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【教育基本法改正】

【改正基本法成立!】

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教育基本法なって、私には関係ないと
あなたは思っていないか?

もし、そうなら、それはとんでもない
まちがい。

その影響は、まさに甚大!

大げさなことを言っているのではない。

よい例が、若者たちの政治的無関心。

なぜこうまで若者たちが政治に無関心に
なってしまったか。

それを決めたのが、たった3通の文部省(当時)
の通達であったことを、あなたは知っているか?

たった3通だぞ!

つまり教育基本法には、それくらいのパワーが
ある。

それがわからなければ戦前の日本を見ればよい。

あの軍国主義を先頭に立って、推し進めたのが、
ほかならぬ、文部省だった。洗脳教育というのは、
それくらい恐ろしい。

日本人は意識しないうちに、ジワジワと、
洗脳されていく。

それが教育基本法。教育の憲法ということは、
これから先、日本は、ますます戦前の日本に
近づいてくる。

はからずも、藤原M氏の書いた、「国家の品格」が、
数百万部(220万部、06年11月)も売れた
という。

1回の公開討論会に、数千万円もの予算をかけて
世論づくりする、この日本!
あなたは、何か、胡散(うさん)臭いものを、
こうした流れの中に感じないか?

まず私が、5年前に書いた原稿を読んでほしい。

5年前だぞ!

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●無関心な人たち

 英語国では、「無関心層(Indifferent people)」というのは、それだけで軽蔑の対象にな
る。非難されることも多い。だから「あなたは無関心な人だ」と言われたりすると、その人はそ
れをたいへん不名誉なことに感じたり、ばあいによっては、それに猛烈に反発したりする。

 一方、この日本では、政治については、無関心であればあるほど、よい子ども(?)ということ
になっている。だから政治については、まったくといってよいほど、興味を示さない。関心もな
い。感覚そのものが、私たちの世代と、違う。

ためしに、今の高校生や大学生に、政治の話をしてみるとよい。ほとんどの子どもは、「セイジ
……」と言いかけただけで、「ダサ〜イ」とはねのけてしまう。(実際、どの部分がどのようにダ
サイのか、私にはよく理解できないが……。「ダサイ」という意味すら、よく理解できない。)

●政治に無関心であることを、もっと恥じよう!
●社会に無関心であることを、もっと恥じよう!
●あなたが無関心であればあるほど、そのツケは、つぎの世代にたまる。今のこの日本が、そ
の結果であるといってもよい。これでは子どもたちに、明るい未来はやってこない。

では、なぜ、日本の子どもたちが、こうまで政治的に無関心になってしまったか、である。

●文部省からの3通の通達

日本の教育の流れを変えたのが、3通の文部省通達である(たった3通!)。文部省が1960
年に出した「文部次官通達」(6月21日)、「高校指導要領改定」(10月15日)、それに「初等
中等局長通達」(12月24日)。

 この3通の通達で、(1)中学、高校での生徒による政治活動は、事実上禁止され、(2)生徒
会活動から、政治色は一掃された。さらに(3)生徒会どうしの交流も、官製の交流会をのぞい
て、禁止された。

当時は、安保闘争の真っ最中。こうした通達がなされた背景には、それなりの理由があった
が、それから40年。日本の学生たちは、完全に、「従順でもの言わぬ民」に改造された。その
結果が、「ダサイ?」ということになる。

 しかし政治的活力は、若い人から生まれる。どんな生活であるにせよ、一度その生活に入る
と、どんな人でも保守層に回る。そしてそのまま社会を硬直させる。今の日本が、それである。

構造改革(官僚政治の是正)が叫ばれて、もう10年以上になるが、結局は、ほとんど何も改革
されていない。このままズルズルと先へ行けばいくほど、問題は大きくなる。いや、すでに、日
本は、現在、にっちもさっちも立ち行かない状態に追い込まれている。あとはいつ爆発し、崩壊
するかという状態である。

 それはさておき、ここでもわかるように、たった3通の、次官、局長クラスの通達で、日本の教
育の流れが変わってしまったことに注目してほしい。そしてその恐ろしさを、どうか理解してほし
い。日本の教育は、こういう形で、中央官僚の思うがままにあやつられている。

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同じく、4年間に書いた原稿。

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犬の遠吠え!

●どこかおかしいぞ、この日本!

H市の市役所に勤める知人のK氏(50歳課長)はこう言った。「こういう時代になってみると、
公務員になって、つくずくよかったと思います。デフレで物価も安くなり、生活も楽になりました」
「公務員に公僕意識? そんなもの、絶対にありませんよ。公僕意識など、絶対にない。私が
保証します」「公務員の数は、今の2分の1で十分。3分の1でもいいかな」と。……これが公務
員の人たちの偽らざる本音ではないのか。

●どんとやってくる老後

 子育てが終わると、どんとやってくるのが、老後。子育てで夢中の間は、それに気づかない。
「子どもたちよ、早くおとなになれ」「早く子育てから解放されたい」と思いながら、別の心で、そ
れなりに自分が年をとっていくのを納得していた。が、かくも、早く流れていくものとは……!

●1億円もかかる?

 気がついてみると、このところ体力も気力も、がくんと落ちた。集中力もつづかない。当然の
ことながら、その分、収入も減った。ときどき「このままだと、自分はどうなるのか」と考える。多
分、みじめな老後になることだろう。退職金も天下り先も、年金もない。

国民年金というのには、24歳のときから加入しているが、あんなものはアテにならない。それ
がよいとは思わないが、この日本では、公務員になったほうが、絶対、得! 何といっても、官
僚主義国家。完全終身雇用に完全年功序列。近所のU氏など、旧国鉄を満55歳で退職して
から、以来、月額32万円と少しの年金を受け取っている。それがもう26年になる。総額で、ち
ょうど一億円!! 

私が彼と同じような生活をしようと思えば、今、この段階で、1億円の貯金がなければならな
い。しかしそんな貯金、どこにある! 「ああ、私もどこかの公務員になっておけばよかった…
…」と、思うのは、敗北を認めるようなもの。だから、そう思いたくないが、この不公平感が、受
験戦争の元凶になっていることを忘れてはならない。

●結局は、私が悪い

 先週も、ワイフとこう話し合った。「こうなったら、健康しかない。幸い、ぼくたちは健康だから、
死ぬまで健康でいよう」と。健康なら、何とか働くことができる。その分、多少なりとも、収入が
見込める。「だから健康でいよう」と。

 しかしもしその健康も、あやしくなったら……? 考えるだけでも、ぞっとする。さらに仕事がな
くなったら……? ますますぞっとする。どこかの老人ホームへ入ろうと考えていたが、それす
らむずかしくなる。考えてみれば、こういう社会をつくってしまった、私が悪いのだ。公務員だけ
が、どうしてこうまで手厚く保護されるのだろう。また手厚く保護しなければならないのだろう。
公務員といっても、国家公務員や地方公務員だけではない。

●それぞれの人に責任があるわけではないが……

 よく政府は、「日本の公務員の数は、欧米と比べても、それほど多くない」と言う。が、これは
ウソ。国家公務員と地方公務員の数だけをみれば確かにそうだが、日本にはこのほか、公
団、公社、政府系金融機関、電気ガスなどの独占的営利事業団体がある。

これらの職員の数だけでも、「日本人のうち7〜8人に1人が、官族」(徳岡孝夫氏)だそうだ。
が、これですべてではない。

この日本にはほかに、公務員のいわゆる天下り先機関として機能する、協会、組合、施設、社
団、財団、センター、研究所、下請け機関、さらに関連団体の隠れファミリー企業がある。この
組織は全国の津々浦々、市町村の「村」レベルまで完成している。あの旧文部省だけでも、こ
うした外郭団体が、1800団体近くもある。

 こうした組織や団体の人は、この不況下にあっても、不況など、どこ吹く風。わが世の春を謳
歌している。が、そのためたまりにたまった、国の借金が、もうすぐ1000兆円! 1000兆円
だ! 日本人1人あたり、約6800万円! 

これは年収500万円(国の税収が50兆円)の人が、毎月25万円(赤字国債30兆円)ずつの
借金をしながら、なおかつほかに、1億円の借金をかかえていることに等しい。

年収500万円の人に、1億円の借金など、返せるわけがない。1人ひとりの公務員の方に責
任があるわけではないが、どうかどうか、心のどこかで、うしろめたさを少しは感じてほしい。こ
の日本、あまりにも不公平! 不公平すぎる!

●破産するのは確実

 ……と、ぼやいても、どうしようもない。どのみち、この日本は破産する。ここ数か月以内とい
う学者もいるが、数年以内という学者もいる。しかし遅れれば遅れるほど、借金は雪だるま式
にふえ、その被害は拡大する。今日は無事でも、明日、どうなるかわからない。本当は、あの
バブルがはじけた直後に、清算しておくべきだった。あのころならまだ日本には体力があった。

しかし今、その体力すら使い切ってしまった。愚かな、愚かな政治の結末。そういう政治家を選
んできた、愚かな、愚かな国民の結末。先日も、テレビで暴走族の若者が、こう叫んでいた。
「お前ら、おとなに偉そうなことを言う資格はあるのかよォ!」と。一人のおとなが、彼らを口汚く
ののしったときのことだ。そう、私たちおとなに、偉そうなことを言う資格はない。

 ああ、私の老後は、お先、まっ暗。このところワイフは真剣なまなざしで、「どこかの国へ、移
住しようか」と言っている。まだ夢のような話だが、それも選択肢のひとつとして、考えたほうが
よいかもしれない。考えてみれば、私は、この日本から優遇されたことは、ただの一度もない。
あるといえば、ワイフが出産したとき、市から祝い金を、そのつど10万円と少しもらっただけ
(※注)。それだけ。

このままどこかの国に移住しても、未練はない。仮に国が破産するときになっても、最後の最
後まで生き残るのが公務員。そしてそのあと再生するにしても、まっ先に息を吹き返すのも、こ
れまた公務員。構造改革(官僚政治の是正の別語)などいう言葉があるが、与党はおろか、野
党の党首もみな、元中央官僚。そういう世界で、どうして構造改革などできるというのか。

●悲しき地方根性

 さらに悲しいかな、この浜松という地方都市ですら、何でもかんでも、「中央(東京)からきた」
というだけでありがたがる。国会議員も市長も、みな、元中央官僚。日本が民主主義国家だと
思っているのは、日本人だけ。学生のころ、オーストラリアで使っているテキストでは、「日本は
官僚主義国家」となっていた。「君主(ローヤル)官僚主義国家」となっているのもあった。

当時の私はこれに猛反発したが、それから32年。日本は官僚主義国家だった。今もそうだ。
役人たち(官僚、公務員すべて)が、役人による、役人のための、役人の政治をしている。民主
主義など、隠れ蓑(みの)に過ぎない。ひとつの例を出そう。

●審議会という曲者

 役人が政治を動かしたいと考えるときは、まず諮問委員会をつくる。委員は各界の有識者と
いうことになるが、こういう委員会では、いつも人選が問題になる。どうしてその人が選ばれた
か、その基準が明確ではない。そんなわけで、たいていは、役人につごうのよいイエスマンだ
けが選ばれる。

 そういう委員会をつくり、会合を開く。しかしこの段階で、大筋の議案、討論内容は、役人が
つくる。あとは会合を数回開く。各委員の数が多ければ多いほど、それぞれの委員の発言時
間は少なくなる。しかしそれこそ役人の思うツボ。

たいていは1回の会合で、1人10分間程度の発言時間しかない。議論などできるわけがな
い。そしてそういう会合を数回開いて、委員長に結論を出させる。これを答申というが、あとは
そのお墨付きを手にして、役人たちはまさにしたい放題。

国家的事業の計画や国家的方針の変更はもちろんのこと、あなたの町の小さな事業も、すべ
てこの方式が基本で決定されている。たとえば今回の学校5日制にしても、学習要領の削減に
しても、こうした流れで決まり、文部省の課長程度が発する一枚の紙切れ通達で日本中が動
いてしまった。

●私の遠吠え

 悲観的なことばかり書いた。暗い話ばかり書いた。どうも自分の老後を考えると、こういう話
になってしまう。明るい話など、どこをつついても、出てこない。かくなる上は、やはり自分のこと
は自分で守るしかない。どうせ私がこうして騒いでも、まさに犬の遠吠え。この日本という社会
は微動だにしない。何といっても、歴史が長い。日本は奈良時代の昔から、君主官僚政治の
国。だから今日も吠える。私は吠える。このところやや元気がなくなった声をふりしぼって、吠
える。

 ワオー、ワオー、ワオー!
 もう一度、怒りをこめて、ワオー、ワオー、ワオー!
(02−8−5、はやし浩司)

注※……もろもろの行政サービスや、施設の使用など、日本人として恩恵を受けてきたことは
事実。そういう事実をふまえて、よく「お前は、それなりに国の世話になっているではないか」と
言う人がいる。

しかし日本あっての、日本人なのか。それとも日本人あっての、日本なのか。前者はまさに全
体主義を代表する考え方、後者はまさに民主主義を代表する考え方ということになる。官僚社
会には、まだこの全体主義的な発想が、色濃く残っている。

注※2……たとえば日本道路公団だけでも、OBが、709社(平均3人強)に天下りしている。
これは約2500人の90%以上。しかし実際には、そのほか隠れファミリー企業への天下りも
多く、ほぼ100%が関連企業へ天下りしているとみてよい。

これに対して、民営化推進委員会は再三、道路公団に関連会社の経営内容を示すデータの
提出をもとめているが、「公団側は完全には応じていない」(読売新聞02年8月)とのこと。

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 現在(06年12月)、日本はかろうじて国家破綻することもなく、わずかな数字だが、景気拡
大をつづけている。

 理由は、明白。本来なら国民に渡るはずのお金を、銀行(=国)が吸いあげているからであ
る。わかりやすく言えば、結局は、国民が犠牲になってしまった。先の戦争のときは、「命」が犠
牲になった。今度は、「お金」が犠牲になった。

 これから先、文科省は、「改正教育基本法」を楯に、好き勝手なことをしてくるだろう。これさ
え手に入れれば、解釈のしかたは、自由。課長程度が発する(通達)程度で、国民をどのよう
にも誘導できる。好き勝手に料理できる。

 こまかい通達を無数に出しながら、最終的には、国民を大きく動かしていく。

 なぜ今のあなたが、政治的に無関心なのか? つまりはそういうあなたに、教育によって作ら
れたからにほかならない。ここにあげた(3通の通達)は、そのほんの一例にすぎない。ここに
(教育)のこわさがある。恐ろしさがある。

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 もう、私の仕事は終わったように思う。
この5年間、私は私なりに、ものを書いてきた。
訴えてきた。しかし振りかえってみると、
私のしたことは、ただの(犬の遠吠え)に
しかすぎなかった。

 もう1作、4年前に書いた原稿を1作。

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●子どもの学力

 新学習指導要領によって、02年度から、教育内容は大幅に削減された。それについて、公
立の小中学校の教師について調査したところ、約7割が、「削減のしすぎ」と答えていることが
わかった(ベネッセ教育研究所)。

 「削減のしすぎ」と答えた小学校の教師……67・3%
             中学校の教師……71・7%

 「子どもの学力低下が起きる」と答えた小学校教師……76・0%
                   中学校教師……87・1%

 「新学習指導要領の見直しが必要」と答えた小学校教師……73・4%
                     中学校教師……82・4%

 この結果を見て、私はいくつかのことを考えた。まず、こうした新学習指導要領の変更にせ
よ、ほとんどの変更が、文部科学省の、局長、課長レベルの通達だけで、なされていること。わ
かりやすく言えば、ほんの一部の官僚たちの意向によって決定されていること。

 つぎに現実問題として、削減された直後の、02年4月には、教える私自身が、「こんなに簡
単になってよいものか?」と思ったほどである。簡単なテストをしても、皆、100点という状況だ
った。しかしそれも数か月だけのこと。やがて夏休みが終わるころになると、またもとのように、
できる子とできない子が現れ始めた。そしてほぼ1年がたってみると、新学習指導要領は何だ
ったのかという状況になっている。 

 一度のびたゴムは、もとには戻らない。この段階になって、再び、削減した内容をもとに戻す
などということは、不可能。新学習指導要領では、約3割削減されたということだが、仮に1割
復活させるというだけでも、現場は、大混乱するに違いない。それ以上に、子どもが応じないだ
ろう。

 で、3つ目の問題として、こうした混乱の責任は、だれが取るのかという問題。多分、文部官
僚のことだから、責任逃れのための諮問(しもん)機関※ぐらいは作ったかもしれない。いわゆ
る有識者による諮問機関というのである。

官僚たちは、自分たちの権威を守り、自分たちのしたいことをし、お墨付きをもらうために、こう
した諮問機関を実にたくみに利用する。東大の元教授ですら、「だいたい諮問機関のメンバー
が、どういう基準で選ばれるのか、それすらわからない」と暴露している。

 グチを言っても始まらないが、現場の教師や子ども、それに親たちこそ、えらい迷惑。毎月の
ように変わる教育方針に振り回されるだけ。見かけはともかくも、最前線に立つ教師たちは、
みんなやる気をなくしている。そういう現実が、まったくわかっていない。

 今でも小学二年で掛け算を学ぶことになっている。それはそれとして、20年前、30年前に
は、学校の教師は、残り勉強をさせてでも、子どもに掛け算の九九を暗記させていた。しかし
今は、違う。「適当」というと誤解があるが、まさに適当。「一応教えるが、覚えるか覚えないか
は、子どもたちの問題」と、どこか突き放したような教え方になってきている。(これは私の、あく
までも個人的な印象だが……。)

 だから掛け算の学習が終わると、子どもたちはそのまま九九すら、忘れてしまう。これも私の
実感だが、その直後ですら、約20%の子どもは、満足に九九すら言えないのではないか。ど
の程度を、「できない」と言うかについても、議論はあるが……。

 だから小学3年生で、割り算を学ぶことになっているが、その前に、もう一度、掛け算の九九
を復習しなければならない。しかし現実には、その時間はない。だから九九がわからない子ど
もを残したまま、割り算の学習に入っていく。つまりこんなことを繰りかえしていたら、日本の子
どもたちの学力は、ますます低下していくだけ!

 親たちは、「小学2年で掛け算を学んだから、うちの子は、掛け算はできるはず」と考える。あ
るいは「掛け算の九九を、ペラペラとソラで言えるから、掛け算はできるはず」と考える。しかし
これはまったくの誤解。子どもだって、忘れるものは忘れる。掛け算の九九にしても、数か月も
使わなければ、忘れる。

 また九九をソラで言えるからといって、掛け算をマスターしたことにはならない。中には、「2×
3」は、「2+2+2」という意味ということすら理解していない子どももいる。そういう子どもが割
り算の学習に入ったら、どうなる?

 日本の教育は、今、危機的な状況にある。が、それだけではすまない。教育のこわいところ
は、その結果が、20年後、30年後に出てくるということ。つまりその分、責任の所在がわから
なくなってしまうということ。そしてさらにこわいところは、仮に今、すばらしい教育をしたとして
も、その成果が出てくるのは、やはり20年後、30年後ということ。こうしたことを言いかえると、
「日本の未来は、今の子どもたちを見ればわかる」ということになる。

 この先はまた別の機会に書くとして、今、構造改革(官僚政治の是正)が、もっとも必要なの
は、実は文部科学省なのである。そういうことが、日本の政府も国民も、まったくわかっていな
い。一つの例をあげる。

 もう15年ほど前だろうか。世界中で、コンピュータ教育が始まった。私が印象に残っているの
は、一二年前にオーストラリアへ行ったときのこと。地方の小さな小学校を訪れたが、そこでは
何と小学3年生からコンピュータが必須だった。それからさらに数年後には、中学校での宿題
すら、フロッピーディスクで提出するのが、当たり前になっていた。

 が、日本では、実験的に数台もしくは、10台前後が、選ばれた小学校や中学校に置かれて
いただけ。「日本でもコンピュータ教育を」という声が、通産省(当時)あがったが、それに「待っ
た」をかけたのが、何と、時の文部省である。

理由は、「教員免許をもった教員がいない」と。教員がいなければ、工学部卒の学生を教員に
すればよい。……とだれしも考えるが、そういう常識が通らないのが、日本の文部行政であ
る。何をするにも、資格だの、許可だの、認可がいる。教育学部で教授を育てるのに、20年か
かる。そんなのを待っていたら、その間に、世界はどこまで進む?

 その結果、日本のコンピュータ教育は、アジアの中ですらも、最下位になってしまった。台湾
や韓国にすら、大きく差をつけられてしまった。

 ここに書いたことは、私の記憶をたどりながら書いたことなので、細部ではまちがっているか
もしれない。しかし大筋では、まちがっていない。つまりこういうこと無数に繰りかえしながら、日
本の教育は、どんどんと遅れていく。少し前に書いた、少しショッキングなエッセーを転載する。
この原稿は、C新聞に載せてもらうつもりでいたが、編集者の意向でボツになったという経緯が
ある。

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文科省の通達だけで、どんどん
誘導されていく国民。

その1例というわけでもないが、
もう1作。

これは3年前に書いた原稿。

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●子どもの書き順について

 どうして日本語には、トメ、ハネ、ハライがあるのか。その上、書き順まである! 加えて、そ
れぞれの字には、微妙なカーブすら、ある! 仮にそれがあるとしても、どうしてこうまで、毛筆
時代の遺物を、かたくなに守らねばならないのか? またその必要はあるのか?

 現在、私たちが書き順(正式には「筆順」という)が、正式に(?)に定められたのは、1958
年。時の文部省が通達した、「筆順指導の手びき」による。私が11歳のときのことだが、私は
そのときのことを、よく覚えている。それまでは、教える先生によって、書き順が異なっていた。
が、その年から、「今までの書き順は、正しくありませんでした。これからはこういう書き順に統
一されました」というようなことになった。

 で、その「筆順指導の手びき」によれば、こうだ。

(5)上から下へ、筆を運ぶ。
(6)左から右へ書いていく。
(7)横画が長く、左払いが短い字では、左払いが先。その逆は横画が先。
(8)字の全体を串刺しするような縦の「│」は最後、など、八つの項目が定められた。

ところで「左」と「右」という字は、書き順が異なる。「左」は、「─」を先に書く。「右」は、「ノ」を先
に書く。この根拠となっているのが、(3)の「横画が長く、左払いが短い字では、左払いが先。
その逆は横画が先」である。しかし私などは、何度、覚えても、この書き順を忘れてしまう。しか
しそれでは生徒を指導できない。そこで自分で、「道路で左右を見るときは、横見てノー、自動
車に気をつけよう」と覚えている。つまり「左右」の「左」という字は、まず「横棒を先に書き、
「右」は、「ノ」を先に書いて、自動車に気をつける、と。(この説明がわからない人は、ここを飛
ばしてほしい。どうせくだらないことだから……。)

 しかしそれにしても、くだらない! まったくくだらない! どうして字を下から上に書いてはい
けないのか。幼児でも、はじめて字を覚えたころの子どもは、みんな下から上に書く。英語のア
ルファベットなどは、ほとんどが下から上に書く。鏡文字(左右反対の文字)や、逆さ文字がい
けないのは、わかる。しかし文字の使命は、見た目の美しさではない。中身だ。

 日本人に一番欠けているもの、それに一番必要なものは、「いいかげんさ」ではないのか。も
っとはっきり言えば、日本人は、あまりにも画一的すぎる。また画一的でありながら、それにす
ら気づいていない。尾崎豊の言葉を借りるなら、まさに「しくまれた自由」(「卒業」)の中で、そ
れを自由と思い込んでいるだけ。その一つが、ここでいう書き順である。

 もう、やめよう! こういうくだらない教育は! そしてみんなが声をあげればよいのだ。そし
ていつか、子どもたちにこう言えるようにしよう。「書き順はね、だいたい書ければいいのよ。あ
とは、あなたが好きなように書きなさい」と。そういうおおらかさが、子どもの心に風穴をあけ
る。もし、それがまちがっているというのなら、では、あなたは、つぎのテストで、いったい、何点
取れるだろうか?

【問】つぎの字の中で、「ノ」「─」の順に書く字は、どれか。

  左、右、在、原、布、成、皮

 この問題は、今年、京都市の私立R中学校の入試で出た問題である(読売新聞指摘)。もし
あなたが、この問題で、正解を答えられるなら、私は何も言わない。しかしそうでないなら、あな
たもいっしょに私と声をあげよう。

 「書き順なんか、いらない!」と。

ちなみに、この問題の正解は、「右、布、成、皮」だそうだ。ああ、くだらない。こんなこと試す中
学校なんか、私なら、こちらから願いさげ。行きたくない! 
(030401)

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私たち日本人がもっている意識は、
決して標準的なものではない。

世界の常識でもない。

私たちは、たしかにだれかによって、
作られている。

その1つについて書いたのが、つぎの
原稿。

これは2年前に書いた原稿。

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●起立! 気をつけ! 礼! 着席!

 「起立! 気をつけ! 礼! 着席!」
 「起立! お願いします! 着席!」
 「起立! ありがとうございました! 着席!」

 学校によって多少、あいさつの仕方はちがうが、どこの学校でも、授業の前とあとには、この
ようなあいさつをしている。日本ではよく見られる、ごくあたりまえの光景である。

 しかし世界広しといえども、授業の前後に、こうしたあいさつをしている国は、台湾と韓国、そ
れに日本だけである。

 が、その韓国も、こうしたあいさつを、「日本帝国主義(植民地)時代の遺物※」として、政府
通達で、廃止することにした(04年)。残るは、台湾と、日本だけ!

 日本に住み、日本しか知らないと、そのおかしさに気づかないということは、よくある。

 もう15年以上前のことだが、アメリカにニューヨーク州から来ていた、女性の教師が、こんな
ことを話してくれた。

 何でも、「不気味だった」と。

 話を聞くと、こうだった。

 その教師が、近くのH湖へ水泳に行ったときのこと。どこかの女子高校生たちが、水泳の実
習授業に来ていたという。「その光景が、不気味だった」と。

 理由を聞くと、「みな、紺色の同じ、水着を着ていたから」と。

 私はそのときは、その女性の言っていることが、よく理解できなかった。日本では、ごくあたり
まえのことである。そこで「アメリカでは、どうだ?」と聞くと、「アメリカでは、みな、ちがった水着
を着ている」と。

 さらに今度は、同じくアメリカ人の男性教師だが、こんなことを言った人がいた。

 「朝礼が終わって、教室へ子どもたちがもどるとき、みな、並んで教室へもどってきた。それを
見たとき、ゾッとした」と。

 こうした感覚、それはある種のカルチャ・ショックと言えるものだが、この日本に住んでいる人
には、理解できない。(だからといって、日本の教育がまちがっていると言っているのではな
い。どうか、誤解のないように!)

 同じように、授業の前後の、あいさつ。韓国政府は、「権威主義的慣習」と評していたが、何
がどう権威主義的かということも、日本を一歩、離れてみないと理解できない。

 さて、日本、どうする?

 繰りかえすが、残るは、台湾と日本だけ。それでも、「必要」と感じて、こうしたあいさつを残す
か。それとも、世界の常識に合わせるか。これからの日本の教育のなりゆきを、注視したい。

※……韓国・ソウル市の教育庁は、日本の「起立」「礼」にあたる、教師へのあいさつを、廃止
する運動を始めた。
 「自由で多様な価値観を認める」という立場から、学校の教育現場から、権威主義的な慣習
を取りのぞくことを目的としている。
 韓国では、日本の植民地時代から、授業の前後には、「チャリョ(起立)」「キョンレ(敬礼)」
と、教師にあいさつをするのが、慣例になっていた。これを改め、たとえば「さわやかな朝です
ね」と、やわらかいあいさつにするという(以上、西日本夕刊)。

++++++++++++++++++

さあ、みなさん!

もっと賢くなろう!

未来の子どもたちのために!

この日本を救うのは、その(賢さ)だけ。

私たち1人ひとりが、賢くなる。

考える。

もしそれをやめたら、私たちは、まちがいなく、
戦前の日本に逆戻り!

最後に、「愛国心」について。

もう、何度も書いてきたテーマだが、
どうか私の原稿を読んでほしい。

この原稿は、06年(今年)の
はじめに書いたもの。

ここでは「基本」という言葉に抵抗を
感じたため、あえて「キホン」とした。

++++++++++++++++++

●教育キホン法改正案要旨

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今度、教育キホン法改正案なるものが、
政府内で、閣議了承された。

それについて一言。

+++++++++++++++

 国があっての国民と考えるか、国民あっての国と考えるか……。それによって、教育キホン
法の内容は、大きく変わってくる。

 この日本では、奈良時代の昔から、「国あっての国民」と考える。国民、つまり「民」などという
ものは、言うなれば、国の財産。モノ。それとも奴隷(?)。

 本当に日本は、民主主義国家か? 民主主義国家と言えるのか? それを示す試金石が、
教育キホン法ということになる。

 が、今度閣議了承された、教育キホン法(教育キホン法改正案要旨)なるものは、相も変わ
らず、美辞麗句。抽象的文句の羅列(られつ)。官僚の作文。どこかの教授が、「ヘタクソな作
文」(中日新聞)と評していたが、まったくの同感。あのリンカーンは、ゲティスバーグ(Gettysb
urg)という南北戦争の激戦地に立って、こう言った。

AND THAT GOVERNMENT OF THE PEOPLE, BY THE PEOPLE AND FOR THE PEOPLE 
SHALL NOT PERISH FROM THE EARTH.(人民の、人民による、人民のための政府は、この
地上から消え去ることはない)と。

「SHALL NOT PERISH」というのは、もう少し正確には、「私は、消さない」という意味にな
るが、ともかくも、そう言った。

 これをこの日本でもじると、こうなる。

「官僚の、官僚による、官僚のための政府は、この日本から消え去ることはない」と。

 どうして国民の側に立った教育キホン法が、この日本では、生まれないのか。できないのか。
国民に向かって、「ああしろ」「こうしろ」と言うくらいなら、まず自分たちのほうが、「ああします」
「こうします」と言えばよい。

 たとえば前文には、「我々日本国民は……貢献することを願う」とあるが、いつどこで、その
我々が、そういうことを願ったのか。勝手に、そういうことを決めつけてもらっては困る。

もし書くとしたら、「子どもの教育では、自由、平等、平和を旗印にかかげ、政府と教育者が一
丸となって、子どもたちの未来のために、それを希求します」とか何とか。自分の立場で、そう
書けばよい。

 あるいは「教育の多様性を認め、不公平社会を是正するため、個人のそれぞれの才能に応
じた教育をめざします」でもよい。

 さらに「愛国心は、世界の常識」などと、いまだに言っている政治家がいるのには、驚く。(教
育キホン法改正案要旨では、「伝統と文化を尊重し、それをはぐくんできた我が国と郷土を愛
するとともに……」となっている。念のため。)

 日本では「愛国心」と訳すが、あの英語の「Patoriotism(ペイトリアチズム)」という単語にし
ても、もともとは、ラテン語の「パトリオータ」つまり、「父なる大地を愛する」という意味の単語に
由来する。)「郷土や家族のためなら、命がけで戦う」というのが、欧米人の共通の理念にもな
っている。国ではない。郷土だ、家族だ!

 が、この日本では、そこに「国」という言葉を入れる。なぜか? その理由など、今さら、説明
するまでもない。

 そんなわけで、私は、今回の教育キホン法なるものは、チラッとしか読んでいない。

 今回の要旨では、国旗、国歌については触れていないが、それについても、あえて言うなら、
こうなる。

 愛国心に関してだが、国旗はともかくも、国歌を歌ったから愛国心があるとも、歌わなかった
ら、愛国心がないということにもならない。日本のK首相は、『君が代』の「君」は、国民のことだ
と説明したが、『君が代』の「君」は、だれが考えても、「天皇」をさす。官僚主義国家、つまり王
政国家のもとでは、天皇という「王」は、絶対的な存在かもしれないが、それをよしとしない人が
いたとしても、何も、おかしくない。

 (注)外国では、あの明治維新を、「Meiji Restoration」(明治・王政復古)」と翻訳している
ぞ。

 それは愛国心の問題ではない。主義の問題である。その主義ということになれば、たとえ国
でも、個人の主義にまで干渉することは許されない。

 が、もしそれほどまでに、愛国心を、形として表したいというのなら、K国のように、バッジ制に
すればよい。胸に、バッジをつけて、それを表す。そのほうが、ずっとわかりやすい。

 しかしこのばあいも、バッジをつけたから愛国心があるとも、バッジをつけなかったから、愛
国心がないということにもならない。

 そんなこと、いちいち役人ごときに指示されなくても、もし目の前で、他国の連中に、郷土が
荒らされ、家族が殺されれば、だれだって武器をもって立ちあがる。愛国心などというものは、
「形」の問題ではない。言葉の問題でもない。国旗や国歌の問題でもない。もちろんバッジの問
題でもない。心の問題だ。

 「国を愛しましょう」と言うくらいなら、その第一歩として、「汝の隣人を愛しましょう」と言ってみ
たらどうか。私など、その隣人すら、愛することはできない。そんな私が、どうして国という、実
体のない存在(?)を、愛することができるのか。

 バカも休み休み、言え!

 だいたい、「愛」という言葉の意味すら、わかっていないのでは?

 ……ということで、教育キホン法に対する、批評は、おしまい。ここ数日、10人近い教師や親
たちと、いろいろ話したが、教育キホン法など、話題にもならなかった! ホント!

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愛国心について、以前書いた原稿を
ここに添付します。
(中日新聞にて発表済み。)

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家族の心が犠牲になるとき 

●子どもの心を忘れる親

 アメリカでは、学校の先生が、親に「お宅の子どもを一年、落第させましょう」と言うと、親はそ
れに喜んで従う。「喜んで」だ。ウソでも誇張でもない。あるいは自分の子どもの学力が落ちて
いるとわかると、親のほうから学校へ落第を頼みに行くというケースも多い。

アメリカの親たちは、「そのほうが子どものためになる」と考える。が、この日本ではそうはいか
ない。子どもが軽い不登校を起こしただけで、たいていの親は半狂乱になる。

先日もある母親から電話でこんな相談があった。何でも学校の先生から、その母親の娘(小
2)が、養護学級をすすめられているというのだ。その母親は電話口の向こうで、オイオイと泣
き崩れていたが、なぜか? なぜ日本ではそうなのか? 

