。

 さて私は、今、こうしてパソコンに向かい、教育論や子育て論を書いている。「役にたってい
る」と言ってくれる人もいるが、しかし本当のところは、わからない。読んでもらっているかどうか
さえ、わからない。しかしそれでも、私は書いている。考えてみれば小さな世界だが、しかし私
の頭の中にある相手は、日本であり、世界だ。心意気だけは、日本の総理大臣より高い? 
国連の事務総長より高い? ……勝手にそう思い込んでいるだけだが、それゆえに、私はこう
思う。「私は、まさに、おめでたいドン・キホーテ」と。

 これからも私というドン・キホーテは、ものを書きつづける。だれにも相手にされなくても、書き
つづける。おめでたい男は、いつまでもおめでたい。しかしこのおめでたさこそが、まさに私な
のだ。だから書きつづける。
(02―12―21)

++++++++++++++++++

●毎日ものを書いていると、こんなことに気づく。それは頭の回転というのは、そのときのコン
ディションによって違うということ。毎日、微妙に変化する。で、調子のよいときは、それでよい
のだが、悪いときは、「ああ、私はこのままダメになってしまうのでは……」という恐怖心にから
れる。そういう意味では、毎日、こうして書いていないと、回転を維持できない。こわいのは、ア
ルツハイマーなどの脳の病気だが、こうして毎日、ものを書いていれば、それを予防できるの
では……という期待感もある。

●ただ脳の老化は、脳のCPU(中央演算装置)そのものの老化を意味するから、仮に老化し
たとしても、自分でそれに気づくことはないと思う。「自分ではふつうだ」と思い込んでいる間に、
どんどんとボケていく……。そういう変化がわかるのは、私の文を連続して読んでくれる読者し
かいないのでは。あるいはすでに、それに気づいている読者もいるかもしれない。「林の書いて
いる文は、このところ駄作ばかり」と。……実は、私自身もこのところそう思うようになってき
た。ああ、どうしよう!!

++++++++++++++++++

●太陽が照っている間に、干草をつくれ。(セルバンテス「ドン・キホーテ」)

●命のあるかぎり、希望はある。(セルバンテス「ドン・キホーテ」)

●自由のためなら、名誉のためと同じように、生命を賭けることもできるし、また賭けねばなら
ない。(セルバンテス「ドン・キホーテ」)

●パンさえあれば、たいていの悲しみは堪えられる。(セルバンテス「ドン・キホーテ」)

●裸で私はこの世にきた。だから私は裸でこの世から出て行かねばならない。(セルバンテス
「ドン・キホーテ」)

●真の勇気とは、極端な臆病と、向こう見ずの中間にいる。(セルバンテス「ドン・キホーテ」)

+++++++++++++++++++

 今、気がついたが、セルバンテスという人は、私が生まれる、ちょうど400年前に生まれた作
家だそうだ。私は1947年生まれ。セルバンテスは、1547年生まれ。どうでもよいことだが、
「400年ねエ〜」と思ったまま、しばらくキーボードを叩くのが、止まってしまった。

 要するに、私たちは、現実を見失って生きてはいけない。しかしその現実に毒されるあまり、
反対に、世俗的現実主義に振り回されてもいけない。もちろん空中の楼閣に住むようになって
はいけないが、しかし、ロマンを忘れたら、人間は、おしまい。
12660