●明治以来の出世主義

 日本では「立派な社会人」「社会で役立つ人」が、教育の柱になっている。一方、アメリカで
は、「よき家庭人」あるいは「よき市民」が、教育の柱になっている。オーストラリアでもそうだ。
カナダやフランスでもそうだ。

が、日本では明治以来、出世主義がもてはやされ、その一方で、家族がないがしろにされてき
た。今でも男たちは「仕事がある」と言えば、すべてが免除される。子どもでも「勉強する」「宿
題がある」と言えば、すべてが免除される。

●家事をしない夫たち

 2000年に内閣府が調査したところによると、炊事、洗濯、掃除などの家事は、九割近くを妻
が担当していることがわかった。家族全体で担当しているのは10%程度。夫が担当している
ケースは、わずか1%でしかなかったという。

子どものしつけや親の世話でも、6割が妻の仕事で、夫が担当しているケースは、3%(たった
の3%!)前後にとどまった。その一方で7割以上の人が、「男性の家庭、地域参加をもっと求
める必要がある」と考えていることもわかったという。

内閣総理府の担当官は、次のようにコメントを述べている。

「今の20代の男性は比較的家事に参加しているようだが、40代、50代には、リンゴの皮すら
むいたことがない人がいる。男性の意識改革をしないと、社会は変わらない。男性が老後に困
らないためにも、積極的に(意識改革の)運動を進めていきたい」(毎日新聞)と(※1)。

 仕事第一主義が悪いわけではないが、その背景には、日本独特の出世主義社会があり、そ
れを支える身分意識がある。そのため日本人はコースからはずれることを、何よりも恐れる。
それが冒頭にあげた、アメリカと日本の違いというわけである。言いかえると、この日本では、
家族を中心にものを考えるという姿勢が、ほとんど育っていない。たいていの日本人は家族を
平気で犠牲にしながら、それにすら気づかないでいる……。

●家族主義

 かたい話になってしまったが、ボームという人が書いた童話に、『オズの魔法使い』というの
がある。カンザスの田舎に住むドロシーという女の子が、犬のトトとともに、虹の向こうにあると
いう「幸福」を求めて冒険するという物話である。

あの物語を通して、ドロシーは、幸福というのは、結局は自分の家庭の中にあることを知る。ア
メリカを代表する物語だが、しかしそれがそのまま欧米人の幸福観の基本になっている。

たとえば少し前、メル・ギブソンが主演する『パトリオット』という映画があった。あの映画では家
族のために戦う一人の父親がテーマになっていた。(日本では「パトリオット」を「愛国者」と訳す
が、もともと「パトリオット」というのは、ラテン語の「パトリオータ」つまり、「父なる大地を愛する」
という意味の単語に由来する。)

「家族のためなら、命がけで戦う」というのが、欧米というより、世界の共通の理念にもなってい
る。家族を大切にするということには、そういう意味も含まれる。そしてそれが回りまわって、彼
らのいう愛国心(※2)になっている。

●変わる日本人の価値観

 それはさておき、そろそろ私たち日本人も、旧態の価値観を変えるべき時期にきているので
はないのか。今のままだと、いつまでたっても「日本異質論」は消えない。が、悲観すべきこと
ばかりではない。99年の春、文部省がした調査では、「もっとも大切にすべきもの」として、4
0%の日本人が、「家族」をあげた。

同じ年の終わり、中日新聞社がした調査では、それが45%になった。たった1年足らずの間
に、5ポイントもふえたことになる。これはまさに、日本人にとっては革命とも言えるべき大変化
である。

そこであなたもどうだろう、今日から子どもにはこう言ってみたら。「家族を大切にしよう」「家族
は助けあい、理解しあい、励ましあい、教えあい、守りあおう」と。この一言が、あなたの子育て
を変え、日本を変え、日本の教育を変える。

※1……これを受けて、文部科学省が中心になって、全国六か所程度で、都道府県県教育委
員会を通して、男性の意識改革のモデル事業を委託。成果を全国的に普及させる予定だとい
う(2001年11月)。

※2……英語で愛国心は、「patriotism」という。しかしこの単語は、もともと「愛郷心」という意味
である。しかし日本では、「国(体制)」を愛することを愛国心という。つまり日本人が考える愛国
心と、欧米人が考える愛国心は、その基本において、まったく異質なものであることに注目して
ほしい。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 愛国
心 教育基本法 国旗 国歌)

●批判ばかりしていてはいけないので……

 私なら、つぎのような教育キホン法改正案を考える。

++++++++++++++++

(前文)

自由、平等、平和を旗印にかかげ、政府と教育者が一丸となって、子どもたちの未来のため
に、それを希求します。

子ども個人の才能を引き出し、認め、個人のそれぞれの才能に応じた教育ができるように、教
育の多様化を認める教育環境をめざします。

不公平社会や社会的格差を是正するため、社会的不正義、不平等、不公正を容認しない教
育環境をめざします。
 
親たちが安心して子どもを教育機関に任せられるよう、教育内容の充実と、教員の資質向上
を図り、父母への教育費の負担を軽減するために、常に努力いたします。

 また政府ならびに教育機関に関与する者たちは、子どもたちの見本、手本となるように、豊
かな人間性と創造性のある文化人となるよう、まい進努力いたします。

+++++++++++++++++

 ついでながら、今回閣議決定された「教育キホン法改正案」の前文は、つぎのようになってい
る。(2006年4月27日、公表。原文のまま。)

+++++++++++++++++

 我々国民は、民主的で文化的な国家を更に発展させるとともに、世界の平和と人類の福祉
の向上に貢献することを願う。

 公共の精神を尊び、豊かな人間性と創造性を備えた人間の育成を期するとともに、伝統を継
承し、新しい文化の創造を目指す教育を推進する。

 憲法の精神にのっとり、我が国の未来を切り拓く教育の基本を確立し、その振興を図るた
め、この法律を制定する。

+++++++++++++++++

 以上!
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 教育
基本法 改正教育基本法 たった3通の通達 誘導される国民 作られる意識 改正教育基
本法)

【参考】(ヤフーニュースより)

 財務省原案では、「やらせ質問」が発覚した政府主催のタウンミーティング(TM)関連予算は
8900万円となり、06年度予算(3億円)の3割弱まで減額された。TMでは過剰な経費計上が
問題となっており、政府は予算を大幅削減しながら新しい開催手法の検討を進めている。
 規模を縮小して、国が負担する1回当たりの経費を06年度の4割弱の300万円に抑える一
方、テレビ会議システムを使った新たなTM開催も盛り込んだ。
 内閣府は8月の概算要求では、国民に開催テーマを選んでもらう新形式のTM開催を含め、
06年度比約4割増の4億1700万円を要望。やらせ質問などの発覚を受け、8900万円に減
額して要望を出し直していた。






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●母親との葛藤

●あるお母さんからのメール

++++++++++++++++++

親から受けた子育てが原因で、
長い間、大きな心のキズに苦しんでいた
お母さんから、こんなメールが
届いています。

読者のみなさんの力になればと、
公開してくださいとのこと。
喜んで、そうさせていただきます。

お名前を、Vさん(母親)としておきます。

Vさんは、子どものころ、親からきびしい
教育としつけを受け、それが原因で、
心に大きなキズを受けてしまいました。

Vさんは、「私がしたような経験を、ほかの
子どもたちにはしてほしくない」と言っています。

本当に、そうだと思います。

最近の研究によれば、うつ病の(種)のほとんどは、
その人の乳幼児期にあるということまで、
わかってきました。

乳児期から幼児期にかけては、
(1)心豊かで、穏やかな家庭環境、
(2)愛情豊かで、静かな親子関係、
この2つが、とくに重要かと思います。

Vさんからのメールをお読みください。

++++++++++++++++++

【Vさんより、はやし浩司へ】

はやし先生、こんばんは!

今日はレッスン前に、少しだけしたが、私がかかえる障害のお話を聞いてくださって、
ありがとうございました。

私は 先生のEマガによる「自己開示」でいえば4〜5レベルに入るほど、
まわりの人たちに、いろいろなことを話しています。

隠していなくてはならないことなど、そんなにはないし、
自分を知ってもらうことは 息子であるY男にとっても
良いことのように思ったりするからです。

先生が、私の経験を多くの人たちにお話してくださるのももちろん、歓迎です
良い例として、あるいは悪い例として、
私の経験してきたことが今、どんな風に私の人生で活かされているのか、
また、少女時代の私と同じ思いを、今まさにしている子供たちが今いるとしたら、
保護者の方に気づいていただきたいからです。

両親の教育が厳しく 過干渉で 私にとっては、長くて、辛い少女時代でした。
特に厳しかったのは母でした。しかし母だけを責めているのではありません。
母は 明治生まれの姑の前で、私たち姉妹を懸命に育て、
社会に出ても恥ずかしくない子に育てをしなくては……という使命のもとでの
思いだったわけです。

当時は今のように、相談できる機関や話を打ち明けられる相手もなく、
母も苦しんだと思います 父も相談相手にはならなかったようです。

というのも 父は自分の父親を第二次世界大戦で亡くし、
顔を見た事もないまま育ったそうです。
私は今でも、ラバウル上空を通過するときは 胸が苦しくなります。

そして実の母は 姑に父を残して 再婚して出て行ってしまったそうです。
どれほどの想像を絶する悲しみを乗り越えたでしょう。

父は曾祖母に対して異常なまでの執着心を持ち妻より子供より、曾祖母
という感じでした。

そんな生活の中で 母は私たちを厳しく育てることと、しつけることで、
自分なりのアピールをしていたのかもしれません。

また 別の観点からすると 母は私たちの子育てを、はけ口としていたかも
しれません。そのことも否定できないと思っています。

では、姉にはなぜ私のような障害が起きなかったか。

私の姉は3歳年上のキャリアウーマンですが、
何をするにも要領がよく、賢く、そして心優しく 暖かい人間で、
身内の私が言うのも恐縮ですが 尊敬しています。

母やきびしい習い事の先生がおっしゃる非道徳的な言葉ですら、
「あの人、なにいってるんだろ。私のどこまでしってるっていうの?」と
冷静な受け止め方が子供の頃からできたようです。

私はといえば、まったく正反対。

母の期待にこたえよう。今、Dropoutしてしまえば お母さんが悲しむかとか、
そんなことばかり考えていました。

生真面目で いつも良い子でいなくてはならない。いつも良い点を取らなくてはならない。
お母さんが悲しむから。クラス代表に選ばれなくてはならない。母が望むから、と。

小学校3年生のとき、サンタさんに手紙を出しました。
サンタさんの存在を信じていたころ書いた、最後の手紙だったと思います。

内容は、「お願いです プレゼントはいりません ただ習い事を全部やめさせてください」
というものでした。

サンタさんが願いをかなえてくれなかったのは、これが初めてでした。

心療内科の先生はおっしゃいました。

「あなたのお父様もお母様も 強迫性障害 の可能性がある」と。

思い当たる節はいくつもありました これは遺伝する可能性のある
障害だそうです。

今年前半は、T市にある児童心療内科まで、Y男をつれて、月に一度通っていました。
Y男のためというよりは 私が息子と、どう向きあえばよいのか、
どう育てていけばよいのか、全くわからなくなり、心は八方塞になったからです。

今思えば あの半年間の通院は 心療内科の先生に会って私がカウンセリングを受ける
私のいわば治療であったように思います。

時がたつにつれて、私は私の方法で Y男と向き合っていけばいいと思うように
なりました。

なぜなら、私はY男の母親なのだから……。

こんなシンプルな答えにたどり着くのに 随分と遠回りをしたし、
これからもしてしまうことがあるのかもしれませんが、今は 安定した気持ちで、
Y男に接しています。

父はY男がおなかにいるときに脳内出血で倒れ、現在は、右半身不随の生活をしています。
それがわかった当時は、みんな私のBabyではなく、
父の病気のことにばかり関心をもって、情緒不安定になり、
母や夫に当たったこともありました。

しかし母は立派に父のパートナーとして、父の治療に徹底的につき合っています。

ひところは東京のホテルに3か月ほど暮らして、有名な先生の治療を受けていました。
けれど回復には限度があり 今は良くも悪くもならないように、
リハビリとして、朗読や華道、陶芸など様々なことにチャレンジしています。

また 現在では障害者対応の施設も多く 年に3回ほど旅行に出かけています
障害者仲間の皆様との出会いも 両親を大きく支えてくださっていると思います

で、父もあきらかな強迫性障害者です。

強迫行為といって 鍵を閉めたか、ガスの元栓は締めたか、
冷蔵庫はちゃんとしまっているか、
出かける前もふだんの生活の中でも、あまりにもしつこいこれらの行為に
私たちは障害のことは何も知らずに、へきえきしていました。

私には強迫行為はありません。
主な症状は 不安がとめどなく押し寄せて眠れないとか、そんなことです。

朝起きてまず初めに思い浮かぶことは、
今日の予定の嫌な部分です。不安が押し寄せると、過喚起を起こしてしまう。
これではちゃんとY男を育てることができないと感じたこともあります。

03年の4月 Y男が入園した直後、お願いするのならばこの先生と決めていた
先生のところへ夢中で向かっていました。

ふら〜と先生の前にお伺いして、
私は「うつ病」だといわれるのを恐れていました。
 
そのために今まで躊躇して、治療を受ける勇気が無かったのです。
いま、抗うつ剤も飲んではいますが、今のお薬はとても私にあっていると感じ、
快適に過ごしています。もちろん体調の良悪によって効き目が違ったり、
沈んでしまうこともありますが……。

そこから抜け出すには散歩をしたり 本をむさぼり読んだり、
ひたすら英語で独り言を言ったり、大好きな音楽を聴いたり、
一心不乱にピアノを弾いたりしています。

自分の力で抜け出す術を身につけることができるようになってきました。
化学物質を使っての治療に、初めはとても抵抗がありましたが、
お薬で生活をよりよいものにすることができるのならば、
甘えて使ってもいいんだというふうに、解釈するようになりました。

ドクター曰く、「おばあちゃまが飲むような弱い薬よ。副作用もないゎ」と。
あれから約3年 いま、最高の組み合わせのお薬にめぐり合えました。

とにかく私は 私が過去に味わった苦しみも含めて、そして今があることに
心から感謝しているし、あの苦しみがなければ、
Y男に同じ思いをさせていたかもしれないと思うと、ぞっとします。

そのことに比べれば、今の状態など、なんということはありません。
どんな経験からも苦しみからも、そして喜びからも学ぶことは際限なく多く、
そしてすべての出会いと、想いと、天国の大切な存在たちに守られて、
私たちは あたたかな蜜月を(?)すごしています。

Y男の人生はY男が決めればいい。
どうしても辛くて何かをやめたくなったとき、
逃げるのでなく決断なのであれば私は応援します。
そしてまた 新しい道を探していけば きっときっと、
something wonderful+special for him に
出逢えると信じています。

来週のレッスンの頃はグアムで思い切りガムをかんでいる(?)と思うので、
おそらく2x日のレッスンを受けさせていただくと思います。
3時まで別の習い事があるので終わってから行くと、Y男が決めました。

x曜日は私の仕事納めの日で、見学には行かれないので、
これはとても良い機会ですし、母に付き添いで行ってもらうつもりでいます。

母は今は、仏様のような(?)穏やかな人間になり、
私の仕事のx曜日とy曜日には、両親そろって、Y男との夕食、
お風呂、カードゲームなど、とても楽しみにしてくれています。

こんな私ができた 一番の親孝行が、Y男なのかもしれません。

はやし先生にこんなにいろいろとお話できるのは、
Y男も私も、先生が好きだからです。

聞いていただきたいと思ったので、一方的に長いメールを送ってしまいましたが、
不要であればどうぞ聞き流してください。

でももし機会があれば、固有名詞を伏せて、こんな体験でこんな子供が育ち、
こんな母親になったと、はやし先生のお力で、
少女時代の私のような毎日が苦悩と苦痛で満ちていた生徒さんを、お母様を
開放して差し上げられるきっかけになったら、どんなに良いことだろうと思っております。

母は、いっそ本でも書いたら?、のんきなことを言っておりますが、
今の私にそんな時間がいったいどこにあるでしょうか。

さて夜もふけてまいりました
来週3年ぶりの国際線に乗るのに、全く準備ができておりません。
残ったworkも山済みで、何とか乗り切らなくては!
でも忙しいのが性分にあっているのでしょうか。

12月の私は毎日が楽しくて忙しくて、友達と会って力をもらったり、
このうえなく充実しています。

話の続きや枝葉はまだまだありますが、今宵はここまでとさせていただきます。
長文にお付き合いくださいましてありがとうございました。

oh! 日付が変わって、今日はY男の誕生日です
6歳だなんて! あんなに小さな赤ちゃんだったY男が、(Born on xxxx、.2000)、
今こうして育っていることを、誰よりもY男の父に感謝しています。
 
彼は本当に素晴らしい父親です。
運命が私たちを離してしまったけれど、空き箱に迷路を作ってビー玉で転がして遊んだり、
お父さんの小さい頃はこんなことをして遊んだよと話をしたり、
当たり前のことかもしれませんが、でもこんなことになってしまって今もなお、
Y男に愛情を注いでくれていることに、心から感謝しています。

それでは2x日は Y男の祖母、あのスパルタだった(笑い)私の母が、
お伺いするかと思いますが、どうぞよろしくお願いいたします。

結果として両親にはもちろん感謝しています。産んでくれたこと。育ててくれたこと。
Y男のシッターをしてくれていること。それをenjoyしてくれていること。

ps

障害のことで何かお役に立つことがあればどんなことでもお話しますので、
どうぞお声をかけてくださいませ。 

ホルモンバランスやセロトニンの分泌調整知らなかったことを多く学ぶ機会でありました。
必要な方には、詳しくお話しさせていただければ、うれしいです。

++++++++++++++

【はやし浩司より、Vさんへ】

メール、ありがとうございました。
現在、私の周囲でも、同じような問題をかかえ、悩んだり、苦しんだりしている人が、何人かい
ます。

またそういう人たちの力になってあげてください。

よろしくお願いします。

                       はやし浩司

++++++++++++++

【Vさんより、はやし浩司へ、追伸】

改めて自分の書いたメールを、先生がまとめてくださったものを読んでみると、
これを読んで ひとりでもいい、気持ちが楽になってくれる
お母様、お父様、生徒さんがいらしたら、どんなに良いことだろうと思います。

ただ、話の続きや枝葉はまだまだあると書いたように、
もっともっと様々なことが、私には起きました。
今回の公開に載せていただくことはなくても、
またの機会にでも広く知っていただければと思います。

大きくは二つの話題です

ひとつめ。

先生は 親への反抗で処理したという趣旨のことをおっしゃいましたね。
実は、私もそうでした。

反抗期、ひどかったと思います とくに習い事が辛くて辛くて、
ピークの小学校高学年の頃から中学2年生くらいまで、そうでした。

何を言っても、「ああいえばこういう」式で、
ねじ伏せられてしまうことがわかっていた私は、
母に直接、反抗するということが、あまりできませんでした。
 
仏頂面のままダイニングで家族と食事をしたり、無言のまま誰の顔をも見ず、
さっさと食事を済ませて、勉強部屋に逃げこんだりしました。

その仏頂面の私の唇を見て、母はこう言うのです
「右下の唇が少し上に上がってゆがんでいる。
不満のあるときはいつもそんな顔をする」と。

そして 相手が他人であれば 失礼なほどに 私の顔を、目ジーッと見る。
そんなことをされれば、だれだって、気分を悪くします。で、気分を悪くした私が、
「もういやだ。くそばばぁ」と言って、
勉強部屋へ逃げ隠れしたことがありました。

このときばかりは母も相当なショックだったのでしょう。
その日以降は、話題といえばそのことばかり。
何時間もかけてそれがどんなにいけないことか、
私に説教しようとするのです。しかし私はそれを知っていたからこそ、
そんな言葉を言ってしまったのです。

母が悲しむといけないから、お稽古を頑張らなくてはならない自分がいる半面、
母が悲しむことをして束縛されていることにたいして、ささやかな抵抗をしたかった。

もうこの世から消えてしまいたいとさえ思ったことも、何度もありました
「今度の期末試験の頃は私はもういないんだから、心配することないんだ」と、
そんなばかげたことも考えたこともあります。

母が悲しむだろうから、わざと悪い成績を取ってやろうと考え、
解答用紙にあえて正しくない答えを書いたり 空欄にしたりしたこともあります。
で、それを見て、母はがっかりし、こう言ったこともあります。
「私があなたの学年の頃は、クラスで何番にはいつも入っていた。
なぜあなたはできないの? できるはずでしょう? 
あなたはやればできるのだから言っているのよ」と。

「できるって誰が決めた? 誰が知ってるの? 私、どこまで頑張ればいいの?
今、交通事故で死んじゃったりしたら やりたいこと何にもできずに人生終わっちゃって
悔しいよ」と。
そんな会話が何度も繰り返されたと思います。

母への反抗心は、ある日、ふと薄いものへと変化してゆきました。
希望の高校に入学を果たし、あわただしく身支度をしていた春の朝のことです。
私のためにお弁当を作ってくれている、私よりも背の低い小さな母の背中が、
それを気づかせてくれました。

母も、私を育てるのは初めての経験だということ。
涙が溢れました。でも見つかるのも恥ずかしくて、
「コンタクトが合わなくて…」などとごまかしましたが、
「ひどいことしてごめんね、おかあさん」と、そう、あの時言いたかったのだと思います。
高校を卒業し、進学で実家を離れてからは、なおさら私と母の間の心の距離は縮まり、
一人暮らしが、私を成長させてくれたとも言えると思います。

「あなたは私の芸能マネージャーではないのだから、ぴったりとついてこないで。
誰と連絡を取っているのか、どんな友達とどんな話をしているのか、
50メートル先の自販機までジュースを買いに行くのに、
こっそりついてくるようなことをしないで。
まるで本当にジュースを買いに行くかどうか、確かめにきているみたいではないか」と、
そんな内容の、私にとっては、革命的手紙を渡したのは、
私が高校1年の夏ごろのことだったと思います。

そういうことがあって、母の過干渉も少しずつ薄れていったように思います。

さて もうひとつの話題

これは 今の世の中にも深く関わる重大な問題です。
母から束縛や過度の期待を受けてstressfulになった私がとった行動は、
恥ずかしくも クラスメイトへのいじめでした。

いじめの根源がこんなところにも潜んでいるのです。
もちろん私の心が弱かったので、そんな方向へ向かってしまったのは確かです。
しかし あれほどにまでのストレッサーがなければ、
子供の頃から転校生には進んで声をかけていた私が
あんなことはしなかったと言えると思います。

私自身もがき苦しんでいたけれど 人を苦しめることで憂さ晴らしをしようとは、
なんと愚かなことでしょう。

だから お父様、お母様、お子様がそんな風になってしまうほど
過度の干渉や期待、子供なりのプライベートへの介入をしないでほしい。

どこかで全く関係の無い誰かが、傷ついてしまう引き金になってしまう可能性があるから。
いまでも私は心を傷つけてしまったお友達のことを時折思い出し、
「ごめんね。今はどうか暖かくしあわせな毎日を送っていてほしいよ」
と思うことがあります。

ある女の子は ひどく私がいじめをしたのにもかかわらず、
私がいじめのターゲットになったときには、
惜しげもなく私に救いの手を差し伸べてくれました。

彼女は今、専門分野で世界的に活躍する立派な女性兼母になったと、
風の便りで聞きました。

彼女の成功を心からお祝いし、これからの活躍をも心からお祈りしています。

上記のいじめに関する文章は、同じ出来事を、違う言葉でしたが、あるテレビ番組の
「いじめについて考える」番組に、投稿したことがあります。

うまくまとめられたかわかりませんが以上になります。
もっと続きも枝葉もありますが、今日のところは、ここまでとします

先生、ありがとう。
私の話に耳を傾けてくださってありがとう。
私の気持ちを汲んで 皆さんにこんなできごとがあるということを、
知らせてくださって、ありがとう。

私は先生の尊敬に当たる人間ではとてもありませんよ。巨大リップサービスです
でも、生き方を認めていただけたことは、心から嬉しく思います。
ありがとうございました。

上記の文章の掲載についても、先生にお任せします

でもね先生、私、仲の良いお母様方には全く同じ話をしています。
「私、頭が弱いからね〜 薬の時間なのょ」なんて、
どこか冗談めかしながら。いえ、本当に大笑いしながら、どんどん話題にしています。

ですので、これを読んで あのVさんのことじゃないかな?、と思う
お母様は、少なくともK幼稚園のお母様ならなおさら、
5本の指でおさまるかどうかという気持ちです。アハハ。

でも今の私には、「そうなの、わたしのこと! スパルタ教育の話、
はやし先生にしちゃったぁ」と笑って答えることができます。

だから 気にしません。
誰かの心や命が、助かるのかもしれないのであれば、
どうぞはやし先生のお力で、きっかけ作りをして差し上げてほしいと思います。

ああ、2学期も明日でおしまい。明日じゃない、もう今日になってしまった!
まだまだ幼稚園児でいてほしいなぁ。
これからまた、どんな出会いがあるだろう。
小学生になったY男は どんな困難や挫折を味わうだろう。

けれど私は Y男へのバースデーカードにこう書き添えました。

「そのてでゆめをつかみなさい。
 そのあしで ゆきたいところへどこにでもいきなさい。
 そうしておとうさんのような りっぱなひとになるのよ」と。

どこか照れくさいメッセージですが、本心です

Y男の父からも、日付指定で、カードが郵便物として届きました。
誕生日の数字を Y男の好きな迷路にイラストしてあり、
おわりのところには、「おかあさんをたいせつにしなさい」とありました。

久しぶりに声を上げて泣きながら、音楽のボリュームを大にして、
車を運転しながら仕事に向かいました。
彼という人間の子供を産んだ私は、とても幸せです。

長文を読んでくださってありがとうございました。
先にも書きましたとおり掲載については先生にお任せします。

今度は 祖母から聴いた私の心にいつもある「幸せのおどんぶり、かなしみのおどんぶり」
のお話を聞いていただきたいと思っています。

長文乱文にお付き合いくださいましてありがとうございました。

Vより。

+++++++++++++++


【はやし浩司より、Vさんへ】

●代償的過保護

 親の過干渉、過関心、プラス過剰期待が、子どもをいかに苦しめるものであるか。親は、「子
どものため」と思ってそうしますが、子どもにとっては、そうではないのですね。その苦しみは、
苦しんだものでないと、わからないものかもしれません。

 発達心理学の世界にも、「代償的過保護」という言葉があります。一見、過保護なのだが、ふ
つう過保護には、それがよいものかどうかは別として、その基盤に親の愛情があります。その
愛情が転じて、過保護となるわけです。が、中には、愛情のともなっていない過保護がありま
す。それが「代償的過保護」ということになります。言うなれば、過保護もどきの過保護を、「代
償的過保護」といいます。

 たとえば子どもを自分の支配下において、自分の思いどおりにしたいと思うのが、代償的過
保護です。そして親自身が感ずる、不安や心配を、そのまま子どもにぶつけてしまう。

 「こんな成績で、どうするの!」「こんなことでは、A学校には、入れないでしょ!」「もっと、勉
強しなさい!」と。

 その原因はといえば、親の情緒的未熟性、精神的欠陥があげられます。親自身が、心にキ
ズをもっているケースもありますし、それ以上に多いのが、親自身が、自分の結婚生活に対し
て、何か、大きなわだかまりや不満をもっているケースです。

 わかりやすく言えば、満たされない夫婦生活に対する不満を、子どもにぶつけてしまう。自分
の果たせなかった夢や希望を、子どもに求めてしまう。明けても暮れても、考えるのは、子ども
のことばかり、と。

 しかし本当に子どもの立場になって、子どもの心を理解しているかといえば、そういうことはな
い。結局は、自分のエゴを、子どもに押しつけているだけ。よい例が、子どもの受験競争に狂
奔している母親です。(父親にも多いですが……。)

 このタイプの親は、子どもには、「あなたはやればできるはず」「こんなはずはない」「がんばり
なさい」と言いつつ、自分では、ほとんど、努力しない。いつだったか、私が、そんなタイプの母
親に、「では、お母さん、あなたが東大に入って見せればいいじゃないですか」と言ったことがあ
ります。すると、その母親は、はにかみながら、こう言いました。「私は、もう終わりましたから…
…」と。

そして、すべてのエネルギーを、子どもに向けてしまう。それが親として、あるべき姿、もっと言
えば、親の深い愛情の証(あかし)であると誤解しているからです。

●親の過剰期待

 が、何が子どもを苦しめるかといって、親の過剰期待ほど、子どもを苦しめるものはありませ
ん。子どもは、その重圧感の中で、もがき、苦しみます。それを表現したのが、イプセンの『人
形の家』ですね。それについては、もう何度も書いてきましたので、ここでは省略します。子ども
は子どもで、まさに「人形」のような子、つまり「人形子」になってしまいます。

 「いい子」を演ずることで、自分の立場をとりつくろうとします。しかし人形は人形。どこにも、
「私」がない。だから、このタイプの子どもは、いつか、その成長段階で、自分を取りもどそうと
します。「私って、何だ!」「私は、どこにいる!」「私は、どうすればいいんだ!」と。

 それはまさに、壮絶な戦いですね。親の目からすれば、子どもが突然、変化したように見える
かもしれません。そのままはげしい家庭内暴力につながることも、少なくありません。

 (反対に、親にやりこめられてしまい、生涯にわたって、ナヨナヨとした人生観をもってしまう子
どももいます。異常なまでの依存性、異常なまでのマザコン性が、このタイプの子どもの特徴
のひとつです。中には、40歳を過ぎても、さらに50歳を過ぎても、母親の前では、ひざに抱か
れたペットのようにおとなしい男性もいます。)
 
 ……だからといって、Vさんがそうだったとか、Vさんのお母さんが、そうだったと言っているの
ではありません。ここに書いたのは、あくまでも、一般論です。

 ただ注意したいことは、2つあります。

●批判だけで終わらせてはいけない
 
ひとつは、Vさんは、自分の母親を見ながら、反面教師としてきたかもしれませんが、自分自身
も、自分の子ども、つまりY男君に対して、同じような母親になる可能性が、たいへん高いという
ことです。「私は、私の母親のような母親にはならない」と、いくらがんばっても、(あるいはがん
ばればがんばるほど)、その可能性は、たいへん高いということです。

 子育てというのは、そういう点でも、親から子へと、伝播しやすいと考えてください。今はわか
らないかもしれませんが、あとで気がついてみると、それがわかります。「私も、同じことをして
いた」と、です。どうか、ご注意ください。

●基本的信頼関係

 もうひとつは、情緒的未熟性、精神的な欠陥の問題です。(Vさんが、そうであると言っている
のではありません。誤解のないように!)

 最近の研究によれば、おとなになってからうつ病になる人のばあい、そのほとんどは、原因
は、乳幼児期の育てられ方にあるということがわかってきました。とくに注目されているのが、
乳幼児期のおける母子関係です。

 この時期に、(絶対的な安心感)を基盤とした、(基本的信頼関係)の構築に失敗した子ども
は、不安を基底とした生き方をするようになってしまうことが知られています。「基底不安」という
のがそれです。おとなになってからも、ある種の不安感が、いつもついてまわります。それがう
つ病の引き金を引くというわけです。

また、ここでいう(絶対的な安心感)というのは、(絶対的なさらけ出し)と、(絶対的な受け入れ)
を言います。

 「絶対的」というのは、「疑いすらもたない」という意味です。

 つまり子どもの側からみて、「どんなことをしても、許される」という、絶対的な安心感のことを
いいます。これが(心)の基本になるということです。心理学の世界でも、こうして母子の間でで
きる信頼関係を、「基本的信頼関係」と呼んでいます。

(あくまでも、「母子」です。この点においては、父親と母親は、平等ではありません。子どもの
心に決定的な影響を与えるのは、あくまでも母親です。あのフロイトも、そう言っています。)

 そのためには、子どもは、(望まれて生まれた子ども=wanted child)でなければなりませ
ん。(望まれて生まれた子ども)というのは、夫婦どうしの豊かな愛情の中で、愛情に包まれて
生まれてきた子どもという意味です。

 が、そうでないケースも、多いです。たとえば(できちゃった婚)というのがありますね。「子ども
ができてしまったから、しかたないので結婚しよう」というのが、それです。夫婦の愛情は、二の
次。だから生まれてきた子どもへの愛情は、どうしても希薄になります。

それだけですめばまだよいのですが、そのため親は親で、(とくに母親は)、子育てをしながら、
そこに犠牲心を覚えるようになる。あるいは、そのまま自分の子どもを、溺愛するようになる。

●絶対的な母子関係

 「産んでやった」「育ててやった」「大学まで出してやった」を、口ぐせにする親は、たいていこ
のタイプの親と考えてよいです。もともと夫婦の愛情が基盤にあって生まれた子どもではない
からです。

 一方、子どもは子どもで、そういう母親でも、親であると、自分の脳みその中に、本能に近い
部分にまで刷りこみます。やはり最近の研究によれば、人間にも、鳥類(殻から出てすぐ二足
歩行する鳥類)のような、(刷りこみ=imprinting)があることがわかってきました。これを「敏
感期」と呼んでいます。

 つまり子どもは子どもで、そういう環境で育てられながらも、「産んでいただきました」「育てて
いただきました」「大学まで出していただきました」と言い出すようになります。

 つまり、親の子どもへの依存性が、そのまま、今度は、子どもの親への依存性へと変化する
わけです。

 これがここでいう「伝播」ということになります。わかりますか?

 そしてそれは、先にも書きましたように、今度は、あなたという(親)から、あなたの(子ども)へ
と伝播する可能性があるということです。そういう意味では、『子育ては本能ではなく、学習』と
いうことになります。あなたの子どもはあなたという母親を見ながら、今度は、それを自分の子
育て観としてしまう!

 では、どうするか?

●「私」をつくる3つの方法

 自分の親を反面教師とするならするで、批判ばかりでは終わってはいけないということです。
また今は、「仏様」(Vさん)のようであるからといって、過去の母親を、許してはいけないという
ことです。

 あなたはあなたで、親というより、人間として、別の人格を、自分でつくりあげなければなりま
せん。それをしないと、結局は、あなたは、自分の親のしてきたことを、そっくりそのまま、今度
は、自分の子どもに繰りかえしてしまうということになりかねません。
 
そのために、方法はいくつかありますが、ひとつは、すでにVさん自身がなさっているように、
(1)過去を冷静にみながら、(2)自己開示をしていくということです。わかりやすく言えば、自分
を、どんどんとさらけ出していくということです。そしてその上で、(3)「私はこういう人間だ」とい
う(私)をつくりあげていくということです。

 いろいろ事情はあったのでしょうが、またほとんどの若い母親はそうであると言っても過言で
はありませんが、あなたの母親は、そういう点では、情緒的には、たいへん未熟なまま、あなた
という子どもを産んでしまったということになります。(だからといって、あなたの母親を責めてい
るのではありません。誤解のないように!)

 子どもから見れば、どんな母親でも、絶対的に見えるかもしれません。が、それは幻想でしか
ないということです。ここに書いた、(刷りこみ)によってできた幻想でしかないということです。

 それもそのはず。子どもは、母親の胎内で育ち、生まれてからも、母親の乳を受けて、大きく
なります。子どもにとっては、母親は(命)そのものということになります。しかし幻想は幻想。心
理学の世界では、そうした幻想から生まれる、もろもろの束縛感を、「幻惑」と呼んでいます。

 で、私もあるとき、ふと、気がつきました。自分の母親に対してです。「何だ、ただの女ではな
いか」とです。私も、「産んでやった」「育ててやった」という言葉を、それこそ、耳にタコができる
ほど、聞かされて育ちました。だからある日、こう叫びました。私が高校2年生のときのことだっ
たと思います。

 「いつ、オレが、お前に産んでくれと頼んだア!」と。

 それが私の反抗の第一歩でした。で、今の私は、今の私になった。もしあのとき反抗していな
ければ、ズルズルと、マザコンタイプの子どものままに終わっただろうと思います。(もっとも、
それで家族自我群がもつ重圧感から、解放されたというわけではありませんが……。)

●Vさんへ、

 ……とまあ、Vさんに関係のないことばかりを書いてしまいました。Vさんからのメールを読ん
でいるうちに、あれこれ思いついたので、そのまま文にした感じです。ですから、どうか、仮にお
気にさわるような部分があったとしても、お許しください。

 子育てを考えるということは、そのまま自分を考えることになりますね。自分を知ることもあり
ます。私も多くの子どもたちに接しながら、毎日、それこそいつも、「私って何だろう」「人間って
何だろう」と、そんなことばかりを考えています。

 以上、何かの参考になれば、うれしいです。また原稿ができまたら、送ってください。いっしょ
に、(自己開示)を楽しみましょう! どうせたった一度しかない人生ですから、ね。何も、それ
に誰にも、遠慮することなんか、ない。

 だって、そうでしょ。私も、Vさんも、「私」である前に、1人の人間なのですから……。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 家族
自我群 幻惑 過干渉 過関心 代償的過保護 自己開示 はやし浩司 親の過干渉 過干
渉児)





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●子どもの睡眠

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確たる調査をしたわけではないが、
きわめて聡明な子どもには、
ひとつの大きな共通点がある。

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 昨日も、2人の小学生(6年、女児)と、こんな話をした。話をしたというより、いつの間にか、
睡眠の話になった。

 2人とも、小学生なのに、高校入試の国語の問題を、80〜100点を取るほどの力がある。
きわめて恵まれた子どもたちである。その2人が、こう言った。

 「私は、ちょうど8時間眠っている」「私も、それくらい」と。

 しかも、だ。眠ったと同時に、朝を迎えるという。

私「夢は見ないのか?」
子「見ない」
私「ぜんぜん?」
子「眠ったと思ったら、いつも朝になっている」
私「途中で、おしっことか、そういうことで目を覚ますことはないのか」
子「ないわよ。カミナリくらいかな。カミナリが落ちたようなとき、目を覚ます」と。

 私も、子どものころ、そういう経験をしたことがある。瞬間に眠ってしまい、目を覚ましたら、そ
のまま朝になっていたという経験である。私は、そのとき、その間の時間が消えてしまったかの
ように感じた。私が、小学4、5年生のときのことではなかったか。

 その話をすると。2人の小学生は、「私は、毎日、そう」「私も」と。

 それを聞きながら、睡眠と能力は、関連しているのではないかと思った。つまりきわめて聡明
な子どもというのは、しっかりと睡眠をとっている。確たる調査をしたわけではないが、私はそう
いう印象をもっている。

 反対に、何か情緒的、あるいは精神的な問題をかかえている子どもは、この睡眠時間が、大
きく乱れる。能力的な問題をかかえている子どもも、そうである。慢性的な睡眠不足状態がつ
づけば、当然、その影響は現れてくる。

 だから……というわけでもないが、睡眠は規則正しく、小学6年生でも、しっかりと8時間前後
はとったほうがよいということになる。とくに幼児期からの、しつけが大切である。

 それについて書いた原稿を、ここに添付する。(中日新聞発表済み)

++++++++++++++++

●睡眠不足の子ども

 睡眠不足の子どもがふえている。日中、うつろな目つきで、ぼんやりしている。突発的にキャ
ーキャーと声をあげて、興奮することはあっても、すぐスーッと潮が引くように元気がなくなって
しまう。

顔色もどんより曇っていて、生彩がない。睡眠不足がどの程度、知能の発育に影響を与える
かということについては、定説がない。ないが、集中力が続かないため、当然、学習効果は著
しく低下する。ちなみに睡眠時間(眠ってから目を覚ますまで)は、年中児で平均10時間15
分。年長児で10時間。小学生になると、睡眠時間は急速に短くなる。

 原因の大半は不規則な生活習慣。「今日は土曜日だからいいだろう」と考えて、週に一度で
も夜ふかしをすると、睡眠時間も不安定になる。

ある女の子(年長児)は、おばあさんに育てられていた。夜もおとな並に遅くまで起きていて、朝
は朝で、おばあさんと一緒に起きていた。つまりそれが原因で睡眠不足になってしまった。また
別の子ども(年長児)は、アレルギー性疾患が原因で熟睡できなかった。腹の中のギョウ虫が
原因で睡眠不足になったケースもある。

で、睡眠不足を指摘すると、たいていの親は、「では今夜から早く寝させます」などと言うが、そ
んな簡単なことではない。早く寝させれば寝させた分だけ、子どもは早く目を覚ましてしまう。体
内時計が、そうなっているからである。

そんなわけで、『睡眠不足、なおすに半年』と心得ること。生活習慣というのは、そういうもの
で、一度できあがると、改めるのがたいへん難しい。

 なお子どもというのは、寝る前にいつも同じ行為を繰りかえすという習性がある。これを欧米
では、「ベッド・タイム・ゲーム」(「就眠儀式」)と呼んで、たいへん大切にしている。

子どもはこの時間を通して、「昼間の現実の世界」から、「夜の闇の世界」へ戻るために、心を
整える。このしつけが悪いと、子どもは、なかなか寝つかなくなり、それが原因で睡眠不足にな
ることがある。

まずいのは子どもを寝室へ閉じ込め、いきなり電器を消してしまうような行為。こういう乱暴なこ
とが日常化すると、子どもは眠ることに恐怖心をもつようになり、床へつくことを拒否するように
なる。ひどいばあいには、情緒が不安定になることもある。

毎晩夜ふかしをしたり、理由もないのにぐずったりする、というのであれば、このベッドタイムゲ
ームのしつけの失敗を疑ってみる。そこで教訓。

 子どもを寝つかせるときは、ベッドタイムゲームを習慣化する。軽く添い寝をしてあげる。本を
読んであげる。やさしく語りかけてあげる、など。

コツは、同じようなことを毎晩繰りかえすようにすること。つぎにぬいぐるみを置いてあげるな
ど、子どもをさみしがらせないようにする。それに興奮させないことも大切だ。年少であればあ
るほど、静かで穏やかな環境を用意する。できれば夕食後は、テレビやゲームは避ける。

なおこの睡眠不足と昼寝グセは、よく混同されるが、昼寝グセの残っている子どもは、その時
刻になると、パタリと眠ってしまうから区別できる。もし満5歳を過ぎても昼寝グセが残っている
ようならば、その時間の間、ガムをかませるなどの方法で対処する。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 子供
の睡眠 睡眠儀式 ベッドタイムゲーム 睡眠時間 睡眠不足)





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●心を病む教師

+++++++++++++++++

2005年度にうつ病などの精神疾患
で休職した公立小中高の教職員の数は、
前年度比で、619人ふえ、過去最多
の4178人にのぼったことが、
12月15日、文部科学省の調査で
わかった。

+++++++++++++++++

6年前に、こんな原稿を書いた。

+++++++++++++++++

●受験競争の魔力

 受験競争に巻き込まれれば巻き込まれるほど、子どもはもちろんのこと、親もその住む世界
を小さくする。この世界では、勝った負けたは当たり前。取るか取られるか、蹴落とすか蹴落と
されるか……。

教育とは名ばかり。その底流では、ドス黒い人間の欲望がはげしくウズを巻いている。ある母
親は受験どころか、子ども(中学生)がテスト週間を迎えるたびに病院通いをしていた。

いわく「テスト中は、お粥しかのどを通りません」と。子どもの受験競争が高じて、親どうしがい
がみあう例となると、まさに日常茶飯事。幼稚園という世界でも、珍しくない。現に今、言ったの
言わないのがこじれて、裁判ザタになっているケースすらある(小学校)。さらに息子(中3)が
高校受験に失敗したあと、自殺をはかった母親だっている!

 こうした狂騒は部外者が見ると、バカげているとわかるが、当の本人たちはそうでない。それ
はまさしく命がけ、血みどろの戦い。もっともこうした戦いが親の世界だけでとどまっているなら
まだしも、子どもの世界まで巻き込んでしまう。さらに学校という教育の世界まで巻き込んでし
まう。

この受験競争だけが原因とは言えないが、そのため心を病む教師はあとを断たない。東京都
の調べによると、東京都に在籍する約6万人の教職員のうち、新規に病気休職した人は、93
年度から四年間は毎年210人から220人程度で推移していたが、97年度は、261人。さら
に98年度は355人にふえていることがわかった(東京都教育委員会調べ・九九年)。

この病気休職者のうち、精神系疾患者は。93年度から増加傾向にあることがわかり、96年
度に一時減ったものの、97年度は急増し、135人になったという。

この数字は全休職者の約52%にあたる。(全国データでは、96年度は休職者が4171人で、
精神系疾患者は、1619人。)さらにその精神系疾患者の内訳を調べてみると、うつ病、うつ
状態が約半数をしめていたという。

 何だかんだといっても、受験が教育の柱になっている。もしこの日本から、受験という柱を抜
いたら、進学塾はもちろんのこと、学校教育ですら崩壊する。問題はなぜ受験が教育の柱にな
っているかだが、それについては別のところで考えるとして、結論から先に言えば、受験が子
どもや親を大きくする要素などどこにもない。仮にそれに打ち勝ったとしても、「何とかうまくやっ
た」というあと味の悪さが残るだけ。

受験競争は決して教育ではない。そういう前提で、一歩退いてつきあう。そういう冷静さがあな
たの心を守り、あなたの子どもの心を守る。

++++++++++++++++

 文科省は、心を病む教師がふえた理由として、「多忙や保護者、同僚との人間関係など、職
場の環境が年々きびしくなっていることが背景と考えられる」(中日新聞)としている。

 調査結果によると、病気による休職者は、前年比709人増の、7017人。このうち精神性疾
患による休職者は、13年連続で、前年度より17%ふえた。病気休職者全体に対する割合
も、1996年度の37%から60%にふえている。

 が、私の印象では、こうした数字は、まさに氷山の一角。実際の数、つまり、内緒で通院、治
療を繰りかえしている教師まで含めると、少なくとも、この5倍はいるとみてよい。もちろん程度
の差もある。

 まさに教師受難の時代というわけだが、「職場の環境がきびしくなった」というよりは、教育制
度そのものが、制度的限界に近づきつつあるとみるのが正しいのではないのか。教育とは名
ばかり。雑事、雑事の連続で、教育どころではないというのが、教師たちの本音ではないの
か。その煩雑(はんざつ)さは、おそらく教育に携わったものでなければ、わからない。30人の
子どもがいれば、30人分の問題がある。私塾なら、最終的には、「やめろ!」「やめる!」とい
う別れ方ができるが、公立学校では、それもできない。

 教師たちは、袋小路の奥の奥まで追いつめられる。その結果が、「4178人」という数字であ
る。

 しかしあえて言うなら、まだ公立学校の教師は恵まれている。そういう状態になっても、職場と
収入は、確保されている。安心して治療に専念できる。仮に退職勧告が出されたとしても、無
視すればよい。通院証明さえあれば、5年でも、10年でも、少なくとも収入だけは確保される。

 今、教師の仕事はたいへんだと、私も思う。思うが、そんなわけで、私は、あまり同情しない。
学校の先生たちと話していると、みな、そのきびしさを訴える。しかしそういう話を聞きながら、
私はいつも、こう思う。「私のほうが、ずっと、きびしい」「民間企業に働く労働者のほうが、もっ
ときびしい」と。

 そこでもし、こうした問題を本気で解決しようとするなら、学校制度そのものを変革させるしか
ない。教師を雑務から解放させ、教育だけに専念できるような制度を用意する。欧米では、とっ
くの昔にそうしているのだから、この日本だけができないということはないはず。

 何でもかんでも引き受けてしまうから、教師にそのシワ寄せが集まる。そういう制度そのもの
が、限界にきているとみてよいのではないだろうか。

+++++++++++++++++

ついでに6年前の
同じころに書いた原稿を、
もう1作。

+++++++++++++++++

●10%のニヒリズム

 テレビの人気ドラマに「三年B組金八先生」というのがある。まさに熱血漢教師のドラマだが、
実際にはああいう教師はいない。それはちょうどアクションドラマの中で、暴力団と刑事がピス
トルでバンバンと撃ちあうようなものだ。ドラマとしてはおもしろいが、現実にはありえない。

仮に金八先生のような教師がいたとすると、その教師はあっという間に、身も心もボロボロにさ
れる。第一、この世界には内政不干渉の原則というのがある。いくら問題が家庭におよんで
も、教師は家庭問題までクビをつっこんではいけない。またその権利もなければ義務もない。
つっこんだらつこんだで、たいへんなことになる。おおやけどをする。私にもいろいろな経験が
ある。

 私はある時期、毎日のように母親教室を開いていた。が、それがよくなかった。ある朝まだ床
の中で眠っていると、一人の男がいきなり飛び込んできて、こう叫んだ。「うちの女房が妊娠し
た。どうしてくれる!」と。

寝耳に水とはまさにこのこと。私が驚いていると、その様子から察したのか、その男はこう言っ
た。「すまんすまん。カマだった」と。話を聞くと、その男の妻がその前夜から家出をしたという。
そこでその男は、妻がよく口にしていた私のところへ逃げてきたと思ったらしい。

その妻というのは、私の母親教室の熱心な受講生だった。以来私は、毎日の母親教室を、週
一回に減らした。同時に、子どもの子育ての問題以外、「私は関係ない」という姿勢を貫くよう
にした。

 こうしたトラブルは、本当に多い。毎年少しずつ賢くなったつもりだが、つい油断をすると、同
じような失敗を繰り返かえす。そこで10%のニヒリズムということになる。昔、どこかの教師が
懇談会の席でそう教えてくれた。

「どんなに教育に没頭しても、100%、全力投球してはいけない。最後の10%は自分のため
にとっておく。裏切られてもキズつかないようにするためだ」と。

実際、この世界、報われることよりも、裏切られることのほうが多い。10%のニヒリズムは、そ
のための処世術である。






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●子育てのコツ

●小食で困ったら、冷蔵庫をカラに

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昨日、あるレストランへ入ったら、
4歳くらいの子どもが、祖母らしき
女性と並んで、あの大きなソフト
クリームを食べていた。

それを見て、いつもそうだが、
私は、ゾッとした。

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 体重15キロの子どもが、缶ジュースを1本飲むということは、体重60キロのおとなが、4本
飲む量に等しい。いくらおとなでも、缶ジュースを4本は飲めない。飲めば飲んだで、腹の中が
ガボガボになってしまう。

アイスやソフトクリームもそうだ。子どもの顔よりも大きなソフトクリームを1個子どもに食べさせ
ておきながら、「うちの子は小食で困っています」は、ない。

 突発的にキーキー声をはりあげて、興奮状態になる子どもは少なくない。このタイプの子ども
でまず疑ってみるべきは、低血糖。一度に甘い食品(精製された白砂糖の多い食品)を大量に
与えると、その血糖値をさげようとインスリンが大量に分泌される。が、血糖値がさがっても、さ
らに血中に残ったインスリンが、必要以上に血糖値をさげてしまう。

つまりこれが甘い食品を大量にとることによる低血糖のメカニズムだが、一度こういう状態にな
ると、脳の抑制命令が変調をきたす。そしてここに書いたように、突発的に興奮状態になって
大声をあげたり、暴れたりする。

このタイプの子どもは、興奮してくるとなめらかな動きがなくなり、カミソリでものを切るように、
スパスパした動きになることが知られている。アメリカで「過剰行動児」として、25年ほど前に
話題になったことがある。日本でもこの分野の研究者は多い(岩手大学名誉教授の大澤氏ほ
か)。そこでもしあなたの子どもにそういう症状が見られたら、一度砂糖断ちをしてみるとよい。
効果がなくて、ダメもと。一周間も続けると、子どものによってはウソのように静かに落ち着く。

 話がそれたが、子どもの小食で悩んでいる親は多い。「食が細い」「好き嫌いがはげしい」「食
事がのろい」など。幼稚園児についていうなら、全体の約50%が、この問題で悩んでいる。

で、もしそうなら、一度冷蔵庫をカラにしてみる。お菓子やスナック菓子類は、思いきって捨て
る。「もったいない」という思いが、つぎからのムダ買いを止める力になる。そして子どもが食事
の間に口にできるものを一掃する。子どもの小食で悩んでいる親というのは、たいてい無意識
のうちにも、間食を黙認しているケースが多い。もしそうなら、間食はいっさい、やめる。

(小食児へのアドバイス)
(1)ここに書いたように、冷蔵庫をカラにし、菓子類はすべて避ける。
(2)甘い食品(精製された白砂糖の多い食品)を断つ。
(3)カルシウム、マグネシウム、カリウム分の多い食生活にこころがける。具体的には海産物
中心の献立に切り替える。
(4)日中、汗をかかせるようにする。

 ただ小食といっても、家庭によって基準がちがうので、その基準も考えること。ふつうの家庭
よりも多い食物を与えながら、「少ない」と悩んでいるケースもある。子どもが健康なら、小食
(?)でも問題はないとみる。



●常識は静かに引き出す

+++++++++++++++

静かに考える。そういう時間と
場所を子どもに提供する。

これは家庭教育の中でも、とくに
大切な一部分である。

+++++++++++++++

 ものごとを静かに考え、正しい判断をくだし、その判断に従って行動する力のことを、「バラン
ス感覚」という。このバランス感覚がないと、子どもはかたよった考え方や、極端なものの考え
方をするようになる。

たとえば「この地球上の人間は、核兵器か何かで、半分くらいは死ねばいい」と言った男子高
校生がいた。あるいは「私は結婚して、早く未亡人になり、黒い喪服を着てみたい」と言った女
子高校生がいた。そういうようなものの考え方をするようになる。

 このバランス感覚を別の言葉で言いかえると、「豊かな常識」ということになる。この常識とい
うのは、だれにも平等に備わっているかのようにみえるが、そうではない。常識のない人はいく
らでもいる。しかも幼児期にすでにそれが決まる。

そこで「教育!」ということになるが、実際には子どもに教えるのはたいへんむずかしい。い
や、教えて教えられるものではない。親としてせいぜいできることがあるとすれば、常識を奪わ
ないということ。威圧的な過干渉、権威主義的な押しつけ、神経質な過関心が日常化すると、
子どもはいわゆる常識ハズレの子どもになる。

昔、一生懸命粘土をコンセントに詰めて遊んでいた子ども(年長男児)がいた。先生のコップに
殺虫剤を入れた子ども(中学男子)がいた。バケツに絵の具を溶かして、それを二階のベラン
ダから下を歩く子どもにかけていた子ども(年長男児)などがいた。ふつう子どものいたずらと
いうと、どこかほのぼのとした子どもらしさを感ずるが、それがない。常識というブレーキがか
からないためと考える。

 一般に子どもがドラ息子化すると、子どもからこのバランス感覚が消える。子どもというのは
きびしさとやさしさが、ほどよく調和した環境の中で、心をはぐくむ。が、たとえば父親が極端に
きびしく、母親が極端に甘いとか、あるいはガミガミときびしい反面、結局は子どもの言いなり
になってしまうような甘い環境が続くと、子どもはドラ息子化する。症状としては、自分勝手でわ
がまま、約束や目標が守れない、依存心が強い割に無責任になるなど。

 常識力を養うためには、子どもには自分で考える時間を、たっぷりとあげる。「あなたはどう
思うの?」「あなたはどうしたいの?」と聞きながら、子どもが何かを答えるまでじっと待つ。そう
いう姿勢が子どもを常識豊かな子どもにする。



●夢、希望、そして目的

 子どもを伸ばす3種の神器、それが(夢)(希望)、そして(目的)である。が、しかし何も、これ
は子どもの世界だけの話ではない。おとなも、そして老人も、生きるためには、夢と希望、そし
て目的が必要である。

 近所に、温厚な老人(男性)が住んでいた。心臓が悪くて、何度も入退院を繰りかえしてい
た。心臓のバイパス手術も、受けたことがある。

 その老人が、数年前、亡くなった。たしか、83歳ではなかったか? それはともかくも、数日
前、その男性の奥さんを見て、驚いた。あまりの変わりように、ギョッとするほど、驚いた。

 男性が生きている間は、「健康のため」ということで、1キロ先にあるスーパーまで毎日、歩い
て通っていた。ひざが悪いということで、毎日、近くの整形外科医医院にも通っていた。通りで
も、よく見かけた。

 しかし数日前にその奥さんを見ると、奥さんは、別人のように太ってしまっていた。ふつうの太
り方ではない。あごの先と、胸がそのままつながってしまったかのような太り方である。体はも
ちろん、数倍に、ふくれあがっていた。

 あいさつをしようと思ったが、のどで声は止まってしまった。奥さんは、私に気がつかないま
ま、そのまま玄関の中へ入ってしまった。奥さんは、夫を亡くしたあと、運動をしなくなってしまっ
たらしい。それを見て、私は、「明日はわが身」と、大きくため息をついた。

 私は、そのあと、こう思った。

 夫が心臓の病気と闘っている間は、奥さんは、それをバネとして、自分の健康管理を大切に
していた。しかし夫が亡くなってしまって、そのバネをなくしてしまった。生きる張りあいをなくして
しまった。しかしそんな奥さんに向かって、「奥さん、それではいけない」と、だれが言うことがで
きるだろうか。

 老人にも、生きるためには、夢と希望、それに目的が必要である。どんな小さな夢と希望でも
よい。そこから目標が生まれ、生きる活力へとつながっていく。たぶん、その奥さんは、夫が生
きている間は、「私がしっかりしなければ」と思って、がんばっていたにちがいない。しかし夫が
なくなり、そのバネをなくしてしまった。

 とたん、運動をやめ、整形外科医院に通うのも、やめてしまった。何かの心の病気を患った
のかもしれない。太るといっても、ふつうの太り方ではない。しかもここ1、2年のことである。

 そこで改めて、自分のこことして考える。「私は、死ぬまで、夢と希望、それに目的をもって生
きることができるか」と。あるいは、「どうすれば、死ぬまで、夢と希望、それに目的をもつことが
できるか」と。

 しかしこれは、たいへんなことだと思う。現に今ですら、それがむずかしい。ときどき、何のた
めに生きているか、わからないときがある。そんな私が、どうやって、20年後、30年後に、夢
と希望、そして目的をもちつづけることができるというのか。

 方法があるとすれば、今から、その準備をしておくということ。夢や希望にしても、それらは決
して向こうからやってくるものではない。自分の努力で、つくりあげていくもの。しかもそれには、
10年単位の時間が必要である。何かのボランティア活動を始めたから、それがそのまま、明
日からの夢や希望につながるということは、ありえない。

 夢や希望を、いったい、どこに求めたらよいのか。あの奥さんの姿を思い浮かべながら、今
朝は、いちばんに、そんなことを考えた。



●指示は具体的に

 具体性のない指示には、意味がない。たとえば「友だちと仲よくするのですよ」「先生の話をよ
く聞くのですよ」と言うのは、それを言う側の、気休め程度の意味しかない。「交通事故に気を
つけるのですよ」と言うのも、そうだ。そういうときは、こう言う。

友だちと仲よくしてほしかったら、「この○○を、A君にもっていってあげてね。きっとA君は喜ぶ
わ」と。先生の話をよく聞いてほしかったら、「今日、学校から帰ってきたら、先生がどんな話を
したか、あとで話してね」と言うなど。

交通事故については、一度、事故の様子を演技してみせるとよい。(自動車が走ってくる)→
(子どもが飛び出す)→(自動車が子どもをはねる)→(子どもがもがき苦しむ)と。迫真の演技
であればあるほど、よい。気の弱い子どもだと泣き出してしまうかもしれないが、子どもの命を
守るためだと思い、決して手を抜かないこと。茶化さないこと。こんな子どもがいた。

 その子どもは、母親が何度注意しても、近くの小川で遊んでいた。そこである日母親が、トイ
レの排水がどこをどう通って、その小川にどう流れていくかを、歩きながら順に追って見せた。
以後、その子どもは、その小川で遊ばなくなった。要するに子どもに与える指示には、具体性
をもたせろということ。この方法は、次のようにも応用できる。

 たとえば自尊心。「自分を大切にしなさい」と言っても、やはり意味がない。そういうときは、
「名前を大切にしようね」と教える。さらに具体的には、新聞でも雑誌でも、子どもの名前の出
ているものは、最大限尊重する。切りぬいて、高いところに張りつけたり、アルバムにしまった
りする。皆の前で、ほめるのもよい。そしてそのつど、「あなたの名前はいい名前だ」「すばらし
い名前だ」と言う。子どもは自分の名前を大切にすることによって、自分自身を大切にすること
を学ぶ。それが自尊心につながる。

 たとえばやさしさ。「人に親切にしようね」と言っても、やはり意味がない。そういうときは、そ
のつど、「こうするとパパが喜ぶよね」「これを分けてあげると、○○(妹)が喜ぶわね」と、相手
を喜ばすことを教える。また結局はそれが自分にとっても、楽しいことであることを教える。やさ
しい人というのは、それが自然な形でできる人のことをいう。

 たとえば命の尊さ。「命を大切にしようね」と言っても、やはり意味がない。子どもに命の尊さ
を教えようとするなら、どんな生きものであれ、その「死」をていねいに弔うこと。子ども自身が、
さみしさや悲しみを味わうようにしむける。たとえばあなたのペットが死んだとする。そのときあ
なたがその死骸を、紙袋か何かに包んで、ポイと捨てるようなことをすると、あなたの子どもは
「命」というのは、そういうものだと思うようになる。そして命、さらには生きていることそのもの
を、粗末にするようになる。

どんな宗教でも、死をていねいに弔う。それは死を弔いながら、その反射的効果として、生きて
いることを再確認するためではないか。そういうことも考えながら、死はどこまでも厳粛に。なお
死への恐怖心(地獄論やバチ論など)をもたせて、命の尊さを教える人もいるが、これは教育
の世界では邪道。幼児や年少の子どもには、決してしてはならない。


●バラバラになる親子

 Aさんは会社のリストラで職をなくした。企業診断士の資格をもっていたので、市内のマンショ
ンを借りてコンサルタント事務所を開いた。が、折からの不況で、すぐ仕事は行きづまってしま
った。しかしそれが悲劇の始まりだった。

 まず大学1年生になったばかりの長女が、Aさんを責めた。「大学だけは出してもらう。あんた
に責任をとってもらう」と。次に二女もそれに加わり、「お父さんが勝手なことばかりしているか
ら、こうなったのだ」と。

本来ならここで母親が間に入って、父と娘たちの調整をしなければならないのだが、その母親
まで、「生活ができない」と言って、家を飛び出してしまった。

家族といっても、一度歯車が狂うと、どこまでも狂う。狂ってバラバラになってしまう。Aさんはこ
う言った。「妻の家出のことで助けを求めたとき、長女に『自業自得でしょ』と言われました。そ
のときは背筋が凍る思いがしました」と。

 Aさんは何とか親戚中からお金をかき集めて、長女の学費を工面した。が、そういう苦労など
どこ吹く風。長女は妻が身を寄せている三重県の実家へは帰るものの、Aさんのところには寄
りつかなくなってしまった。仕送りが遅れたりすると、長女から矢の催促が届くという。

 こう書くとAさんをだらしない男のように思う人もいるかもしれないが、ごくふつうの、しかも典
型的なまじめ型人間。日本人の何割かが、彼のような人物といってもよい。人一倍家族思い
で、また家族のためならどんな苦労もいとわない。Aさんはこう言う。「朝早く仕事にでかけ、い
つも帰るのは真夜中。家族はそれで満足してくれていると思っていました。しかし妻も娘たち
も、自分とはまったく違ったとらえ方をしていたのですね」と。

 そのAさんは今は、二女の進学問題で悩んでいる。「お金がないから……」と言いかけると、
次女は「今ごろそういうことを言われても困る」と。「そういう話は前もって言ってもらわなければ
困る」とも。

 イギリスの格言に、『子どもに釣り竿を買ってあげるより、一緒に釣りに行け』というのがあ
る。親というのは、子どもに何かものを買ってあげることで、親としての義務を果たしたかのよう
に思うかもしれない。が、それでは子どもの心をつかむことはできない。子どもの心をつかみた
かったら、「釣りに行け」と。

何でもないことのようだが、親子の意識のズレはこうして始まる。「してあげた」と思う親。それ
を「当たり前」と思う子ども。そしてそのズレが無数に積み重なって、Aさんのようになる。いつ
か気がついてみたら、家族の心がバラバラになっていた、と。ついでに一言。

 私たち戦後の団塊世代は、あのひもじさを知っている。だから子どもたちには、そのひもじい
思いをさせたくないとがんばってきた。結果、今の子どもたちは、「ひもじい」という言葉の意味
そのものすら知らない。しかしそれが今、あちこちの家庭で裏目に出ようとしている。Aさんの
家庭もそんな家庭だが、皮肉と言えば、これほど皮肉なことはない。


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●逃げ場を大切に

 どんな動物にも最後の逃げ場というものがある。動物はこの逃げ場に逃げ込むことによっ
て、身の安全を確保し、そして心をいやす。人間の子どもも、同じ。親がこの逃げ場を平気で
侵すようになると、子どもの情緒は不安定になる。最悪のばあいには、家出ということにもなり
かねない。

そんなわけで子どもにとって逃げ場は、神聖不可侵な場所と心得て、子どもが逃げ場へ逃げ
たら、追いかけてそこを荒らすようなことはしてはならない。説教をしたり、叱ったりしてもいけ
ない。

子どもにとって逃げ場は、たいていは自分の部屋だが、そこで安全を確保できないとわかる
と、子どもは別の場所に、逃げ場を求めるようになる。A君(小2)は、親に叱られると、トイレに
逃げ込んでいた。B君(小4)は、近くの公園に隠れていた。C君(年長児)は、犬小屋の中に入
って、時間を過ごしていた。電話ボックスの中や、屋根の上に逃げた子どももいた。

 さらに親がこの逃げ場を荒らすようになると、先ほども書いたように、「家出」ということにな
る。このタイプの子どもは、もてるものをすべてもって、家から一方向に、どんどん遠ざかってい
くという特徴がある。カバン、人形、おもちゃなど。

D君(小1)は、おさげの中に、野菜まで入れて、家出した。これに対して、目的のある家出は、
必要なものだけをもって家出するので、区別できる。が、もし目的のわからない家出を繰り返
すというようであれば、家庭環境のあり方を猛省しなければならない。過干渉、過関心、威圧
的な子育て、無理、強制などがないかを反省する。激しい家庭騒動が原因になることもある。

 が、中には、子どもの部屋は言うに及ばず、机の中、さらにはバッグの中まで、無断で調べ
る人がいる。しかしこういう行為は、子どものプライバシーを踏みにじることになるから注意す
る。できれば、子どもの部屋へ入るときでも、子どもの許可を求めてからにする。たとえ相手が
幼児でも、そうする。そういう姿勢が、子どもの中に、「私は私。あなたはあなた」というものの
考え方を育てる。

 話は変わるが、98年の春、ナイフによる殺傷事件が続いたとき、「生徒(中学生)の持ちもの
を検査せよ」という意見があった。しかしいやしくも教育者を名乗る教師が、子どものカバンの
中など、のぞけるものではない。私など結婚して以来、女房のバッグの中すらのぞいたことが
ない。たとえ許可があっても、サイフを取り出すこともできない。私はそういうことをするのが、
ゾッとするほど、いやだ。

 もしこのことがわからなければ、反対の立場で考えてみればよい。あるいはあなたが子ども
のころを思い出してみればよい。あなたにも最後の逃げ場というものがあったはずだ。またプ
ライバシーを侵されて、不愉快な思いをしたこともあったはずだ。それはもう、理屈を超えた、
人間的な不快感と言ってもよい。自分自身の魂をキズつけられるかのような不快感だ。

それがわかったら、あなたは子どもに対して、それをしてはいけない。たとえ親子でも、それを
してはいけない。子どもの尊厳を守るために。


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●友を責めるな、行為を責めよ

 あなたの子どもが、あなたから見て好ましくない友人とつきあい始めたら、あなたはどうする
だろうか。しかもその友人から、どうもよくない遊びを覚え始めたとしたら……。こういうときの
鉄則はただ一つ。『友を責めるな、行為を責めよ』、である。これはイギリスの格言だが、こうい
うことだ。

 こういうケースで、「A君は悪い子だから、つきあってはダメ」と子どもに言うのは、子どもに、
「友を取るか、親を取るか」の二者択一を迫るようなもの。

あなたの子どもがあなたを取ればよし。しかしそうでなければ、あなたと子どもの間には大きな
亀裂が入ることになる。友だちというのは、その子どもにとっては、子どもの人格そのもの。友
を捨てろというのは、子どもの人格を否定することに等しい。あなたが友だちを責めれば責め
るほど、あなたの子どもは窮地に立たされる。そういう状態に子どもを追い込むことは、たいへ
んまずい。ではどうするか。

 こういうケースでは、行為を責める。またその範囲でおさめる。「タバコは体に悪い」「夜ふか
しすれば、健康によくない」「バイクで夜騒音をたてると、眠れなくて困る人がいる」とか、など。
コツは、決して友だちの名前を出さないようにすること。子ども自身に判断させるようにしむけ
る。そしてあとは時を待つ。

 ……と書くだけだと、イギリスの格言の受け売りで終わってしまう。そこで私はもう一歩、この
格言を前に進める。そしてこんな格言を作った。『行為を責めて、友をほめろ』と。

 子どもというのは自分を信じてくれる人の前では、よい自分を見せようとする。そういう子ども
の性質を利用して、まず相手の友だちをほめる。「あなたの友だちのB君、あの子はユーモア
があっておもしろい子ね」とか。「あなたの友だちのB君って、いい子ね。このプレゼントをもっ
ていってあげてね」とか。

そういう言葉はあなたの子どもを介して、必ず相手の子どもに伝わる。そしてそれを知った相
手の子どもは、あなたの期待にこたえようと、あなたの前ではよい自分を演ずるようになる。つ
まりあなたは相手の子どもを、あなたの子どもを通して遠隔操作するわけだが、これは子育て
の中でも高等技術に属する。ただし一言。

 よく「うちの子は悪くない。友だちが悪いだけだ。友だちに誘われただけだ」と言う親がいる。
しかし『類は友を呼ぶ』の諺どおり、こういうケースではまず自分の子どもを疑ってみること。祭
で酒を飲んで補導された中学生がいた。親は「誘われただけだ」と泣いて弁解していたが、調
べてみると、その子どもが主犯格だった。……というようなケースは、よくある。

自分の子どもを疑うのはつらいことだが、「友が悪い」と思ったら、「原因は自分の子ども」と思
うこと。だからよけいに、友を責めても意味がない。何でもない格言のようだが、さすが教育先
進国イギリス!、と思わせるような、名格言である。



●難破した人の意見を聞く 

 『航海のしかたは、難破した者の意見を聞け』というのは、イギリスの格言。人の話を聞くとき
も、成功した人の話よりも、失敗した人の意見のほうが、役にたつという意味。子育ても、そう。

 何ごともなく、順調で、「子育てがこんなに楽でよいものか」と思っている親も、実際にはいる。
しかしそういう人の話は、ほとんど参考にならない。それはちょうど、スポーツ選手の健康論
が、あまり役にたたないのに似ている。が、親というのは、そういう人の意見のほうに耳を傾け
る。「何か秘訣を聞きだそう」というわけである。

 私のばあいも、いろいろ振り返ってみると、私の教育論について、血や肉となったのは、幼児
を実際、教えたことがない学者の意見ではなく、現場の先生たちの、何気ない言葉だった。とく
に現場で10年、20年と、たたきあげた人の意見には、「輝き」がある。そういう輝きは、時間と
ともに、「重み」をます。

 ……ということだが、もしあなたの子どもで何か問題が起きたら、やや年齢が上の子どもをも
つ親に相談してみるとよい。たいてい「うちもこんなことがありましたよ」というような話を聞い
て、それで解決する。

++++++++++++++++

●問題のある子ども

 問題のある子どもをかかえると、親は、とことん苦しむ。学校の先生や、みなに、迷惑をかけ
ているのではという思いが、自分を小さくする。

よく「問題のある子どもをもつ親ほど、学校での講演会や行事に出てきてほしいと思うが、そう
いう親ほど、出てこない」という意見を聞く。教える側の意見としては、そのとおりだが、しかし実
際には、行きたくても行けない。恥ずかしいという思いもあるが、それ以上に、白い視線にさら
されるのは、つらい。

それに「あなたの子ではないか!」とよく言われるが、親とて、どうしようもないのだ。たしかに
自分の子どもは、自分の子どもだが、自分の力がおよばない部分のほうが大きい。そんなわ
けで、たまたまあなたの子育てがうまくいっているからといって、うまくいっていない人の子育て
をとやかく言ってはいけない。

 日本人は弱者の立場でものを考えるのが、苦手。目が上ばかり向いている。たとえばマスコ
ミの世界。私は昔、K社という出版社で仕事をしていたことがある。あのK社の社員は、地位や
肩書きのある人にはペコペコし、そうでない(私のような)人間は、ゴミのようにあつかった。電
話のかけかたそのものにしても、おもしろいほど違っていた。

相手が大学の教授であったりすると、「ハイハイ、かしこまりました。おおせのとおりにいたしま
す」と言い、つづいてそうでない(私のような)人間であったりすると、「あのね、あんた、そうは
言ってもねエ……」と。それこそただの社員ですら、ほとんど無意識のうちにそういうふうに態
度を切りかえていた。その無意識であるところが、まさに日本人独特の特性そのものといって
もよい。

 イギリスの格言に、『航海のし方は、難破したことがある人に聞け』というのがある。私の立場
でいうなら、『子育て論は、子育てで失敗した人に聞け』ということになる。

実際、私にとって役にたつ話は、子育てで失敗した人の話。スイスイと受験戦争を勝ち抜いて
いった子どもの話など、ほとんど役にたたない。が、一般の親たちは、成功者の話だけを一方
的に聞き、その話をもとに自分の子育てを組みたてようとする。

たとえば子どもの受験にしても、ほとんどの親はすべったときのことなど考えない。すべったと
き、どのように子どもの心にキズがつき、またその後遺症が残るなどということは考えない。こ
の日本では、そのケアのし方すら論じられていない。

 問題のある子どもを責めるのは簡単なこと。ついでそういう子どもをもつ親を責めるのは、も
っと簡単なこと。しかしそういう視点をもてばもつほど、あなたは自分の姿を見失う。あるいは
自分が今度は、その立場に置かされたとき、苦しむ。

聖書にもこんな言葉がある。「慈悲深い人は祝福される。なぜなら彼らは慈悲を示されるだろ
う」(Matthew5-9)と。

この言葉を裏から読むと、「人を笑った人は、笑った分だけ、今度は自分が笑われる」というこ
とになる。そういう意味でも、子育てを考えるときは、いつも弱者の視点に自分を置く。そういう
視点が、いつかあなたの子育てを救うことになる。

Hiroshi Hayashi+++++++++DEC.06+++++++++++はやし浩司

●許して忘れる

++++++++++++++++

許して忘れる。

子育ては、いつもこの言葉に行き着く。

++++++++++++++++

 私たちは、どこまで人を許し、そして忘れるべきなのか。

 許すというのは、(フォ・ギブ)、与えるためとも訳せる。忘れるというのは、(フォ・ゲッツ)、得
るためとも訳せる。つまり許して忘れるは、「人に愛を与えるために許し、人から愛を得るため
に忘れる」となる。

総じて見れば、人の関係は、(許す人、許される人)の関係で成り立っている。たとえばあなた
には、許してもらいたい人がいる。許してもらえたら、どんなに気が楽になることか。一方、あな
たには許すことができる人がいる。許してあげれば、どんなにその人は喜ぶことか。

 しかし問題は。どこまで人を許し、そして忘れるか、だ。卑俗な言い方をすれば、『仏の顔も三
度』という。『地蔵の顔も三度』ともいう。たがいに三度くらいなら、許したり、忘れたりすることが
できる。しかし四度目となると、そうはいかない。またその必要はあるのか。

 こうして考えていくと、自分にある種の限界があるのがわかる。「そこまではできるが、そこか
ら先はできない」という限界である。私は実のところ、人と接するとき、いつもその限界で迷う。
苦しむというほど、おおげさなものではないが、しかし迷う。「許して忘れてあげようか」と思いつ
つ、「どうして私がそこまでしなければならないのか」というように迷う。

私はもともとお人好しタイプの人間だから、何でも頼まれれば、本気でしてしまう。ときにはしす
ぎることもある。どこかでブレーキをかけないと、自分のための時間がなくなってしまう。今でこ
そ、ワイフもあきらめて言わなくなったが、少し前まで、いつもこう言っていた。「人の心配もい
いけど、来月の家計も心配してよ」と。

 この原稿を書いている今も、同じような問題をかかえている。その母親(34歳)はたいへん情
緒が不安定な人で、何かを相談してきては、そのついでに、無理なことを言っては、私を困ら
せる。そこで私がやんわりと断ったりすると、最後はどういうわけだか、興奮状態になってしま
う。そしていつも何らかの罵声をあびせかけて、電話を切る。が、数日もすると、また電話をか
けてきて、「先日はすみませんでした」と。

 こういうことが、二度、三度と重なると、電話に出るのも、おっくうになる。その母親が私に電
話をかけてくるのは、私に何かの救いを求めているからだ。混乱する精神状態を鎮(しず)め
たいからだ。それはわかる。しかしどうして、この私が、他人であるその母親に、何も悪いこと
をしていないのに、怒鳴られなければならないのか。

ワイフは割と合理的に考える女性だから、「放っておきなさいよ」「無視すればいいのよ」「相手
にしなければいいのよ」と言うが、私にはそれができない。クールに生きるということは、それだ
けで私にとっては、敗北でしかない。

 「修行」という言葉がある。宗派によっては、何時間も読経をしたり、過酷な行をして、心身を
鍛えるところもあるそうだ。私自身も若いころ、好奇心からオーストラリアの友人と、一週間ほ
ど、禅の道場に通ったことがある。が、どうも自分の体質に合わなかった。瞑想(めいそう)に
ふけるということだったが、つぎからつぎへと、卑猥(ひわい)なことばかりが頭に浮かんでき
て、とても瞑想などできなかった。

しかし本当の修行は、こうして生きていく、日々の生活の中で、ごく日常的になされるものでは
ないのか。無理をして自分の心や体を痛めつけたところで、そんなことで、どうして真理に達す
ることができるというのか。真理に到達する「思想」は、自らが考えることで、得ることができる。
それとも滝に打たれ、炎の上を歩けば、数学の問題が解けるようになるというのか。ホーキン
グの説く、宇宙の構造論が理解できるようになるというのか。

 もし私がその母親を、この段階で、許して忘れることができるなら、私はつぎのステップの、つ
まりはさらに高い(?)境地に達することができるかもしれない。それもわかっている。しかしや
はりブレーキが働いてしまう。心のどこかで、「ヒロシ、神や仏のまねごとをして、それがどうな
のか」と、だれかが言っているようにも聞こえる。だから迷う。私はその母親を許して忘れるべ
きなのか、と。その母親は明らかに心の病にかかっている。本来なら私のところではなく、どこ
か心の病院へ行ったほうがよいと思うのだが……。

 あああ、何とも重苦しい気持ちになってきた。ため息ばかりでる。このあたりで気分を転換し
なければならない。これから本屋へでも行って、パソコンの本をながめてくるつもり。もうこの母
親のことは、考えない。考えたくない。……あああ、だから私は凡人なのだ。いつまでたっても、
凡人なのだ。