検索文字(以下、順次、収録予定)
BWきょうしつ BWこどもクラブ 教育評論 教育評論家 子育て格言 幼児の心 幼児の心理 幼児心理 子育て講演会 育児講演会 教育講演会 講師 講演会講師 母親講演会 はやし浩司 林浩司 林浩 子供の悩み 幼児教育 幼児心理 心理学 はやし浩司 親子の問題 子供 心理 子供の心 親子関係 反抗期 はやし浩司 育児診断 育児評論 育児評論家 幼児教育家 教育評論家 子育て評論家 子育ての悩みはやし浩司 教育評論 育児論 幼児教育論 育児論 子育て論 はやし浩司 林浩司 教育評論家 評論家 子供の心理 幼児の心理 幼児心理 幼児心理学 子供の心理 子育て問題 はやし浩司 子育ての悩み 子供の心 育児相談 育児問題 はやし浩司 幼児の心 幼児の心理 育児 はやし浩司 育児疲れ 子育てポイント はやし浩司 静岡県 浜松市 幼児教育 岐阜県美濃市 金沢大学法文学部卒 はやし浩司 教育評論家 幼児教育評論家 林浩司 静岡県 浜松市 幼児教育 岐阜県美濃市生まれ 金沢大学法文学部卒 教育評論家 はやしひろし 林ひろし 静岡県 浜松幼児教育 岐阜県美濃市生まれ 金沢大学法文学部卒 教育評論家 はやし浩司・林浩二(司) 林浩司 静岡県 浜松市 幼児教育 岐阜県美濃市生まれ 金沢大学法文学部卒 教育評論家 Hiroshi Hayashi / 1970 IH student/International House / Melbourne Univ. writer/essayist/law student/Japan/born in 1947/武義高校 林こうじ はやしこうじ 静岡県 浜松市 幼児教育 岐阜県美濃市生まれ金沢大学法文学部卒 教育評論家 ハローワールド(雑誌)・よくできました(教材) スモッカの知恵の木 ジャックと英語の木 (CAI) 教材研究  はやし浩司 教材作成 教材制作 総合目録 はやし浩司の子育て診断 これでわかる子育てアドバイス 現場からの子育てQ&A 実践から生まれたの育児診断 子育てエッセイ 育児診断 ママ診断 はやし浩司の総合情報 はやし浩司 知能テスト 生活力テスト 子どもの能力テスト 子どもの巣立ち はやし浩司 子育て診断 子育て情報 育児相談 子育て実践論 最前線の子育て論 子育て格言 はやし浩司 子どもの問題 子供の問題 育児相談 子どもの心 子供の心 子どもの心理 子供の心 はやし浩司 不登校 登校拒否 学校恐怖症 はやし浩司 子育て実例集 子育て定期検診 子どもの学習指導 はやし浩司 子供の学習 学習指導 子供の学習指導 はやし浩司 子どもの生活指導 子供の生活 子どもの心を育てる 子供の心を考える 発語障害 浜松中日文化センター BW教室 はやし浩司の才能教室 幼児教室 幼児知能教室 浜松市 BWこどもクラブ はやし浩司 子育て診断 育児アドバイス 子育てアドバイス 子育て情報 育児情報 育児調査 はやし浩司 子育ての悩み 育児問題 育児相談 はやし浩司 子育て調査 子育て疲労 育児疲れ 子どもの世界 中日新聞 Hiroshi Hayashi Hamamatsu Shizuoka/Shizuoka pref. Japan 次ページの目次から選んでください はやし浩司のホームページ 悩み調査 はやし浩司の経歴 はやし浩司 経歴 人物 子どもの叱り方 ポケモンカルト ポケモン・カルト 子どもの知能 世にも不思議な留学記 武義高・武義高校同窓会 古城会 ドラえもん野比家の子育て論 クレヨンしんちゃん野原家の子育て論 子育て教室 はやし浩司 浜松 静岡県 はやし浩司 子どもの指導法 子どもの学習指導 家族主義 子どものチエックシート はやし浩司 はやしひろし 林ひろし 林浩司 静岡県浜松市 岐阜県美濃市 美濃 経済委員会給費留学生 金沢大学法文学部法学科 三井物産社員 ニット部輸出課 大阪支店 教育評論家 幼児教育家 はやし浩司 子育てアドバイザー・育児相談 混迷の時代の子育て論 Melbourne Australia International House/international house/Hiroshi Hayashi/1970/ はやし浩司 ママ診断 過保護 過干渉・溺愛 過関心 教育論 子どもの巣立ち論 メルマガ Eマガ はやし浩司 子育て最前線のあなたへ・子育てはじめの一歩 子育て はじめの一歩・最前線の子育て論 子育て最前線の育児論 はやし浩司 入野町 林浩司 林 浩司 東洋医学基礎 目で見る漢方・幼児教育評論家 子育てアドバイザー 子どもの世界 子供の世界 育児如同播種・育児相談 