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●こわれる子どもの心

 子どもの心がこわれる? ……とは、何? 疑問に思う人も多いと思う。「どういうことだ?」
と。

 しかしこの問題だけは、そういった視点で子どもを見たことがない人には、理解できないだろ
う。「私だからこそわかる」と書けば、「何だ、そんなことか!」で終わってしまう。が、こわれるも
のは、こわれる。そしてここがこわいところだが、一度こわれた心は、ぜったいに、もとには、も
どらない。

 あなたは幼児の、あの天にも抜けるような、朗らかで明るい心を知っているだろうか。子ども
というのは、あるべき環境の中で、あるがままに育てれば、みな、そうなる。

 しかしその心も、受験期を迎えるようになると、急速に変化する。子どもによっては、どこかの
受験塾の夏期講習を受けただけで、別人のようになることもある。小学生であれば、なおさら
である。

 その時期を境に、子どもの心は、冷たく、合理的になる。ぬくもりを失い、ものの考え方が、つ
っけんどんになる。やさしさが消え、底が浅くなる。あたかも、心の一部が欠けたような状態に
なる。わかりやすく言えば、こちらが暖かい気持ちで接しても、それがそのままはね返されてし
まう。そんな感じになる。

 そういう子どもの変化を見ながら、ほとんどの親たちは、「うちの子もやっと、心構えができま
した」と喜んで見せる。「受験に対する自覚が生まれました」とも。

 が、これはとんでもない誤解である。仮にそれで受験がうまくいったとしても、その後遺症は、
そのあと、生涯にわたってつづく。言いかえると、その後遺症をひきずっている人には、それが
わからない。たとえて言うなら、メガネのようなもの。長く使っていると、メガネをかけていること
すら、忘れてしまう。

 もっとはっきり言えば、心の欠けた人からは、心の欠けた人が理解できない。心の欠けた親
からは、心の欠けた子どもが理解できない。それに気づくこともない。そういう例は、多い。

 若いころ、まだ幼稚園で働いていたときのことだが、こんなことがあった。私がその子ども(年
長男児)の問題点を、母親に相談しようとしたときのこと。自分勝手でわがまま。自分さえよけ
れば、それでよいという態度ばかりが、目立った。が、その母親は、私にこう言った。

 「あんたは、だまって、息子の勉強だけをみていてくれればいい。(いらぬことを言うな!)」
と。

 母親自身が、心の冷たい人だった。そういう母親に、子どもの問題点を指摘しても、意味が
ない。その母親は、自分の心を基準に、ものを考える。自分の子どもを見る。

 心の欠けた子どもには、つぎのような特徴がある。

(1)やさしさが通じない。……ふつう子どもというのは、こちらがやさしくしてやると、そのやさし
さが、スーッと子どもの心の中にしみこんでいくのがわかる。が、心の欠けた子どもにはsろえ
がない。それをそのまま、はね返してしまう。

(2)おだやかさが消える。……心に余裕がなくなり、いつもピリピリした状態になる。昔風の言
い方をすれば、まろやかさが消える。ものの考え方が合理的で、打算的。こちらがやさしくして
やっても、すかさず、損か得かという基準だけで、それを判断する。

(3)自己中心性が強くなる。……自分勝手でわがままになる。相手の立場でものを考えること
ができない。「自分さえよければ、それでいい」という考え方をする。かつて、こう言った高校生
がいた。「文化祭の委員なんかやるヤツは、バカだ。それだけ受験勉強の勉強ができなくなる」
と。

(4)人間味が消える。……動物のぬいぐるみを見ても、それを平気で足で蹴飛ばしたりする。
弱いものいじめを平気でする。暴言がふえる。相手がいやがることを、平気で口にしたりする。
「勉強ができない子どもは、バカ」という考え方をし、常に自分の優位性を保とうとする。

 ざっと思いついたまま書いてみたので、正確ではない。それにこうした心の(ゆがみ)は、受
験勉強だけで生ずるものではない。親の慢性的な過干渉、過関心が原因で生ずることもある。
しかしこれだけは忘れてはいけない。

 これから思春期という、つまり、心ができるその時期に、「受験勉強」という魔物の中に子ども
を放りこんで、それでその子どもが無事ですむと考えるほうがおかしい。イギリスの格言にも、
『抑圧は悪魔を作る』というのがある。

 慢性的な抑圧感が蓄積されると、子どもでなくても、心は、悪魔化する。心というのは、そうい
う意味で、たいへんデリケートにできている。たとえて言うなら、薄いガラスでできた箱のような
もの。こわすのは、簡単。本当に、簡単。

 この日本では、受験勉強を避けて通れないものかもしれないが、(心)まで失って、何が受験
勉強かということになる。が、それだけではすまない。心を失った子どもは、多少ばかりの財産
と名誉、地位と引きかえに、生涯、死ぬまで、孤独の世界でもがき、苦しむことになる。損か得
かということになれば、よほど、そちらのほうが損ということになる。

 私が中日新聞にはじめて書いたコラムを、いくつか紹介する。これを読んでもらえば、(心の
欠けた子ども)というのが、どういう子どもであるか、あなたにも、わかってもらえるはず。

++++++++++++++

●ゆがむ子どもの心

 イギリスの諺に、『抑圧は悪魔を生む』というのがある。心の抑圧状態が続くと、ものの考え
方が悪魔的になることを言ったものだが、この諺ほど、子どもの心にあてはまる諺はない。

きびしい勉強の強要など、子どもの能力をこえた過負担が続くと、子どものものの考え方は、
まさに悪魔的になる。こんな子ども(小4男児)がいた。

 その子どもは静かで、穏やかな子どもだった。人の目をたいへん気にする子どもで、いつも
他人の顔色をうかがっているようなところは、あるにはあった。しかしそれを除けば、ごくふつう
の子どもだった。

が、ある日私はその子どものノートを見て、びっくりした。何とそこには、血が飛び散ってもがき
苦しむ人間の姿が、いっぱい描かれていた! 「命」とか、「殺」とかいう文字もあった。しかも
描かれた顔はどれも、口が大きく裂け、そこからは血がタラタラと流れていた。ほかに首のない
死体や爆弾など。原因は父親だった。

神経質な人で、毎日、2時間以上の学習を、その子どもに義務づけていた。そしてその日のノ
ルマになっているワークブックがしていないと、夜中でもその子どもをベッドの中から引きずり
出して、それをさせていた。

 神戸で起きた「淳君殺害事件」は、まだ記憶に新しいが、しかしそれを思わせるような残虐事
件は、現場ではいくらでもある。その直後のことだが、浜松市内のある小学校で、こんな事件
があった。1人の子ども(小二男児)が、飼っていたウサギを、すべり台の上から落として殺して
しまったというのだ。

この事件は時期が時期だけに、先生たちの間ではもちろんのこと、親たちの間でも大きな問題
になった。ほかに先生の湯飲み茶碗に、スプレーの殺虫剤を入れた子ども(中学生)もいた。
牛乳ビンに虫を入れ、それを投げつけて遊んでいた子ども(中学生)もいた。ネコやウサギをお
もしろ半分に殺す子どもとなると、いくらでもいる。

ほかに、つかまえた虫の頭をもぎとって遊んでいた子ども(幼児)や、飼っていたハトに花火を
つけて、殺してしまった子ども(小3男児)もいた。

 親のきびしい過負担や過干渉が日常的に続くと、子どもは自分で考えるという力をなくし、い
わゆる常識はずれの子どもになりやすい。異常な自尊心や嫉妬心をもつこともある。そういう
症状の子どもが皆、過負担や過干渉でそうなったとは言えない。しかし過負担や過干渉が原
因でないとは、もっと言えない。

子どもは自分の中にたまった欲求不満を何らかの形で発散させようとする。いじめや家庭内暴
力の原因も、結局は、これによって説明できる。

一般論として、はげしい受験勉強を通り抜けた子どもほど心が冷たくなることは、よく知られて
いる。合理的で打算的になる。ウソだと思うなら、あなたの周囲を見回してみればよい。あなた
の周囲には、心が温かい人もいれば、そうでない人もいる。しかし学歴とは無縁の世界に生き
ている人ほど、心が温かいということを、あなたは知っている。

子どもに「勉強しろ」と怒鳴りつけるのはしかたないとしても、それから生ずる抑圧感が一方
で、子どもの心をゆがめる。それを忘れてはならない。


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

子どもの心が破壊されるとき
 
●バッタをトカゲのエサに

 A小学校のA先生(小1担当女性)が、こんな話をしてくれた。「1年生のT君が、トカゲをつか
まえてきた。そしてビンの中で飼っていた。そこへH君が、生きているバッタをつかまえてきて、
トカゲにエサとして与えた。私はそれを見て、ぞっとした」と。

 A先生が、なぜぞっとしたか、あなたはわかるだろうか。それを説明する前に、私にもこんな
経験がある。もう20年ほど前のことだが、1人の子ども(年長男児)の上着のポケットを見る
と、きれいに玉が並んでいた。私はてっきりビーズ玉か何かと思った。が、その直後、背筋が
凍りつくのを覚えた。

よく見ると、それは虫の頭だった。その子どもは虫をつかまえると、まず虫にポケットのフチを
口でかませる。かんだところで、体をひねって頭をちぎる。ビーズ玉だと思ったのは、その虫の
頭だった。

また別の日。小さなトカゲを草の中に見つけた子ども(年長男児)がいた。まだ子どもの小さな
トカゲだった。「あっ、トカゲ!」と叫んだところまではよかったが、その直後、その子どもはトカ
ゲを足で踏んで、そのままつぶしてしまった!

●心が壊れる子どもたち

 原因はいろいろある。貧困(それにともなう家庭騒動)、家庭崩壊(それにともなう愛情不
足)、過干渉(子どもの意思を無視して、何でも親が決めてしまう)、過関心(子どもの側からみ
て息が抜けない家庭環境)など。威圧的(ガミガミと頭ごなしに言う)な家庭環境や、権威主義
的(「私は親だから」「あなたは子どもだから」式の問答無用の押しつけ)な子育てが、原因とな
ることもある。

要するに、子どもの側から見て、「安らぎを得られない家庭環境」が、その背景にあるとみる。
さらに不平や不満、それに心配や不安が日常的に続くと、それが子どもの心を破壊することも
ある。

イギリスの格言にも、『抑圧は悪魔を生む』というのがある。抑圧的な環境が長く続くと、ものの
考え方が悪魔的になることを言ったものだが、このタイプの子どもは、心のバランス感覚をなく
すのが知られている。

「バランス感覚」というのは、してよいことと悪いことを、静かに判断する能力のことをいう。これ
がないと、ものの考え方が先鋭化したり、かたよったりするようになる。昔、こう言った高校生
がいた。「地球には人間が多すぎる。核兵器か何かで、人口を半分に減らせばいい。そうすれ
ば、ずっと住みやすくなる」と。そういうようなものの考え方をするが、言いかえると、愛情豊か
な家庭環境で、心静かに育った子どもは、ほっとするような温もりのある子どもになる。心もや
さしくなる。

●無関心、無感動は要注意

 さて冒頭のA先生は、トカゲに驚いたのではない。トカゲを飼っていることに驚いたのでもな
い。A先生は、生きているバッタをエサとして与えたことに驚いた。A先生はこう言った。「そうい
う残酷なことが平気でできるということが、信じられませんでした」と。

 このタイプの子どもは、総じて他人に無関心(自分のことにしか興味をもたない)で、無感動
(他人の苦しみや悲しみに鈍感)、感情の動き(喜怒哀楽の情)も平坦になる。

よく誤解されるが、このタイプの子どもが非行に走りやすいのは、そもそもそういう「芽」がある
からではない。非行に対する抵抗力がないからである。悪友に誘われたりすると、そのままス
ーッと仲間に入ってしまう。ぞっとするようなことをしながら、それにブレーキをかけることができ
ない。だから結果的に、「悪」に染まってしまう。

●心の修復は、4、5歳までに

 そこで一度、あなたの子どもが、どんなものに興味をもち、関心を示すか、観察してみてほし
い。子どもらしい動物や乗り物、食べ物や飾りであればよし。しかしそれが、残酷なゲームや、
銃や戦争、さらに日常的に乱暴な言葉や行動が目立つというのであれば、家庭教育のあり方
をかなり反省したらよい。

子どものばあい、「好きな絵をかいてごらん」と言って紙とクレヨンを渡すと、心の中が読める。
子どもらしい楽しい絵がかければ、それでよし。しかし心が壊れている子どもは、おとなが見て
も、ぞっとするような絵をかく。

 ただし、小学校に入学してからだと、子どもの心を修復するのはたいへん難しい。修復すると
しても、4、5歳くらいまで。穏やかで、静かな生活を大切にする。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 心の
冷たい子 子供の心 心を育てる家庭教育 子どもの心理 子供の心理)





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●教育再生会議

【教育再生会議・中間報告原案】

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06年の12月21日、教育再生会議の
中間報告会議の原案が、提示された。

「塾を禁止せよ」と提案した野依良治氏
(座長)。過激すぎるというか、現実離れ
しすぎているというか?

いろいろ提案がなされたようだが、本当
に、このメンバーの人たちは、教育の現
場を知っているのだろうかというのが、
私の率直な疑問。

案の定、教育再生会議の出した提案は、
ことごとく無視されている。

かろうじて通ったのは、(ゆとり教育の
見直し)だけ。

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 06年の12月21日、教育再生会議の中間報告の原案が提示された。内容は、以下のような
もの。

(1)ゆとり教育の見直し
(2)教員免許更新制
(3)学校の第三者評価制度
(4)教育委員会改革
(5)大学9月入学

 このうち、安倍内閣の教育改革の意に合致したものは、(1)のゆとり教育の見直しだけ。
(2)の教員免許更新制については、検討中ということ。

 どこかわかりにくい中間報告の原案だが、私たちの視点で、もう一度、この原案なるものを、
検討してみたい。

●ダメ教員の問題

 どこの学校にも、ダメ教員と呼ばれる教員がいる。その数は、「不適格教師」と認定された教
師の10倍以上はいるとみてよい。

 しかしその基準が、イマイチ、はっきりしない。さらに40代、50代の教師となると、それぞれ
個性があり(?)、上からの指導になじまない。自分の指導法に自信をもっている教師も多い。
あるいは自分の指導法に、こだわる教師も多い。

 だからたとえばすでに文科省が、決めているように、10年ごとに30時間の講習を受けるな
どいう制度だけで、こうした教師の再教育ができると考えるほうが、無理。

 もっとも効率的な方法は、親や子ども自身に、(教師選択の自由)を与えること。「あの先生
に、うちの息子を教えてもらいたい」「私は、あの先生に教えてもらいたい」と。

 アメリカでは、こうした選択は、ごくふつうのこととして、すでになされている。「今年も、エリー
先生の教室で勉強したい」と、親や子どもが願えば、学年に関係なく、その教室で勉強できる
ようになっている。教育再生会議では、(3)学校の第三者評価制度をあげているが、これは教
育現場をまったく知らない、ド素人のたわごとと考えてよい。

 だれが、どうやって評価するのか? 具体性が、まったく、ない。

 ただ私立幼稚園のばあい、講演に招かれたりすると、その幼稚園がすぐれた幼稚園である
かどうかは、雰囲気でわかる。教師や子どもたちが、生き生きとしている。園長の個性が、あち
こちで光っている。

 しかしそれは、私立幼稚園という、教育の自由が許された環境でこそ、可能だということ。し
かも私立幼稚園は、常に、生き残りをかけて、壮絶な戦いというか、苦労を重ねている。

●美しい国づくり 

 提言の中に、「美しい国づくり」がある。大賛成である。が、どうして、「美しい国づくり」が、教
育と関係があるのか。

 あえて言葉を借りるなら、「国民全体の資質向上」(会議)ということになる。これにも大賛成
だが、では「美しい国」とは、どういう国をさすのか。

 外国から帰ってきて成田空港で電車に乗ったとたん、あまりの落差というか、醜さに、がく然
とすることがある。「これが私たちの国か」と思うことさえある。

 雑然と並んだ町並み。自分の家さえよければと、無理に増築に増築を重ねた家々。クモの巣
のように張りめぐされた電線。けばけばしい看板。標識の数々。入り組んだ道に、手あたりしだ
いにつけられたガードレールなどなど。

 その間にパチンコ屋があり、駐車場があり、軒をつらねて商店街がある。数日も住むと、今
度は日本の風景になじんでしまい、今度はその醜さがわからなくなる。が、日本という国は、基
本的な部分から、美的感覚を再構築しないと、決して「美しい国」にはならない。

 が、それは教育の問題ではない。社会の問題である。もっと言えば、日本人自身がもつ文化
性の問題ということになる。これだけ豊かな自然(木々の緑)に囲まれながら、その自然を生か
すことさえできないでいる。

 教育で、それを子どもに押しつけるような問題ではない。

●いじめを許さない

 提言では「いじめを許さない、安心して学べる規律のある教室」を歌っている。

 方法がないわけではない。現在のように、英・数・国・社・理にかぎるのではなく、科目数をふ
やせばよい。子どものもつニーズと多様性に合わせて、子どもたちにとって、好きなことを好き
なだけできるような環境を用意すればよい。

 好きなことを生き生きできる。そういう世界を用意してこそ、子どもはいじめを忘れることがで
きる。

 たとえばオーストラリアでは、中学1年レベルで、外国語にしても、ドイツ語、フランス語、イン
ドネシア語、中国語、日本語の5つから、選んで学習できるようになっている。芸術にしても、ド
ラマ(演劇)、絵画、工芸、音楽などが、それぞれ独立した科目になっている。

 以前書いた原稿を1作、紹介する(中日新聞掲載済み)。

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【学校神話を打ち破る法】

常識が偏見になるとき 

●たまにはずる休みを……!

「たまには学校をズル休みさせて、動物園でも一緒に行ってきなさい」と私が言うと、たいてい
の人は目を白黒させて驚く。「何てことを言うのだ!」と。多分あなたもそうだろう。しかしそれこ
そ世界の非常識。あなたは明治の昔から、そう洗脳されているにすぎない。

アインシュタインは、かつてこう言った。「常識などというものは、その人が一八歳のときにもっ
た偏見のかたまりである」と。子どもの教育を考えるときは、時にその常識を疑ってみる。たと
えば……。

●日本の常識は世界の非常識

★かねばならぬという常識……アメリカにはホームスクールという制度がある。親が教材一式
を自分で買い込み、親が自宅で子どもを教育するという制度である。希望すれば、州政府が家
庭教師を派遣してくれる。

日本では、不登校児のための制度と理解している人が多いが、それは誤解。アメリカだけでも
97年度には、ホームスクールの子どもが、100万人を超えた。毎年15%前後の割合でふ
え、2001年度末には200万人に達するだろうと言われている。

それを指導しているのが、「Learn in Freedom」(自由に学ぶ)という組織。「真に自由な教育は
家庭でこそできる」という理念がそこにある。

地域のホームスクーラーが合同で研修会を開いたり、遠足をしたりしている。またこの運動は
世界的な広がりをみせ、世界で約千もの大学が、こうした子どもの受け入れを表明している(L
IFレポートより)。

★おけいこ塾は悪であるという常識……ドイツでは、子どもたちは学校が終わると、クラブへ通
う。早い子どもは午後1時に、遅い子どもでも3時ごろには、学校を出る。

ドイツでは、週単位(※)で学習することになっていて、帰校時刻は、子ども自身が決めることが
できる。そのクラブだが、各種のスポーツクラブのほか、算数クラブや科学クラブもある。学習
クラブは学校の中にあって、たいていは無料。学外のクラブも、月謝が1200円前後(2001
年調べ)。

こうした親の負担を軽減するために、ドイツでは、子ども1人当たり、230マルク(日本円で約1
万4000円)の「子どもマネー」が支払われている。この補助金は、子どもが就職するまで、最
長27歳まで支払われる(01年)。

 こうしたクラブ制度は、カナダでもオーストラリアにもあって、子どもたちは自分の趣向と特性
に合わせてクラブに通う。

日本にも水泳教室やサッカークラブなどがあるが、学校外教育に対する世間の評価はまだ低
い。ついでにカナダでは、「教師は授業時間内の教育には責任をもつが、それ以外には責任
をもたない」という制度が徹底している。

そのため学校側は教師の住所はもちろん、電話番号すら親には教えない。私が「では、親が
先生と連絡を取りたいときはどうするのですか」と聞いたら、その先生(バンクーバー市日本文
化センターの教師Y・ムラカミ氏)はこう教えてくれた。

「そういうときは、まず親が学校に電話をします。そしてしばらく待っていると、先生のほうから
電話がかかってきます」と。

★進学率が高い学校ほどよい学校という常識……つい先日、東京の友人が、東京の私立中
高一貫校の入学案内書を送ってくれた。全部で70校近くあった。が、私はそれを見て驚いた。

どの案内書にも、例外なく、その後の大学進学先が明記してあったからだ。別紙として、はさん
であるのもあった。「○○大学、○名合格……」と(※)。この話をオーストラリアの友人に話す
と、その友人は「バカげている」と言って、はき捨てた。そこで私が、では、オーストラリアではど
ういう学校をよい学校かと聞くと、こう話してくれた。

 「メルボルンの南に、ジーロン・グラマースクールという学校がある。そこはチャールズ皇太子
も学んだこともある古い学校だが、そこでは生徒一人ひとりにあわせて、学校がカリキュラムを
組んでくれる。

たとえば水泳が得意な子どもは、毎日水泳ができるように。木工が好きな子どもは、毎日木工
ができるように、と。そういう学校をよい学校という」と。なおそのグラマースクールには入学試
験はない。子どもが生まれると、親は出生届を出すと同時にその足で学校へ行き、入学願書
を出すしくみになっている。つまり早いもの勝ち。

●そこはまさに『マトリックス』の世界

 日本がよいとか、悪いとか言っているのではない。日本人が常識と思っているようなことで
も、世界ではそうでないということもある。それがわかってほしかった。そこで一度、あなた自身
の常識を疑ってみてほしい。あなたは学校をどうとらえているか。学校とは何か。教育はどうあ
るべきか。さらには子育てとは何か、と。

その常識のほとんどは、少なくとも世界の常識ではない。学校神話とはよく言ったもので、「私
はカルトとは無縁」「私は常識人」と思っているあなたにしても、結局は、学校神話を信仰してい
る。「学校とは行かねばならないところ」「学校は絶対」と。それはまさに映画『マトリックス』の世
界と言ってもよい。仮想の世界に住みながら、そこが仮想の世界だと気づかない。気づかない
まま、仮想の価値に振り回されている……。

●解放感は最高!

 ホームスクールは無理としても、あなたも一度子どもに、「明日は学校を休んで、お母さんと
動物園へ行ってみない?」と話しかけてみたらどうだろう。実は私も何度となくそうした。平日に
行くと、動物園もガラガラ。あのとき感じた解放感は、今でも忘れない。「私が子どもを教育して
いるのだ」という充実感すら覚える。冒頭の話で、目を白黒させた人ほど、一度試してみるとよ
い。あなたも、学校神話の呪縛から、自分を解き放つことができる。

※……1週間の間に所定の単位の学習をこなせばよいという制度。だから月曜日には、午後
3時まで学校で勉強し、火曜日は午後1時に終わるというように、自分で帰宅時刻を決めること
ができる。

●「自由に学ぶ」

 「自由に学ぶ」という組織が出しているパンフレットには、J・S・ミルの「自由論(On Liberty)」
を引用しながら、次のようにある(K・M・バンディ)。

 「国家教育というのは、人々を、彼らが望む型にはめて、同じ人間にするためにあると考えて
よい。そしてその教育は、その時々を支配する、為政者にとって都合のよいものでしかない。
それが独裁国家であれ、宗教国家であれ、貴族政治であれ、教育は人々の心の上に専制政
治を行うための手段として用いられてきている」と。

 そしてその上で、「個人が自らの選択で、自分の子どもの教育を行うということは、自由と社
会的多様性を守るためにも必要」であるとし、「(こうしたホームスクールの存在は)学校教育を
破壊するものだ」と言う人には、次のように反論している。

いわく、「民主主義国家においては、国が創建されるとき、政府によらない教育から教育が始
まっているではないか」「反対に軍事的独裁国家では、国づくりは学校教育から始まるというこ
とを忘れてはならない」と。
 
さらに「学校で制服にしたら、犯罪率がさがった。(だから学校教育は必要だ)」という意見に
は、次のように反論している。「青少年を取り巻く環境の変化により、青少年全体の犯罪率は
むしろ増加している。学校内部で犯罪が少なくなったから、それでよいと考えるのは正しくな
い。

学校内部で少なくなったのは、(制服によるものというよりは)、警察システムや裁判所システ
ムの改革によるところが大きい。青少年の犯罪については、もっと別の角度から検討すべきで
はないのか」と(以上、要約)。

 日本でもホームスクール(日本ではフリースクールと呼ぶことが多い)の理解者がふえてい
る。なお2000年度に、小中学校での不登校児は、13万4000人を超えた。中学生では、38
人に1人が、不登校児ということになる。この数字は前年度より、4000人多い。
 
++++++++++++++++++

 世界は、ここまで進んでいる。にもかかわらず、(4)教育委員会改革だの、(5)大学9月入学
だのと、そんなことを論じていること自体、バカげている。ノーベル賞を受賞した偉い(?)先生
かも知れないが、世の中には、「専門バカ」という人もいる。

 「塾を禁止して、(勉強が)できない子どものための塾だけにせよ」(野依座長)という提言にい
たっては、「?」マークを、10個ほど、並べたい。むしろ世界は、教育の自由化(=民営化)をこ
ぞって選択している。

 カナダでは、そこらの塾が塾をたちあげるほど簡単に、学校の設立そのものを自由化してい
る。その学校で使う言語も、自由である。たとえば、ヒンズー語で教える学校を作りたいと思え
ば、それもできる。

 (これに反して、アメリカでは、学校では英語で教育すべしというのが、原則になっている。ま
たそういう学校しか認可されていない。)

 ドイツ、イタリアにいたっては、ここにも書いたように、「クラブ」が、教育の自由化を側面から
支えている。野依座長も、もう少し、研究室から出て、世界を見てきたらどうか。少なくとも、もう
少し教育の現場をのぞいてみてから、意見を述べるべきである。

 教育再生会議のメンバーたちは、「提言がことごとく無視された」と怒りをぶちまけているが、
それもしかたのないことではないかと、私は思う。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 教育
再生会議 再生会議提案 中間報告 中間報告原案)






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●恐怖症(対人恐怖症・分離不安)

●対人恐怖症

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ある母親から、掲示板のほうに、こんな相談
があった。

明らかに、分離不安がこじれた対人恐怖症に
よるものと思われる子どもについてである。

+++++++++++++++++++++

【Yさんより、はやし浩司へ】

はやし先生、初めまして。HP拝見させて頂きまして、こちらの掲示板の存在を知りました。

実は今私にはある悩みがあるのですが、その解決策になる情報がないものかとインターネット
にて探しておりましたところ、こちらにたどりついたわけなのです。

そうしてはやし先生のご意見等を拝見いたしまして、ぜひ、はやし先生にご相談にのって頂き
ければと思い、書き込みさせて頂きました。

前置きが長くなってしまい申し訳ありません。以下、長文・乱文で大変失礼致しますが、お目に
かけて頂ければ幸いです。

私には、今月末で2歳になる息子が1人おります。

息子は、会ったことのない人や、会ったことがありましても回数の少ない人と会った場合は人
見知りをします。女の人にはあまりそうでもないのですが、男の人は少し苦手なようで、私の後
ろに隠れたり、時には泣いたり。しかし平気な時もありますし、少し時間がたてば慣れて一緒に
遊んだりします。

私の目から見て(素人判断で恐縮なのですが)比較的、人見知りが酷い方だとは思わないので
す。しかし一つ気になることがあるのです。

私の主人の両親が、毎月に1、2回息子に会いに来てくれたり、私達の方から主人の両親の
いる実家へ遊びに行ったりするのですが、息子は主人の両親に会う度、決まって泣くのです。
特に主人の実家へ行った時などは、車から降ろした途端泣きだします。

私や主人の友人宅へ遊びに行った時は、玄関先で泣きはしますが、抱っこをして部屋の中へ
入りしばらくすれば、慣れてくるのか泣き止むのです。ところが主人の実家だと、いつまでも泣
いて私や主人にしがみつき、一人で歩き回ったりするまでに、とにかく時間がかかります。です
から最近主人の実家に行った時には、まず、家の周りを少し散歩してから中に入るようにして
いるのですが、あまり効果は無いようで、家に入ればまた泣き出します。

悩みというのは、その息子の両親に対する態度なのです。

最近どうもそのことが気にかかるようになり、そういえば息子は初対面の人と会ってもこんなに
ひどくなくことはないな、と感じるようになってきたのです。そして今までに何かこう、似たような
ことはあっただろうかと思い返してみたところ、息子が予防接種や、風邪を引いたときにお世
話になる病院の医師の顔を見て必ず泣き出す…。この時の反応が唯一近いと思われます。

もしも息子の中で医師に対して、『この人は注射という痛いことをする人だから、怖いし、嫌』と
いう思いを持って泣き出すのであれば、主人の両親に対しても何か泣く理由があるのではと思
ったのです。そうして思い当る節が出てきたのです。

主人の両親にしてみれば、息子は初孫で本当に本当に可愛くて可愛くて仕方ない様子です。
ところがあまりにも可愛すぎるのか、息子が泣いているのに無理やり抱っこし続けたり、お義
父さんとお義母さんの間で、息子を抱くために取り合いになることもありました。息子が生まれ
てまだ1か月の時も、私や主人や私の実母以外の人が抱くと泣くのですが、主人の義母は泣
いている息子をいつまでも抱っこし続けた結果、主人の両親が帰った後も、息子には4時間も
延々と泣き続けられました。

先日も主人の両親が私達の家に遊びにこられて、泣く息子を無理やり外に連れ出し、散歩に
連れて行こうとしたことがありました。しかし息子があまりにもひどく泣くものですから(泣きすぎ
てむせるくらいです)私がとりあえず落ち着かせるために一度抱っこをしようとしたのですが、
結局泣き続ける息子に構わず、主人の両親は息子を連れて散歩に行ってしまいました。

1時間程して帰ってきた息子は、ケロッとしていたので、その時はあまり気にもとめなかったの
ですが、先程申し上げた「思い当たる節」というのは、主人の両親のこういう『強引』なところ
が、もしかしたら息子は嫌で泣くのではないかということなのです。しかし当のお義父さんとお義
母さんは「まだ私達の顔を覚えてないから泣くのね」といった具合いで、息子が泣くのは顔を覚
えていないための人見知りが原因だと思っているようです。確かに私にも、どちらが正しいの
かはハッキリと分かりません。ですから息子の気持ちや考えを分かってやれない事が口惜しく
て歯痒くてならないのです。

主人の両親は更に「慣れさせるためには、泣いてでも強引に3人だけで(主人の両親と私の息
子)だけで出かけないと駄目だな、そうしないといつまでたっても慣れないから泣くんだよ」と言
っていたのですが、そういうものなのでしょうか? 私にすれば、そんな強引なことをしなくても
少しずつ慣らしていけばいいのでは…と思うのですが、これは過保護な考えでしょうか?最近、
主人の両親に会う息子がなんだか可哀相に思えてならないのです。

はやし先生、どうかご意見をお聞かせ願えませんでしょうか?もしも主人の両親の考え方が間
違いでなく正しいのであれば私も安心して子供をみてもらうのですが…。

私のような悩みは小さいことでしょうし、もっと大きな悩みを抱えた方のお気持ちを考えれば、
こんな相談をもちかけて申し訳なくも思うのですが、どうにも不安でたまりません。
はやし先生もご多忙かとは思いますが、どうぞ宜しくお願い致します

【はやし浩司よりYさんへ】

 お子さんには、何ら問題はありません。ただの対人恐怖症です。2歳ということですから、人
見知りの時期が少し延び、分離不安へとつながり、それがこじれたケースと考えるとわかりや
すいでしょう。

 恐怖症については、このあと、別の原稿を添付しておきます。

 ただ恐怖症については、理由も原因もさまざまであり、どれがそうであるか、特定することは
できません。また特定しても意味はありません。

 子どもの世界でよく知られた恐怖症としては、高所恐怖症、閉所恐怖症、お面恐怖症(お面
をかぶった人をこわがる)、先端恐怖症(とがったものをこわがる)、人形恐怖症(大きな人形
をこわがる)などなどがあります。

 一度何かのことで恐怖症を覚えると、さまざまに形を変えて、それが出てきます。私も、子ど
ものころ、閉所恐怖症でした。(今も、そうです。)で、飛行機事故に遭遇してから、今度は、飛
行機恐怖症になりました。そういうものです。

 こうした恐怖症をなおす方法はありません。またなおそうと思わないこと。大切なことは、そう
いう場面からできるだけ、子どもを遠ざけることです。もっとわかりやすく言えば、忘れさせるこ
と。

 あとは自己意識が育つまで、時期を待ちます。自己意識が育ってくれば、自分で自分をコント
ロールできるようになります。

 Yさんのお子さんは、ここにも書いたように、何でもない対人恐怖症です。子どもの世界では、
珍しくも何ともありません。ただ子どもの心理は複雑です。もう少し大きくなってから、「メガネが
こわかった」「ひげがこわかった」「男の人がこわかった」と、理由を言うことがあります。が、そ
れはあくまでも、あとになってから、わかることです。

 Yさんのお子さんは、何かにおおきなこだわりをもち、そうなったと考えるべきです。無理に、
いやがるのに慣れさせようとしても、かえって心がこじれるだけです。ご両親には悪いですが、
そのあたりをよく理解してもらい、強引なやり方、乱暴なやり方をひかえてもらうようにしてはど
うでしょうか。
 
 あまりぐずりがひどいようであれば、心の緊張感をとるためにも、カルシウム、マグネシウ
ム、カリウムの豊富な海産物を中心とした献立に切り替えてみてください。それで症状は、かな
り落ちついてくるはずです。(同時に、甘い食べ物は控えてください。)

 あくまでも子どもの立場で、子どもの視線でものを考えることです。子どもにしてみれば、両親
の前に立つと、あなたが数百人もいる会場の演壇に立たされているのと同じ心理状態になる
のです。

++++++++++++++++

●子どもの恐怖症

 先日私は、交通事故で、危うく死にかけた。九死に一生とは、まさにあのこと。今、こうして文
を書いているのが、不思議なくらいだ。

が、それはそれとして、そのあと、妙な現象が現れた。夜、自転車に乗っていたのだが、すれ
違う自動車が、すべて私に向かって走ってくるように感じたのだ。私は少し走っては自転車から
おり、少し走ってはまた、自転車からおりた。こわかった…。恐怖症である。

子どもはふとしたきっかけで、この恐怖症になりやすい。たとえば以前、「学校の怪談」というド
ラマがはやったことがある。そのとき「小学校へ行きたくない」と言う園児が続出した。これは単
なる恐怖心だが、それが高じて、精神面、身体面に影響が出ることがある。それが恐怖症だ
が、この恐怖症は子どもの場合、何に対して恐怖心をだくかによって、ふつう、次の三つに分
けて考える。

 【対人(集団)恐怖症】子ども、特に幼児のばあい、新しい人の出会いや環境に、ある程度の
警戒心を持つことは、むしろ正常な反応とみる。知恵の発達がおくれぎみの子どもや、注意力
が欠如している子どもほど、周囲に対して、無警戒、無とんちゃくで、はじめて行ったような場所
でも、我が物顔で騒いだりする。

が、反対にその警戒心が、一定の限度を超えると、人前に出ると、声が出なくなる(失語症)、
顔が赤くなる(赤面症)、冷や汗をかく、幼稚園や学校がこわくて行けなくなる(不登校)などの
症状が現れる。

 【場面恐怖症】その場面になると、極度の緊張状態になることをいう。エレベーターに乗れな
い(閉所恐怖症)、鉄棒に登れない(高所恐怖症)などがある。私も子どものころ、暗いトイレが
こわくて、用を足すことができなかった。そのせいかどうかは知らないが、今でもトンネルなどに
入ったりすると、ぞっとするような恐怖感を覚える。

 【そのほかの恐怖症】動物や虫をこわがる(動物恐怖症)、手の汚れやにおいを嫌う(疑惑
症)、先のとがったものをこわがる(先端恐怖症)などもある。ペットの死をきっかけに死を極端
にこわがるようになった子ども(年長男児)もいた。

 子ども自身の力でコントロールできないから、恐怖症という。そのため説教したり、しかっても
意味がない。一般に「心」の問題は、1年単位、2年単位で考える。子どもの立場で、子どもの
視点で、子どもの心を考える。無理な誘動や強引な押し付けは、タブー。無理をすればするほ
ど、逆効果。ますます子どもは物事をこわがるようになる。

いわば心が風邪をひいたと思い、できるだけそのことを忘れさせるような環境を用意する。症
状だけをみると、神経症と区別がつきにくい。私の場合も、その事故から数日間は、車の速度
が五十キロ前後を超えると、目が回るような状態になってしまった。「気のせいだ」とは分かっ
ていても、あとで見ると、手のひらがびっしょりと汗をかいていた。が、少しずつ自分をスピード
に慣れさせ、何度も何度も自分に、「こわくない」と言いきかせることで、克服することができ
た。

いや、今でも時々、あのときの模様を思い出すと、夜中でも興奮状態になってしまう。恐怖症と
いうのはそういうもので、自分の理性や道理ではどうにもならない。そういう前提で、子どもの
恐怖症に対処する。

++++++++++++++++

●分離不安について

子どもの情緒不安

 子どもの発達をみるときは、次の四分野をみる。(1)情緒の安定度、(2)精神の完成度、
(3)知能の発達度、それに(4)運動能力。

そのうちの情緒の安定度は、体力的に疲れたと思われるときに観察して、判断する。たとえば
運動会や遠足から帰ってきたようなとき。そういうときでも、不安定症状(ぐずる、ふさぎ込む、
ピリピリする、イライラするなどの精神的動揺)がなければ、情緒の安定した子どもとみる。

あるいは子どもは寝起きをみる。毎朝、不機嫌なら不機嫌でもよい。寝起きの様子が安定して
いれば、情緒の安定した子どもとみる。子どもは2〜4歳の第一反抗期、思春期の第二反抗
期に、特に動揺しやすいということがわかっている。経験的には、乳幼児期から少年少女期へ
の移行期(4〜5歳)、および小学2年から4年ぐらいにかけても、不安定になることがわかって
いる。この時期を中間反抗期と呼ぶ人もいる。

 情緒が不安定な子どもは、心が絶えず緊張状態にあるのが知られている。外見にだまされ
てはいけない。柔和な笑みを浮かべながら、心はまったく別の方向を向いているということは、
よくある。このタイプの子どもは、気を許さない、気を抜かない、周囲に気をつかう、他人の目
を気にする。よい子ぶることもある。

そういう状態の中に、不安や心配が入り込むと、それを解消しようと一挙に緊張感が高まり、
情緒が不安定になる。症状としては、攻撃的、暴力的になるプラス型。周囲に溶け込めず、引
きこもったり、怠学、不登校を繰り返したりするマイナス型に分けて考える。プラス型は、ささい
なことでカッとなることが多い。

さらに症状が進むと、集団的な非行行動をとったり、慢性的な下痢、腹痛、体の不調を訴える
ようになったりする。原因としては、乳幼児期の何らかの異常な体験が引き金になることが多
い。たとえば親の放任的態度、無教養で無責任な子育て、神経質な子育て、家庭騒動、家庭
不和、恐怖体験など。

ある子ども(5歳男児)は、たった一度だが、祖父にはげしく叱られたのが原因で、自閉傾向
(親と心が通い合わない状態)を示すようになった。また別の子ども(3歳男児)は、母親が入院
している間、祖母に預けられたことが原因で、分離不安(親の姿が見えないと混乱状態になる)
になってしまった。

 子どもの情緒が不安定になると、親はその原因を外の世界に求めようとする。しかし原因の
第一は、家庭環境にあると考え、反省する。子どもの側から見て、息が抜けないような環境な
ど。子どもの心に負担になっているもの、心を束縛しているようなものがあれば、取り除く。

いちばんよい方法は、家庭の中に、誰にも干渉されないような場所と時間を用意すること。あ
れこれ親が気をつかうこと(過関心)は、かえって逆効果。子どもが情緒不安症状を示したら、
スキンシップを大切にし、温かい語りかけを大切にする。叱ったり、冷たく突き放すのは、かえ
って子どもの情緒を不安定にする。

なお一般的には、情緒不安は、神経症の原因となることが多い。たとえば、夜驚(やきょう)、
夢中遊行、かん黙、自閉、吃音(どもり)、髪いじり、指しゃぶり、チック症、爪かみ、物かみ、疑
惑症(臭いかぎ、手洗いぐせ)、かみつき、歯ぎしり、強迫傾向、潔癖症、嫌悪症、対人恐怖
症、虚言、収集癖、無関心、無感動、緩慢行動、夜尿症、頻尿症など。症状は千差万別で、定
型がない。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 分離
不安 恐怖症 子供の心理 情緒不安)

+++++++++++++++

●子どもの分離不安

 ある女性週刊誌の子育てコラム欄に、こんな手記が載っていた。日本でもよく知られたコラム
ニストのものだが、いわく、「うちの娘(むすめ)(3歳児)をはじめて幼稚園へ連れていったとき
のこと。娘ははげしく泣きじゃくり、私との別れに抵抗した。私はそれを見て、親子の絆の深さ
に感動した」と。

とんでもない! 

ほかにも詳しくあれこれ症状が書かれていたが、それを読むと、それは、「別れをつらがって泣
く子どもの姿」ではない。分離不安の症状そのものだった。

 分離不安症。親の姿が見えなくなると、混乱して泣き叫んだり暴れたりする。大声をあげて泣
き叫ぶタイプ(プラス型)と、思考そのものが混乱状態になり、オドオドするタイプ(マイナス型)
に分けて考える。

私はこのほかに、ひとりで行動ができなくなってしまうタイプ(孤立恐怖)にも分けて考えている
が、それはともかくも、このタイプの子どもは多い。4〜6歳児についていうなら、15〜20人に
1人くらいの割合で経験する。親がそばにいるうちは、静かに落ち着いているが、親の姿が見
えなくなったとたん、ギャーッとものすごい声をはりあげて、そのあとを追いかけたりする。

 原因は……、というより、分離不安の子どもをみていくと、必ずといってよいほど、そのきっか
けとなった事件が、過去にあるのがわかる。はげしい家庭内騒動、離婚騒動など。母親が病
気で入院したことや、置き去りや迷子を経験して、分離不安になった子どももいた。

さらには育児拒否、虐待、下の子どもが生まれたことが引き金となった例もある。子どもの側
からみて、「捨てられるのではないか」という被害妄想が、分離不安の原因と考えるとわかりや
すい。

無意識下で起こる現象であるため、叱ったりしても意味がない。表面的な症状だけを見て、「集
団生活になれていないため」とか、「わがまま」とか考える人もいる。無理をすればかえって症
状をこじらせてしまう。いや、実際には無理に引き離せば、しばらくは混乱状態になるものの、
やがて静かに収まることが多い。

しかしそれで症状が消えるのではない。「もぐる」のである。一度キズついた心は、そんなに簡
単になおらない。この分離不安についても、そのつど繰り返し繰り返し症状が現われる。

 こうした症状が出てきたら、鉄則はただ一つ。無理をしない。その場ではやさしくていねいに
説得を繰り返す。まさに根気との勝負ということになるが、これが難しい。現場で、そういう親子
を観察すると、たいてい親のほうが短気で、顔をしかめて子どもを叱ったりしているのがわか
る。「いいかげんにしなさい!」とか、「私はもう行きますからね」とか。こういう親子のリズムの
乱れが、症状を悪化させる。子どもはますます被害妄想をもつようになる。

 分離不安は4〜5歳をピークとして、症状は急速に収まっていく。しかしここにも書いたよう
に、一度キズついた心は、簡単にはなおらない。

ある母親はこう言った。「今でも、夫の帰宅が予定より遅くなっただけで、言いようのない不安
感に襲われます」と。姿や形を変えて、おとなになってからも症状が現われることがある。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 分離
不安 子供の分離不安 後追い人見知り 人見知り)






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●人生の密度

『朝(あした)に道を聞かば、夕べに死すとも可なり』

++++++++++++++++

同じ時間なのに、それを濃く生きる
人と、そうでない人がいる。

濃く生きている人は、
1日を1年のように長く生きることが
できる。

そうでない人は、1年を1日のように
生きる。

++++++++++++++++

●密度の濃い人生

 時間はみな、平等に与えられる。しかしその時間をどう、使うかは、個人の問題。使い方によ
っては、濃い人生にも、薄い人生にもなる。

 濃い人生とは、前向きに、いつも新しい分野に挑戦し、ほどよい緊張感のある人生をいう。薄
い人生というのは、毎日無難に、同じことを繰り返しながら、ただその日を生きているだけとい
う人生をいう。人生が濃ければ濃いほど、記憶に残り、そしてその人に充実感を与える。

 そういう意味で、懸命に、無我夢中で生きている人は、それだけで美しい。しかし生きる目的
も希望もなく、自分のささいな過去にぶらさがり、なくすことだけを恐れて悶々と生きている人
は、それだけで見苦しい。こんな人がいる。

 先日、30年ぶりに会ったのだが、しばらく話してみると、私は「?」と思ってしまった。同じよう
に30年間を生きてきたはずなのに、私の心を打つものが何もない。話を聞くと、仕事から帰っ
てくると、毎日見るのは、テレビの野球中継だけ。休みはたいてい魚釣りかランニング。

「雨の日は?」と聞くと、「パチンコ屋で一日過ごす」と。「静かに考えることはあるの?」と聞く
と、「何、それ?」と。そういう人生からは、何も生まれない。

 一方、80歳を過ぎても、乳幼児の医療費の無料化運動をすすめている女性がいる。「あな
たをそこまで動かしているものは何ですか」と聞くと、その女性は恥ずかしそうに笑いながら、こ
う言った。「ずっと、保育士をしていましたから。乳幼児を守るのは、私の役目です」と。そういう
女性は美しい。輝いている。

 前向きに挑戦するということは、いつも新しい分野を開拓するということ。同じことを同じよう
に繰り返し、心のどこかでマンネリを感じたら、そのときは自分を変えるとき。あのマーク・トー
ウェン(「トム・ソーヤ」の著者、1835〜1910)も、こう書いている。

「人と同じことをしていると感じたら、自分が変わるとき」と。

 ここまでの話なら、ひょっとしたら、今では常識のようなもの。そこでここではもう一歩、話を進
める。

●どうすればよいのか

 ここで「前向きに挑戦していく」と書いた。問題は、何に向かって挑戦していくか、だ。私は「無
我夢中で」と書いたが、大切なのは、その中味。私もある時期、無我夢中で、お金儲けに没頭
したときがある。しかしそういう時代というのは、今、思い返しても、何も残っていない。私はたし
かに新しい分野に挑戦しながら、朝から夜まで、仕事をした。しかし何も残っていない。

 それとは対照的に、私は学生時代、奨学金を得て、オーストラリアへ渡った。あの人口300
万人のメルボルン市ですら、日本人の留学生は私1人だけという時代だった。

そんなある日、だれにだったかは忘れたが、私はこんな手紙を書いたことがある。「ここでの1
日は、金沢で学生だったときの1年のように長く感ずる」と。

決してオーバーなことを書いたのではない。私は本当にそう感じたから、そう書いた。そういう
時期というのは、今、振り返っても、私にとっては、たいへん密度の濃い時代だったということ
になる。

 となると、密度の濃さを決めるのは、何かということになる。これについては、私はまだ結論
出せないが、あくまでもひとつの仮説として、こんなことを考えてみた。

(1)懸命に、目標に向かって生きる。無我夢中で没頭する。これは必要条件。
(2)いかに自分らしく生きるかということ。自分をしっかりとつかみながら生きる。
(3)「考える」こと。自分を離れたところに、価値を見出しても意味がない。自分の中に、広い世
界を求め、自分の中の未開拓の分野に挑戦していく。

 とくに(3)の部分が重要。派手な活動や、パフォーマンスをするからといって、密度が濃いと
いうことにはならない。密度の濃い、薄いはあくまでも「心の中」という内面世界の問題。他人が
認めるとか、認めないとかいうことは、関係ない。認められないからといって、落胆することもな
いし、認められたからといって、ヌカ喜びをしてはいけない。あくまでも「私は私」。そういう生き
方を前向きに貫くことこそ、自分の人生を濃くすることになる。

 ここに書いたように、これはまだ仮説。この問題はテーマとして心の中に残し、これから先、
ゆっくりと考え、自分なりの結論を出してみたい。

(追記)

 もしあなたが今の人生の密度を、2倍にすれば、あなたはほかの人より、2倍の人生を生き
ることができる。10倍にすれば、10倍の人生を生きることができる。仮にあと1年の人生と宣
告されても、その密度を100倍にすれば、ほかのひとの100年分を生きることができる。

極端な例だが、論語の中にも、こんな言葉がある。『朝(あした)に道を聞かば、夕べに死すと
も可なり』と。

朝に、人生の真髄を把握したならば、その日の夕方に死んでも、悔いはないということ。私がこ
こに書いた、「人生の密度」という言葉には、そういう意味も含まれる。


+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++


密度の濃い人生(2)

 私の家の近くに、小さな空き地があって、そこは近くの老人たちの、かっこうの集会場になっ
ている。風のないうららかな日には、どこからやってくるのかは知らないが、いつも7〜8人の老
人がいる。

 が、こうした老人を観察してみると、おもしろいことに気づく。その空き地の一角には、小さな
畑があるが、その畑の世話や、ゴミを集めたりしているのは、女性たちのみ。男性たちはいつ
も、イスに座って、何やら話し込んでいるだけ。

私はいつもその前を通って仕事に行くが、いまだかって、男性たちが何かの仕事をしている姿
をみかけたことがない。悪しき文化的性差(ジェンダー)が、こんなところにも生きている!

 その老人たちを見ると、つまりはそれは私の近未来の姿でもあるわけだが、「のどかだな」と
思う部分と、「これでいいのかな」と思う部分が、複雑に交錯する。「のどかだな」と思う部分は、
「私もそうしていたい」と思う部分だ。しかし「これでいいのかな」と思う部分は、「私は老人にな
っても、ああはなりたくない」と思う部分だ。私はこう考える。

 人生の密度ということを考えるなら、毎日、のんびりと、同じことを繰り返しているだけなら、そ
れは「薄い人生」ということになる。言葉は悪いが、ただ死を待つだけの人生。そういう人生だ
ったら、10年生きても、20年生きても、へたをすれば、たった1日を生きたくらいの価値にしか
ならない。

しかし「濃い人生」を送れば、1日を、ほかの人の何倍も長く生きることができる。仮に密度を1
0倍にすれば、たった1年を、10年分にして生きることができる。人生の長さというのは、「時
間の長さ」では決まらない。

 そういう視点で、あの老人たちのことを考えると、あの老人たちは、何と自分の時間をムダに
していることか、ということになる。私は今、59歳になったところだが、そんな私でも、つまらな
いことで時間をムダにしたりすると、「しまった!」と思うことがある。いわんや、70歳や80歳の
老人たちをや! 

私にはまだ知りたいことが山のようにある。いや、本当のところ、その「山」があるのかないの
かということもわからない。が、あるらしいということだけはわかる。いつも一つの山を越える
と、その向こうにまた別の山があった。今もある。だからこれからもそれが繰り返されるだろう。

で、死ぬまでにゴールへたどりつけるという自信はないが、できるだけ先へ進んでみたい。そ
のために私に残された時間は、あまりにも少ない。

 そう、今、私にとって一番こわいのは、自分の頭がボケること。頭がボケたら、自分で考えら
れなくなる。無責任な人は、ボケれば、気が楽になってよいと言うが、私はそうは思わない。ボ
ケるということは、思想的には「死」を意味する。そうなればなったで、私はもう真理に近づくこと
はできない。つまり私の人生は、そこで終わる。

 実際、自分が老人になってみないとわからないが、今の私は、こう思う。あくまでも今の私が
こう思うだけだが、つまり「私は年をとっても、最後の最後まで、今の道を歩みつづけたい。だ
から空き地に集まって、1日を何かをするでもなし、しないでもなしというふうにして過ごす人生
だけは、絶対に、送りたくない」と。


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●よい人・いやな人

+++++++++++++

歳をとればとるほど、
つきあう人を選択するようになる。

(私も、選択されているが……。)

残された人生には、かぎりがある。
つまらない人たちと、ムダな話をして、
時間を費やすヒマは、もうない。

人生は、すでに秒読み段階に
入っている。

+++++++++++++

 その人のもつやさしさに触れたとき、私の心はなごむ。そしてそういうとき、私は心のどこかで
覚悟する。「この人を大切にしよう」と。何かができるわけではない。友情を温めるといっても、
もうその時間もない。だから私は、ふと、後悔する。「こういう人と、もっと早く知りあいになって
おけばよかった」と。

 先日、T市で講演をしたとき、Mさんという女性に会った。「もうすぐ60歳です」と言っていた
が、本当に心のおだやかな人だった。「人間関係で悩んでいる人も多いようですが、私は、どう
いうわけだか悩んだことがないです」と笑っていたが、まったくそのとおりの人だった。短い時間
だったが、私は、どうすれば人はMさんのようになれるのか、それを懸命にさぐろうとしていた。

 人の心はカガミのようなものだ。英語の格言にも、『相手は、あなたが相手を思うように、あな
たを思う』というのがある。もしあなたがAさんならAさんを、よい人だと思っているなら、Aさんも
あなたのことをよい人だと思っているもの。反対に、あなたがAさんをいやな人と思っているな
ら、Aさんもあなたをいやな人だと思っているもの。人間の関係というのはそういうもので、長い
時間をかけてそうなる。

 そのMさんだが、他人のために、実に軽やかに動きまわっていた。私は講演のあと、別の講
演の打ちあわせで人を待っていたのだが、その世話までしてくれた。さらに待っている間、自分
でもサンドイッチを注文し、さかんに私にそれをすすめてくれた。こまやかな気配りをしながら、
それでいてよくありがちな押しつけがましさは、どこにもなかった。時間にすれば30分ほどの
時間だったが、私は、「なるほど」と、思った。

 教師と生徒、さらには親と子の関係も、これによく似ている。短い期間ならたがいにごまかし
てつきあうこともできる。が、半年、1年となると、そうはいかない。ここにも書いたように、心は
カガミのようなもので、やがて自分の心の中に、相手の心を写すようになる。

もしあなたがB先生ならB先生を、「いい先生だ」と思っていると、B先生も、あなたの子どもを
介して、あなたのことを、「いい親だ」と思うようになる。そしてそういうたがいの心の相乗効果
が、よりよい人間関係をつくる。

 親と子も、例外ではない。あなたが今、「うちの子はすばらしい。どこへ出しても恥ずかしくな
い」と思っているなら、あなたの子どもも、あなたのことをそう思うようになる。「うちの親はすば
らしい親だ」と。そうでなければ、そうでない。そこでもしそうなら、つまり、もしあなたが「うちの
子は、何をしても心配」と思っているなら、あなたがすべきことは、ただ一つ。自分の心をつくり
なおす。子どもをなおすのではない。自分の心をつくりなおす。

 一つの方法としては、子どもに対する口グセを変える。今日からでも、そしてたった今からで
も遅くないから、子どもに向かっては、「あなたはいい子ね」「この前より、ずっとよくなったわ」
「あなたはすばらしい子よ。お母さんはうれしいわ」と。最初はウソでもよい。ウソでもよいから、
それを繰り返す。こうした口グセというのは不思議なもので、それが自然な形で言えるようにな
ったとき、あなたの子どもも、その「いい子」になっている。

 Mさんのまわりの人に、悪い人はいない。これもまた不思議なもので、よい人のまわりには、
よい人しか集まらない。仮に悪い人でも、そのよい人になってしまう。人間が本来的にもってい
る「善」の力には、そういう作用がある。そしてそういう作用が、その人のまわりを、明るく、過ご
しやすいものにする。Mさんが、「私は、どういうわけだか悩んだことがないです」と言った言葉
の背景には、そういう環境がある。

 さて、最後に私のこと。私はまちがいなく、いやな人間だ。自分でもそれがわかっている。心
はゆがんでいるし、性格も悪い。全体的にみれば、平均的な人間かもしれないが、とてもMさ
んのようにはなれない。

私と会った人は、どの人も、私にあきれて去っていく。「何だ、はやし浩司って、こんな程度の男
だったのか」と。実際に、そう言った人はいないが、私にはそれがわかる。過去を悔やむわけ
ではないが、私はそれに気がつくのが、あまりにも遅すぎた。もっと早く、つまりもっと若いとき
にそれに気がついていれば、今、これほどまでに後悔することはないだろうと思う。

私のまわりにも、すばらしい人はたくさんいたはずだ。しかし私は、それに気づかなかった。そ
ういう人たちを、あまりにも粗末にしすぎた。それが今、心底、悔やまれる。








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●キレる子ども

●キレる子ども(読者の方より)

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キレる子どもについて、読者の方より
コメントが、掲示板のほうに、届けられました。

それをそのまま、紹介させていただきます。

コメント、ありがとうございました。

++++++++++++++++++++

今回、はやし先生のメルマガに切れる子どもについてのお話が出ましたので、その事に関し
て、少し書かせて頂きたいと思いました。

一口に切れる子どもと言っても原因は1つではないと思います。勿論、そういう意味でメルマガ
を書いたのではないかもしれませんし、切れる子の一因として書かれたのかもしれませんが、
そういう風に読み取れる部分がなかったので、付け加えさせて頂きたいと思います。

また、はやし先生の書かれている砂糖が原因説は、実際うちの息子がそうで、息子に関しては
砂糖を断ってから、癇癪などの数はぐっと減りました。砂糖に関する詳しい説明は知りません
でしたが、色々試すうちに出た結論です。

しかし主人の義姉などはそんな話は馬鹿げていると鼻で笑っていて、実は英語で書かれた説
明があったら欲しいと思っています。もしありましたら教えて頂きたいと思います。

私は家の息子に関してのみしか書けませんが、高機能自閉症やアスペルガー症候群(AS)で
癇癪になる場合、うちの息子もそうなのですが、その理由はかなり明確です。

私自身もその理由が始めからわかっていたわけではなく、彼が小一の終わり頃にインターネッ
トの検索で見つけて症状が似ていたので、今も確定診断は受けていませんが、ほぼそうだと思
っています。

自閉症という日本語訳がおかしいので、ひきこもりのようなイメージを持つ方も多いのですが、
実際には人がとても恋しい子どもです。しかしそれに必要な社会性が育っていません。育って
いないというか、全く別の物の捉え方をするのです。

そういう意味では定型の人から見たら異星人と言ってもいいくらいです。北欧の方では同じ発
達障害の子ども達を集めた学校に入れる場所もあると聞きました。それは感じ方が同じ方が
摩擦が少ないからだと思います。

癇癪の理由が明確であるとは言え、癇癪が起こってしまうとそれを止める事はかなり難しく、は
やし先生の書かれているような症状で切れてしまいます。

しかし、物を壊す、人に危害を加えるのは絶対に許してはいけない行為です。それは教師に対
しても同じです。癇癪の最中に解決しようとしても実際にはその言葉が引き金になって癇癪が
ひどくなる場合もあります。

一番良いのは癇癪が静まるまでは別の場所(壊す物や自傷行為の出来ない場所、外などでも
良い)で、癇癪のスイッチがオフになるまでいてもらう事です。そして話は気持が落ち着いてか
ら聞くようにします。

言っても駄目と思われるかもしれませんが、息子は小3の時ゲームでずるしたと言われて切れ
て、友達の顔に大きな傷を与えまし。その時、ガイダンスの先生にも呼ばれ、アシスタント・プリ
ンシパルにも呼ばれ、暴力や傷害は禁止されているから、怒ってもそのような場合は退学にな
ると説明されました。それ以来切れても学校では抑えて暴力はしません。(息子は自分の気持
を表現出来ないので友達に言われた事でレッテルを貼られたような気持ちになるようです)

数年前ですが、アスペルガーと警視庁で、犯行後に診断された子で、高速バスでバスジャック
をして塾講師を殺した子がいました。そして長崎で4歳の子を誘拐して、鋏で下腹部を傷つけ、
泣かれたからと駐車場から突き落とした子がいました。

後者の方は学校で成績が良いという以外の情報はありませんが、前者の方は母親が看護師
で、癇癪がひどいので何度も精神科に入院させており、子どもはそれを恨みに思っていたとい
うことです。精神科でも正しい診断はなされなかったのです。親が一番気が付くべき位置にい
ますが、実際現状では気づかない場合も多いのではないでしょうか。それは普通の切れる子と
同じに考えると不公平だと思います。

ASの場合、原因がはっきりわかるので、子どもが冷静になったら話しを聞くと、気持の整理が
出来ていればその理由を話してくれます。ASのお子さんは、突然の変化に対応するのが大変
に難しいのです。だから毎日同じパターンで進めばいいのですが、運動会、公園で大勢と一緒
に遊ぶ場合も説明がなければ、どう動いていいかもわからず、いつも不安で一杯なのです。

普通の子が気にもせずに適当に出来てしまう事が適当に出来ません。勉強を自分の力でやり
たいと思っていたのに突然許可なしに手伝われても癇癪になったりします。彼に関しては全て
「今手伝ってもいい?」などと、疑問形で聞かなければなりません。

時間に関しても「ご飯は何時だからその時には呼ぶからね。でも数分ずれる事もあるからぴっ
たりじゃないからね」と話し、言葉を文字通り受け取るので、「This report is killing me」と学校の
友達が言った、嘘つきだ、と帰りの車で泣いて怒ったりもします。

そしてSpectrumというだけあって症状は一律ではありません。1から100の症状のどの部分が
現れるかは人によって違います。ただ共通して言えるのは、他人の気持を察したり、共感する
気持ちを持つのが非常に困難で、しかし自分の気持ちには非常に敏感。言葉のニュアンスを
つかむ事が苦手で言葉通りに受け取る傾向があります。パターンが崩れたりすると癇癪になっ
たりもします。

長くなるのでこれ以上書きませんが、子どもは一人ひとり違います。性格も違います。ASだけ
でなく、もっと個性という意味でも大きな意味で子どもの心を捉えていきたいと、私も日々勉強
中です。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 キレ
る子ども 切れる子供 かんしゃく 癇癪 癇癪発作)


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

 
++++++++++++++++++

少し前、キレる子どもについて、
掲示板のほうに、書き込みがあった。

たいへん貴重な意見で、参考になった。

私なりの意見もまじえながら、
もう一度、いただいた意見を、
考えなおしてみたい。

+++++++++++++++++++

 少し前、キレる子どもについて、ある母親から、掲示板のほうに、書き込みがあった。たいへ
ん貴重な意見で。参考になった。私なりの意見もまじえながら、もう一度、いただいた意見を、
ここで考えなおしてみたい。

 まず、書き込みの記事を、そのままここに紹介する。

+++++++++++++++++++

今回、はやし先生のメルマガに切れる子どもについてのお話が出ましたので、その事に関し
て、少し書かせて頂きたいと思いました。

一口に切れる子どもと言っても原因は1つではないと思います。勿論、そういう意味でメルマガ
を書いたのではないかもしれませんし、切れる子の一因として書かれたのかもしれませんが、
そういう風に読み取れる部分がなかったので、付け加えさせて頂きたいと思います。

また、はやし先生の書かれている砂糖が原因説は、実際うちの息子がそうで、息子に関しては
砂糖を断ってから、癇癪などの数はぐっと減りました。砂糖に関する詳しい説明は知りません
でしたが、色々試すうちに出た結論です。

しかし主人の義姉などはそんな話は馬鹿げていると鼻で笑っていて、実は英語で書かれた説
明があったら欲しいと思っています。もしありましたら教えて頂きたいと思います。

私は家の息子に関してのみしか書けませんが、高機能自閉症やアスペルガー症候群(AS)で
癇癪になる場合、うちの息子もそうなのですが、その理由はかなり明確です。

私自身もその理由が始めからわかっていたわけではなく、彼が小一の終わり頃にインターネッ
トの検索で見つけて症状が似ていたので、今も確定診断は受けていませんが、ほぼそうだと思
っています。

自閉症という日本語訳がおかしいので、ひきこもりのようなイメージを持つ方も多いのですが、
実際には人がとても恋しい子どもです。しかしそれに必要な社会性が育っていません。育って
いないというか、全く別の物の捉え方をするのです。

そういう意味では定型の人から見たら異星人と言ってもいいくらいです。北欧の方では同じ発
達障害の子ども達を集めた学校に入れる場所もあると聞きました。それは感じ方が同じ方で、
摩擦が少ないからだと思います。

癇癪の理由が明確であるとは言え、癇癪が起こってしまうとそれを止める事はかなり難しく、は
やし先生の書かれているような症状で切れてしまいます。

しかし、物を壊す、人に危害を加えるのは絶対に許してはいけない行為です。それは教師に対
しても同じです。癇癪の最中に解決しようとしても実際にはその言葉が引き金になって癇癪が
ひどくなる場合もあります。

一番良いのは癇癪が静まるまでは別の場所(壊す物や自傷行為の出来ない場所、外などでも
良い)で、癇癪のスイッチがオフになるまでいてもらう事です。そして話は気持が落ち着いてか
ら聞くようにします。

言っても駄目と思われるかもしれませんが、息子は小3の時ゲームでずるしたと言われて切れ
て、友達の顔に大きな傷を与えまし。その時、ガイダンスの先生にも呼ばれ、アシスタント・プリ
ンシパルにも呼ばれ、暴力や傷害は禁止されているから、怒ってもそのような場合は退学にな
ると説明されました。それ以来切れても学校では抑えて暴力はしません。(息子は自分の気持
を表現出来ないので友達に言われた事でレッテルを貼られたような気持ちになるようです)

数年前ですが、アスペルガーと警視庁で、犯行後に診断された子で、高速バスでバスジャック
をして塾講師を殺した子がいました。そして長崎で4歳の子を誘拐して、鋏で下腹部を傷つけ、
泣かれたからと駐車場から突き落とした子がいました。

後者の方は学校で成績が良いという以外の情報はありませんが、前者の方は母親が看護師
で、癇癪がひどいので何度も精神科に入院させており、子どもはそれを恨みに思っていたとい
うことです。精神科でも正しい診断はなされなかったのです。親が一番気が付くべき位置にい
ますが、実際現状では気づかない場合も多いのではないでしょうか。それは普通の切れる子と
同じに考えると不公平だと思います。

ASの場合、原因がはっきりわかるので、子どもが冷静になったら話しを聞くと、気持の整理が
出来ていればその理由を話してくれます。ASのお子さんは、突然の変化に対応するのが大変
に難しいのです。だから毎日同じパターンで進めばいいのですが、運動会、公園で大勢と一緒
に遊ぶ場合も説明がなければ、どう動いていいかもわからず、いつも不安で一杯なのです。

普通の子が気にもせずに適当に出来てしまう事が適当に出来ません。勉強を自分の力でやり
たいと思っていたのに突然許可なしに手伝われても癇癪になったりします。彼に関しては全て
「今手伝ってもいい?」などと、疑問形で聞かなければなりません。

時間に関しても「ご飯は何時だからその時には呼ぶからね。でも数分ずれる事もあるからぴっ
たりじゃないからね」と話し、言葉を文字通り受け取るので、「This report is killing me」と学校の
友達が言った、嘘つきだ、と帰りの車で泣いて怒ったりもします。

そしてSpectrumというだけあって症状は一律ではありません。1から100の症状のどの部分が
現れるかは人によって違います。ただ共通して言えるのは、他人の気持を察したり、共感する
気持ちを持つのが非常に困難で、しかし自分の気持ちには非常に敏感。言葉のニュアンスを
つかむ事が苦手で言葉通りに受け取る傾向があります。パターンが崩れたりすると癇癪になっ
たりもします。

長くなるのでこれ以上書きませんが、子どもは一人ひとり違います。性格も違います。ASだけ
でなく、もっと個性という意味でも大きな意味で子どもの心を捉えていきたいと、私も日々勉強
中です。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 キレ
る子ども 切れる子供 かんしゃく 癇癪 癇癪発作 アスペルガー)

++++++++++++++++++++

 以前、アスペルガー障害について書いた
ことがある。

 その原稿を、もう一度、ここに掲載する。


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

【キレる子ども】(特集編)

【アスペルガー障害】

++++++++++++++++++++

症状から、明らかに「アスペルガー障害」と
思われる子どもについての相談があった。

++++++++++++++++++++

【はやし浩司より、GN先生へ】

GN先生へ

拝復

 お手紙、ありがとうございました。相談のあった子どもを、以下、T君(男児)として
おきます。

 私はドクターではありませんので、子どもを診断することはできませんが、症状からす
ると、T君は、アスペルガー障害(アスペルガー症候群)と、活発型自閉症の複合したタ
イプと考えてよいのではないでしょうか。それが基本にあって、不適切な家庭環境と指導
で、症状がこじれてしまっている。私は、そう判断しました。

 以下、アスペルガーついて、いくつかの文献から、資料をあげてみます。

+++++++++++++

●文献より

【臨床心理学・稲富正治・日本文芸社】

 自閉性障害の中でも、言葉や、記憶の発達に遅れがないケースを、「アスペルガー障害」
と呼ぶ。

 対人関係の障害と興味や活動が限定されているという点が、特徴である。

 高機能自閉症とともに、高機能広汎性発達障害に含まれる。

 圧倒的に男児に多く、知能は平均以上であるものの、コミュニケーションがうまく取れ
なかったり、不器用であるため、孤立しやすくなる。

 計算や文字、地図など限定されたものに対して、異常なほどの関心を示し、その中で独
創性を発揮する人もいる。が、自分が守っている範囲に、他人が侵入してきたり、乱され
たりすることに対して、著しく、攻撃的になる。

 原因は、中枢神経の障害であると言われているが、まだ解明されたわけではない。遺伝
の要素も強く、パーソナリティ障害や情緒障害と診断されるケースもあるため、診断には
最新の注意が必要。

 最近では、対人関係のトラブルをどのように解決するかを意識的にトレーニングする、
行動療法などの治療法がある。


【発達心理学・山下富美代・ナツメ社】

 アスペルガー障害は、言語発達に遅れがみられないほか、知能も高い水準を維持してい
るといわれる。しかし自閉症と同様に、相互的な対人関係の障害がみられること、ある特
定のものに対する関心の程度が高すぎることなどが特徴である。

 また自閉症とともに、男の子に多い障害でもあり、医学的な治癒は難しいとされている。

 特徴としては、(1)正常な対人関係をもつことは困難、(2)特定のものに対する、こだわり、
興味の偏(かたよ)りがみられる。(3)言語障害はみられない。


【心理学用語・渋谷昌三・かんき出版】

 ……ウィングは、自閉症には、3つの特徴があると説明している。

(1)社会性の問題

 自分の体験と他人の体験が重なりあわない。(他人がさっと顔色を変え、怒った表情をすれ
ば、自分が悪いことをその人に言ったのではないかと思うが、自閉症の人は、こうした他人の
感情を推し量るのが、非常に苦手。)

(2)コミュニケーションの問題

 言葉の遅れから、双方のコミュニケーションが、うまくとれない。(声の大きさや、イントネーシ
ョンの調整が苦手、自分の意見を言うとき、どのように言うべきかを迷う。)

(3)想像力の遅れ

 1つの対象に、異常なほど興味を示す。特定の儀式にこだわる。

 これらの特徴のうち、コミュニケーションの障害が、非常に軽いものを、「アスペルガー症候
群」と呼ぶ。軽い遅れというのは、冗談が通じにくい、比喩を使った表現が理解しにくいことをい
う。

 すなわち、アスペルガー症候群は、言語発達の遅れが目立たず、知的には正常だが、生
まれつき社会性の障害と、こだわり行動をもっている自閉症を指す。


【臨床心理学・松原達哉・ナツメ社】

 アスペルガー障害は、乳児期後半から特徴が出始め、6〜7歳に顕著になる。ほとんど
男児のみにみられる障害である。

 言語的な発達には遅滞はないが、言葉は単調で、抑揚がないという特徴がある。言語や
容貌に子どもらしさがなく、コミュニケーションがとれず、集団の中では孤立することが
多い。

 特定の対象、数字・文字・地図・貨幣などに興味を示し、独創性もあり、知能は平均以
上と推定される。しかし自己の領域を侵されると、パニックを起こし、攻撃的になる。ま
た、多くの全体的な知能は正常だが、著しく、不器用であることが多い。

 青年期から成人期へ、症状が持続する傾向が強いが、統合失調症(精神分裂病)の診断
基準は満たさないので、成人後も、精神分裂病にはならないといわれている。

 治療法は、その子どもの特性を理解し、それに合った、治療・教育をすれば、じゅうぶ
ん社会に適応できるようになる。大切なことは、病態に対する周辺の理解であり、治療に
おいても、社会福祉的な領域が重要になる。

 ……アスペルガー症状は、自閉症と類似しており、自閉症の軽度の例にもみえるため、
それぞれの診断は困難である。

症状の例として、本人のやっていることを中断させると、突然、怒り出すなどがある。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
アスペルガー アスペルガー障害 アスペルガー症候群 アスペルガー症)

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●親自身の問題

 こうした事例で、まず注意しなくてはいけないのは、親自身が、すべてを話しているか
どうかということです。つまりほとんどの親は、自分に都合の悪いこと、たとえば不適切
な対処法で、子どもの症状を、かえってこじらせてしまったようなことについては、話し
ません。

 無意識のうちに、こじらせてしまうというケースもありますが……。

 T君について言えば、乳幼児期から多動性があったということですが、この段階で、母
親が、かなりきびしく叱ったり、怒ったり、あるいは体罰としての暴力を振るったことも、
じゅうぶん、考えられます。

 T君にみられる、一連の不安症状、さらには、基本的な不信関係は、そういうところか
ら発生したと考えられます。母親からの報告内容にしても、まるで他人ごとのような観察
記録といった感じで、私はそれを読ませてもらったとき、「?」と思いました。あたかも、
「うちの子は、生まれつきそうで、それは、私の責任ではない」と言わんばかりの内容で
すね。

 で、私の経験を話します。

●私の経験より

【U君(小3児)のケース】

 U君を最初に預かったのは、まだ、「アスペルガー症候群」という言葉が、ほとんど知られてい
ないころでした。1990年代の中ごろです。(1944年に、オーストリアの小児科医のアスペル
ガーが、その名前の由来とされていますが、日本でこの名称が使われ始めたのは、90年代に
入ってからです。)

 最初、自閉症かなと思いましたが、知的能力の遅れはなく、言語障害も、みられません
でした。が、いくつかのきわだった特徴がみられました。

(1)ほかの子どもと仲間になれない

 そのあと、U君が小学校を卒業するまで、私が週2回指導しましたが、最後の最後まで、
結局は、友だちができませんでした。いつも集団から1歩、退いているといった感じで、
軽い回避性障害もありました。集団の中へ入ると、心身が緊張状態になってしまうからで
す。

(2)ずば抜けた算数の力

 計算力はもちろん、算数全般について、ずば抜けた能力を示しました。知的能力は、平
均児より高かったのですが、最後まで、乱筆には、悩まされました。文字を書かせても、
メチャメチャでした。こうした不器用さは、アスペルガー障害の子どもに、共通していま
す。こまかい作業が苦手で、それをさせると、混乱状態から、突然、キレた状態になるこ
ともあります。

(3)極端な自己閉鎖性

 U君のばあいは、まちがいを指摘しただけで、突然、キレて、激怒することもありまし
た。(軽いばあいは、顔をひきつらせて、大粒の涙だけを流す、など。)たとえば計算問題など
で、まちがいを見つけ、「やりなおしなさい」と指示しただけで、キレてしまう、など。

(キレないときもありましたが、あとでノートを見ると、エンピツで、きわめて乱暴に、
それを塗りつぶしてあったりしました。)