子育てアドバイス 教育相談 はやし浩司・はやしひろし 林ひろし 林浩司 林こうじ 浜松市入野町 テレビ寺子屋 最前線の子育て論 子育てストレス 最前線の子育て はやし浩司 著述 執筆 評論 ファミリス ママ診断 メルボルン大学 はやし浩司 日豪経済委員会 日韓交換学生 三井物産元社員 子どもの世界 子供の世界 子育ての悩み 育児一般 子供の心 子どもの心 子育て実戦 実践 静岡県在住 はやし浩司 浜松 静岡県浜松市 子育て 育児相談 育児問題 子どもの心 子供の心 はやし浩司 心理 心理学 幼児教育 BW教室 はやし浩司 子どもの問題 子供の問題 発達心理 育児問題 はやし浩司子育て情報 子育ての悩み 無料相談 はやし浩司 無料マガジン 子育て情報 育児情報 はやし浩司 林浩司 林ひろし 浜松 講演会 講演 はやし浩司 林浩司 林 浩司 林こうじ コージ 林浩司 はやしひろし はやしこうじ 林浩二 浩司 東洋医学 経穴 基礎 はやし浩司 教材研究 教材 育児如同播種 育児評論 子育て論 子供の学習 学習指導 はやし浩司 野比家の子育て論 ポケモン カルト 野原家の子育て論 はやし浩司 飛鳥新社 100の箴言 日豪経済委員会 給費 留学生 1970 東京商工会議所 子育ての最前線にいるあなたへ 中日新聞出版 はやし浩司 林浩司 子育てエッセイ 子育てエッセー 子育て随筆 子育て談話 はやし浩司 育児相談 子育て相談 子どもの問題 育児全般 はやし浩司 子どもの心理 子育て 悩み 育児悩み 悩み相談 子どもの問題 育児悩み 子どもの心理 子供の心理 発達心理 幼児の心 はやし浩司 幼児の問題 幼児 相談 随筆家 育児 随筆家 育児エッセー 育児エッセイ 母親の心理 母親の問題 育児全般 はやし浩司 林浩司 林こうじ はやしこうじ はやしひろし 子育て アドバイス アドバイザー 子供の悩み 子どもの悩み 子育て情報 ADHD 不登校 学校恐怖症 怠学 はやし浩司 はやし浩司 タイプ別育児論 赤ちゃんがえり 赤ちゃん言葉 悪筆 頭のいい子ども 頭をよくする あと片づけ 家出 いじめ 子供の依存と愛着 育児ノイローゼ 一芸論 ウソ 内弁慶 右脳教育 エディプス・コンプレックス おてんばな子おねしょ(夜尿症) おむつ(高層住宅) 親意識 親の愛 親離れ 音読と黙読 学習机 学力 学歴信仰 学校はやし浩司 タイプ別育児論 恐怖症 家庭教師 過保護 過剰行動 考える子ども がんこな子ども 緩慢行動 かん黙児 気うつ症の子ども 気負い 帰宅拒否 気難しい子 虐待 キレる子ども 虚言(ウソ) 恐怖症 子供の金銭感覚 計算力 ゲーム ケチな子ども 行為障害 心を開かない子ども 個性 こづかい 言葉能力、読解力 子どもの心 子離れ はやし浩司 タイプ別育児論 子供の才能とこだわり 自慰 自意識 自己嫌悪 自殺 自然教育 自尊心 叱り方 しつけ 自閉症 受験ノイローゼ 小食 心的外傷後ストレス障害 情緒不安 自立心 集中力 就眠のしつけ 神経質な子ども 神経症 スキンシップ 巣立ち はやし浩司 タイプ別育児論 すなおな子ども 性教育 先生とのトラブル 善悪 祖父母との同居 大学教育 体罰 多動児男児の女性化 断絶 チック 長男・二男 直観像素質 溺愛 動機づけ 子供の同性愛 トラブル 仲間はずれ 生意気な子ども 二番目の子 はやし浩司 タイプ別育児論 伸び悩む子ども 伸びる子ども 発語障害 反抗 反抗期(第一反抗期) 非行 敏捷(びんしょう)性 ファーバー方式 父性と母性 不登校 ぶりっ子(優等生?) 分離不安 平和教育 勉強が苦手 勉強部屋 ホームスクール はやし浩司 タイプ別育児論 本嫌いの子ども マザーコンプレックス夢想する子ども 燃え尽き 問題児 子供のやる気 やる気のない子ども 遊離(子どもの仮面) 指しゃぶり 欲求不満 よく泣く子ども 横を見る子ども わがままな子ども ワークブック 忘れ物が多い子ども 乱舞する子ども 赤ちゃんがえり 赤ちゃん帰り 赤ちゃん返り 家庭内暴力 子供の虚言癖 はやし浩司 タイプ別育児論はじめての登園 ADHD・アメリカの資料より 学校拒否症(不登校)・アメリカ医学会の報告(以上 はやし浩司のタイプ別育児論へ)東洋医学 漢方 目で見る漢方診断 東洋医学基礎編 はやし浩司 東洋医学 黄帝内経 素問 霊枢 幼児教育 はやし浩 林浩司 林浩 幼児教育研究 子育て評論 子育て評論家 子どもの心 子どもの心理 子ども相談 子ども相談 はやし浩司 育児論 子育
て論 幼児教育論 幼児教育 子育て問題 育児問題 はやし浩司 林浩司