 こうした特徴を総合すると、U君には、心の持続的な緊張感、特別なものへのこだわり、
自己閉鎖性があったことになります。

 幸いなことに、U君のケースでは、母親が、たいへん穏やかで、心のやさしい人でした。
ですからそれ以上、心がゆがむということは、U君のばあいは、ありませんでした。私は、
当時は、「U君は、ほかの子どもとはちがう」と判断し、U君はU君として、指導しました。

●治療は考えない

 こういうケースで重要なのは、アスペルガー症候群にかぎらず、子どもの心の問題に関
することは、「治そう」とか、「直そう」と思わないことです。

 「あるがままを認め」、「現在の状態を、今より悪くしないことだけを考えながら」、「半年、ある
いは1年単位で、様子をみる」です。

 で、相談をいただきましたT君にケースですが、全体に、周囲の人たちが、「治そう」とか、「直
そう」とか、そういう視点でしかT君をみていないのが、気になります。「少しよくなれば、すぐ無
理をする」。その結果、症状を再発させたり、悪化させたりしている。あとは、その繰りかえし。
そんな感じがします。

 U君のケースのほか、兄と弟でアスペルガー障害のケースなど、「アスペルガー」という言葉
がポピュラーになってから、(2000年以後ですが……)、私は、4例ほど、子どもを指導してき
ました。

 (最近は、体力の限界を感ずることが多く、指導を断るケースが、多くなりました。)

 その結果ですが、アスペルガー障害そのものの(治癒)は、たいへんむずかしいという
ことです。そのかわり、小学3、4年生ごろから、自己意識が急速に育ってきますから、
それを利用し、子ども自らに自己管理させることで、見た目には、症状を落ち着かせると
いうことはできます。

 子ども自身が、自分で自分を管理できるように、指導していくわけです。

 しかしこれも、1年単位の根気と、努力が必要です。とくに指導する側は、その生意気
な態度のため、カッとなることもあります。たとえばU君のばあいでも、私がまちがいを
指摘しただけで、私に向かってものを投げつけてきたことがあります。あるいは、ぞんざ
いな態度で、「ウルセー」と、言い返してきたこともあります。

 そういうとき、ふと、その子どもが、アスペルガー障害であることを忘れ、「何だ、その態度
は!」と叱ってしまうこともありました。「根気が必要だ」というのは、そういう意味です。

 先生からいただいた報告の中に、担任の教師が、かなり乱暴な指導をしたという記録が
書いてありますが、それもその一例と考えてよいのではないでしょうか。記録だけを読む
と、担任の教師が悪いように思われますが、このタイプの子どもの指導のむずかしさは、
ここにあります。

子どもがキレた状態になったとき、きわめて生意気な様子をしてみせるからです。ふつ
うの態度ではありません。おとなを、なめ切ったような態度です。

●親側の問題

 で、先にも書きましたが、現在、T君と母親の関係についても、考えなければなりませ
ん。親というのは、こういうケースでは、自分に都合の悪いことは、話しません。そうい
う母親がよく使う言葉が、先にも書きましたが、「生まれつき」という言葉です。

 「うちの子は、生まれつき、こうです」と。

 子どもの症状を悪化させながら、その意識も、自覚もない。もっとも、だからといって、
親を責めてもいけません。親は親で、そのときどきにおいて、懸命に子育てをしているか
らです。懸命にしている中で、客観的に自分を見る目を失ってしまう。よい例が、不登校
児です。

 子どもが「学校へ行きたくない」などとでも言おうなら、その時点で、たいていの親は
パニック状態になり、子どもを、はげしく叱ったり、暴力的に学校へ行かせようとします。
この無理が、症状を悪化させてしまいます。

 たった一度の一撃でも、子どもの心が大きくゆがむということは、珍しくありません。

 で、その時点で、親が冷静になり、「そうね。どうして行きたくないのかな? 気分が悪けれ
ば、無理をしなくていいのよ」と親が言ってやれば、不登校は不登校でも、それほど長期化しな
くてすんだかもしれません。そういうケースも、私は、やはり何十例と経験してきました。

●年単位の観察を

 先生からいただいた報告書を読むかぎり、親も、担任の教師も、みな、少しせっかちす
ぎるのではないかと思います。先にも書きましたが、この問題だけは、1年単位、2年単
位で、症状の推移をみていかなければなりません。

 「先月より今月はよくなった」ということは、本来、ありえないのです。ですから週単
位、月単位の変化を記録しても、意味はありません。またそうした変化に一喜一憂したと
ころで、これまた意味がありません。もう少し、長いスパンで、ものを考える必要があり
ます。

 簡単に言えば、現在のT君を、あるがままに認め、そういう子どもであるということに
納得し、(もっとわかりやすく言えば、あきらめて)、対処するしかありません。T君は、
給食におおきなわだかまりをもっているようですが、そういう子どもと、先に認めてしま
うのです。

 それを何とか、食べさせようと、みなが無理をする。それが症状をして、一進一退の状
態にしてしまう。あるいはときに、もとの木阿弥にしてしまう。

 ……といっても、年齢的に、小4ということですから、症状は、すでにこじれにこじれ
てしまっていると考えられます。本来なら、乳幼児期にそれに気づき、その時点で、親が
それに納得し、指導を開始するのが望ましいのですが、報告書を読むかぎり、そういった
記録がありません。

 ご指摘のように、T君の親は、学校側の指導法ばかりを問題にしているようですね。し
かし、これでは、いけない。本来なら、専門のドクターに、しっかりとした診断名をくだ
してもらい、そうであると親自身が納得しなければなりません。

 で、指導する側の私たちとしては、「知って、知らぬフリ」をして指導するわけです。私が指導
してきた子どもたちにしても、現在、指導している子どもたちにしても、私は、「知らぬフリ」をし
て、指導してきました。今もそうしています。もちろん私のほうから、診断名をくだすということ
は、絶対に、ありえません。またしてはなりません。

 が、親のほうから、たとえば「アスペルガー」という言葉が出てきたときは、話は別で
す。そのときはそのときで、「アスペルガー」という言葉を前面に出し、指導します。しかしそれ
までは、知らぬフリ、です。

 ただ「そうでない」という判断はくだすことがあります。自閉症の子どもではないかと
心配してきた親に対して、「自閉症ではないと思います」というように、です。そういうことは、し
ばしばあります。

●親の無知

 で、やはり、ここは親に、それをわかってもらうという方法をとるしかありません。し
かしこれも、むずかしいですね。

 最近でも、明らかにADHD児の子ども(小5)がいました。で、それとなく親に聞い
てみたのですが、親は、まったく自分の子どもがそうであることさえ疑っていないのを知
り、がく然としたことがあります。「うちの子は、活発な面はあるが、ふつうだ」と。

 つまり親の無知、無理解をどう克服するかという問題も、生まれてきます。アスペルガ
ー障害であれば、なおさらでしょう。幼児教育の世界でも、この言葉がポピュラーになっ
たのは、ここ5、6年のことですから……。

 以上、私の独断で、T君を判断してしまいましたが、まちがっていることもじゅうぶん、
考えられます。一番よいのは、私自身が、T君を直接観察してみることです。また機会が
あれば、そっと遠くから観察してみてもよいです。ご一考ください。

 あまりよい返事になっていませんが、さらに最近の研究では、環境ホルモンによる脳の
微細障害説を唱える学者もいます。アスペルガー障害にかぎらず、このところ、どこか「?」
な子どもがふえているのは、そのためだ、と。

 あくまでも、参考的意見として、お読みいただければうれしいです。

 では、今日は、これで失礼します。

 長々とすみませでした。相談いただいたことをたいへん光栄に思い、感謝しています。
ありがとうございました。


敬具


                                はやし浩司

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
アスペルガー アスペルガー障害 アスペルガー症候群 アスペルガーの子ども)

+++++++++++++++++

【はやし浩司より】

 乳児期から幼児期に見られる、かんしゃく発作というのは、一般的には、家庭教育の失敗と
みます。「失敗」というのは、私の言葉ではなく、心理学の用語辞典などに出てくる言葉です。

 一方、「キレる」というのは、瞬間的な精神錯乱状態をいいます。前回、私が書いたのは、そ
れについて、です。

 また、自閉症の子どもや、アスペルガー障害の子どもが、やはり突発的に錯乱状態になるこ
とは、よく知られています。

 そこで重要なのは、同じ「キレる」という症状であっても、その中身は、まったく違うということで
す。「キレるから、アスペルガー」というのは、「熱があるから風邪」というのと同じくらい、まちが
っています。どうか、誤解のないようにお願いします。

 で、高機能広汎性発達障害、つまり自閉症、あるいはアスペルガー障害についてですが、私
が経験したZ君、(彼は、医療機関で、「広汎性発達障害児」と診断された)について、症状を、
記憶をたどりながら、ここに書いてみたいと思います。

(1)良好な人間関係ができない

 そのときZ君は、24歳くらいになっていましたが、友人と呼べる友人は、いませんでした。中
学校を出ると、家事を手伝うようになりましたが、それがかえってまずかったのかもしれませ
ん。

 親が無知、無学、無教養で、子どもの心理というものを、まるで理解しようともしませんでし
た。「気はもちよう」と、あれこれ無理をしたのが、症状をこじらせてしまったようです。

 医療機関で、「発達障害」という名前を告げられたときも、「病気がどんどんと、発達的に進行
していく病気」と、親は考えていたようです。「心の発達段階で障害があった」という意味なので
すが……。

(2)異常なこだわり

 Z君は、音楽のCDを集めていました。小遣いが手に入ると、そのほとんどを、CDの購入に
あてていました。そのため、部屋の中は、CDでびっしりといった状態でした。しかも、それら
が、1ミリの狂いもなく、書庫に納められていたといいます。

 1人、妹がいたのですが、その妹が、こっそりと1、2枚のCDを動かしただけでも、Z君にはそ
れがわかり、そのあと、Z君は、パニック状態になってしまったそうです。そのため「だれも、Zの
CDにはさわることができなかった」(母親の言葉)とのこと。

 ところがある日。何かのことで激怒した父親が、そのCDを、ダンボール箱に詰め替えてしま
ったことがありました。常識では考えられない行為ですが、残念ながら先にも書いたように、父
親には、それを理解するだけの教養がありませんでした。

 直後から、Z君は、精神に異常をきたし、たとえば玄関先で小便をしたり、家の中の紙やカー
テンにライターで火をつけたりするようになったそうです。

(3)変化に対する攻撃性

 Z君の家は、広い大通りに面していて、その前には歩道がありました。ときどき、この歩道
に、車を駐車する人がいました。

 Z君は、それがたいへん気になったようです。車が駐車されるたびに、そのクルマに、マジッ
クで落書きをしたり、ナンバーを、手でひっぱって、ゆがめてしまったそうです。

 で、それを母親が強く叱ったりすると、ときにそのまま家を飛び出してしまい、数時間から半
日あまり、近所をブラブラしていたそうです。母親は「ライターでどこかの家に火をつけては困
る」と、そのたびに、あちこちをさがしました。

 自分の部屋の中のものについてはなおさらで、ペン1本、紙1枚が動いていても、Z君は不機
嫌になったそうです。

 が、それでも思うようにならなかったりすると、突発的に暴れて、テレビを壊したり、ステレオ
セットを投げつけたりしたこともありました。

(4)自傷行為

 1〜2メートルの高いところから、両手を広げたまま、飛び降りたり、走っている車の前で、突
然倒れてみせるなどの行為も目立ちました。

 あるいは意味もなく、前頭を壁にガンガンとぶつけて血を流したこともあります。その瞬間に
なると、Z君は、何をするかわからないといった状態になるのだそうです。

 ただ心のどこかでは一線を引いているようで、そういう行為をしながらも、「死ぬ」というところ
までは考えていなかったようです。

 で、このZ君のケースで悲劇的なことは、先にも書いたように、両親に、それを理解するだけ
の知性がなかったことです。何度か私は、インターネット上から拾った記事をプリントアウトし
て、両親に渡したことがあります。が、両親は、それに目を通すこともしませんでした。

 両親は、Z君の症状に、一方的におびえるだけ。私のところに相談があったときも、Z君を預
ける施設がないかというものでした。「とても、うちでは、めんどうをみきれないから」と。Z君に
対する愛情そのものが、すでに消えてしまっていたようです。そんな印象をもちました。そうそ
う、こんなことも言いました。「うちに置いておくと、恥ずかしいから、先生のところで預かってく
れないか」と。

 つまりこうした無知と無理解が、Z君の症状を、より悪化させたと考えられます。もし両親に、
その知識があり、初期の段階で適切に対処していれば、症状はもっと軽くてすんだはずです。

 父親がCDをダンボール箱につめるという事件が起きたときも、私が父親に、「それはまずか
った」と言うと、父親は、平然とこう答えました。

 「CDといっても、聞くのは、せいぜい、100枚くらい。ほかのは飾ってあるだけだから、私がし
まって、どうして悪い!」と。

 こうして考えると、広汎性発達障害にかぎらず、子どもの障害は、子どもの問題というより
は、親の問題ということになります。少なくとも、私は、いつもそう考えて、子どもを指導していま
した。

 以上ですが、本当にたいへん参考になる意見をいただき、感謝しています。より多くの方に、
参考にしてもらえると思います。ありがとうございました。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 広汎
性発達障害 アスペルガー 自閉症)

++++++++++++++++

ついでながら、キレる子どもの問題
について書いた原稿を、ここに再掲載
しておきます。

キレる子どもと、広汎性発達障害の
子どもとは、まったく別の視点から
考えるのが正しいようです。

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【特集・キレる子ども】

●キレる子ども 

++++++++++++++++++

キレる子どもについては、たびたび、
取りあげてきた。

その「キレる」という行為だが、通常の
「激怒」とは、いくつかの点で、異なる。

++++++++++++++++++

 子どもでも怒る。激怒することはある。しかし「キレる」という行為とは、明確に、区別される。
「キレる」という行為には、つぎのような特徴がある。

(1)突発的に錯乱状態になる。
(2)暴力行為に、見境がなくなる。
(3)脳の抑制命令が、欠落する。
(4)瞬間、別人のような鋭い目つきになる。
(5)キレる理由そのものが、明確ではない。

 順に考えてみる。

(1)突発的に錯乱状態になる。

 キレる子どもの特徴は、突発的に錯乱状態になること。その少し前から、ピリピリとした緊張
状態がつづくことがあるが、暴れ出すときは、突発的である。瞬間、人格の変化を感じたと思っ
たとたん、「コノヤロー」と金切り声をあげて、相手に飛びかかっていったりする。

(2)暴力行為に、見境がなくなる。

 キレる子どものする暴力には、見境がない。ふつうの暴力には、(手かげん)というものがあ
る。しかしキレる子どものする暴力には、その(手かげん)がない。全力をこめて、相手を殴っ
たり、蹴ったりする。

(3)脳の抑制命令が、欠落する。

 言動が、まるでカミソリでものをスパスパと切ったようになる。動きが直線的になり、なめらか
さが消える。脳の抑制命令が欠落したような状態になる。当然、言葉もはげしいものになる。

(4)瞬間、別人のような鋭い目つきになる。

 その瞬間、子どもの顔を観察すると、顔色は青ざめ、目つきが別人のように鋭く、冷めたもの
になっているのがわかる。憎しみや怒りを表現しながら相手に殴りかかるというよりは、無表情
のまま。ときに、そのあまりにもすごんだ顔を見て、ゾッとすることさえある。

(5)キレる理由そのものが、明確ではない。

 キレるとき、その理由が、よくわからない。A君(小3男児)は、順番を待って並んでいるとき、
突然、キレて暴れ出した。近くにあった机や椅子を、ギャーッという叫び声とともに、手当たり次
第、足で蹴って倒した。

 B子さん(小5女児)は、私が「こんにちは」と声をかけて肩をたたいたその瞬間、突然、キレ
た。私に向かって、「このヘンタイ野郎!」と言って、私の腹に足蹴りを入れてきた。ものすごい
足蹴りである。私は、その場で、息もできなくなり、しばらくうずくまってしまった。

 C君(小4男児)は、問題を解いているとき、私がそれを手助けしてやろうと声をかけたとた
ん、キレた。「テメエ、ウッセー!」と叫んで、そばにあったワークブックで、私の頭を、つづけざ
まに、狂ったように叩きつづけた。

 こういうケースのばあい、私ができることと言えば、男児のばあいは、抱きかかえ、子どもを
抑えることでしかない。しかし相手が女児のばあいだと、それもできない。両手でまるく、自分
の頭をおおうことでしかない。子どもの世界では、おとなの私のほうが、やり返すなどというの
は、タブー。(当然だが……。)

 こうした子どもを観察してみると、先にも書いたように、脳の抑制命令そのものが、欠落した
ような状態になっていることがわかる。脳の機能そのものが、異常に亢進し、狂ったような状態
になる。

 原因のほとんどは、慢性的なストレス、日常的な緊張感、抑圧感の蓄積と考えてよい。それ
が脳間伝達物質の過剰分泌を促し、瞬間的に脳の機能が異常に亢進するためと考えられる。

 さらにその原因はといえば、脳の微細障害説などもあるが、家庭環境も、大きく作用している
ことは否定できない。

 子どもがこういう症状を示したら、親は、家庭環境を猛省しなければならない。が、こういう子
どもにかぎって、親の前では、むしろ静かでいい子ぶっていることが多い。つまりそのはけ口
を、弱い人や、やさしい人に向ける。

 だからたいていのばあい、私がそれを指摘しても、親は、その深刻さを理解しようとする前
に、子どもを叱ったり、さらに子どもを抑えつけようとしたりする。これがますます症状をこじら
る。あとは、この悪循環。最後は、行き着くところまで行く。それまで気がつかない。

 対処法としては、過剰行動児に準ずる。

++++++++++++++++++++++++

●キレる子どもの原因?

 キレる子ども……、つまり突発的に過剰行動に出る子どもの原因として、最近にわかにクロ
ーズアップされてきたのが、「セロトニン悪玉説」である。

つまり脳間伝達物質であるセロトニンが異常に分泌され、それが毒性をもって、脳の抑制命令
を狂わすという(生化学者、ミラー博士ほか)。

アメリカでは、もう20年以上も前から指摘されていることだが、もう少し具体的に言うとこうだ。

たとえば白砂糖を多く含む甘い食品を、一時的に過剰に摂取すると、インスリンが多量に分泌
され、それがセロトニンの過剰分泌を促す。そしてそれがキレる原因となるという(岩手大学の
大澤名誉教授ほか)。

 このタイプの子どもは、独特の動き方をするのがわかっている。ちょうどカミソリの刃でスパス
パとものを切るように、動きが鋭くなる。なめらかな動作が消える。そしていったん怒りだすと、
カッとなり、見境なく暴れたり、ものを投げつけたりする。ギャーッと金切り声を出すことも珍しく
ない。幼児でいうと、突発的にキーキー声を出して、泣いたり、暴れたりする。興奮したとき、体
を小刻みに震わせることもある。

 そこでもしこういう症状が見られたら、まず食生活を改善してみる。甘い食品を控え、カルシ
ウム分やマグネシウム分の多い食生活に心がける。リン酸食品も控える。リン酸は日もちをよ
くしたり、鮮度を保つために多くの食品に使われている。

リン酸をとると、せっかく摂取したカルシウムをリン酸カルシウムとして、体外へ排出してしま
う。一方、昔からイギリスでは、『カルシウムは紳士をつくる』という。日本でも戦前までは、カル
シウムは精神安定剤として使われていた。それはともかくも、子どもから静かな落ち着きが消
えたら、まずこのカルシウム不足を疑ってみる。ふつう子どものばあい、カルシウムが不足して
くると、筋肉の緊張感が持続できず、座っていても体をクニャクニャとくねらせたり、ダラダラさ
せたりする。

 ここに書いたのはあくまでも1つの説だが、もしあなたの子どもに以上のような症状が見られ
たら、一度試してみる価値はある。効果がなくても、ダメもと。そうでなくても子どもに缶ジュース
を1本与えておいて、「少食で悩んでいます」は、ない。

体重15キロの子どもに缶ジュースを1本与えるということは、体重60キロのおとなが、同じ缶
ジュースを4本飲むのに等しい。おとなでも4本は飲めないし、飲めば飲んだで、腹の中がガボ
ガボになってしまう。もしどうしても「甘い食べもの」ということであれば、精製されていない黒砂
糖を勧める。黒砂糖には天然のミネラル分がバランスよく配合されているため、ここでいうよう
な弊害は起きない。ついでに一言。

 子どもはキャーキャーと声を張りあげるもの、うるさいものだと思っている人は多い。しかしそ
ういう考えは、南オーストラリア州の幼稚園を訪れてみると変わる。そこでは子どもたちがウソ
のように静かだ。サワサワとした風の音すら聞こえてくる。理由はすぐわかった。

その地方ではどこの幼稚園にも、玄関先に大きなミルクタンクが置いてあり、子どもたちは水
代わりに牛乳を飲んでいた。


Hiroshi Hayashi+++++++++Dec 06+++++++++++はやし浩司

【補足】

++++++++++++

キレる子どもについて、
私の経験から……

++++++++++++

 突発的に、きわめて衝動的に暴力を振るう子どもというのは、たしかにいる。私は、大きく、
つぎの3つのタイプに分けて考えている。

(1)ピリピリ型(いつも神経がピリピリしているタイプ、頭のキレる子どもに多い)
(2)むっつり型(何を考えているかわからないタイプ。ふだんは静かで、穏やか)
(3)ゲーム型(目的もわからないまま、ゲーム感覚で、とんでもないことをする。)

 ピリピリ型というのは、ふだんから、神経が過敏状態になっていて、静かな落ち着きが見られ
ないタイプをいう。頭の回転が速く、その分、学習面で、優秀な成績を示す。ささいなことで、突
発的に衝動的な行動に出る。

【Kさん(小6女児)】

 私が、いつもKさんが座る席でお茶を飲んでいたときのこと。休み時間でのことである。突
然、Kさんがうしろからやってきて、笑い声で、「やあ、先生!」と声をかけてきた。私が、「ああ」
と答えたその瞬間、もっていたバッグで、思いっきり、頭を側面から叩いてきた。

 メガネはふっとび、私は、イスからころげ落ちた。

【Tさん(小5女児)】

 私が別の子ども(小5女児)と、何かのことでふざけて冗談を言いあっていたときのこと。Tさ
んが、私に何かを話しかけてきた。無視したわけではないのだが、そのまま別の子を、笑いあ
っていた、そのとき。もっていた大型のワークブックで、私の頭を上からバシッと叩いてきた。衝
撃で、メガネは下に落ち、鼻の横を1センチほど、切った。

 むっつり型というのは、ふだんは、何を考えているかわからないタイプの子どもをいう。印象
に残っている子どもに、R子(小6)がいた。4年前に書いた原稿だが、それをそのまま紹介す
る。

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●不自然さは要注意

 子どもの動作や、言動で、どこか不自然さを感じたら、要注意。反応や歩き方、さらにはしぐ
さなど。「ふつう、子どもなら、こうするだろうな」と思うとき、子どもによっては、そうでない反応
を示すことがある。最近、経験した例をいくつかあげてみる。

【S子の例】

教室へ入ってくるやいなや、突然大声で、「先生、先週、ここにシャープペンシルは落ちていま
せんでしたか!」と。「気がつかなかった」と答えると、大げさなジェスチャでその女の子(小5)
は、あたりをさがし始めた。

しばらくすると、「先生、今日は、筆箱を忘れました」と。そこで私が、「忘れたら忘れたで、最初
からそう言えばいいのに」とたしなめると、さらに大きな声で、「そんなことはありません!」と。
そして授業中も、どうも納得できないというような様子で、ときおり、あたりをさがすマネをしてみ
せる。私が「もういいから、忘れなさい」と言うと、「いえ、たしかにここに置きました!」と。

【A君の例】

A君(小3男児)が、連絡ノートを忘れた。そこでまだ教室に残っていたB君(小三男児)にそれ
を渡して、「まだA君はそのあたりにいるはずだから、急いでもっていってあげて!」と叫んだ。

が、B君はおもむろに腰をあげ、のんびりと自分のものを片づけたあと、ノソノソと歩き出した。
それではまにあわない。そこで私が「いいから、走って!」と促すと、こちらをうらめしそうな顔を
して見るのみ。そしてゆっくりと教室の外に消えた。

【R子の例】

R子(小6)が教室に入ってきたので、いつものように肩をポンとたたいて、「こんにちは」と言っ
たときのこと。何を思ったからR子は、いきなり私の腹に足蹴りをしてきた。「この、ヘンタイ野
郎!」と。ふつうの蹴りではない。R子は空手道場に通っていた。私はしばらく息もできない状
態で、その場にうずくまってしまった。そのときR子の顔を見ると、ぞっとするような冷たい目を
していた。

こうした「ふつうでない様子」を見たら、それを手がかりに、子どもの心の問題をさぐってみる。
何かあるはずである。が、このとき大切なことは、そうした症状だけをみて、子どもを叱ったり、
注意してはいけないということ。何か原因があるはずである。だからそれをさぐる。

たとえばシャープペンシルをさがした女の子は、異常とも言えるような親の過関心で心をゆが
めていた。B君は、いわゆる緩慢行動を示した。精神そのものが萎縮している子どもによく見ら
れる症状である。また私を足蹴りにした女の子は、そのころ両親は離婚、母親には、愛人と再
婚話をしている最中だった、など。

 一方、心がまっすぐ伸びている子どもは、行動や言動が自然である。「すなお」という言い方
のほうがふさわしい。こちらの予想どおりに反応し、そして行動する。心を開いているから、や
さしくしてあげたり、親切にしてあげると、そのやさしさや親切が、スーッと子どもの心にしみて
いくのがわかる。そしてうれしそうにニコニコと笑ったりする。

「おいで」と手を広げてあげると、そのままこちらの胸に飛び込んでくる。そこであなたの子ども
を観察してみてほしい。何人か子どもが集まっているようなところで観察するとわかりやすい。
もしあなたの子どもの行動や言動が自然であればよい。しかしどこか不自然であれば、あなた
の子育てのし方そのものを反省してみる。子どもではない。あなた自身の、だ。
(02−10−20)

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 この中に書いたR子については、そのとき受けた暴力がふつうではなかったため、とくに印象
に残っている。へたをすれば内臓が破裂していたかもしれない。それほど強烈な蹴りであっ
た。

 このR子については、そのあと母親とゆっくり話す機会があったので、そのことを報告すると、
母親はこう言った。

 当時R子の両親は離婚を前提とした別居状態であった。父親には愛人がいて、家に帰らない
日も多かったという。母親は「それが原因ではないでしょうか」と言った。

 もう1人印象に残っている子どもに、T君(小3・男児)がいた。

 ある日、子どもたちの解いた問題を順に採点しているときのこと。あと1、2人でT君というとき
になったそのとき、突然、T君が、「ギャーッ」と動物的な声を張りあげて、暴れ出した。

 あまりにも突発的で、制止する間はなかった。近くにあった机をもちあげると、それを、となり
の机に向かって投げた。私はT君にとびかかって、T君を床に押し倒し、上から自分の体重で、
T君を押さえた。

 あとで見たら、T君の解答用紙は、ほとんど白紙だった。

 また3番目のゲーム型についても、印象に残っている子どもに、F君(小4・男児)がいた。つ
ぎの原稿に出てくる、(2)の、(バランス感覚に欠け、善悪の判断ができない子ども)というの
が、その子どもである。

 この原稿は、「乱暴な子ども」というテーマで書いたもので、話が少し脱線するかもしれない
が、許してほしい。

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●乱暴な子ども

乱暴な子どもといっても、一様ではない。いろいろなタイプがある。かなりおおざっぱな分け方
で、正確ではないが、思いついたままあげてみると……。

(1)家庭不和など、愛情問題が原因で荒れる子ども……いわゆる欲求不満型で、乱暴のし方
が、陰湿で、相手に対して容赦しないのが特徴。先生に叱られても、口をきっと結んだまま、涙
を見せないなど。どこかに心のゆがみを感ずることが多い。自ら乱暴をしながら、相手の心を
確かめるようなこともする。ふつう嫉妬がからむと、乱暴のし方が、陰湿かつ長期化する。

(2)バランス感覚に欠け、善悪の判断ができない子ども……このタイプの子どもは、ときとし
て、常識をはずれた乱暴をする。たとえば先生のコップに、殺虫剤を入れたり、イスの上に、シ
ャープペンシルを立てたりする、など。(知らないで座ったら、おおけがをする。)相手の子ども
がイスに座ろうとしたとき、さっとイスを引き、相手の子どもにおおけがをさせた子どももいた。
してよいことと、悪いことの判断ができないために、そうなる。もともと遅進傾向がある子ども
に、よく見られる。

(3)小心タイプの子ども……よく観察すると、乱暴される前に、自ら乱暴するという傾向がみら
れる。しかったりすると、おおげさに泣いたり、あやまったりする。ひとりでは乱暴できず、だれ
かの尻馬に乗って、乱暴する。乱暴することを、楽しんでいるような雰囲気になる。どこか小ず
るい感じがするのが特徴。

(4)情緒不安定型の子ども……突発的に、大声を出し、我を忘れて乱暴する。まさにキレる状
態になる。すごんだ目つき、鋭い目つきになるのが特徴。一度興奮状態になると、手がつから
れなくなる。ふだんは、どちらかというと、おとなしく、目立たない。

このタイプの子どもは、その直前に、異様な興奮状態になることが多い。直前といっても、ほん
の瞬間的で、おさえるとしても、そのときしかない。心の緊張感がとれないため、ふだんからど
こかピリピリとした印象を与えることが多い。

(5)乱暴であることが、日常化している子ども……日ごろから、キックやパンチをしながら、遊
んでいる。あいさつがわりに乱暴したりする。そのためほかの子どもには、こわがられ、嫌われ
る。

 乱暴な子どもについて考えてみたが、たいていは複合的に現れるため、どのタイプの子ども
であるかを特定するのはむずかしい。また特定してもあまり意味はない。そのときどきに、「乱
暴は悪いこと」「乱暴してはいけない」ことを、子どもによく言って聞かせるしかない。力でおさえ
ようとしても、たいてい失敗する。とくに突発的に錯乱(さくらん)状態になって暴れる子どものば
あいは、しかっても意味はない。私のばあいは、相手が年少であれば、抱き込むようにしてそ
れをおさえる。しばらくその状態を保つと、やがて静かになる。

【S君、小2のケース】

 ささいなことでキレやすく、一度キレると、手や足のほうが、先に出てくるというタイプ。能力的
には、とくに問題はないが、どこかかたよっている感じはする。算数は得意だが、漢字がまった
く書けない、など。

 そのS君は、学校でも、何かにつけて問題を起こした。突発的に暴れて、イスを友だちに投げ
つけたこともある。あるいはキックをして、友だちの前歯を折ってしまったこともある。ときに自
虐的に、机をひどくたたいて、自分で手にけがをすることもあった。私も何度か、S君がキレる
様子を見たことがあるが、目つきが異常にすごむのがわかった。無表情になり、顔つきそのも
のが変わった。

 そういうS君を、乳幼児のときから、母親は、ひどくしかった。しばしば体罰を加えることもあっ
たという。しかしそのため、しかられることに免疫性ができてしまい、先生がふつうにしかったく
らいでは効果がなかった。そこで先生がさらに語気を荒げて、強くしかると、そのときだけは、
それなりにしおらしく、「ごめん」と言ったりした。

 今、S君のように、原因や理由がわからないまま、突発的に錯乱状態になって暴れる子ども
がふえている。脳の微細障害が原因だとする研究者もいる。「まだ生まれる前に、母親から胎
盤をとおして、胎児の体の中に侵入した微量の化学物質が脳の発達に変化をもたらし、その
人の生涯の性格や行動を決めてしまうのではないか」(福島章氏「子どもの脳が危ない」PHP
新書)と。

じゅうぶん考えなければならない説である。

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 さらに私も、一度、こんな経験をしている。記録によれば、03年とあるから、もうそれから3年
になる。しかしそのとき受けたキズは、今でも、目の上に、しっかりと残っている。私は、あやうく
失明するところだった。

 そのとき書いた原稿をそのまま紹介する。

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●メガネ

 このところ朝起きると、どこかモノがかすんで見える。白内障か?、と思ったが、原因は、メガ
ネの汚れだった。もうこのメガネも、買って10年になる。硬質ガラスでできているというが、表
面は、すり傷だらけ。そろそろ買い替えの時期がきたようだ。

 私がメガネをかけるようになったのは、中学1、2年のころではなかったか。周囲にメガネを
かけている人が多く、私のばあい、メガネをかけるのに、それほど抵抗はなかった。以来、40
年以上、メガネをかけている。

 メガネを嫌う人も多いが、もしメガネをかけていなければ、私は、3度、失明していただろうと
思う。1度は、山の中へタラの芽を取りに入ったときのこと。バシッとタラの木が、私のメガネを
たたいた。タラの芽を取ろうと、木を引き寄せたときのことだった。あとで見ると、メガネの上と
下に、大きな切り傷ができていた。

 もう1度は、バイクで運転していたときのこと。S湖のまわりを猛スピードで走っていたら、これ
またバシッと、メガネに何か当たった。見ると、コガネ虫だった。コガネ虫がメガネに当たり、メ
ガネの上で飛び散っていた。

 さらにもう1度は、こんな事件だった。中学2年生のM君と対峙して、数学を教えていたときの
こと。私が目を閉じたまま、うつらうつらと、M君の話を聞いていた。そのときだ。何を考えた
か、M君が、シャープペンシルを、私の顔と机の間に立てた。私はそれを知らず、そのまま頭
を下へ振った。とたん激痛!

 シャープペンシルの先はメガネのおかげで目をそれ、眉間の下に突き刺さった。とたん、大
量の鮮血が顔面に飛び散った。もしそのときメガネをかけていなければ、シャープペンシルの
先は、まともの眼球に突き刺さっていた。そういう位置関係にあった。

 だからメガネに、私は3度、目を守られたことになる。いろいろ不便はあるが、これからもずっ
とかけつづけるつもり。

 そのメガネについての余談だが、私は、いわゆるメガネ族だから、どういうわけか、メガネを
かけている人に親しみを覚える。女性でも、メガネをかけている人のほうに魅力を感ずる。これ
はどういう心理によるものかわからないが、本当の話。

 もう一つ余談だが、あのシャープペンシルをつき立てたM君は、いわゆるお宅族と呼ばれる
子どもで、幼いときからテレビゲームばかりしていた。そのためか、ものの考え方が、どこか現
実離れしていた。恐らくシャープペンシルをつき立てたときも、ゲーム感覚ではなかったか? 
このタイプの子どもは、何かにつけて常識ハズレになりやすい。
(030216)※

++++++++++++++++++

 キレるといっても、内容はさまざま。それに応じて、原因もいろいろ考えられる。で、私のばあ
い、こうした例が、あまりにも多いため、「子どもというのは、そういうもの」という前提で、対処し
ている。

 さらにここに書いた、(ピリピリ型の子ども)にしても、親に報告しても、ほとんど意味がない。
親(とくに母親自身)も、ピリピリした感じの人が多い。私の頭を側面からバッグでたたいてきた
Kさん(小6・女児)にしても、一度、母親にそのことを報告しなければと思いつつ、結局は、そ
の機会がないまま終わってしまった。

 母親に話したら、今度はその母親がキレて、娘のKさんに暴力を振るっていたかもしれない。

 以下、参考までに、今まで書いた原稿のうち、いくつかをここに収録しておく。

Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

【かんしゃく発作】

++++++++++++++++++++++++++

私のHPの掲示板の相談コーナーに、つぎのような相談がありました。
かんしゃく発作が、あまりにもはげしいので、どうしたらよいかというご質問です。
今回は、これについて、考えてみたいと思います。

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生後2週間の頃から、15時間連続で起きていたこともあるほど、まとめて寝ない子(寝る環境
作りはいろいろと工夫しましたが無理でした)で、起きている時間は抱っこして歩きまわらない
と、グズってばかりの娘でした。

寝る子は育つと言うのに、こんなに寝なくて大丈夫なものかと病院に行ったほどでしたが、至っ
て健康で、人なつっこく男の子顔負けのやんちゃ娘に成長していきました。

好奇心旺盛で、喜怒哀楽がとてもハッキリしていて(嬉しいと興奮しすぎるほど喜ぶし、怒ると
手がつけられないほど泣き暴れます)、活発なので、やんちゃすぎて手はかかりますが、幼い
頃おとなしかった私にしてみたら、すごく張り合いがあって自慢の娘です。

でもやっぱり神経質というか、頑固すぎるところがあり、2歳になってどう扱ったらいいか分から
なくなることが増えました。魔の2歳児というほど、2歳は周りの子もみんな反抗期+何でも自
分で!、という時期なので、ある程度は仕方ないと腹をくくって毎日気長に接していました。

赤ちゃんの頃から手がかかる子だったので、今でも私にベッタリなこともあり、スキンシップは
たっぷり取れているつもりでいるのですが・・・。はやしさんのエッセイで、「わがまま」と「頑固」
の違いなどについて書かれていたを読んで、うちの娘は頑固すぎるのかなぁと思い、相談させ
ていただこうと思いました。

2歳になってから、とにかく何でも自分でしないと気が済みません。着替えも、ちょっと手を出す
と気が狂ったように泣き叫んで、怒って服が破れそうなほど引っ張って全部脱いでしまいます。

もともと好奇心旺盛な子なので、1歳のころから自分でできることなら、何分でもつき合ってあ
げて、危険なことでない限り何にでも挑戦させてあげてきました。でもまだ2歳だからどうがん
ばっても無理なこともいっぱいあります・・・。

三輪車も、何としても自分で運転する!っていう気迫で、購入して1週間で自分でこげるように
なり、私が後ろの押し手を押すと、「イヤ!」と言って横断歩道の真ん中でも足を踏ん張って動
かなくなってしまいます。

また、夫に似て、正義感が強く変に真面目なところがあり、公園などでは順番や物の貸し借り
のルールをすごく理解しています。なので順番を守れない子がいたり、自分はおもちゃを「どう
ぞ」と貸してあげられたのに、相手が貸してくれないようなことが何度も重なると、手がつけられ
ないほど暴れて30分以上泣き止んでくれなくなります。

以上に書いたようなことは、2歳児ならみんなあることだとは思うのですが、かんしゃくを起こし
たときの激しさが、ほんとにすごいんです。

今日はおもちゃの貸し借りがうまくできないことが続いて(相手の子が何が何でも自分のおもち
ゃは貸さない!と言ってすぐ泣く子でした)、お友だちも娘もお昼寝の時間になり眠たそうで機
嫌が悪かったので、お片づけして今日は「バイバイ」しようと言った後、気が狂ったように泣き出
しました。

「バイバイ嫌!!」と言って、すごい勢いで走り出して、道路に何度も飛びだそうとするから、阻
止して、落ち着かせようと抱きしめてあげたら余計に泣き叫びました。すごく激しく暴れるので
何度も道路や壁に頭を打って大変でした。

パニックになると「ぎゃーー!!」と泣き叫びながら私から離れて、走って行ってしまいます。室
内など、少々走り回っても大丈夫な場所なら、ある程度落ち着くまで暴れさせてあげて、落ち着
き始めた頃にギューっと抱きしめてあげると少しずつ私に寄り添ってくれて、笑顔を見せてくれ
るます。

が、走り回れない野外だと、私が触れるたびにさらに火がついたように泣き叫んで、いつまで
たっても落ち着いてくれず、親子ともどもどろんこになりながら、1時間近く格闘しなきゃいけな
いことになります。あまりに激しいので、街行く人たちも白い目で見るというのを通り越して、ど
こか病気?にでもなったのかというぐらい怖い物を見るように心配されたりします。

1歳代の頃から、気に入らないことがあるとしょっちゅう道路に寝転がってダダをこねる子だっ
たので、それぐらいのことで人目が気になったりはしないのですが、ここまで激しいと私まで泣
きたくなります。

「どうぞ」ができたことをいくら誉めてあげても、相手が泣いていたりすると自分が悪いと思って
しまい、何度も何度もそういうことが重なると爆発するみたいです。気は強いので、自分が今遊
びたいものを我慢して貸してあげたりすることはなく、今遊んでないものをきっちり選んで貸して
あげます。なので我慢が爆発するという感じでもないです。

こんなに激しく泣き続けても、泣き止んだら何事もなかったように、いつもの太陽みたいな笑顔
を見せてくれます。私にギューっと抱きついて、「お母さん、大好き〜」と言ってくれます。「イヤ
イヤ!」は思いっきり発散させた子の方が後々いい子になるって聞くので、反抗期が激しいの
はいいことなのかもしれませんが、こんな娘の性格を伸び伸びと伸ばしてあげるにはどう接し
ていけばいいのでしょうか?

うまく文章に表せたか分かりませんが、アドバイスいただけたらとても嬉しいです。よろしくお願
いします。

++++++++++++++++++++++++++++++

【YK様へ】

 かんしゃく発作にしては、かなりはげしいようですね。2歳前後であれば、ダダをこねる、がん
こになる、泣き叫ぶ程度で、しばらくすると、静かになるはずですが……。

 私の印象では、脳内で、何らかの仰天現象が起きているように思います。突発的な興奮性
と、その持続性が気になります。こういうケースで最近、よく話題になるのが、セロトニン悪玉説
です。

 脳内伝達物質にセロトニンがあり、それが過剰に分泌されると、子どもは、興奮状態になり、
過剰行動に出ることが知られれています(アメリカのミラー博士ほか)。

 その過剰分泌を引き起こすのが、たとえば、インシュリンの過剰分泌と言われています。つま
りたとえば一時的に、甘味の強い食品(精製された白砂糖の多い食品)を多量に接種すると、
インシュリンが、ドッと、分泌されます。

 血糖値はそれでさがるのですが、そのあともインシュリンが血中に残り、さらに血糖をさげま
す。こうしていわば、子どもが、低血糖の状態になるわけです。


++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

子どもの脳が乱舞するとき

●収拾がつかなくなる子ども

 「先生は、サダコかな? それともサカナ! サカナは臭い。それにコワイ、コワイ……、あ
あ、水だ、水。冷たいぞ。おいしい焼肉だ。鉛筆で刺して、焼いて食べる……」と、話がポンポ
ンと飛ぶ。頭の回転だけは、やたらと速い。

まるで頭の中で、イメージが乱舞しているかのよう。動作も一貫性がない。騒々しい。ひょうき
ん。鉛筆を口にくわえて歩き回ったかと思うと、突然神妙な顔をして、直立! そしてそのまま
の姿勢で、バタリと倒れる。ゲラゲラと大声で笑う。その間に感情も激しく変化する。目が回る
なんていうものではない。まともに接していると、こちらの頭のほうがヘンになる。

 多動性はあるものの、強く制止すれば、一応の「抑え」はきく。小学2、3年になると、症状が
急速に収まってくる。集中力もないわけではない。気が向くと、黙々と作業をする。30年前には
このタイプの子どもは、まだ少なかった。が、ここ10年、急速にふえた。

小1児で、10人に2人はいる。今、学級崩壊が問題になっているが、実際このタイプの子ども
が、1クラスに数人もいると、それだけで学級運営は難しくなる。あちらを抑えればこちらが騒
ぐ。こちらを抑えればあちらが騒ぐ。そんな感じになる。

●崩壊する学級

 「学級指導の困難に直面した経験があるか」との質問に対して、「よくあった」「あった」と答え
た先生が、66%もいる(98年、大阪教育大学秋葉英則氏調査)。

「指導の疲れから、病欠、休職している同僚がいるか」という質問については、15%が、「1名
以上いる」と回答している。そして「授業が始まっても、すぐにノートや教科書を出さない」子ども
については、90%以上の先生が、経験している。

ほかに「弱いものをいじめる」(75%)、「友だちをたたく」(66%)などの友だちへの攻撃、「授
業中、立ち歩く」(66%)、「配布物を破ったり捨てたりする」(52%)などの授業そのものに対
する反発もみられるという(同、調査)。

●「荒れ」から「新しい荒れ」へ
 昔は「荒れ」というと、中学生や高校生の不良生徒たちの攻撃的な行動をいったが、それが
最近では、低年齢化すると同時に、様子が変わってきた。「新しい荒れ」とい言葉を使う人もい
る。ごくふつうの、それまで何ともなかった子どもが、突然、キレ、攻撃行為に出るなど。多くの
教師はこうした子どもたちの変化にとまどい、「子どもがわからなくなった」とこぼす。

日教組が98年に調査したところによると、「子どもたちが理解しにくい。常識や価値観の差を
感ずる」というのが、20%近くもあり、以下、「家庭環境や社会の変化により指導が難しい」(1
4%)、「子どもたちが自己中心的、耐性がない、自制できない」(10%)と続く。そしてその結果
として、「教職でのストレスを非常に感ずる先生が、8%、「かなり感ずる」「やや感ずる」という
先生が、60%(同調査)もいるそうだ。

●原因の一つはイメージ文化?

 こうした学級が崩壊する原因の一つとして、(あくまでも、一つだが……)、私はテレビやゲー
ムをあげる。「荒れる」というだけでは、どうも説明がつかない。家庭にしても、昔のような崩壊
家庭は少なくなった。むしろここにあげたように、ごくふつうの、そこそこに恵まれた家庭の子ど
もが、意味もなく突発的に騒いだり暴れたりする。

そして同じような現象が、日本だけではなく、アメリカでも起きている。実際、このタイプの子ど
もを調べてみると、ほぼ例外なく、乳幼児期に、ごく日常的にテレビやゲームづけになっていた
のがわかる。

ある母親はこう言った。「テレビを見ているときだけ、静かでした」と。「ゲームをしているとき
は、話しかけても返事もしませんでした」と言った母親もいた。たとえば最近のアニメは、幼児
向けにせよ、動きが速い。速すぎる。しかもその間に、ひっきりなしにコマーシャルが入る。ゲ
ームもそうだ。動きが速い。速すぎる。

●ゲームは右脳ばかり刺激する

こうした刺激を日常的に与えて、子どもの脳が影響を受けないはずがない。もう少しわかりや
すく言えば、子どもはイメージの世界ばかりが刺激され、静かにものを考えられなくなる。

その証拠(?)に、このタイプの子どもは、ゆっくりとした調子の紙芝居などを、静かに聞くこと
ができない。浦島太郎の紙芝居をしてみせても、「カメの顔に花が咲いている!」とか、「竜宮
城に魚が、おしっこをしている」などと、そのつど勝手なことをしゃべる。一見、発想はおもしろ
いが、直感的で論理性がない。

ちなみにイメージや創造力をつかさどるのは、右脳。分析や論理をつかさどるのは、左脳であ
る(R・W・スペリー)。テレビやゲームは、その右脳ばかりを刺激する。こうした今まで人間が経
験したことがない新しい刺激が、子どもの脳に大きな影響を与えていることはじゅうぶん考えら
れる。その一つが、ここにあげた「脳が乱舞する子ども」ということになる。

 学級崩壊についていろいろ言われているが、一つの仮説として、私はイメージ文化の悪弊を
あげる。

(付記)

●ふえる学級崩壊

 学級崩壊については減るどころか、近年、ふえる傾向にある。99年1月になされた日教組と
全日本教職員組合の教育研究全国大会では、学級崩壊の深刻な実情が数多く報告されてい
る。

「変ぼうする子どもたちを前に、神経をすり減らす教師たちの生々しい告白は、北海道や東北
など各地から寄せられ、学級崩壊が大都市だけの問題ではないことが浮き彫りにされた」(中
日新聞)と。「もはや教師が一人で抱え込めないほどすそ野は広がっている」とも。

 北海道のある地方都市で、小学1年生70名について調査したところ、
 授業中おしゃべりをして教師の話が聞けない……19人
 教師の指示を行動に移せない       ……17人
 何も言わず教室の外に出て行く       ……9人、など(同大会)。

●心を病む教師たち

 こうした現状の中で、心を病む教師も少なくない。東京都の調べによると、東京都に在籍する
約6万人の教職員のうち、新規に病気休職した人は、93年度から4年間は毎年210人から2
20人程度で推移していたが、97年度は、261人。さらに98年度は355人にふえていること
がわかった(東京都教育委員会調べ・99年)。

この病気休職者のうち、精神系疾患者は。93年度から増加傾向にあることがわかり、96年
度に一時減ったものの、97年度は急増し、135人になったという。

この数字は全休職者の約52%にあたる。(全国データでは、97年度は休職者が4171人で、
精神系疾患者は、1619人。)さらにその精神系疾患者の内訳を調べてみると、うつ病、うつ
状態が約半数をしめていたという。原因としては、「同僚や生徒、その保護者などの対人関係
のストレスによるものが大きい」(東京都教育委員会)ということである。

●その対策

 現在全国の21自治体では、学級崩壊が問題化している小学1年クラスについて、クラスを1
クラス30人程度まで少人数化したり、担任以外にも補助教員を置くなどの対策をとっている
(共同通信社まとめ)。

また小学6年で、教科担任制を試行する自治体もある。

具体的には、小学1、2年について、新潟県と秋田県がいずれも1クラスを30人に、香川県で
は40人いるクラスを、2人担任制にし、今後5年間でこの上限を36人まで引きさげる予定だと
いう。

福島、群馬、静岡、島根の各県などでは、小1でクラスが30〜36人のばあいでも、もう1人教
員を配置している。さらに山口県は、「中学への円滑な接続を図る」として、一部の小学校で
は、6年に、国語、算数、理科、社会の4教科に、教科担任制を試験的に導入している。大分
県では、中学1年と3年の英語の授業を、1クラス20人程度で実施している(01年度調べ)。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 キレ
る子供 キレる子供 突発的に暴れる子供 暴れる子ども 子供の暴力 暴力行為 衝動的 
衝動性)


Hiroshi Hayashi+++++++++Sep 06+++++++++++はやし浩司

●キレる子どもの相談

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数年前、キレる子どもについて、
ある母親から、こんな相談が届いて
いる。

そのとき書いた原稿をそのまま
ここに紹介する。

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●小食で困ったら、冷蔵庫をカラに

 体重15キロの子どもが、缶ジュースを1本飲むということは、体重60キロのおとなが、四本
飲む量に等しい。いくらおとなでも、缶ジュースを4本は飲めない。飲めば飲んだで、腹の中が
ガボガボになってしまう。アイスやソフトクリームもそうだ。子どもの顔よりも大きなソフトクリー
ムを1個子どもに食べさせておきながら、「うちの子は小食で困っています」は、ない。

 突発的にキーキー声をはりあげて、興奮状態になる子どもは少なくない。このタイプの子ども
でまず疑ってみるべきは、低血糖。

一度に甘い食品(精製された白砂糖の多い食品)を大量に与えると、その血糖値をさげようと
インスリンが大量に分泌される。が、血糖値がさがっても、さらに血中に残ったインスリンが、
必要以上に血糖値をさげてしまう。

つまりこれが甘い食品を大量にとることによる低血糖のメカニズムだが、一度こういう状態にな
ると、脳の抑制命令が変調をきたす。そしてここに書いたように、突発的に興奮状態になって
大声をあげたり、暴れたりする。

このタイプの子どもは、興奮してくるとなめらかな動きがなくなり、カミソリでものを切るように、
スパスパした動きになることが知られている。アメリカで「過剰行動児」として、20年ほど前に
話題になったことがある。

日本でもこの分野の研究者は多い(岩手大学名誉教授の大澤氏ほか)。そこでもしあなたの
子どもにそういう症状が見られたら、一度砂糖断ちをしてみるとよい。効果がなくて、ダメもと。
一周間も続けると、子どものによってはウソのように静かに落ち着く。

  話がそれたが、子どもの小食で悩んでいる親は多い。「食が細い」「好き嫌いがはげしい」
「食事がのろい」など。幼稚園児についていうなら、全体の約50%が、この問題で悩んでいる。
で、もしそうなら、一度冷蔵庫をカラにしてみる。お菓子やスナック菓子類は、思いきって捨て
る。「もったいない」という思いが、つぎからのムダ買いを止める力になる。そして子どもが食事
の間に口にできるものを一掃する。子どもの小食で悩んでいる親というのは、たいてい無意識
のうちにも、間食を黙認しているケースが多い。もしそうなら、間食はいっさい、やめる。

(小食児へのアドバイス)

(1)ここに書いたように、冷蔵庫をカラにし、菓子類はすべて避ける。
(2)甘い食品(精製された白砂糖の多い食品)を断つ。
(3)カルシウム、マグネシウム分の多い食生活にこころがける。
(4)日中、汗をかかせるようにする。

 ただ小食といっても、家庭によって基準がちがうので、その基準も考えること。ふつうの家庭
よりも多い食物を与えながら、「少ない」と悩んでいるケースもある。子どもが健康なら、小食
(?)でも問題はないとみる。

++++++++++++++++++++++++

以前、同じような相談を受けたことがあります。
もっと年齢の大きなお子さんについてのものでしたが……。
それについて、書いた原稿を添付します。
あくまでも参考資料の一つとして、考えてください。

++++++++++++++++++++++++

●島根県のUYさんより

はじめまして。
HPをよく拝見させて頂いています。
 
娘の事を相談させていただきたく、メールをしています。
娘は5歳半になる年中児で、下に3歳半の妹がいます。

小さい頃から動作の一つ一つが乱暴で、よくグズリ、キーキー興奮しては些細な事で泣く子でし
た。

それは今でも続いており、集中が長く続かず、こだわりも他の子供よりも深い気がします。
話も目を見て心を落ち着けてゆっくり会話をする事が出来ません。

真剣な話をしながら足の先を神経質に動かしたり、手を振ったりして、とても聞いている態度に
は見えません。

走りまわるほどの多動ではありませんが、落ち着いて、じっとしていることが出来ないようです。

そのせいか、話し言葉も五歳にしては表現力がないと思われます。
物の説明はとても難解で、結局何を言っているのか分からない事も多々あります。
 
私自身、過関心であったと思います。
気をつけているつもりですが、やはり完全には治っていません。
今、言葉の方は『おかあさん、牛乳!』や、『あの冷たいやつ!』というような言い方について
は、それでは分からないという事を伝える様にしています。

できるだけ言葉で説明をさせるようにしています。これは少しは効果があるようです。
また食生活ではカルシウムとマグネシウム、そして甘いものには気をつけています。
食べ物の好き嫌いは全くありません。
 
そこで私の相談ですが、もっとしっかり人の話を聞けるようになってほしいと思っています。

心を落ち着かせることが出来るようになるのは、やはり親の過干渉や過関心と関係があるの
でしょうか。

また些細な事(お茶を飲むときのグラスの柄が妹の方がかわいい柄っだった、公園から帰りた
くない等)で、泣き叫んだりするのは情緒不安定ということで、過干渉の結果なのでしょうか。

泣き叫ぶときは、『そーかー、嫌だったのね。』と、私は一応話を聞くようにはしていますが、私
が折れる事はありません。

その事でかえって、泣き叫ぶ機会を増やして、また長引かせている気もするのですが。。。

そしてテーブルの上でオセロなどのゲーム中に、意味も無く飛び上がったりしてテーブルをゆら
してゲームを台無しにしたりする(無意識にやってしまうようです)ような乱雑な動作はどのよう
にすれば良いのか、深く悩んでいます。『静かに落ち着いて、意識を集中させて動く』ことが出
来ないのはやはり干渉のしすぎだったのでしょうか。
自分自信がんばっているつもりですが、時々更に悪化させているのではないかと不安に成りま
す。

できましたら,アドバイスをいただけますでしょうか。宜しくお願い致します。

【UYさんへ、はやし浩司より】

 メール、ありがとうございました。原因と対処法をいろいろ考える前に、大前提として、「今す
ぐ、なおそう」と思っても、なおらないということです。またなおそうと思う必要もありません。こう
書くと、「エエッ!」と思われるかもしれませんが、この問題だけは、子どもにその自覚がない以
上、なおるはずもないのです。

 UYさんのお子さんが、ここに書いた子どもと同じというわけではありませんが、つぎの原稿
は、少し前に私が書いたものです。まず、その原稿を先に、読んでいただけたらと思います。

+++++++++++++++++
 
●汝(なんじ)自身を知れ

「汝自身を知れ」と言ったのはターレスだが、自分を知ることは難しい。
こんなことがあった。

 小学生のころ、かなり問題児だった子ども(中2男児)がいた。どこがどう問題児だったかは、
ここに書けない。書けないが、その子どもにある日、それとなくこう聞いてみた。

「君は、学校の先生たちにかなりめんどうをかけたようだが、それを覚えているか」と。するとそ
の子どもは、こう言った。「ぼくは何も悪くなかった。先生は何でもぼくを目のかたきにして、ぼく
を怒った」と。私はその子どもを前にして、しばらく考えこんでしまった。いや、その子どものこと
ではない。自分のことというか、自分を知ることの難しさを思い知らされたからだ。

ある日1人の母親が私のところにきて、こう言った。「学校の先生が、席決めのとき、『好きな子
どうし、並んですわってよい』と言った。しかしうちの子(小1男児)のように、友だちのいない子
はどうしたらいいのか。配慮に欠ける発言だ。これから学校へ抗議に行くから、一緒に行って
ほしい」と。

もちろん私は断ったが、問題は席決めことではない。その子どもにはチックもあったし、軽いが
吃音(どもり)もあった。神経質な家庭環境が原因だが、「なぜ友だちがいないか」ということの
ほうこそ、問題ではないのか。その親がすべきことは、抗議ではなく、その相談だ。

話はそれたが、自分であって自分である部分はともかくも、問題は自分であって自分でない部
分だ。ほとんどの人は、その自分であって自分でない部分に気がつくことがないまま、それに
振り回される。よい例が育児拒否であり、虐待だ。

このタイプの親たちは、なぜそういうことをするかということに迷いを抱きながらも、もっと大きな
「裏の力」に操られてしまう。あるいは心のどこかで「してはいけない」と思いつつ、それにブレ
ーキをかけることができない。「自分であって自分でない部分」のことを、「心のゆがみ」という
が、そのゆがみに動かされてしまう。ひがむ、いじける、ひねくれる、すねる、すさむ、つっぱ
る、ふてくされる、こもる、ぐずるなど。自分の中にこうしたゆがみを感じたら、それは自分であ
って自分でない部分とみてよい。

それに気づくことが、自分を知る第一歩である。まずいのは、そういう自分に気づくことなく、い
つまでも自分でない自分に振り回されることである。そしていつも同じ失敗を繰り返すことであ
る。

+++++++++++++++

 おとなですら、自分のことを知るのはむずかしい。いわんや、子どもをやということになりま
す。ですからUYさんが、お子さんに向かって、「静かにしなさい」「落ち着きなさい」と言っても、
子どもにその自覚がない以上、子どもの立場からしたら、どうしようもないのです。

 意識には、大きく分けて(1)潜在意識と、(2)自意識(自己意識)があります※。潜在意識と
いうのは、意識できない世界のことです。自意識というのは、自分で自覚できる意識のことで
す。いろいろな説がありますが、教育的には、小学3、4年生を境に、急速にこの自意識が育
ってきます。つまり自分を客観的に見ることができるようになると同時に、その自分を、自分で
コントロールすることができるようになるわけです。

 幼児期にいろいろな問題ある子どもでも、この自意識をうまく利用すると、それを子ども自ら
の意識で、なおすことができます。言いかえると、それ以前の子どもには、その自意識を期待
しても、無理です。たとえば「静かにしなさい」と親がいくら言っても、子ども自身は、自分ではそ
れがわからないのだから、どうしようもありません。UYさんのケースを順に考えてみましょう。

●小さい頃から動作の一つ一つが乱暴で、よくグズリ、キーキー興奮しては些細な事で泣く子
でした。
●それは今でも続いており、集中が長く続かず、こだわりも他の子供よりも深い気がします。
●話も目を見て心を落ち着けてゆっくり会話をする事が出来ません。
●真剣な話をしながら足の先を神経質に動かしたり、手を振ったりして、とても聞いている態度
には見えません。
●走りまわるほどの多動ではありませんが、落ち着いて、じっとしていることが出来ないようで
す。
●そのせいか、話し言葉も5歳にしては表現力がないと思われます。

 これらの問題点を指摘しても、当然のことですが、満5歳の子どもに、理解できるはずもあり
ません。こういうケースで。「キーキー興奮してはだめ」「こだわっては、だめ」「落ち着いて会話
しなさい」「じっとしていなさい」「しっかりと言葉を話しなさい」と言ったところで、ムダというもので
す。

たとえば細かい多動性について、最近では、脳の微細障害説、機能障害説、右脳乱舞説、ホ
ルモン変調説、脳の仰天説、セロトニン過剰分泌説など、ざっと思い浮かんだものだけでも、
いろいろあります。

されにさらに環境的な要因、たとえば下の子が生まれたことによる、赤ちゃんがえり、欲求不
満、かんしゃく発作などもからんでいるかもしれません。またUYさんのメールによると、かなり
神経質な子育てが日常化していたようで、それによる過干渉、過関心、心配先行型の子育て
なども影響しているかもしれません。こうして考え出したら、それこそ数かぎりなく、話が出てき
てしまいます。

 では、どうするか? 原因はどうであれ、今の症状がどうであれ、今の段階では、「なおそう」
とか、「あれが問題」「これが問題」と考えるのではなく、あくまでも幼児期によく見られる一過性
の問題ととらえ、あまり深刻にならないようにしたらよいと思います。

むしろ問題は、そのことではなく、この時期、親が子どものある部分の問題を、拡大視すること
によって、子どものほかのよい面をつぶしてしまうことです。とくに「あれがダメ」「これがダメ」と
いう指導が日常化しますと、子どもは、自信をなくしてしまいます。生きザマそのものが、マイナ
ス型になることもあります。

 私も幼児を35年もみてきました。若いころは、こうした問題のある子どもを、何とかなおして
やろうと、四苦八苦したものです。しかしそうして苦労したところで、意味はないのですね。子ど
もというのは、時期がくれば、何ごともなかったかのように、自然になおっていく。

UYさんのお子さんについても、お子さんの自意識が育ってくる、小学3、4年生を境に、症状は
急速に収まってくるものと思われます。自分で判断して、自分の言動をコントロールするように
なるからです。「こういうことをすれば、みんなに嫌われる」「みんなに迷惑をかける」、あるいは
「もっとかっこよくしたい」「みんなに認められたい」と。

 ですから、ここはあせらず、言うべきことは言いながらも、今の状態を今以上悪くしないことだ
けを考えながら、その時期を待たれたらどうでしょうか。すでにUYさんは、UYさんができること
を、すべてなさっておられます。母親としては、満点です。どうか自信をもってください。私のHP
を読んでくださったということだけでも、UYさんは、すばらしい母親です。(保証します!)

ただもう一つ注意してみたらよいと思うのは、たとえばテレビやテレビゲームに夢中になってい
るようなら、少し遠ざけたほうがよいと思います。このメールの終わりに、私が最近書いた原稿
(中日新聞発表済み)を、張りつけておきます。どうか参考にしてください。

 で、今度はUYさん自身へのアドバイスですが、どうか自分を責めないでください。「過関心で
はないか?」「過干渉ではないか?」と。

 そういうふうに悩むこと自体、すでにUYさんは、過関心ママでも、過干渉ママでもありませ
ん。この問題だけは、それに気づくだけで、すでにほとんど解決したとみます。ほとんどの人
は、それに気づかないまま、むしろ「私はふつうだ」と思い込んで、一方で、過関心や過干渉を
繰りかえします。UYさんにあえていうなら、子育てに疲れて、やや育児ノイローゼ気味なのかも
しれません。ご主人の協力は得られませんか? 少し子育てを分担してもらったほうがよいか
もしれません。

 最後に「そしてテーブルの上でオセロなどのゲーム中に、意味も無く飛び上がったりしてテー
ブルをゆらしてゲームを台無しにしたりする(無意識にやってしまうようです)ような乱雑な動作
はどのようにすれば良いのか、深く悩んでいます。『静かに落ち着いて、意識を集中させて動
く』ことが出来ないのはやはり干渉のしすぎだったのでしょうか」という部分についてですが、こ
う考えてみてください。

 私の経験では、症状的には、小学1年生ぐらいをピークにして、そのあと急速に収まっていき
ます。そういう点では、これから先、体力がつき、行動半径も広くなってきますから、見た目に
は、症状ははげしくなるかもしれません。UYさんが悩まれるお気持ちはよくわかりますが、一
方で、UYさんの力ではどうにもならない部分の問題であることも事実です。

ですから、愛情の糸だけは切らないようにして、言うべきことは言い、あとはあきらめます。コツ
は、完ぺきな子どもを求めないこと。満点の子どもを求めないこと。ここで愛情の糸を切らない
というのは、子どもの側から見て、「切られた」と思わせいないことです。

それを感じると、今度は、子どもの心そのものが、ゆがんでしまいます。が、それでも暴れたら
……。私のばあいは、教室の生徒がそういう症状を見せたら、抱き込んでしまいます。叱った
り、威圧感を与えたり、あるいは恐怖心を与えてはいけません。あくまでも愛情を基本に指導し
ます。それだけを忘れなければ、あとは何をしてもよいのです。あまり神経質にならず、気楽に
構えてください。

 約束します。UYさんの問題は、お子さんが小学3、4年生になるころには、消えています。ウ
ソだと思うなら、このメールをコピーして、アルバムか何かにはさんでおいてください。そして、
四、五年後に読み返してみてください。「林の言うとおりだった」と、そのときわかってくださると
確信しています。もっとも、それまでの間に、いろいろあるでしょうが、そこは、クレヨンしんちゃ
んの母親(みさえさん)の心意気でがんばってください。コミックにVOL1〜10くらいを一度、読
まれるといいですよ。テレビのアニメは、コミックにくらべると、作為的です。

 また何かあればメールをください。なおこのメールは、小生のマガジンの2−25号に掲載し
ますが、どうかお許しください。転載の許可など、お願いします。ご都合の悪い点があれば、至
急、お知らせください。
(030217)

※……これに対して、「自己意識」「感覚運動的意識」「生物的意識」の三つに分けて考える考
え方もある。「感覚的運動意識」というのは、見たり聞いたりする意識のこと。「生物的意識」と
いうのは、生物としての意識をいう。いわゆる「気を失う」というのは、生物的意識がなくなった
状態をいう。このうち自己意識があるのは、人間だけと言われている。この自己意識は、四歳
くらいから芽生え始め、三〇歳くらいで完成するといわれている(静岡大学・郷式徹助教授「フ
ァミリス」03・3月号)。

++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

【YK様へ(2)】

 食生活がどうなっているのか、私にはわかりませんが、まず試してみるべきことは、(1)食生
活の改善、です。

 ここにも書いたように、MG、CA、Kの多い食生活(自然海産物中心の献立)に切りかえてみ
てください。

 精製された白砂糖を多く含む食品は、避けます。(与えると意識しなくても、今では、ありとあ
らゆる食品に含まれています。幼児のばあい、2歳児でしたら、1日、10グラム前後でじゅうぶ
んです。)

 感情の起伏がはげしく、手にあまるようなら、一度、小児科を訪れてみられてはいかがでしょ
うか。以前とちがい、最近では、すぐれた薬も開発されています。(薬を使うときは、慎重にしま
すが、そのあたりのことは、よくドクターと相談して決めてください。)

 食生活の改善……徹底してするのが、コツです。アイス、ソフト、乳酸飲料などは、避けま
す。徹底してすれば、1、2週間ほどで、効果が現われてきます。

 同じようなケースを、もう一つ、思い出しました。その原稿を添付します。少し古い原稿なの
で、先に書いたことと、内容が少し異なるかもしれませんが、異なっている部分については、先
に書いたほうを、優先してください。

++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

【栄養学の分野からの考察】

●過剰行動性のある子ども

 もう二〇年以上も前だが、アメリカで「過剰行動性のある子ども」(ヒュー・パワーズ・小児栄養
学)が、話題になったことがある。ささいなことがきっかけで、突発的に過剰な行動に出るタイプ
の子どもである。

日本では、このタイプの子どもはほとんど話題にならなかったが、中学生によるナイフの殺傷
事件が続いたとき、その原因の一つとして、マスコミでこの過剰行動性が取りあげられたこと
がある(九八年)。日本でも岩手大学の大沢博名誉教授や大分大学の飯野節夫教授らが、こ
の分野の研究者として知られている。

●砂糖づけのH君(年中児)

 私の印象に残っている男児にH君(年中児)という子どもがいた。最初、Hさん(母親)は私に
こう相談してきた。「(息子の)部屋の中がクモの巣のようです。どうしたらいいでしょうか」と。

話を聞くと、息子のH君の部屋がごちゃごちゃというより、足の踏み場もないほど散乱してい
て、その様子がふつうではないというのだ。が、それだけならまだしも、それを母親が注意する
と、H君は突発的に暴れたり、泣き叫んだりするという。始終、こきざみに動き回るという多動
性も気になると母親は言った。私の教室でも突発的に、耳をつんざくような金切り声をあげ、興
奮状態になることも珍しくなかった。そして一度そういう状態になると、手がつけられなくなっ
た。私はその異常な興奮性から、H君は過剰行動児と判断した。

 ただ申し添えるなら、教育の現場では、それが学校であろうが塾であろうが、子どもを診断し
たり、診断名をくだすことはありえない。第一に診断基準が確立していないし、治療や治療方
法を用意しないまま診断したり、診断名をくだしたりすることは許されない。仮にその子どもが
過剰行動児をわかったところで、それは教える側の内心の問題であり、親から質問されてもそ
れを口にすることは許されない。

診断については、診断基準や治療方法、あるいは指導施設が確立しているケース(たとえば
自閉症児やかん黙児)では、専門のドクターを紹介することはあっても、その段階で止める。こ
の過剰行動児についてもそうで、内心では過剰行動児を疑っても、親に向かって、「あなたの
子どもは過剰行動児です」と告げることは、実際にはありえない。教師としてすべきことは、知
っていても知らぬフリをしながら、その次の段階の「指導」を開始することである。
 
●原因は食生活?

ヒュー・パワーズは、「脳内の血糖値の変動がはげしいと、神経機能が乱れ、情緒不安にな
り、ホルモン機能にも影響し、ひいては子どもの健康、学習、行動に障害があらわれる」とい
う。メカニズムは、こうだ。ゆっくりと血糖値があがる場合には、それに応じてインスリンが徐々
に分泌される。しかし一時的に多量の砂糖(特に精製された白砂糖)をとると、多量の、つまり
必要とされる量以上の量のインスリンが分泌され、結果として、子どもを低血糖児の状態にし
てしまうという(大沢)。

そして(1)イライラする。機嫌がいいかと思うと、突然怒りだす、(2)無気力、(3)疲れやすい、
(4)(体が)震える、(5)頭痛など低血糖児特有の症状が出てくるという(朝日新聞九八年2・1
2)。これらの症状は、たとえば小児糖尿病で砂糖断ちをしている子どもにも共通してみられる
症状でもある。私も一度、ある子ども(小児糖尿病患者)を病院に見舞ったとき、看護婦からそ
ういう報告を受けたことがある。

 こうした突発的な行動については、次のように説明されている。つまり脳からは常に相反する
二つの命令が出ている。行動命令と抑制命令である。たとえば手でものをつかむとき、「つか
め」という行動命令と、「つかむな」という抑制命令が同時に出る。

この二つの命令がバランスよく調和して、人間はスムーズな動きをすることができる。しかし低
血糖になると、このうちの抑制命令のほうが阻害され、動きがカミソリでスパスパとものを切る
ような動きになる。先のH君の場合は、こまかい作業をさせると、震えるというよりは、手が勝
手に小刻みに動いてしまい、それができなかった。また抑制命令が阻害されると、感情のコン
トロールもできなくなり、一度激怒すると、際限なく怒りが増幅される。そして結果として、それ
がキレる状態になる。

●恐ろしいカルシウム不足

 砂糖のとり過ぎは、子どもの心と体に深刻な影響を与えるが、それだけではない。砂糖をとり
過ぎると、カルシウム不足を引き起こす。

糖分の摂取が、体内のカルシウムを奪い、虫歯の原因になることはよく知られている。体内の
ブドウ糖は炭酸ガスと水に分解され、その炭酸ガスが、血液に酸性にする。その酸性化した血
液を中和しようと、骨の中のカルシウムが、溶け出るためと考えるとわかりやすい。

体内のカルシウムの98%は、骨に蓄積されている。そのカルシウムが不足すると、「(1)脳の
発育が不良になったり、(2)脳神経細胞の興奮性を亢進したり、(3)精神疲労をしやすくまた
回復が遅くなるなどの症状が現われる」(片瀬淡氏「カルシウムの医学」)という。わかりやすく
言えば、カルシウムが不足すると、知恵の発達が遅れ、興奮しやすく、また精神疲労を起こし
やすいというのだ。甘い食品を大量に摂取していると、このカルシウム不足を引き起こす。

++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●生化学者ミラー博士らの実験

 精製されてない白砂糖を、日常的に多量に摂取すると、インスリンの分泌が、脳間伝達物質
であるセロトニンの分泌をうながし、それが子どもの異常行動を引き起こすという。アメリカの
生化学者のミラーは、次のように説召している。

 「脳内のセロトニンという(脳間伝達)ニューロンから脳細胞に情報を伝達するという、神経中
枢に重要な役割をはたしているが、セロトニンが多すぎると、逆に毒性をもつ」(「マザーリン
グ」八一年(7)号)と。日本でも、自閉症や子どもの暴力、無気力などさまざまな子どもによる
問題行動が、食物と関係しているという研究がなされている。ちなみに、食品に含まれている
白砂糖の量は、次のようになっている。

製品名             一個分の量    糖分の量         
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー        
 ヨーグルト    【森永乳業】     90ml  9・6g         
 伊達巻き       【紀文】     39g  11・8g         
 ミートボール   【石井食品】 1パック120g  9・0g         
 いちごジャム   【雪印食品】  大さじ30g  19・7g         
 オレンジエード【キリンビール】    250ml  9・2g         
 コカコーラ              250ml 24・1g         
 ショートケーキ    【市販】  一個100g  28・6g         
 アイス      【雪印乳業】  一個170ml  7・2g         
 オレンジムース  【カルピス】     38g   8・7g         
 プリン      【協同乳業】  一個100g  14・2g         
 グリコキャラメル【江崎グリコ】   4粒20g   8・1g         
 どら焼き       【市販】   一個70g  25g          
 クリームソーダ    【外食】  一杯      26g           
 ホットケーキ     【外食】  一個      27g          
 フルーツヨーグルト【協同乳業】    100g  10・9g         
 みかんの缶詰   【雪印食品】    118g  15・3g         
 お好み焼き   【永谷園食品】  一箱240g  15・0g         
 セルシーチョコ 【江崎グリコ】   3粒14g   5・5g         
 練りようかん     【市販】  一切れ56g  30・8g         
 チョコパフェ     【市販】  一杯      24・0g       

●砂糖は白い麻薬

 H君の母親はこう言った。「祖母(父親の実母)の趣味が、ジャムづくりで、毎週ビンに入った
ジャムを届けてくれます。うちでは、それを食べなければもったいないということで、パンや紅茶
など、あらゆるものにつけて食べています」と。

私はH君の食生活が、かなりゆがんだものと知り、とりあえず「砂糖断ち」をするよう進言した。
が、異変はその直後から起きた。幼稚園から帰ったH君が、冷蔵庫を足げりにしながら、「ビス
ケットがほしい、ビスケットがほしい」と泣き叫んだというのだ。母親は「麻薬患者の禁断症状の
ようで、恐ろしかった」と話してくれた。が、それから数日後。今度はH君が一転、無気力状態
になってしまったという。私がH君に会ったのは、ちょうど一週間後のことだったが、H君はまる
で別人のようになっていた。ボーッとして、反応がまるでなかった。母親はそういうH君を横目で
見ながら、「もう一度、ジャムを食べさせましょうか」と言ったが、私はそれに反対した。

●カルシウムは紳士をつくる

 戦前までは、カルシウムは、精神安定剤として使われていた。こういう事実もあって、イギリス
では、「カルシウムは紳士をつくる」と言われている。子どもの落ち着きなさをどこかで感じた
ら、砂糖断ちをする一方、カルシウムやマグネシウムなど、ミネラル分の多い食生活にこころ
がける。私の経験では、幼児の場合、それだけで、しかも一週間という短期間で、ほとんどの
子どもが見違えるほど落ち着くのがわかっている。

川島四郎氏(桜美林大学元教授)も、「ヒステリーやノイローゼ患者の場合、カルシウムを投与
するだけでなおる」(「マザーリング」八一年(7)号)と述べている。効果がなくても、ダメもと。そ
うでなくても、缶ジュース一本を子どもに買い与えて、「うちの子は小食で困ります」は、ない。体
重15キロ前後の子どもに、缶ジュースを一本与えるということは、体重60キロの人が、4本飲
む量に等しい。おとなでも缶ジュースを四本は飲めないし、飲めば飲んだで、腹の中がガボガ
ボになってしまう。

 なお問題となるのは、精製された白砂糖をいう。どうしても甘味料ということであれば、精製さ
れていない黒砂糖をすすめる。黒砂糖には、天然のミネラル分がほどよく配合されていて、こ
こでいう弊害はない。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 過剰
行動児 セロトニン悪玉説 キレる子供の原因 キレる子どもの原因 切れる子供 原因 キ
レる子ども 原因 原因物質)


【キレる子供・補足】

●シシリー宣言

1995年11月、イタリアのシシリー島のエリゼに集まった18名の学者が、緊急宣言を行った。
これがシシリー宣言である。その内容は「衝撃的なもの」(グリーンピース・JAPAN)なものであ
った。

いわく、「これら(環境の中に日常的に存在する)化学物質による影響は、生殖系だけではな
く、行動的、および身体的異常、さらには精神にも及ぶ。これは、知的能力および社会的適応
性の低下、環境の要求に対する反応性の障害となってあらわれる可能性がある」と。つまり環
境ホルモンが、人間の行動にまで影響を与えるというのだ。

が、これで驚いていてはいけない。シシリー宣言は、さらにこう続ける。「環境ホルモンは、脳の
発達を阻害する。神経行動に異常を起こす。衝動的な暴力・自殺を引き起こす。奇妙な行動を
引き起こす。

多動症を引き起こす。IQが低下する。人類は50年間の間に5ポイントIQが低下した。人類の
生殖能力と脳が侵されたら滅ぶしかない」と。ここでいう「社会性適応性の低下」というのは、具
体的には、「不登校やいじめ、校内暴力、非行、犯罪のことをさす」(「シシリー宣言」・グリーン
ピース・JAPAN)のだそうだ。

 この事実を裏づけるかのように、マウスによる実験だが、ビスワエノールAのように、環境ホ
ルモンの中には、母親の胎盤、さらに胎児の脳関門という二重の防御を突破して、胎児の脳
に侵入するものもあるという。つまりこれらの環境ホルモンが、「脳そのものの発達を損傷す
る」(船瀬俊介氏「環境ドラッグ」より)という。

(4)教育の分野からの考察

 前後が逆になったが、当然、教育の分野からも「キルる子ども」の考察がなされている。しか
しながら教育の分野では、キレる子どもの定義すらなされていない。なされないままキレる子ど
もの議論だけが先行している。ただその原因としては、

(1)親の過剰期待、そしてそれに呼応する子どもの過負担。
(2)学歴社会、そしてそれに呼応する受験競争から生まれる子ども側の過負担などが、考えら
れる。こうした過負担がストレッサーとなって、子どもの心を圧迫する。

ただこの段階で問題になるのが、子ども側の耐性である。最近の子どもは、飽食とぜいたくの
中で、この耐性を急速に喪失しつつあると言える。わずかな負担だけで、それを過負担と感
じ、そしてそれに耐えることがないまま、怒りを爆発させてしまう。親の期待にせよ、学歴社会
にせよ、それは子どもを取り巻く環境の中では、ある程度は容認されるべきものであり、こうし
た環境を子どもの世界から完全に取り除くことはできない。これらを整理すると、次のようにな
る。

(1)環境の問題
(2)子どもの耐性の問題。

●終わりに……

以上のように、「キレる子ども」と言っても、その内容や原因はさまざまであり、その分野に応じ
て考える必要がある。またこうした考察をしてのみ、キレる子どもの問題を正面からとらえるこ
とができる。一番危険なのは、キレる子どもを、ただばくぜんと、もっと言えば感傷的にとらえ、
それを論ずることである。こうした問題のとらえ方は、問題の本質を見誤るばかりか、かえって
教育現場を混乱させることになりかねない。


Hiroshi Hayashi+++++++++Sep 06+++++++++++はやし浩司

【砂糖は白い麻薬】

++++++++++++++++++

子どもの突発的な凶暴性は、
低血糖によると考えられている。

しかし、だからといって、
甘味料(白砂糖)の多い食品を
子どもに与えろということでは
ない。

誤解のないようにしたい。

+++++++++++++++++

●独特の動き

 キレるタイプの子どもは、独特の動作をすることが知られている。動作が鋭敏になり、突発的
にカミソリでものを切るようにスパスパとした動きになるのがその一つ。

原因についてはいろいろ言われているが、脳の抑制命令が変調したためにそうなると考えると
わかりやすい。

そしてその変調を起こす原因の一つが、白砂糖(精製された砂糖)だそうだ(アメリカ小児栄養
学・ヒューパワーズ博士)。つまり一時的にせよ白砂糖を多く含んだ甘い食品を大量に摂取す
ると、インスリンが大量に分泌され、そのインスリンが脳間伝達物質であるセロトニンの大量分
泌をうながし、それが脳の抑制命令を阻害する、と。

●U君(年長児)のケース

U君の母親から相談があったのは、4月のはじめ。U君がちょうど年長児になったときのことだ
った。母親はこう言った。「部屋の中がクモの巣みたいです。どうしてでしょう?」と。U君は突発
的に金きり声をあげて興奮状態になるなどの、いわゆる過剰行動性が強くみられた。このタイ
プの子どもは、まず砂糖づけの生活を疑ってみる。聞くと母親はこう言った。

 「おばあちゃんの趣味がジャムづくりで、毎週そのジャムを届けてくれます。それで残したらも
ったいないと思い、パンにつけたり、紅茶に入れたりしています」と。そこで計算してみるとU君
は一日、100〜120グラムの砂糖を摂取していることがわかった。かなりの量である。そこで
私はまず砂糖断ちをしてみることをすすめた。が、それからがたいへんだった。

●禁断症状と愚鈍性

 U君は幼稚園から帰ってくると、冷蔵庫を足で蹴飛ばしながら、「ビスケットをくれ、ビスケット
をくれ!」と叫ぶようになったという。

急激に砂糖断ちをすると、麻薬を断ったときに出る禁断症状のようなものがあらわれることが
ある。U君のもそれだった。夜中に母親から電話があったので、「砂糖断ちをつづけるように」
と私は指示した。が、その一週間後、私はU君の姿を見て驚いた。

U君がまるで別人のように、ヌボーッとしたまま、まったく反応がなくなってしまったのだ。何かを
問いかけても、口を半開きにしたまま、うつろな目つきで私をぼんやりと私を見つめるだけ。母
親もそれに気づいてこう言った。「やはり砂糖を与えたほうがいいのでしょうか」と。

●砂糖は白い麻薬

これから先は長い話になるので省略するが、要するに子どもに与える食品は、砂糖のないも
のを選ぶ。今ではあらゆる食品に砂糖は含まれているので、砂糖を意識しなくても、子どもの
必要量は確保できる。ちなみに幼児の一日の必要摂取量は、約10〜15グラム。この量はイ
チゴジャム大さじ一杯分程度。

もしあなたの子どもが、興奮性が強く、突発的に暴れたり、凶暴になったり、あるいはキーキー
と声をはりあげて手がつけられないという状態を繰り返すようなら、一度、カルシウム、マグネ
シウムの多い食生活に心がけながら、砂糖断ちをしてみるとよい。効果がなくてもダメもと。砂
糖は白い麻薬と考える学者もいる。子どもによっては一週間程度でみちがえるほど静かに落
ち着く。

●リン酸食品

なお、この砂糖断ちと合わせて注意しなければならないのが、リン酸である。リン酸食品を与え
ると、せっかく摂取したカルシウム分を、リン酸カルシウムとして体外へ排出してしまう。

と言っても、今ではリン酸(塩)はあらゆる食品に含まれている。たとえば、ハム、ソーセージ
(弾力性を出し、歯ごたえをよくするため)、アイスクリーム(ねっとりとした粘り気を出し、溶けて
も流れず、味にまる味をつけるため)、インスタントラーメン(やわらかくした上、グニャグニャせ
ず、歯ごたえをよくするため)、プリン(味にまる味をつけ、色を保つため)、コーラ飲料(風味を
おだやかにし、特有の味を出すため)、粉末飲料(お湯や水で溶いたりこねたりするとき、水に
よく溶けるようにするため)など(以上、川島四郎氏)。

かなり本腰を入れて対処しないと、リン酸食品を遠ざけることはできない。

●こわいジャンク・フード

ついでながら、W・ダフティという学者はこう言っている。「自然が必要にして十分な食物を生み
出しているのだから、われわれの食物をすべて人工的に調合しようなどということは、不必要
なことである」と。

つまりフード・ビジネスが、精製された砂糖や炭水化物にさまざまな添加物を加えた食品(ジャ
ンク・フード)をつくりあげ、それが人間を台なしにしているというのだ。「(ジャンク・フードは)疲
労、神経のイライラ、抑うつ、不安、甘いものへの依存性、アルコール処理不能、アレルギーな
どの原因になっている」とも。

●U君の後日談

 砂糖漬けの生活から抜けでたとき、そのままふつう児にもどる子どもと、U君のように愚鈍性
が残る子どもがいる。それまでの生活にもよるが、当然のことながら砂糖の量が多く、その期
間が長ければ長いほど、後遺症が残る。

U君のケースでは、それから小学校へ入学するまで、愚鈍性は残ったままだった。白砂糖はカ
ルシウム不足を引き起こし、その結果、「脳の発育が不良になる。先天性の脳水腫をおこす。
脳神経細胞の興奮性を亢進する。痴呆、低脳をおこしやすい。精神疲労しやすく、回復がおそ
い。神経衰弱、精神病にかかりやすい。一般に内分泌腺の発育は不良、機能が低下する」(片
瀬淡氏「カルシウムの医学」)という説もある。

子どもの食生活を安易に考えてはいけない。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 子ど
もの食生活 子供の食生活 ジャンクフード ジャンク・フード 低血糖児 砂糖 白い麻薬)





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●左利き


●ある母親からのメール

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小学校の雰囲気が、変わりつつある。
そんな変化を、I市(浜松市近郊の町)に住む、
Sさんという方(母親)が伝えてくれた。

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本日のメルマガで、書き順についてのトピックスがありましたので
似たような話をさせて下さい。 

昨年の12月に、息子のM男の就学前検診がございました。
母親達は子供たちと離れ総合ルームにて、入学前の色々な説明を受けたのですが、
その中で、小学校の校長先生のお話がございました。

校長先生から母親達に 入学までのお願い事項が2点。

一点は鉛筆を正しく持てるようにしてくること。
これは、持ち方が悪いと書いた字が見えず、それを見ようとする結果
将来にわたって姿勢が悪くなる為とのことです。ふむふむと納得。

二点目は、少し意外でした。

それは、左利きの子供は右利きに改めるように・・とのこと。
それを強要する結果 精神的負担が大きいようなら、左利きでも良いが、
そうでなければ、改める事が子供の為であるとのご意見でした。
なぜなら、日本語は右で書くように出来ているから・・らしく・・

私は書道を目指す人だけそうであればよいと思っていますし、
もっと他に大切なことはないんですか?、と
入学前から不信感を抱いてしまったわけです。

また、I市の小学校は、どこも異様です。

体育館で話を始めるとき、どの先生もが掲げられた国旗に
向き直って、敬礼します。話し終わって向き直って、敬礼します。

私は東北育ちですが、東北ではこのような習慣はありませんし、
国旗は体育館に掲げていません。

君が代・日の丸は東京だけの問題かと思っておりましたが、
私の娘にもふりかかってきたかという感じです。

幸い子供にそれを強要することはないとのことですが。

6年間、その姿を見せられる、子供たちの心にどうつるのか・・、
平和教育はどのようになされるのか・・・、

幼稚園に帰って、うちの幼稚園のA先生にぐちをこぼしてしまいました。

今の幼稚園はとてもよいです。
派手な行事などは全くありませんが、園児の心の教育をとても大事にして
下さっていて、いつも穏やかに保育時間が過ぎ、子供たちは安定しています。

一方、その時々で世間で起こっている出来事を、
子供のレベルに合わせて教えてくれたり、世界を考える機会を与えてくれます。
ですから、子供たちは子供たちなりに戦争について考え・飢えについて考え、
自殺について考え・死・愛・家族・世界の人々について考え、
家に帰ってくるとそのことを話してくれます。

素敵な幼稚園に行っているからこそ、
この小学校に心の教育を大切にしている雰囲気を
感じ取れなかったのが不満なのかもしれません。

小学校にそんなことを求める私が、お馬鹿なのかもしれません。
こんな印象を最初に持ってしまって、この先、6年間、もやもやしそうです。


【はやし浩司よりSさんへ】

 この浜松市でも、似たような話を耳にしています。

 学校の先生というのは、校長にかぎらず、世の大勢がそうであると感じたときには、その大勢
に従わざるをえないという側面があります。つまり多数決の原理が、何よりも優先されるわけで
す。

 「君が代・日の丸」問題もそのひとつです。

 少数派になって、大勢と摩擦を起こすことを避け、多数派に身を置き、保全を求めようとしま
す。しかしこうした迎合主義は、危険な側面をもっています。戦前の全体主義を例にあげるま
でもありません。

 ただし子どもの前では、学校や先生の批判は、タブーと考えてください。子ども自身が、「もや
もや」しては困ります。先生の指導に従わくなります。私も、みなさんのお子さんを教えさせてい
ただきながら、学校や先生の批判、批評は、タブーと心得ています。

 子どもが何か、学校の先生について、批判めいたことを口にしたときには、すかさず、「それ
は君たちが悪いからだ」と、学校側の立場にたって、諭(さと)すようにしています。どうか、ご注
意ください。

 このばあいも、「校長先生がそう言ったから、あなたも、右で字を書こうね」と、家庭では、そう
指導してください。そしてどうしても、それが無理なら、直接、担任の先生に、そっとそう言うの
がよいと思います。

 「君が代・日の丸」については、私たち1人ひとりが、賢くなることで、対処しましょう。政治的
無関心は、恥ずべきことですよね。がんばりましょう!

 また、何かお気づきのことがあったら、メールをください。


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●利き手の問題

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利き手については、すでに何度も
原稿を書いてきた。

もう一度、それをここに再掲載したい。

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●教育が型にはまるとき
●「ちゃんと見てほしい」

 「こんな丸のつけ方はない」と怒ってきた親がいた。祖母がいた。「ハネやハライが、メチャメ
チャだ。ちゃんと見てほしい」と。私が子ども(幼児)の書いた文字に、花丸をつけて返したとき
のことである。

あるいはときどき、市販のワークを自分でやって、見せてくれる子どもがいる。そういうときも私
は同じように、大きな丸をつけ、子どもに返す。が、それにも抗議。「答がちがっているのに、ど
うして丸をつけるのか!」と。

●「型」にこだわる日本人

 日本人ほど、「型」にこだわる国民はいない。よい例が茶道であり華道だ。相撲もそうだ。最
近でこそうるさく言わなくなったが、利き手もそうだ。「右利きはいいが、左利きはダメ」と。

私の二男は生まれながらにして左利きだったが、小学校に入ると、先生にガンガンと注意され
た。書道の先生ということもあった。そこで私が直接、「左利きを認めてやってほしい」と懇願す
ると、その先生はこう言った。「冷蔵庫でもドアでも、右利き用にできているから、なおしたほう
がよい」と。そのため二男は、左右反対の文字や部分的に反転した文字を書くようになってし
まった。書き順どころではない。文字に対して恐怖心までもつようになり、本をまったく読もうと
しなくなってしまった。

 一方、オーストラリアでは、スペルがまちがっている程度なら、先生は何も言わない。壁に張
られた作品を見ても、まちがいだらけ。そこで私が「なおさないのですか」と聞くと、その先生
(小三担当)は、こう話してくれた。「シェークスピアの時代から、正しいスペルなんてものはない
のです。発音が違えば、スペルも違う。イギリスのスペルが正しいというわけではない。言葉
は、ルール(文法やスペル)ではなく、中身です」と。

●「U」が二画?

 近く小学校でも、英語教育が始まる。その会議が一〇年ほど前、この浜松市であった。その
会議を傍聴してきたある出版社の編集長が、帰り道、私の家に寄って、こう話してくれた。

「Uは、まず左半分を書いて、次に右半分を書く。つまり二画と決まりました。同じようにMとW
は四画と決まりました」と。私はその話を聞いて、驚いた。英語国にもないような書き順が、こ
の日本にあるとは! 

そう言えば私も中学生のとき、英語の文字は、二五度傾けて書けと教えられたことがある。今
から思うとバカげた教育だが、しかしこういうことばかりしているから、日本の教育はおもしろく
ない。つまらない。たとえば作文にしても、子どもたちは文を書く楽しみを覚える前に、文字そ
のものを嫌いになってしまう。日本のアニメやコミックは、世界一だと言われているが、その背
景に、子どもたちの文字嫌いがあるとしたら、喜んでばかりはおられない。

だいたいこのコンピュータの時代に、ハネやハライなど、毛筆時代の亡霊を、こうまでかたくな
に守らねばならない理由が、一体どこにあるのか。「型」と「個性」は、正反対の位置にある。子
どもを型に押し込めようとすればするほど、子どもの個性はつぶれる。子どもはやる気をなく
す。

●左利きと右利き

 正しい文字かどうかということは、次の次。文字を通して、子どもの意思が伝われば、それで
よし。それを喜んでみせる。そういう積み重ねがあって、子どもは文を書く楽しみを覚える。

オーストラリアでは、すでに一〇年以上も前に小学三年生から。今ではほとんどの幼稚園で、
コンピュータの授業をしている。一〇年以上も前に中学でも高校でも生徒たちは、フロッピーデ
ィスクで宿題を提出していたが、それが今では、インターネットに置きかわった。先生と生徒
が、常時インターネットでつながっている。こういう時代がすでにもう来ているのに、何がトメだ、
ハネだ、ハライだ! 

 冒頭に書いたワークにしても、しかり。子どもが使うワークなど、半分がお絵かきになったとし
ても、よい。だいたいにおいて、あのワークほど、いいかげんなものはない。それについては、
また別のところで書くが、そういうものにこだわるほうが、おかしい。

左利きにしても、人類の約五%が、左利きといわれている(日本人は三〜四%)。原因は、どち
らか一方の大脳が優位にたっているという大脳半球優位説。親からの遺伝という遺伝説。生
活習慣によって決まるという生活習慣説などがある。一般的には乳幼児には左利きが多く、三
〜四歳までに決まるが、どの説にせよ、左利きが悪いというのは、あくまでも偏見でしかない。
冷蔵庫やドアにしても、確かに右利き用にはできているが、しかしそんなのは慣れ。慣れれば
何でもない。

●エビでタイを釣る

 子どもの懸命さを少しでも感じたら、それをほめる。たとえヘタな文字でも、子どもが一生懸
命書いたら、「ほお、じょうずになったね」とほめる。そういう前向きな姿勢が、子どもを伸ばす。
これは幼児教育の大原則。

昔からこう言うではないか。「エビでタイを釣る」と。しかし愚かな人はタイを釣る前に、エビを食
べてしまう。こまかいこと(=エビ)を言って、子どもの意欲(=タイ)を、そいでしまう。

(付記)
●私の意見に対する反論

 この私の意見に対して、「日本語には日本語の美しさがある。トメ、ハネ、ハライもその一つ。
それを子どもに伝えていくのも、教育の役目だ」「小学低学年でそれをしっかりと教えておかな
いと、なおすことができなくなる」と言う人がいた。

しかし私はこういう意見を聞くと、生理的な嫌悪感を覚える。その第一、「トメ、ハネ、ハライが
美しい」と誰が決めたのか? それはその道の書道家たちがそう思うだけで、そういう「美」を、
勝手に押しつけてもらっては困る。要はバランスの問題だが、文字の役目は、意思を相手に伝
えること。「型」ばかりにこだわっていると、文字本来の目的がどこかへ飛んでいってしまう。

私は毎晩、涙をポロポロこぼしながら漢字の書き取りをしていた二男の姿を、今でもよく思い
出す。二男にとっては、右手で文字を書くというのは、私たちが足の指に鉛筆をはさんで文字
を書くのと同じくらい、つらいことだったのだろう。二男には本当に申し訳ないことをしたと思っ
ている。この原稿には、そういう私の、父親としての気持ちを織り込んだ。


Hiroshi Hayashi+++++++++JAN.07+++++++++++はやし浩司

【左利きについて】

●何でも握らせる
 
 人類の約5%が、左利きといわれている(日本人は3〜4%)。原因は、どちらか一方の
大脳が優位にたっているという大脳半球優位説。親からの遺伝という遺伝説。生活習慣に
よって決まるという生活習慣説などがある。一般的には乳幼児には左利きが多く、三〜四
歳までに決まるとされる。
 
 それはともかくも、幼児を観察してみると、何か新しいものをさしだしたとき、すぐ手
でさわりたがる子どもと、そうでない子どもがいるのがわかる。さわるから知的好奇心が
刺激されるのか、あるいは知的好奇心が旺盛だから、さわりたがるのかはわからないが、
概して言えば、さわりたがる子どもは、それだけ知的な意味ですぐれている。これについ
て、こんな話を聞いた。

 先日、タイを旅したときのこと。夜店を見ながら歩いていたら、中国製だったが、石で
できた球を売っていた。2個ずつ箱に入っていた。そこで私が「これは何?」と聞くと、「老
人が使う、ボケ防止の球だ」と。それを手のひらの中で器用にクルクルと回しながら使う
のだそうだ。そしてそれが「ボケ防止になる」と。指先に刺激を与えるということは、脳
に刺激を与え、それが知的な意味でもよい方向に作用するということは前から知られてい
る。

 もしあなたの子どもが乳幼児なら、何でも手の中に握らせるとよい。手のマッサージも
効果的。生活習慣説によれば、左利きも防げる。(左利きが悪いというのではないが……。)
そして「何でもさわってみる」という習慣が、ここにも書いたように好奇心を刺激し、「握
る」「遊ぶ」「作る」「調べる」「こわす」「ハサミなどの道具を使う」という習慣へと発達す
る。もちろん指先も器用になる。

(補足)子どもの器用さを調べるためには、紙を指でちぎらせてみるとよい。器用な子ど
もは、線にそって、紙をうまくちぎることができる。そうでない子どもは、ちぎることが
できない。
(はやし浩司 右利き 左利き 利き手 きき手)






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●野生児

【限界論】

●興味ある少女

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カンボジア北東部のラタナキリ州で、18年前に
消息を絶っていた女性(27)が、19日までに
保護されたという。

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カンボジア北東部のラタナキリ州というところで、18年前に消息を絶っていた女性(27)が、1
9日までに保護されたという。

ジャングルでの生活が長く言葉はほとんど話せず、全裸で動物のように、4本足で歩くなど、
(野生化)していたという。

女性は1989年、水牛の世話で外出したまま行方不明となっていたが、今月1月13日(07
年)、同州の村で米を盗もうとしているところを発見された。腕の古傷の位置が一致することな
どから、女性は地元の警察官(45)の娘とみられているという。

 9歳で行方不明となった少女は、18年後、野生化した「獣人」(ヤフーニュース)になっていた
というわけである。

 保護されたのは、ロチョム・プチエンさんという女性。長いジャングル生活で、人間の言葉も
ほとんど話せなくなっていた。自分の腹をたたいて空腹を伝えたり、衣服を着せてもビリビリと
引き裂いてしまう始末。起きているときは、ただ座って左右をキョロキョロ見回し、家族のすきを
見ては、衣服を脱ぎ捨て、ジャングルに戻ろうとするという。

 ロチョムさんは89年、ラタナキリ州で家畜の水牛の群れを世話するために外出したまま消息
を絶った。同州周辺では当時、子供たちが行方不明になる事件が多発。ポル・ポト派の残党
が関与しているともうわさされていたという。(以上、ヤフーニュースより)。

 この話に似た話に、「野生児」がいる。生後まもなくから、人間の手を離れ、人間以外の動物
などによって育てられた子どもをいう。よく知られた例に、インドで見つかった、オオカミ少女、
それにフランスで見つかった、ビクトールという名前の少年がいる。

 今回、カンボジアで見つかった女性の例を、これららの野生児と並べて考えてみると、人間
は、人間によって育てられてはじめて、人間になるということ。それがよくわかる。もし人間が人
間によって育てられなかったとしたら、人間は、動物と同じか、動物のままで終わってしまうとい
うこと。

 さらに今回見つかった女性のばあい、(本当のその女性が、9歳で行方不明になったとする
なら)、9歳までにつくられた(人間)そのものが、そのあとの生活で、消えてなくなってしまったと
いうことになる。9歳といえば、小学3年生である。本当に、言葉まで、ほとんど忘れてしまった
というのだろうか。

 もしこの話が事実であるとするなら、人間は、そのつど、絶え間なく人間と接し、人間どうしの
感化を受けなければ、人間を維持できないということになる。これは極端な例かもしれないが、
ひとり山の奥にこもって仙人のような生活をしていたのでは、人間は人間であることを維持でき
ないということにもなる。

 たとえば人格の完成度をみるときは、(他者との良好な人間関係)(EQ論)が、ひつとの重要
なポイントとなる。

 人間は、他者と良好な人間関係を保つことによって、人間として立場を維持することができ
る。そうでなければ、そうでない。結論を先に言えば、そういうことになる。

 が、それだけではない。

 人間といっても、そこには、(限界)がある。「私は、イノシシやタヌキのような動物とはちがう」
と思っている人でも、神のようになった人から見れば、動物たちと、それほど、ちがわない。ま
た、そう見えるだろう。

 たとえば、夜のバラエティ番組をにぎわす、お笑いタレントたちがいる。演技でそうしているの
か、それとも、本当にそうであるのかは私にはわからない。わからないが、ああいうタレントた
ちを見ていると、「あれが同じ人間か」と思う前に、自分が同じ人間であることが、情けなくな
る。

 仮にああいう世界だけで、人間が育ったとするなら、人間も、そのレベルで、成長が止まって
しまうにちがいない。それがここでいう(限界)である。つまり「私は私」と思っている人でも、そ
の(限界)の中で右往左往しているにすぎない。

 これもまたひとつの例だが、ケアセンターで、何かの作業をしている老人たちを考えてみよ
う。

 若いときには、それなりの人たちであったかもしれない。そういう老人たちが、指導員の指導
に従って、粘土細工をしたり、切り紙をしたりしている。私が見たときには、粘土細工で、イノシ
シを作っていた。

 当然と言えば、当然かもしれないが、そういうところには、本を読んだり、パソコンを叩いたり
している老人はいない。しかし考えてみれば、たいへん、おかしなことである。人間が、自ら、自
分の(限界)をさげてしまっている。わかりやすく言えば、9歳前後(?)。カンボジアで見つかっ
た女性が行方不明になった年齢レベルまで、自分たちをさげてしまっている。

 では、どうしたらよいのか? ……というより、これは私たちの年代の者にとっては、切実な
問題である。

 私自身は、私がもつ(限界)のレベルをあげたいと願っている。しかし私の周囲の人たちがみ
な、その(限界)の中で生きているとするなら、私ひとりだけが、その(限界)を超えるのは、容
易ではない。(限界)を超えようとすると、周囲の人間たちが、あたかもジャングルのようになっ
て、私の道をふさぐ。

 たとえばいつか私もケアセンターに入ったとき、「私は、イノシシ細工などしたくない」「私は、
パソコンを叩きたい」などと言ったら、どうなるのだろうか。みなは、それを許してくれるだろう
か。いや、その前に、それだけの集中力と能力を維持できるだろうか。

 私たちは、カンボジアで見つかった女性を想像しながら、「私たちは、その女性とはちがう」と
思う。しかし、実のところ、それほどちがわないのではないのか。その女性は、「自分の腹をた
たいて空腹を伝えたり、衣服を着せてもビリビリと引き裂いてしまう始末。起きているときは、た
だ座って左右をキョロキョロ見回し、家族のすきを見ては、衣服を脱ぎ捨て、ジャングルに戻ろ
うとする」(報道)という。

 様子はちがうとしても、頭のボケた私の兄なども、レベルとしては、同じようなことをしている。
自分の思いどおりにならなかったりすると、立ったまま便を漏らしてみせたり、腹が減ると、自
分だけさっさと食事をすませてしまう、など。私の家にいたときも、何かの拍子に家を飛び出
し、2メートルもある高い塀を飛び降りたりした。

 話がこみいってきたが、私たちはいつも、(限界)の中で生きているということ。ただ、みなが
みなそうであるから、その(限界)に気づかないでいるということ。カンボジアで見つかった女性
についての記事を読んだとき、私はそんなことを考えた。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 獣人
 野生児 限界 限界論)

【付記】

 大切なことは、良好な人間関係を保ちつつ、よりレベルの高い人たちと、交際していくというこ
と。つまり自分がもつ(限界)のレベルをあげるということ。

 このことは、反対の経験をすると、よくわかる。

 先日も、ある女性(70歳くらい)が、私に何かを説教しようとした。見るからにレベルの低そう
な人だった。しかしよく知っている人なので、それなりに話には耳を傾けたが、あのとき感じた
不快感は、いったい、何だったのか。

 その女性は、「神や仏に悪人はいない」という論理(?)のもとで、ありとあらゆる新興宗教に
手を染めていた。それはそれでおもしろい考え方かもしれないが、その愚かさ(失礼!)が、私
には、手にとるようにわかった。

 安っぽい論理に、薄っぺらな人生観。無知、無学、無教養。そういう女性に、「ご先祖様あっ
ての、あなたでしょ」と言われたりすると、「ハア〜」と言っただけで、つぎの言葉が出てこない。

 つまりその女性は、自分ではそうは思っていないかもしれないが、すでに身を、半分、ケアセ
ンターに置いているようなもの。そういう女性が、この私を、無理やり、そういう世界に、閉じ込
めようとする。私が感じた不快感は、そういうところから生まれたのかもしれない。
 
 だから……。これからはさらに、さらに、自分をみがいていかねばならない。それがとりもなお
さず、自分がもつ(限界)を、上のレベルにもっていくということになる。

(追記)

 なおその女性は、最近、私について、こんなことを言っているそうだ。数年前、年賀状をくれ
たのだが、私は、返事を書かなかった。それについて、「(年配者である)私に、返事をくれない
のは、失礼だ。教育について論じている者にしては、あるまじき行為」と。

 私は、ただ、そういう女性を相手にしたくないだけ。ハハハ。
 




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●内政不干渉の大原則

+++++++++++++++

他人の子育てには干渉しない。
それぞれの家には、それぞれの
家の、人に言えない事情がある。

その事情を無視して、あれこれ
干渉するのは、失礼というより、
タブー。

+++++++++++++++
                
 他人の子育てには干渉しない。

この世界には、内政不干渉の大原則というのがある。つまりこの世界ほど、『言うは易く、行う
は難し』という世界は、ない。こんなことがあった。

 私の義姉の長男が、小学校入学を前に、急性のネフローゼ(腎機能障害)になり、そのため
市内の総合病院に緊急入院することになった。姉は、隣町に住んでいたから、毎日電車でこ
の町へやってきて、そこからバスで病院へ通った。週に数度しかこなかった義兄ですら、その
ため体重が四〜五キロ減ったというから、それがいかにたいへんだったかがわかる。長男は
絶対安静のまま、数か月入院した。

 で、やっとのことで、本当にやっとのことで、姉は退院を入学式に間に合わせた。「何としても
入学式までに」という思いが、天に通じた。が、はじめての参観日でのこと。担任の先生が姉を
呼びとめて、こう言った。「お宅の子は左利きです。親がちゃんと指導しなかったから、こうなっ
てしまったのです」と。

学校から帰る道すがら、姉は、「左利きぐらいが、何だ!」と、泣けて泣けてしかたなかったとい
う。

 他人の子育てに干渉して、「しつけがなっていない」とか言うのは、たいてい子育ての経験の
ない人だ。自分で子育てをしてみると、そのたいへんさがよくわかる。そしてそれがわかればわ
かるほど、口が重くなる。だいたいにおいて、思うようにならないのが子育て。あの『クレヨンし
んちゃん』の中にも、こんなシーンがある(V7巻冒頭)。

 母親のみさえが庭掃除をしていると、二人の男子高校生が通りかかる。それを見て、みさえ
が、「何よ、あのかっこう。だらしないわね。親の顔を見てみたい」と。すると今度はその高校生
たちが、こう叫ぶ。「な、何だ、こいつ……。親の顔が見てみたい」と。みさえがその方向を見る
と、しんのすけが、チンチン丸出しで歩いてくる……。

 少し話が脱線したが、人はそれぞれの思いの中で自分の子育てをする。それが正しくても正
しくなくても、その人はその人で、子どもを懸命に育てている。その懸命さを少しでも感じたら、
その人の子育てを批判してはならない。

私たちがせいぜいできることと言えば、その親の身になって、その心を軽くするようなことを言
ったり、アドバイスすることでしかない。この私とて、この三〇年間貫いている主義が、一つ、あ
る。それはいかにその子どもに問題があったとしても、親の方から聞いてくるまでは、それを指
摘しないということ。

仮に相手が、「最近、うちの子、どうでしょう」と話しかけてきても、すかさず、「おうちではどうで
すか」と聞き返すことにしている。つまりそうすることで、親が何をどの程度まで知りたがってい
るか、さぐりを入れるようにしている。一見、冷たい指導法に見えるかもしれないが、それは子
育てをしている親に対する、私の敬意の表れでもある。

 子育てには、その人の全人格が凝縮されている。ものの考え方、価値観、思想など、すべて
がそこに集中する。だから相手の子育てを批判するということは、その人自身を批判すること
に等しい。だから、内政不干渉。この言葉のもつ意味の重さを理解していただければ、幸いで
ある。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 左利
き 利き手 左きき)






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●因果応報

+++++++++++++++++

子育ては、子どもを育てることではない。
子どもに、子どもの育て方を教える。
それが子育て。

+++++++++++++++++

 仏教では、こう教える。『因果応報』と。ものごとには原因と結果があるという意味だが、これ
を教育の世界では、「世代伝播」という。

たとえば暴力に慣れた子どもは、親になると、やはり暴力的な親になりやすい。育児拒否や家
庭崩壊を経験した子どもは、親になると、家庭作りに失敗しやすい、など。

反対に、頭のよい親の子どもは、概して頭がよい。いや、これは伝播というより、遺伝によるも
のか。つまり子育てというのは、よきにつけ悪しきにつけ、世代から世代へと、伝播しやすいと
いうこと。いろいろな例がある。

 ある父親は自分の娘を抱きながら、「これでいいのか」「どの程度、抱けばいいのか」「抱きグ
セがつくのではないか」と悩んでいた。自分自身が、いろいろと事情があって、親に抱かれた経
験がなかった。あるいは別の親は、子どものささいな失敗を大げさにとらえては、子どもを殴り
飛ばしていた。

私が「何も、そこまでしなくても」と言うと、その父親は、「ワシは、まちがったことが大嫌いだ。た
とえ我が子でも、許さない」と。その父親も、不幸にして不幸な家庭に育っていた。

 もしあなたが子育てをしていて、どこかにぎこちなさや、不自然さを感じたら、あなた自身の
「親像」を疑ってみる。多分、あなたの中に、しっかりとした親像が入っていない。もっと言えば、
あなたは「親」というものが、どういうものであるか知らないまま、今、子育てをしている。子育て
は、自分の中に、「育てられた」という経験があって、はじめてできる。もう少し端的に言えば、
子育ては本能ではなく、体験によってできるようになる。

 ところで愛知県の犬山市にあるモンキーセンターには、頭のよいチンパンジーがいるという。
人間と会話もできるという。もっとも会話といっても、スイッチを押しながら、会話をするわけだ
が、そのチンパンジーが、一九九八年の夏、妊娠した。

が、飼育係の人が心配したのは、そのことではない。「はたしてこのチンパンジーに、子育てが
できるかどうか」(中日新聞)だった。人工飼育された動物は、ふつう自分では子育てができな
い。チンパンジーのような、頭のよい動物はなおさらで、中には自分の子どもを見て、逃げ回る
親もいるという。いわんや、人間をや。

 さて本論。それぞれの人には、それぞれの過去がある。それはそれだが、その前提として、
完ぺきな過去をもった人は少ない。言いかえれば、どんな人でも、何らかの重荷を背負って生
きている。子育てについて言えば、心やさしい両親の愛に包まれて、何の不自由もなく育った
人のほうが、稀だ。つまり、どんな人でも、それぞれの問題をかかえている。しっかりとした親
像がないからといって、自分の過去をのろってはいけない。

 そこであなた自身を振り返ってみてほしい。あなたはどんな子育てを受けただろうか。つまり
どんな親像が入っているだろうか。もしあなたの過去に「暗い部分」があったら、それはあなた
の代で断ち切る。子どもに伝えてはいけない。それを昔の人は、「因果を断つ」と言ったが、方
法は簡単。その暗い部分に気づくだけでよい。それだけで、この問題の大半は解決する。一
度、じっくりと、自分を観察してみてほしい。
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 因果 因果応報)







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